Wakiは東北・関東大震災の惨状をテレビやインターネットで見て以来、もしこの災難が自分にのしかかってきたらどうして逃れようか、とか何で逃げようかとかとかそんなことばかり考えている、ここは中之島大阪市役所の南側、土佐堀川に面した所に掲げられた大きな立て看板、周りが腐食して設置してからかなりの年月が経っていることが伺える、見ると中之島全体が広域避難場所で東西の端(グリーンに色分けされたところ)が収容(一時)避難場所とされている。でも近頃の新聞報道では大阪湾の防潮堤の想定津波の高さは3mと言われている。東北沿岸を襲った津波はこれをはるかに超えていた。また史実によると江戸時代大阪を襲った津波は淀川を奔流し枚方まで達したそうだし、Wakiはこの看板の前で考え込んでしまったがもしものときは前の市役所の階段を4階ぐらいまで駆け上る以外に助かる道はないと思った。早晩この看板は見直しされることと思う。
きょうから4月、早いものであれから3週間が経過した。「明日は少しだけ笑顔が増えると信じて、前を向こう。・・・朝刊のコラムより・・・
きょうから4月、早いものであれから3週間が経過した。「明日は少しだけ笑顔が増えると信じて、前を向こう。・・・朝刊のコラムより・・・