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気まぐれフォトダイアリー

富士山、風景、身近な花の写真ブログです。読んだ本の感想も載せています。
最近は回想ブログが多くなりました。

K叔母さんのこと

2013年10月12日 11時17分52秒 | Weblog
先日未明、私の近所で火事があった。


夜中だったことと、こんなに近くで火事を見たことがなかったので、とても怖かった!

今回の火事は私も大人なので、鮮明な印象があるが、まだほんの子供の頃にももっと近くで火事にあったことがあった。


たぶん3~4歳の頃のことだと思う。

すぐ前の家が火事になったことだ。


私の両親が、家の裏に私と、もうかなり高齢の祖母を非難させて、家が燃え移らないように必死でみんなで消火をしていたような話は後から父に聞いたことがあった。

普通だったら、記憶に残っていなかっただろうが、その時の火事のことは今でも脳裏に浮かんでくる。

幼い私には、火事の実際の怖さは分からなかったが、そばに座っていた祖母がとても心配そうな顔をしていたのは覚えている。

祖母は当時、歩けなかったと思う。

その後、多分2年ぐらいして亡くなったのだと思う。



話は前後するが、火事の翌日、新聞でやっと様子が分かった。

その家のおばさんが焼死したようだ。

新聞によると、玄関の前の廊下で遺体が見つかったとでていた。

きっと、火事に気が付いても逃げるのに間に合わなかったのだろうと思う。

亡くなったおばさんとはそれほど話はしたことはないが、顔だけは知っていたので、本当に気の毒な気がした。


火事の後の何日かはケーブルテレビも映らなかった。

火事のニュースを知りたくても、ニュースも見えなかった。


地元で肝心のニュースが見えないのは悔しいようだった。

ケーブルテレビが映ったのは、2日くらい経ってからだ。




k叔母さんのことだが、翌朝の新聞で火事のことを知ったらしい。

k叔母さんは私の家から近くのにお嫁に行った人だ。

年はもう88歳くらいにはなる。

電話だと少し耳が遠くなっているので、話をするのは少し大変だったが、我が家のことをものすごく心配してくれていたのがわかった。


私はその時、すごくうれしかった。

火事の恐怖の後だったので、なおさらうれしかったのかも知れない。


K叔母さんは、昼間のTVのニュースで火事があったのを見たとき、見たような景色が出ているなと思ったそうだ。

その後、新聞で我が家の近くの火事だったと分かり、すぐ電話をくれた。

その時いろいろなことを話してくれた。



私が記憶に残っている、前の家の火事のことだ。

その時は嫁いでいて、長女を背中に負ぶっている時だったといった。


近所の人から「Kさんの実家の前のうちが火事だ」と聞いて、本当にびっくりして、すぐ駆けつけたこと。

当時は(今から60年近く前になるので)、車は持っていなかったので、歩いてきたのだと思う。

長女は私と同級生になるので、私も3歳くらいだったのかも知れないね。


K叔母さんは、自分は消すこともできなくて、いつも遠くにいたけれどとても実家のことは心配した、

などと話してくれた。

電話で聞いていて叔母さんの気持ちがよく伝わった。


ありがたいなぁ~としみじみ思った。


我が家が実家の叔母さん、90歳近くになっても、心配してくれた気持ちがとてもうれしかった。



「叔母さん、心配してくれて本当にありがとうね。」

普段はうるさいと思うこともあったけどね。




私も人の心の痛みのわかる人間になりたいと思った。

この火事でいろいろなことを学んだような気がする・・・



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