気まぐれフォトダイアリー

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父親の命日に思う

2021年02月01日 12時36分16秒 | Weblog
昨日は父親の命日だった。


父親が亡くなったのは、数えるともう42年前になる。


何日か前から父親のことを思い出していた。

私が子どもで記憶が残っている限り、

私をとてもかわいがってくれた。


今思うと、珍しい人だなと思う。

小さいころ、どこに行くのにも一緒に連れて行ってくれた。

おかげで、遠くの親戚の人ともかなり知り合いになれた。


農家だったので、畑に行くときも必ず連れて行ってくれた。

畑に行くときは背中に荷物をのせる背負子(しょいこ)を背負い、そのうえに小さな私を肩車にしてのせていった。

これをみた近所のオジサンが、すごい力だねぇ~と驚いていたのを思い出す。


大きくなってから、かわいがってくれたことはわかっていたけれど、

そのほかのことで、束縛されたりしたので、

かわいがってくれたことには、あまり感謝の気持ちがなかった。


私は父親の実子ではない。

父夫婦に子供がいなかったので、昔の農家では困ったらしく、弟の子供を引き取った。

話せばとても入り組んでいるので、ここでは書かない。


成長するにしたがって、私の親は本当の親ではないと、知らず知らずわかった。

我が家が本家になるので、親戚の人の集まりの時など・・・

まだ3歳か4歳の子どもの頃だと思う。

無神経な親戚のオジサンだったと思うが、○○は兄貴の弟の子供だと言っているのが聞こえた。


その時、子供心にものすごいショックを受けた。

胸を刃物で刺されたような気がした。

子どもだって、言われたことはわかる。

無神経なことは言わないことだ。




時代は流れ、

元気だった父親は、がんになった。

何度か入院して、手術をしたりしたけれど、もう余命が少なくなり、

近くの病院に入院していた時のことだ。


看護婦(当時)さんが父親のそばに来た時、

「○○さんは子供さんは娘さん一人ですか?」と聞いた。

父親は「私の親がたくさん子供を産んだので、私にはこの子一人しか生まれなかった」

と答えた。


その言葉を聞いた時、私は涙が出るくらいうれしかった。

私は子どもの頃から、実の親でないことは知っていた。

けれど、父親は私を本当の子供と思っていてくれたのがよく分かった。



私ももう父親の亡くなった年に近くなってきた。

父親が私を大事にしてくれたことに、改めて感謝の気持ちを持った。



気づきが遅く、バカな人間だよなと思う。

だいぶ遅くなってしまったけれど、私を大事にしてくれて、ありがとうお父さん。



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