Sydney Yajima


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666

2009-03-19 23:22:55 | 世界情勢
参照SP500が今月の初め666をつけて、最低になったあと、上昇を始めたのはご存知の通り。すでに20%以上の上昇振りだ。バーナンキ FRB議長は、さらにマネーサプライを増やし、 ランボーというシルベスター スタローン主演の映画にたとえられている。あらゆる武器に精通し、経済崩壊に立ち向かうという意味らしい。
だが、ランボーという映画そのものが、随分古いものだし、それにたとえて喜んでいる人間たちが、SP500をあげるのに、一役買っているとしたら、危ういことこの上ない。確かに、大きなインパクトで300ビリオンの長期追加融資と1.45トリリオンの抵当物件の買取などを含んだ大きなインパクトを市場に、与え、さらにヘリコプター ベンの面目躍起としたマネーサプライを実施したため、アメリカドルはユーロに対して、弱くなった。これが、いずれどういう形で跳ね返ってくるのか分からないと私などは思う。
マーケットの反応は良好で、みんな、「やってくれるねぇ」と感心しているが、もしかしたら、FRBは私たちの知らないもっと重要な問題をすでに察知していて、これをしなければ、市場そのものが崩壊すると危惧して、一か八かの賭けに出たのだとは、誰も思わないのだろうか?

ランボーだと喜んでいていいのか?
経済学ではデフレはコントロールを失うとして、一番危険だと言われているが、本当に、危険なのかどうかは、今まで経験則がないために、一概には言えない。超インフレが危険なことは知っているし、それが起こると政治不安から、戦争になる例もたくさんあるけれど、デフレははたしてどうなんだろう?

マネーサプライが増やし、金利ゼロを続けると、インフレ誘導ということになるはずだが、いまのように、社会不安と雇用不安が横たわっている限り、消費が伸びることは難しい。
根本的に治療する方法は、雇用を増やし、経済を発展させる方法を打ち立てることだ。

日本の場合は、雇用問題は、まだまだ深刻ではない。今の深刻さなどは、アメリカの10%以上の非雇用率に比べると、子供のようなものだ。

いずれ、そのレベルになる可能性があるにしても、今の段階では、まだまだ日本はずっと景気がいい。
だがいずれ、時間をたてて日本にもこの雇用問題が深刻な足音とともにやってくる覚悟はしておくべきだろう。

進化論

2009-03-19 02:09:12 | 世界情勢
進化論

ダーウィンの進化論をたどりながら、この現在のマーケットを読み解くのが、一番分かりやすい。
恐竜がなぜ滅んだのか、様々な説があるが、やはり、何らかの理由で起こった急激な環境の変化に、身体が大きくて脳みその小さな生物は、身体が小さくて頭のいい生物に太刀打ちできなかったのだろうというのが、一番正しいように思える。
環境の変化には、気温であったのかもしれないし、食料問題だったかもしれない。気温の場合なら、爬虫類には自分で体温を暖める機能がないために、巨大な肉体は、寒さに耐えることができず、死んでしまう。食糧問題ならば、やはりその巨大な肉体を支えるだけの食物が得られないと、死んでしまう確立は、小さな生物よりも高いだろう。
これを国の経済に置き換えると、どうだろうか?というのが今日の話のテーマだ。一見強そうに見える巨大な生物が、案外環境の変化に対して、もろく、弱いのなら、国単位でも、同じことが言えるのではないだろうか?例えば、今回の金融危機では、一番大きな損失を出しているのはアメリカなどのいわゆる超大国だ。国力には、大きく分けて、三つある。一つ目は、土地。二つ目は、キャピタル。そして三つ目が、人。労働力だ。わたしは、この三つ目に注目する。人は、数ではなく質だと信じている私にとって、見える人口にはあまり興味がない。それより、見えない質のほうがよほど信頼できるのだが、残念ながらそれを表す指数は少ない。
こういう指数があれば、分かりやすいのだがなあ・・・を、列挙してみよう。
独創力
デザイン性
研究
緻密性
器用さ
社会の成熟性(暴動が起きるかどうかなど)
宗教の対立
戦争の危険性
憎しみの持続性(人を憎み続けている国には、発展もなければ幸せも訪れないため、常に嫉妬と羨望と分かりやすい金銭感覚で動いてしまうために、強引な人たちだと思われて嫌われる。そのうえ、人を憎しみ、許すことのできない性格は、つねにどちらかの、一方的に偏りやすく、いずれ社会自体に極端な二分化が起こり、お互いが矛盾が生じてつぶし合いをはじめ、やがて破綻する。仮に方向性が、発展と言う分かりやすい目標に進んでいるならば、その性格は 逆に力になり時には、協力を生むが、リターンを得られないとその社会はやはり成り立たなくなるために、最終的には、外国からのコントロールを受けやすくなる。)
未来の展望を持っているかどうか
反省をするかどうか?(反省をしない社会は、いずれ奪い合いを呼び込むことになる。何をしても構わない。先にやったほうが勝ちというルールのうえで協調性はありえないし、その協調性のうえに発展するモデルは作れない。)
融通性 どうやって 当たり前の方法で できないことをやるか。そこには、融通性が必要になってくる。子供のときから、いろいろな訓練をつまなければ柔らかい発想など 出てこない。このときの訓練は主に、遊びの中から生まれるもので、マーケティングに向いている人は、この発想が柔らかな人に多い。



などなど、どれも数字では表すことは難しいが、重要なことばかりだと思わないだろうか?これが、私の言う、人口以外のおおきな指数だ。例えば魚を釣るのに、餌と道具が必要だ。また釣れる所までいかなければならないからお金がかかる。一度の磯釣りに、おそらく経費は3万円以上かかるだろう。そして、鯛を一匹釣ったとしても、魚屋で同じものが、3000円で売っている。それにお金をかけるくらいなら、魚屋で買ったほうが安いと言うのが、現実主義。で、こちらは、ハードの部分しか見ていない。目的は、魚そのもので、つりではないから、計算が合わないのである。他方、釣りにどうしても出かける人は、決して釣果云々ではなく、磯に立って潮風に一日吹かれているだけでも満足なのである。つまり、求めているものがソフトの部分なのである。この二つのタイプの人が、仮に、何時間議論しても 噛み合うことはない。なぜなら お互いが理解できないからであり、それはまったく仕方のないことなのだ。

私の言うのは、どちらかと言うと後者の部類に入る議論かもしれない。だが、このソフトの部分が、肌感覚で分からなければ、あなたは、決して投資には向いていないと言い切っても差し支えないだろう。なぜなら、経済はお金の 借り方 貸し方 のドライな数字だけで動くものではなく、人間が動かすもののはずだ。

進化論に話を戻すが、19世紀のイギリスは、産業革命のあと、植民地政策と貿易で、国庫を潤した。アメリカは、その後、20世紀になって車社会と、鉄鋼産業で、一気に世界に躍り出た。ここまでが、近代の流れだと言いきったとしても、誰も、異論を挟むことはしないだろう。日本は、やや遅れた資本主義と、産業を その努力と器用さに勤勉さで、追いついた。
これが21世紀の幕開けだ。

大国の産業と論理は、大きな恐竜に似ている。
大きさゆえに、軌道修正が難しく、小回りが利かないがゆえに、一度歯車が狂うと内部から崩壊していく。イギリスが大帝国と息巻いていたのは、それほど古い過去の話ではなかったはずだが、すでに、多くの植民地は独立してしまい、搾取するべき国がなくなってしまった。また植民地政策を今でもうらみに思っている国が、世界中にあり、この点、日本は、類似体験をアジアで行ったから、よく分かっているはずだ。日本とイギリスの違いは、いわばイギリスは宗教の対立までも、アラブ社会や、インド社会に持ち込んだが、日本は、自分の国にきちんとした宗教体系がなかったのが幸いして、少なくとも、人々の信条に立ち入っていくようなことは、全くなかったとまでは言わないが、イギリスに比べて 少なかったのではなかったか?それが、救いといえば、救いの部分かもしれない。
ところが、20世紀のアメリカは、ジャズを生み、ロックンロールを生み、さらには、ハリウッドスターを輩出し、次々と製品と新しいマーケティング手法と、自由な金融を発明し、人材を様々に活用できる社会を作り上げた。日本の遠く及ばない、自由と闊達とした精神があり、アメリカは誇張ではなく、それこそ輝いていた。

だが、ここに来て、人々は欲の悪魔に取り付かれ、その悪魔は、当然のような顔で人々の中心に居座るようになり、やがて、がん細胞のように、アメリカを毒していった。もし、悪魔には肉体を持つ力がないというのならば、どうして人々は、その悪魔に、自らの神を捨てて、大切な肉体をささげたのであろうかと、後世の歴史家は 嘆くことだろう。なぜなら、アメリカの壮大な、自由と言う名の実験は それ自体、すばらしいものであり、もし、人々に、たった一つの社会正義があったなら、具象化できる唯一の人類にとっての、しかし、大きな夢のある可能性だったはずだ。SP500が二週間前に 666をつけ、底だろうか?それとも、このまま まだ下がり続けるのか?と疑心暗鬼にさせている。まさに悪魔の数字だ。偶然であろうはずがない。

そう、悪魔はアメリカに巣くっている。その悪魔は触手を日本にも ヨーロッパにも、ここ、オーストラリアにも、あるいは中東にもアフリカにも伸ばして地球を真っ暗な世界に落としこめようとしているようだ。

私たちの中にある、神と悪魔は、同時にいつも存在している。虚像と実像の間に、その二つは、恐怖と強欲という因縁めいた油をいつもあなたの心の中に撒き散らして、何時火がつくのか分からない状態で、私たちは、生かされている。

AIGの役員が、自分たちの契約を盾に、国民から巻き上げた金でボーナスを払っていることが、オバマ大統領に大統領令を出させるまでに大きく社会問題になり、日本では、社会健康保険が、ずさんな管理と投資を繰り返したことが、問題となって、長い間かかっても、何も解決しないのも、よく似ている話だ。
とはいえ、一方の世界である、中国の共産党がとてもクリーンな政党で、中国社会にはまったく腐敗も不正もないと言い切れるだろうか?実際はまったくその反対のことしか、見聞きしないのは、なぜだろう?

結局は、人間のすることなのであるという、基本に立ち返って見るならば、まず、分かりやすい数字で判断することをやめて、ソフトの部分から、立ち直って経済を見る指数が、発明されるべきではないだろうか?

おそらく、人類の進むべき道は、それほど大したものではないのかもしれない。多くの過ちを、肯定も否定もせず、黙々とそのときの人が、パッチワークをあてがいながら、時間とともに進んでいくだけのもので、100年の計どころか、明日のことさえわからないままなのだろう。
もし、そうならば、もう少し、謙虚になれば 日本もきっといまより住みやすい国になれると 思う。
世界第二位の経済大国であることが、そして、その地位を守り続けようとすること自体が、本当は私たちを、不幸にしているのかもしれないと。