Sydney Yajima


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ゴールド市場

2010-06-11 03:19:46 | 世界情勢
ゴールド市場は 小さすぎて投資対象にはならないと中国が言っている。
流動性が無く、市場も不安定だとも言っている。http://www.worldtimes.co.jp/news/world/kiji/2010-06-10T220409Z_01_NOOTR_RTRMDNC_0_JAPAN-157713-1.html

一方彼らは、ゴールドの保有を進めており、2003年の600トンの保有から1054トンにまで増やしている。

ゴールドが本当の価値基準だと考える人は多い。
これは、確かに正当性のある、しかも保守的で、固陋な考えだと批判を受けていたとしても、大きく間違ってはないと言う点では、誰もが認めるだろう。
価値基準と、今、私は言った。
この、価値基準というものについて、考えてみたい。

価値基準というのを、人間が決める以上、それがどこにあるかの観察は、まず、人間を見極めなければならない。人間には、様々な要素がある。
好みの変化、宗教、戦争、政治、過ち、理念、理想、横暴、嫉妬、欲望、偽善、殺人、抑制・・・
その、どれもに共通することは、人間は様々な価値観を持ち寄ってお互いの住み位置を探りながら暮らしているが、実際には、それぞれの人間が少しずつ違うものを持っているのであるということが一つ目。
次に、違いがなぜ生まれるかということになるのだろうが、それは、各個人の持つ美意識によるのではないか?という点が二つ目だ。
極端なことを言えば、禅をする坊主がいたとして、彼の美意識は、簡素、清潔、あるいは喜捨などという俗世間からかけ離れた点であろう。
一方、華やかなファッションデザイナーの世界に身をおく女性がいたとして、彼女ももっとも重要な関心事は、次の流行であり、スタイルであり、あるいはダイエットであるかもしれないし、セレブリティーの動向であるかもしれない。
もちろん、こちらのほうは、最先端(少なくとも彼女がそうであろうと信じている)の世界で、相当にお金もかかり、欲望と麻薬 が飛び交う世界かもしれない。そして この世界こそが彼女にとっては美意識の頂点なのである。

どちらが正しいとか、誤りであるとかの答えはないだろう。ただ、この極端な二人の対比は多くの人に、考えさせる力を持つ。ふと、「自分はどちらにより近い考えを持つだろうか?」と考えてしまうのである。

まずは、この100年間の間に、人間の意識がどのように発展してきたのかを 振り返ることで、一つの指針になるのではないだろうか?

コスト意識を高めるという会社の絶対的に正しい利潤の追求というものに、毎日しのぎを削っていたかもしれない。
あるいは、高いローンを組んでその支払いのために、くたくたになるまで働いて、気がつくと、残りの人生はもうあまり長くはないということに、驚愕しているかもしれない。
あるいは、学歴だけを自慢に生きてきたけれど、良い大学を出たと思っていた自分の後にも次々と優秀な人間がベルトコンベアーで流れてくる製品のように次から次へと出来上がってくるのを見て焦りを感じているかもしれない。
あるいは、離婚を経験し、それが悲しいことなのか、あるいはほっとしているのかさえ、解らないまま、何年も経ってしまったという人もいるだろう。

こういう価値観を持つようになったのは、実に、ここ100年間のことなのである。
ばっさりと切って言うなら・・・
100年前なら、コストと言う意識は今ほどではなかったし、高いローンを組んで家を買うということも、あるいは、学歴が今ほど重要な価値観でも、ベルトコンベアーが何なのかも、知らなかったはずだし、離婚率だって今よりずっと少なかった。

つまり人間はどんどんと価値観を変えつつ、しかしそれに気がつかないまま、良いとか悪いとか、そういう内省さえせずに、生きてきただけなのかもしれない。

その中で、ゴールドの価値は常に高かった。
様々なものが市場で、いろんな値段をつけて流動して、あるいは、捨てられてきた中で、ゴールドは常に高い位置を占めている。
なのに中国は、不安定だと言う。
長い歴史を持った国だが、もしこれが、そういう言葉を発することによって、ゴールド価格の急上昇を抑え、自分たちがその間に買おうという意図がなく、本気でそういっているのならば、中国はこの長い歴史の中で、一体 何を学んだのだろう?と疑問符さえつくのである。

ゴールドに流動性がないと言う言葉は、例えば、どう解釈すれば良いのだろうか?
ゴールドほど、すぐに紙幣にどこの国においても変えることの出来る便利な金属は、他に私は知らない。
鉄と何万トン持っていても、どうやって、裁くのか、私には想像すらできない。
新型のハイブリッドカーを10万台売って来いと言われても売る自信はないが、ゴールドを10キロ売って来いと言われれば、明日にでも売ってくることはできる。
流動性とは、売りやすさをさす言葉ではないのだろうか?いつでも換金できるものは、流動性ではないのだろうか?
例えば、不動産に流動性がないと言われれば、それは私も理解できる。
しかし、ゴールドにそれが当てはまるだろうか?



もし中国が自分たちの欲望を満たすために、ゴールドの価格を上昇させないことを計算してこのようなコメントをこの時期に出したのであれば、市場をミスリードしようとしている悪意が感じられる。しかし、この程度のコメントでミスリードできると信じているのなら、彼らの持つ、戦略、分析能力、それに計画性とゴールの設定には幼稚さを感じる。


もし、中国が本当にこの言葉通り信じているのなら、彼らの経済は、終わった。顧みる価値さえない。