Sydney Yajima


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親切の押し付け

2010-06-29 05:00:05 | Weblog
キリスト教の考えに、「自らの欲するところのことを人に施せ。」というのがある。
一見 いいように思えるが、よく考えるとちょっとわずらわしい話だ。

Xさんは、例えば、肉が好きで、Yさんは今、ダイエット中。
Xさんは、良かれと思い、Yさんに、肉料理を勧める。
Yさんは、食べたいとは思うが、今は食べられない。しかし、言うと相手の気持ちを害するのではないかと思い、躊躇する。そして、食べてしまう。
翌日、案の定 体重が増えている。
結局、Yさんは、Xさんのことを、良く思うことはできない、何度かそういうことが積もっているうちに、うんざりしてくる。
そして、なんとか Xさんのことを 嫌いにならないようにしようと、Yさんは、心の中で、格闘するが、また、ニコニコと、アイスクリームなどをみやげにくれたり、ビールを奢ってくれるXさんを次第に うんざりするようになってくる。
(いい加減、こうして付き合っていたら、今、私がダイエット中だってことぐらい、分かるだろ・・・っていうか、分かれよ)と、心の中で怒るが、Xさんは、そんなことは、決して分かる人ではない。
(この馬鹿!)とYさんは心の中で、思いつつ、ついに意を決する。
そして、Xさんに、「実は、ダイエットなんだ」とついに打ち明けると、今度は頼んでも居ないダイエット本を持ってきて、「こうすればいい」とか、「ああすればいい」などと、Xさんは、指導を始める。

こういうXさんは、実に、ヨーロッパ、キリスト文化の中核を占めていて、彼らには悪気がないぶん、日本人にとっては、うんざりさせられることが多々ある。

日本人の文化では、「自分がされたくないことを、他人にしてはならない」と教える。
そして他人から施しを受けることを、潔しとしないうえ、プライドが高いので、「結構です」とかなりつっけんどんに、断ろうとする。特に、Xさん系統は、一番うざいと感じるのが、日本人の気持ちで、頼んでも居ないことを、無理やりに親切そうな仮面をつけて、押し付けるな。と思う。さらには、親切そうにしているのも、自己満足したいからだろう?とまで思い始めると、もう、嫌いの拍車がかかり後戻りできなくなるほど、Xさんを嫌いになる。

イラクの戦争で、アメリカは「イラクの国民に自由と平和と民主主義を」とスローガンを大層にかかげて行った結果、誰がアメリカに感謝しただろうか?

親切は、理由付けしなければならないようなことではなく、無言で相手に伝わるものだと思う。
「ありがとう」といえば、
「ああ・・・」という程度で伝わり、それ以上の説明はいらない。
だが、Xのタイプの人は 口をとがらせて、説明するし、人にも説明責任を求める。
言い訳しても、心は1ミリも動かない。決して 心が動くことはない。
口先だけで、人は動かない。
日本が、自分たちの自分たちらしさを見失ったとき、それは 相当に、格好悪いと思う。