Sydney Yajima


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友あり遠方より便りあり

2010-06-22 23:35:25 | 世界情勢
数年前にある会社の社長を日本に連れてきて、プレゼンテーションを行った。
彼が、辞任し、そしてその秘書をしていた別の人物が社長に就任した。
昨日、メールがその人から来た。
もちろん、内容はここでは書かない。
ところで、そのある会社の株価は、あっというまに10倍以上になった。

もちろん、そのある会社が、どこなのかは、GSMのメンバーならばすでに知っている。
なぜなら、何人かのGSMのメンバーは、その会社のおかげで、億単位の資金を手にしたし、その資金で、億ションを買ったり、一軒家を手に入れたり、と様々だった。
私は、ただ、ニコニコと、その成功を見ていた。

そのある会社はゴールドを掘っているマイニング会社である。

彼は日本に行って、もう一度プレゼンテーションをしようと持ちかけてきた。
私が持ちかけたのではなく、彼から持ちかけられたのである。彼が私にそういうことを言うときは、何か理由があるときだ。
材料もなく、話が来ることはまずないからである。

さあて・・・どうするかな・・・


人生

2010-06-22 01:38:52 | 世界情勢
人生は、人生を過ごすための準備をしているうちに、大半を費やしてしまい、気がついたら残りの大半は、それを振り返るうちに 終わってしまう (BY 南で食事をする男)

国を人生だと置き換えて考えてみれば、どうだろう?
中国が、安く物を売り、人民元を安く抑えていたのが前半で、そして、ターニングポイントを迎えた今は、強い人民元で 海外の様々なものを買っていくつもりらしい。

日本の企業も、買われている。レナウンだけではなく・・・

中国の人民元が強くなると日本の輸出に競争力が出来ると喜んでいる人がいる。
一面ではそういう部分は確かに存在するが、別の角度からみれば、インフレが始まり、日本国内での、物価の不均等が抑えられている人件費とともに、社会問題になるかもしれない。
デフレもインフレも急激なのは、困る。
インフレターゲットを1%から2%程度に目標設定して、公共料金と公務員の給料をちょこっといじる。そして、金利を3から4%にまで 徐々に上げていく。もちろん10年くらいかけて行えば、日本の国は、少しずつ景気が上向く。
よく少子化を問題にするが、人口の年齢比率が逆ピラミッドになるのは、確かに良くないことだが人口が減ることは、それほど悪いことではない。
明治の初め、日本の総人口はわずか3700万人だったが、ちゃんと国は回っていた。
わずか130年前の話である。
その後、急激に増えた。
1億2000万人は、この国にとって、多すぎる人口ではないだろうか?この人口を維持し続けることにどれほどのメリットがあるのだろう?

人口が5000万人になっても日本人は十分に幸せにやっていけるのではないだろうか。
ただし、教育水準と勤勉力、それに、開発と国際競争を、怠らなければ・・・である。


最近、思うことがある。
携帯電話のない時代のことだ。
今では考えられないかもしれないが、そんな時代があった。不自由だとは感じなかった。わずか20年前の話だが、私と同じ年代の人ならその時代に恋愛を経験して、それなりにすごしていたはずで、それほど悪かった時代だとは、思わないはず。
そんな確信さえある。

携帯なんて古いねといわれる時代が来るだろう。
ブラウン管が、骨董品扱いされて、それで、プラズマになったからといって、どうなのかな・・・幸せになりましたか?
映画館でポップコーンを食べながら映画を鑑賞するほうが、家の大画面で観るよりも、雰囲気とか、映画の後の食事だとか、様々な楽しみがあると思う。

今、中国はそんなことは理解できないだろうけれど、一度頂点を極めて、そのあと、なんだかむなしく感じた日本人なら、この、発展と成熟した社会が幸せであるかどうかとは、別の意味をもつことを理解できると思う。

持たないということは、持つ楽しみができるから、いいんだな・・・

坂本龍馬 ブームらしい。
私は思うことがある。

もし、今の時代に坂本竜馬が生きていたら、どうしているだろうか?と。
多分、日本に居て、大学を卒業して就職をして・・・という人生は送らなかっただろう。
野球選手とかミュージシャンになって という風になっていたとも思えない。彼は剣術の達人であったけれど、道場を持とうとはしなかったから、野球はうまかったとしても選手になって過ごす事は、きっと退屈だと思っただろう。ミュージシャンになったとも思えない。彼は音楽は好きだったかもしれないが、芸能で生きるような生き方はしていなかった。
坂本龍馬は、多分 日本を若い時期に「狭すぎる」と飛び出したはずだ。
世界のあちこちを回り、多くの人々と交わり、そして、今頃、世界中に商船を走らせて貿易会社を作っているかもしれないし、あるいは、なにか、別のファンド会社でも興しているかもしれない。
ただ少なくとも、日本の国のなかで、ぶつぶつとボヤきながら生きてはいなかったろうと思う。

人生は本人が生きたい風に生きるのがいい。
他人をうらやんで生きるのはくだらない。

半分はどう生きたいかを考えるため。
残りはどう生きたのかを考えるため。

そういう意味なんでしょうかね?