作家という職業は、ある意味言葉の魔術師だと私は思う。
本人が使う言葉の一つ一つで、読者の受取り方が違ってくるからだ。
本を読んでいたら、悪い意味で言葉の使い方が上手いなあと感心させられた。
ネットでこの本のレビューを幾つか見ていたら、東電側を擁護していると書かれていた。
読んでいて、確かにそう感じてしまった点が幾つかあった。
東電の撤退問題では、清水社長の説明不足と書かれていて、政府の対応についての書き方と比べると公平とは言えない言葉の使い方をしていた。
以前、門田隆将氏の「なぜ君は絶望と闘えたのかー本村洋の3300日」を読んでいたせいで、勝手にこの本は中立的な立場で書かれていると思い込んでいたせいもあるかもしれない。
この本のはじめに
本書は、原発の是非を問うものではない。
あえて原発に賛成か、反対か、といった是非論には踏み込まない。
なぜなら、原発に「賛成」か「反対」か、というイデオロギーからの視点では、彼らが死を賭して闘った「人として」の意味が、逆に見えにくくなるからである。
私はあの時、ただ何が起き、現場が何を思い、どう闘ったか、その事実だけを描きたいと思う。
原発に反対の人にも、逆に賛成の人にも、あの巨大震災と大津波の中で、「何があったのか」を是非、知っていただきたいと思う。
本書は、吉田昌郎という男のもと、最後まであきらめることなく、使命感と郷土愛に貫かれて壮絶な闘いを展開した人達の物語である。
と書かれている。
原発の是非について書かれていないと知らずに、題名だけでこの本を手にとって読み始めたが、私はこの本の中で、吉田所長が原発をどう思っているのかと、原発事故を起こしたことについてどう思っているのかを知りたかった。
だがこの本には書かれていなかった。
原発に「賛成」か「反対」かどうかを書いたら、この本自体が成り立たなくなってしまう可能性がある。
結局この本の中で、事故を起こしたことについての東電側からの謝りの言葉はなかった。