旧三津坂隧道
当隧道は、明治29年に建設された。
国の重要文化財に指定された旧天城隧道より8年も早く完成しており、伊豆半島でも最古級の明治隧道である。
全長は、約170m、幅3.6m
昭和36年に新トンネルが出来るまで、山越えの不便を解消して、地域住民の生活道として親しまれて来た。
それから、文学歴史に於いても井上 靖の「しろばんば」、太宰 治の「斜陽」にも出て来る。だが、しばらくの間忘れさられ、木々に覆われて山へ返ろうとしていた。それを廃隧道マニアが発掘し、知る人ぞ知る隧道となっていた。それから徐々にインターネットで広まり、市のNPO法人などが、地道な整備に取り組んだ。
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こちらは新三津坂隧道
県道17沼津土肥線を香貫方面から戸田方面へ南進し、淡島マリンパークを過ぎ、交差点を県道130伊豆長岡三津線へ左折して少し行った山の中に在る。
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今来た道を振り返ると、桜が綺麗に咲いている事に気づいた。
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そして、トンネル手前に脇道があるので、そこから徒歩で行く。
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直ぐに「ウマ」が設置してあり、車両進入禁止となっている。
隧道は、どの位先にあるのだろう?
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しばらく行くと左手に石段があった。
上に何か石仏の様な物が確認出来る。
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石段の左手に石碑みたいな物がある。観てみよう。「南無阿弥陀仏」と掘ってある。
お墓があるのかもしれない。
上がってみよう。
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あ、やっぱりお墓だ。失礼します。
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だいぶ前に探検したので、気憶が薄れて来ているが、江戸時代位の古いものだったと思う。
こんな淋しい場所にャcンとお墓がある。
この辺りの地主か隧道建設者の墓かもしれない。
道の少し先に軽トラックが駐車しており、木々の伐採をしていた。
「ウマ」で閉鎖してあったが、退かして入って来たのか?
もっと上に畑があるらしい。地主さんかな
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良い雰囲気の廃道だ。
新道は、車でスイスイ抜けられちゃうから、実感が沸かないが、峠なんだな。
続く>>
当隧道は、明治29年に建設された。
国の重要文化財に指定された旧天城隧道より8年も早く完成しており、伊豆半島でも最古級の明治隧道である。
全長は、約170m、幅3.6m
昭和36年に新トンネルが出来るまで、山越えの不便を解消して、地域住民の生活道として親しまれて来た。
それから、文学歴史に於いても井上 靖の「しろばんば」、太宰 治の「斜陽」にも出て来る。だが、しばらくの間忘れさられ、木々に覆われて山へ返ろうとしていた。それを廃隧道マニアが発掘し、知る人ぞ知る隧道となっていた。それから徐々にインターネットで広まり、市のNPO法人などが、地道な整備に取り組んだ。
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こちらは新三津坂隧道
県道17沼津土肥線を香貫方面から戸田方面へ南進し、淡島マリンパークを過ぎ、交差点を県道130伊豆長岡三津線へ左折して少し行った山の中に在る。
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今来た道を振り返ると、桜が綺麗に咲いている事に気づいた。
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そして、トンネル手前に脇道があるので、そこから徒歩で行く。
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直ぐに「ウマ」が設置してあり、車両進入禁止となっている。
隧道は、どの位先にあるのだろう?
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しばらく行くと左手に石段があった。
上に何か石仏の様な物が確認出来る。
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石段の左手に石碑みたいな物がある。観てみよう。「南無阿弥陀仏」と掘ってある。
お墓があるのかもしれない。
上がってみよう。
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あ、やっぱりお墓だ。失礼します。
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だいぶ前に探検したので、気憶が薄れて来ているが、江戸時代位の古いものだったと思う。
こんな淋しい場所にャcンとお墓がある。
この辺りの地主か隧道建設者の墓かもしれない。
道の少し先に軽トラックが駐車しており、木々の伐採をしていた。
「ウマ」で閉鎖してあったが、退かして入って来たのか?
もっと上に畑があるらしい。地主さんかな
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良い雰囲気の廃道だ。
新道は、車でスイスイ抜けられちゃうから、実感が沸かないが、峠なんだな。
続く>>