国際武道空手道 白心塾 (愛知県 名古屋市西区 北名古屋市)

国際武道空手道 GLOBAL BUDO KARATE  AITI NAGOYA KITANAGOYA 

照千一隅 白心塾 名古屋市西区・北区・北名古屋市・岩倉市・小牧市・清須市・豊山・春日井市近郊の空手道場

自分自身の今出来る事を一生懸命に取り組む。

空手との出会い34

2020年08月28日 | 空手との出会い

10年以上お世話になった道場とお別れをしようか?・・・悩み考え始めました。

辞める場合でも円満退会は必須。

一般部の指導もしてましたので迷惑かけないように考えて考えて・・

「3ヵ月後に私は風林火山空手を退会したいと思います」

「その間は今まで通り指導は致します」

「その後は本部長が指導して頂くか、別の指導員を考えていただきたいと思います」

「そして支部もそのまま本部に預けますので代わりの指導員を派遣をお願い致します」と話しをいたしました。

「私が退会しても先輩の道場(先に退会した先輩師範)に所属する事はありません」と本部長に伝え、私的は基本どちらにもつかない、自分の理想とする空手道を追求して行こうかと考えていました。

以上を本部長には私の考えを何度も話をして納得して頂きました。

そして最後の日、皆には私の退会理由を話そうと思いましたが、本部長が私にそれは黙っておいてほしいと言われたので、稽古後の食事会も参加しましたが誰にも何も言えないまま、その事の悔いを残したままで10年10ヵ月の風林火山空手に寂しいお別れをいたしました。

押忍

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い33

2020年08月14日 | 空手との出会い

私は先輩の師範が退会したことによって、風林火山中部本部では本部長の次のNO.2となってしまいました。

NO.2になると、その責任も変わってくるわけで門下生の事、運営方針の事etc様々な事が、どうしたら最善か?何て考える事も多くなりました。

自分の預かっている支部の門下生の事も、以前より気になってきました。

この頃からなんとなくでしたが空手の自分が思う方向性とか?組織とか?が違うかも???と違和感を感じるようなりました。

それでもこの道場で骨を埋めるつもりでしたのでNO.2の立場としては皆が言えない事や空手の方向性等も本部長に言わなくてはと・・・・言いたくない自分と闘いながら意見を述べる事もありました。

空手は押忍の世界、先生が黒と言えば白く見えても黒・・・そんな世代の私達。

そう思えば本来は自分の先生に意見する事はやっぱりおかしい訳で、意見するその時点で私の進むべき空手道の方向性と風林火山空手道の方向性が違いかけていたのだと思いました。

押忍

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い32

2020年08月02日 | 空手との出会い

平穏な空手の日々は続かない・・・

当時は分かりませんでしたが、突然の先輩師範(no.2)の退会届が本部に届きました。

「お前が頑張ってくれ」と本部長に言われて・・・・退会した先輩師範の道場が(支部道場)この時期、会員がどんどん増えている時で他にサポートできる人間がいなかった。

私は、本部長に「自分がが退会した先輩師範の道場に手伝いに行っても良いでしょうか?」本部長がOKなら手伝いに行きたいんですが・・・

もしダメなら止めます・・と聞いてOKが出ました。

基本的に関係ない組織になる先輩師範の道場に稽古が落ち着くまでサポートしに、ほぼ毎週行くことにしました。

何故いきなりの退会なのか??先輩に尋ね、その言い分は私も感じていた組織の問題だったので、それなりに納得のいく話ではありました。

私の心の中に色々な葛藤が芽生えていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い31

2020年07月30日 | 空手との出会い

毎回のきつめの稽古を課してウェイトトレーニングもしっかりやって、不安を打ち消すには稽古しかありません。

数ヶ月過ぎ・・・ついに昇段審査の日がやってきました。

参段昇段審査 基礎体力は後先考えないで、自分の限界までいきました。

鎖につかまっての懸垂はタイマーが鳴っても鎖が手の平に食い込んで指が開かなくなって下から抱きかかえてもらって指を外していきました。

基本 移動 型と進んでクライマックス30人組手 60分以上入れ替わり立ち代りで獣達(相手してくれた皆ゴメンね・・そんな感じがしたので)が襲い掛かってくるわけです。

組手が始まり10人目が終わったところで兄弟子の先輩師範が送れて到着 自分では、もう10人終わったんだと言う感じでしたが・・・

先輩師範に「今何人目だ!」聞かれ「10人終わったところです」と答えると、先輩は「20人終わった後みたいな疲れ方でダメだ!もっとしっかりやれ!」と激を飛ばされました。

20人目苦しいと言うよりも何が何だかで終わった感じ  その後は、だんだんと意識朦朧となっていつしか30人目となって終了していました。

何とか生きて終われました。

後に先輩に言われたのが初段の時の10人組手の方がよっぽど苦しそうだったな。

私的にも30人苦しかったのですが、初段の10人組手は格別苦しかった記憶が甦りました。

実際は組手の最中は、いったい今が何人目なのか全くわかりませんでした。

その後かなりの間?数ヶ月身体が痛かった覚えがあります。

審査の後は皆で無事終了の食事会を開いてくれました。

後日、参段昇段(中部本部師範)となりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い30

2020年07月28日 | 空手との出会い

程なくして先輩師範が4段に挑戦す事になり、私にも師範よりは「3段に挑戦してみなさい」と話がありました。

げ~3段ですかと心の中で思いましたがNOはありません「押忍 挑戦いたいます」と言っていました。

基礎体力 基本 移動 型も更なるハイレベルを要求されるわけで、組手も2分×30人こなさなくてはいけないわけで・・・

何とも大変な事になりました。

当時の風林火山空手道は 初段(指導員) 弐段(師範代) 参段(師範)でしたので師範の審査という事になります。

審査がこなせるのか? 30人組手は大丈夫なのか? 師範に値するオーラがあるのか? 色々悩みましたが刻々と審査日は近づいて来ます。

体力面と技術面とメンタル面との戦いです。

それらを克服する為の稽古に望みました。

この時期中部本部一般部の稽古は私の指導がほとんどだったので、自分の為にのメニューを考えて稽古指導をしていたので他の生徒達もきっときつかったと思います。

この頃にベンチプレスも120キロ、レッグプレス420キロ上がりパワーアップもできました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い29

2020年07月20日 | 空手との出会い

支部道場も数ヶ月たち、子供達もだんだんと空手の基本が様になってきました。

生徒によっては簡単な約束組手も出来る様になってきました。

指導はウォーミングアップ~基礎体力~基本・移動動作~ミット~テクニック~の1部と基本をダブらせて~基礎体力~ミット~テクニックと空手の稽古の形がやっと出来てきました。

そこだけが嬉しく思えて指導をし、夜な夜な作ったチラシを電柱に張りに行きました。

それでも新規会員は増えませんでしたので、赤字運営がまだまだ続きました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い28

2020年07月17日 | 空手との出会い

勢いで始めた支部道場。

マイナス運営、これがなかなか辛い。

厳しかった。

もらう会費より場所代や運営費上回る運営。

色々と募集もかけましたが、なかなか生徒も集まらなくてそれでも数名集まった生徒の為に存続をさせねばと努力はいたしました。

道場運営は指導じゃない所でも戦わなくてはいけません。

そして難度の高い子供の指導に奮闘。

子供に理論は無理でして、どんなに噛み砕いて説明しても通じにくい、ただ子供の凄い所は映像として技を記憶すると言う事です。

事細かく説明して稽古すると1時間半はあっという間です。

なんせ全く空手を知らない子供相手ですから柔軟性、基礎体力、基本少々、まともな形になるまでに数ヶ月かかりました。

数名出来る子が出来れば、子供はそれを見て真似するので指導はやりやすくなります。

とにかくそこまで必至。

違った意味できつかった時代・・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い27

2020年07月10日 | 空手との出会い

ちょうど二段を取得して1年位たった頃だったか??、師範と話の流れで支部道場でも出してみてはどうかと言う話が出てきました。

当然道場運営となると大人と子供との指導になると思いますが、当時は大人の指導は難なくこなしていましたが本格的に子供の指導はしてなくて若干は先輩の支部道場の補佐はやっていましたので、全く子供の指導に係ってないわけではありませんが自分一人で子供のクラスを持つのは初めてとなります。

私にも子供はいますので、子供との関りあいは大丈夫と思いましたが・・・

それよりも何も先ずは場所探しからです。

それが、なかなか無いのです。

私が月曜日の休みなので月曜で場所が良いところがなかなか無い。

公共施設は月曜が結構休み、あっても何故か使用料が高いばかり・・・私の希望で会費は安くやりたかったので施設の使用料が高くては何ともなりません。

色々探し回り自宅よりちょっと遠い稲沢市に施設を借りる事になりましたが、やはり使用料が高い・・・それでも何とか始めようと借りる事にしました。

ここから、又悩みが増える事になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い26

2020年07月05日 | 空手との出会い

無事二段取得し、稽古も平穏な日々が続き、殆どの毎回稽古の指導を任される事になりました。

指導といって一般部の大人のクラスだったので、こちらの思う様に大人の方達は動いてくれるし、そんなに大変でなく楽しんで指導が出来ました。

この時は、まだ子供の指導の困難さを全く知りませんでしたので後に子供の指導の壁にぶち当たる事となります。

大人のクラスは新しい事も色々と試す事が出来たので、私も生徒も、皆が結構充実した稽古内容だったと思います。

この頃の他人の審査は結構気楽に楽しんで相手していました。

相手をする場合に勝手にテーマを決めて、

彼は自衛隊上がりだからテーマは「ほふく前進」とにかくパンチも蹴りも中段に決まるようにコンビネーションを組み立てて相手を前のめりに倒す組手を心がける。

髪の薄い後輩のテーマは「増毛キック」コンビネーションの中で足の裏の柔らかい部位でかかと落としを優しく当てる組手を心がける事。

結果ちょっと髪の毛が増えた感じがしたのは私だけでしょうか?(人助毛??か?)

要するに段々と自分が思う技が少しづつ相手に入るようになったのだと思います。

そんな感じで楽しい優しい師範代していました。

皆には人気ありましたよ・・他の師範クラスの黒帯の先輩達はMAX厳しすぎたので・・・

押忍

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い25

2020年07月02日 | 空手との出会い

遂に私の二段の昇段審査が行われました。

審査はいつも緊張感MAX。

メンバーは名古屋支部の黒帯全員と春日井支部の人達が相手をしてくれました。

始まってみるとあれよあれよと10人が終わって・・気分的にはもう10人終わったんだと言う感じ、初めて初段を取得した審査の方がしんどかった様に思えました。

それでも後半は辛かった。。。。

私の審査の為に他の支部から来てくれた黒帯もいて感謝、とにかく自分ではギリギリでやっている感じでした。

とにかく私の事を殺そうと向かってくるのが、日頃やられている人達(後輩)で・・

私は心の中で「こいつらは絶対俺が元気になったら半殺しにしてやる」と思いながら捌いていました。

19人目までこなした所で20人目は3巡目に当たるの現〇○館の愛知支部長の○〇先生でした。

この先生にも色々お世話になった方で、ちなみに型はほとんどこの先生から私は習いました。

師範より、さあ20人目だ!力残すな!全力出し切れ!と言われ、もうがむしゃらで攻撃を出しました。

もう立っているのがやっとでも力なんて残っていません。

やめ~の合図で、あ~20人組手終わったんだと思っていたら師範より信じられない悪魔の一言が・・・

20人全力で戦った後に、もう一人と戦うのが本当の二段だからと言われて「ラスト21人目」(鬼~あんたは鬼か~と心の中で叫びました)と私には信じられない事が始まりました。

そして21人目の組手も無事終了。

その後、皆で焼肉に行きましたが、私は腕が痛くて箸を口に持っていけずに口を箸に持っていく情けない姿でした。

今回は腹筋は日ごろから打たれ強く稽古してましたので内臓にダメージが無く大変美味しくいただきました。

後日の二段合格証と新しい帯を頂きました。

押忍

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い24

2020年06月30日 | 空手との出会い

師範より二段を受ける準備をしときなさいと話があって、私の中では想定外の事で初段で頑張れば良いと思っていましたので、まさか自分が二段を受ける日が来るとは・・・・

ただ師範より言われた事は絶対的、これもチャンスをいただいたと思いやってみようと決心しました。

体力的にはスタミナ作りと打たれ強さ、基本・移動動作のは正しい動き、組手も受け返し等の丁寧さを気をつけて稽古する事を意識しました。

そしてもう1名久々の初段の受審が私の二段の昇段審査と同じく師範より言い渡されました。

2年ほど前に先輩3名が二段を受審した時の内容は聞いていたので、ただではすまないのは想像はつきました・・・

ただその内の2名の先輩達は20人組手の後に2件ほどおねーちゃんの店をはしごした豪傑達でして、その豪傑達も足が痛すぎて、お店の階段を下りるときは手すりにつかまりながら後ろ向きに下りて帰ったと聞きました。

先輩たちは豪傑で私はそうでもない普通の人です。

それから半年、自分なりに考えトレーニングを今度は一人でする事となりました。

この時期よりウエイトトレーニングもパワーアップを考えてスピードが落ちないように気をつけながら重量アップです。

ちょうどベンチプレスもMAX110キロ楽々上がるようになったのもこの頃です。

レッグプレスも300キロいけました。

そして年末にいよいよ二段の昇段審査になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い23

2020年06月28日 | 空手との出会い

私が指導をする様になったこの時期は変わった体験者も多くて、ブラジルでムエタイをしてたとかK-1の○○会館でやってたとか、私の前いた○○会館の茶帯だった人も入会してきました。

プロレスラーとか中京大学の合気道部3段だと言って来る人ラグビー部で喧嘩負けなしと言う人、あと「総合格闘技をやっていてプロレス好きなので地獄突きやってもいいですか?」(風林火山空手は何でもありと言ってましたので・・)なんて人もいました。

「どうなっても良いならやっても良いよ」と言っておきましたが・・・

色々な人が体験稽古に来ました。

そんな感じで、いつの間にか空手の指導員として自分の稽古も含めて、多分このままこの風林火山で一生やって行く事になるんだろうな・・・とこの頃は思ってました。

その後に風林火山 愛知支部では4年間新しい黒帯は誕生しませんでした。

私は基本、稽古の日はスタートからいましたので師範から指導を任される事がほとんどで指導する事も当たり前になってきていました。

初段となって4年が過ぎた頃、師範よりそろそろ2段を受けてみてはどうか?という話がありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い22

2020年06月26日 | 空手との出会い

人生初の黒帯を締めての空手の稽古、ここからが本当の空手道の始まりです。

毎回の稽古で黒帯をしめるたびに覚悟を決めて、その重圧を感じながら空手の稽古は続きました。

半年ほどたった位からほぼ指導を任される事になり、指導も初めは基本と移動を指導するだけでいっぱいいっぱいでしたが、だんだん慣れてくると自分流に稽古内容(師範が自由にやって良いとの事で)を考えて稽古指導するようになりました。

自分の考えていた、やってみたかった稽古方法もどんどん試したりして、大人だけのクラスの指導だったので、楽しく厳しく稽古いたしました。

まだこの頃は知りませんでしたが、指導は何が難しいといえば、空手を知らない子供の指導だという事を・・

気持ちに余裕が出てくると、皆の為、各個人に合わせた指導方法を考え、フルコンタクトなので痛みを切り離す事はできませんが、いかに致命傷にならないような怪我をさせない様に稽古させるとか、どうすれば魅力を感じてくれるか?なんてことも何時も考えていました。

今もですが、自分が大好きな空手が皆にも大好きになってほしと思っていて、その空手の価値も、とかく乱暴的に思われがちな空手の世間の認識を変えたいと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い21

2020年06月24日 | 空手との出会い

いよいよ空手人生初の昇段審査の始まりです。

まずは基礎体力から始まり、もうとにかくめいっぱいやりました。

ヘロヘロになろうが関係ありません。

基本~移動~型~そしてクライマックスの10人組手です。

自分の中では結構動けてました。

そして何度も倒されました。 

そして何度もうずくまりました。

投げも、掴みもOKな組手でした。

9人目に自分だけ顔面パンチもOKになりましたが、相手が黒帯の中でも更に強い人が相手になります。

顔面へのフック、アッパーも必死に使いました。

結構ヒットしました。

その後しばらく先輩達には容赦なく顔面を叩く男と呼ばれましたが。

そして最後の10人目、いつも居残って私の稽古に付き合ってくれる先輩が相手。

最後の10人目でしたが散々一緒に稽古していたので、しっかり組手がかみ合いました。

自分でもヘロヘロながら技が出す。

そして終了です。

そして白帯の後輩が跳んで来て先輩、俺感動しましたと言い涙ぐんでいました。

私は泣きたいほど身体が痛いのは俺だよと思いながら・・・

10人組手を相手してくれた方々、そして見学応援してくれた方々一人一人握手して回り色々な思いを巡らせながら終わったんだと意識があるような無いような感じがしてたと思います。

そして後日、初段合格となり人生初の黒帯を締める事となりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空手との出会い20

2020年06月21日 | 空手との出会い

茶帯になってからは、組手の扱いも黒帯と同じになるので毎回の稽古が、かなりブルーになっていました。

稽古の終わった後の爽快感はなんとも心地よく格別になりました。

そしてしばらくしていなかったウェイトトレーニングを再開。

前にベンチプレスも100キロ上がってましが数年ぶりでは上がりません。

やってみるとMAX80キロ位でした。

週2~3回やるようにして3ヶ月で100キロ上がるようになりました。

もう今後は最低ベンチプレス100キロはキープしなくてはと思い現在まで続けております。(現在ベンチプレス120キロ)

何とか死ぬ直前までこのまま行きたいと思いますが・・・・・

昇段半年前位から師範より、身体作りから昇段の用意しといてと言われ、稽古後の先輩指導員との2部の稽古が始まりました。

この先輩指導員が年下ですが大変面倒を見てもらいました。

彼は当時の風林火山の全日本チャンピオンだった方で、彼には色々な意味で感謝しています。

組手、スタミナトレーニング、ミット打ち、ウェイトトレーニングよく一緒にやりました。

メンタルな部分も昇段で不安でしたが、彼が色々アドバイスをくれたり、励ましてくれたりで・・・夜中まで話もしました。


そんな彼が私にしてくれた様々な事が今の自分の指導に反映されてまして、彼の空手に対する姿勢が今の白心塾の稽古体系に生きています。

そんなこんなで1年半が過ぎて、いよいよ昇段に挑戦となりました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする