少林寺拳法は私と高校からの友人と始めました。
その後友人の妹とその友達も始める事になりました。
少林寺拳法はまずは鎮魂と言って誓約の様なお経の様なお題目の様なのから始まります。
突き、蹴りの基本動作は空手と比べると少なく短い時間に感じました。
それと教科書があって、少林寺拳法の歴史、人はどうあるべきかみたいな本と突き、蹴り、関節技、型のか科目表みたいなやつがあったかと記憶薄ですが・・・と思います。
相対稽古がほとんどを占めていて関節技とかは相手とどうすれば一番痛いかと確認しながら稽古は進んでゆきます。
そこら辺が少林寺拳法は非常に人間関係が良くなる秘訣だと思いました。
仲良く皆で強くなろう見たいな・・・
でも誤解を招くといけませんので書きますが、少林寺拳法にも強い方達は沢山いますので決して弱い格闘技ではないと言う事。
優しい方達は沢山いますが、沢山の人がいればどこでも弱い人も強い人もいます。
因みに性格の悪い人もいます。
それは空手も同じと思います。(人間性についても同じで過去に数名人間性がクズと言える人間と遭遇しました。)
少林寺拳法の関節技のかけ合いは結構面白く、痛すぎて笑える事も多々ありました。
それと私が知っている空手と違い非常に昇級が早く3ヶ月目に初めての昇級で3級茶帯となりました。
さらに2級、1級と取得して
そして入門して10ヶ月目に「昇段審査をを受けなさい」と先生に言われました。
設立したばかりの少林寺拳法の支部なので先生は早く茶帯や黒帯にしたかったみたいで、とにかく早い昇級で進んで行きました。
でも・・早すぎます。
昇級は、いつもの道場で昇段は日曜に大きな会場で愛知県全支部が集まっての審査となります。
ただ私の仕事は日曜が休みではなくて、逆に忙しい日になるのでちょっと不可能に近い感じでした。
先生にはそれを伝えて「仕事を優先にしたいので初段は取らないでやります」と宣言して稽古を続けました。
先生に何度も初段取ってと言われましたが・・・
そんな頃本業の仕事のお客さんで空手の〇〇会館って書いたTシャツを着た方が来て、空手やってるんですか?話で盛り上がって、又私の頭の中は 空手 空手 空手になっていきました。
場所と稽古の曜日、時間を聞いて2日後に見学行って、そのまま勢いで入会してしまいました。
しばらくは少林寺拳法と空手とジムトレーニングと同時進行になりました。
人生初の空手の道場は後にプロレスとバトルをおこした実戦空手団体でした。
丁度私が通える支部が極真から脱退した方達が作った支部だったので、稽古体系は極真と同じ体系で行っていたようです。
そこの先生は何も教えてくれない、初心者でもとことん痛めつける、そんな指導方法でした。
ただ私は初めての空手だったので、こんなもんか・・と思いながら痣だらけになって稽古していました。
審査は一度受けて紫帯となりました。
実質6ヵ月位所属していましたが、本業が独立する事で忙しくなって通えなくなってしまいました。
数年後に別の空手に入った時、ここでの稽古がとってもひどかった事を思い知らされました。
それでもジムトレーニングは時々おこなっていました。
その後4年位が過ぎた頃に、ジム仲間の方からの話で、その方の弟さんが今度少林寺拳法の道場を開くんだけど、始めるにあたって最低人数(当時5人だったかな?)ってのがあって、その頭数になって参加してくれないか・・・とお願いされて、仕事も少し落ち着いてきたので、又空手を再開したいな・・と考えていた頃なので、取り合えず見学に友達と行きました。
見学に行くと大人の生徒が2人いて先生と3人で稽古していました。
少林寺拳法は 突き・蹴りの剛法 関節技を極める柔法 で成り立っていて、空手にやや似通った武道でした。
関節技を始めてかけてもらって、経験した事の無いくらいにとっても痛かったです。
そしてそこから少林寺拳法の稽古が始まりました。
高校卒業 専門学校 社会人となり21歳の頃、新聞の折り込みでトレーニングジムのオープンのチラシ発見。
久しく運動なんてしていません。
ジムにでも行って引き締まったボディになるのも良いかと入会を決めました。
高校時代の友人でベンチプレスが75キロ上げる奴がいて、とりあえずそいつを超える事を目標にして頑張り始めました。
そこで、運命的にその後大親友となるジムのインストラクターHさんと知り合いました。
当時は仕事以外は何もしていなかったので、毎日ジムでトレーニングして、終わったらHさんと食事に行って毎日のように色々と語り合いました。
そうこうしているうちに、ジム仲間も増えて、いつも男女交えて8人くらいで行動する事が多くなりました。
Hさんの付き切りの指導もあってベンチプレスはジム入会から10ヵ月で当時の体重が50キロでしたが、体重の倍の100キロが上がるようになりました。
そしてHさんが空手を習っているのを知りました。
又頭の中は、空手 空手 空手・・・になりました。
そして、その道場を紹介してもらって、ついに自分もついに子供の頃からの憧れの空手を習う事になりました。
番外編(ここは空手とはあまり関係がないので)
高校はこのサッカー部から始まりました。
我が高校のサッカー部は他の先輩ともご対面をして、結局怖い先輩だらけの集団とその後知りました。
光明もありました。
お前生意気そうだな・・と因縁を上級生からつけられた時、お前部活に入っとるのかと聞かれたから、サッカー部だけど・・・と言ったら・・
「ああ、そうなんだ。気をつけてな・・」
何を気をつけるやら分からない返答だったけど、サッカー部と言うワードが意味したんだな・・と理解しました。
楽しい事も多くあった高校生活、結果快適な3年間でありましたとさ。
めでたし めでたし
まだまだ、心の中に空手はありました。
そんなこんなで空手への思いを募らせたまま、中学から高校へ進学
部活に空手部かボクシング部があれば入りたいな・・と思っていましたが、どちらも我が高校にありませんでした。
入りたい部活動が無くて空手、ボクシング、もう一つ興味があったのが体操部、しかしこれも我が高校にはありませんでした。
柔道って選択もありましたが、我が高校は全国レベルの柔道強豪校で、一番自分的にネックになったのが坊主頭にしなくてはいけない事でした。
これにより柔道はNGです。
そんなで校内を歩いていると中学からの時の友達が、サッカー部の部室前で「オーイ」と自分を呼んでいるので、何だ?と思ってそこまで行きました。
友「お前、入る部活決まった?」
私「それが、入りたい部活が無いんだよね」
友「俺はサッカー部に入るから、お前も入ったら?」
と誘われて
私「どうしようかな???サッカーなんてまともにやった事無いし・・」
そうこうしているうちにサッカー部の先輩が部室にやって来て、一気に緊張MAXです。
まあなんという事でしょう、その先輩外見が極道そのものと言うか、思い切り気合の入ったビーバップハイスクールそのもの・・・
極先輩が友人に「お前サッカー部に入るのか?」
友「はい、入ります」
極先輩が私に「お前もサッカー部に入るのか?」
心の中では帰りますとつぶやいていましたが、怖すぎて選択は一つしかなくて・・
私「はい、お願いします」
って事で結局サッカー部に入りました。
まあ、空手で無いけどキックは出来るから良いや的軽い感じで・・はなくて、この先どうなる事か??って感じでした。
大切にして毎日読んだ 松田隆智の中国拳法入門 大山倍達の空手を始める人のために
この2冊を教本にして空手の稽古とは言えないくらいの空手のまねごとをする様になりました。
拳立てをしてみたり、本の真似して柔軟をしてみたりして・・自宅の庭に巻藁も自作しました。
造りが悪くすぐに壊れましたけど・・・
ジャッキーチェンの映画で手を火であぶって薬草の液につけて強い拳を造るってのを真似して、拳頭をロウソクの火であぶって強くしよと何度も火傷で川がめくれて治ると又やって・・・で拳が強くなると思っていました。
友達には何でそんなふうになってるの?って何度も聞かれたりもしました。
拳の皮は固くなりましたが、打ち込んで鍛えて強くしてませんので、使い物にならない見せかけの拳でした。
私の頭の中は空手 空手 空手・・・
当時インタネットなど無いわけで、唯一の情報源、地元の電話帳で調べましたが極真会館の支部の記載などはなくてわからずじまい。
何でも良いや的に探したら地元の空手道場がありました。
そこで人生初の親へのお願いをしまして 「空手を習いたい」 必死に頼みましたが、NGでした。
お前が空手なんか習ったらろくでもない人間にしかならないからダメだと一蹴されて終わり。
当時の世間のイメージでは柔道は正義で、空手は悪役的なイメージだったのかもしれないです。
この空手を習いたい的な思いはずーっと続いていきました。
中学生位だったか??週刊漫画の中の広告で伝統空手とか三迫ボクシングジムの通信教育は取り寄せ、始めましたが、対面で無い稽古は続く事はありませんでした。
衝撃の空手バカ一代
アニメ~少年マガジン~KCコミック 単行本の空手バカ一代
そして衝撃の映画 地上最強のカラテ
漫画の世界と思っていたのが実在の人物と知って更にビックリ
アニメの中でも時々空手のデモンストレーション的なのが登場してたし・・
アニメ 飛鳥拳 が→ 実在の人物 大山倍達
そして出てくる登場人物の弟子達も実在する人物・・
当時もう頭がパニック。
空手は凄い・・・一気に虜になりました。
子供の頃、特に衝撃を受けたのは小学生の3年の頃だったと思いますが、テレビで見た香港映画ブルースリーのドラゴン危機一髪だったかな???
とにかくブルースリーが格好良くて子供ながらに痺れました。
その後、小学何年生の頃か覚えていませんが、本屋を色々駆けずり回って松田隆智の中国拳法入門を買ってきて大事にしてボロボロになるまで読みました。
ブルースリーの映画ではカンフーの方が空手より強い・・憧れはカンフー一色でカンフーの道場なんて近くにあるわけがありません。
そこからは只々ブルースリーへの憧れだけです。
ブルースリーの強さだけでなく筋肉の引き締まった肉体にも全て憧れました
ヌンチャクなんかは自分で作って練習していました。
当時、そんな子供が多くいて学校からヌンチャク禁止令が出たくらいでした。
因みに同じ時期にローラースケート禁止令も出ました。
これは以前書いた、当時テレビでローラーゲームといったローラースケートを履いた格闘技がはやっていたのが原因でしょう。
東京ボンバーズって名前だけが大きく記憶にあります。
小学5年位だったと思いますが、ついに最も衝撃を受けたアニメ 空手バカ一代が放映がスタートしました。
東京ボンバーズの敵対するチーム シカゴベアーズのインディアンパーカー(悪役)なんて人がいました。
この頃から、格闘技 武道 正義 ヒーロー 戦隊等の時代に入っていきました。
ウルトラマン 仮面ライダー スペクトルマン キカイダー マグマ大使 ゴレンジャー 巨人の星 あしたのジョー キックの鬼 etc
特に好きだったのが、ウルトラセブン ウルトラマンレオ 仮面ライダーV3 かな・・
今は考えられないくらいに 我慢 根性 とかが一般的な時代で、今なら虐待とか、折檻とか、虐めとか言われるような出来事が日常に多くありました。
でも自分的には良い時代だったと思います。
私が小学1年の頃からテレビアニメの根性ものがブームになって、巨人の星、あしたのジョー、キックの鬼、タイガーマスク、紅三四郎etc
特にあしたのジョー、キックの鬼、紅三四郎、タイガーマスクは当時大変興味をそそられました。
マイナーっぽい紅三四郎が結構好きでした。
紅三四郎はすっと空手だと思っていましたが、紅流柔術だったみたいです。
所詮子供は移り気なので、キックの鬼を観た時はキックボクシングに憧れ、あしたのジョーを観ればボクシングに憧れましたが・・言っても近くにボクシングジムも無いし、キックボクシングのジムありません。
まあ近くにあったとしても習うことなど許してもらえませんでしたが・・・
ブルースリーの映画ではカンフーの方が空手より強い・・憧れはカンフー一色でカンフーの道場なんて近くにあるわけがありません。
そこからは只々ブルースリーへの憧れだけです。
技だけでなく筋肉の引き締まった肉体にも全て憧れました
ヌンチャクは自分で作って練習していました。
当時、そんな子供が多くいて学校からヌンチャク禁止令が出たくらいでした。
因みに同じ時期にローラースケート禁止令も出ました。
これは当時テレビでローラーゲームといったローラースケートを履いた格闘技がはやっていたのが原因でしょう。
東京ボンバーズってチームが人気でした。
新しい月が始まりました。
自粛継続中。
騒がず
焦らず
怒らず
比べず
人生のんびり行こう・・・
確率低くても、もし感染したら大変です。
感染を増やさないためにも、出来るだけじっとステイホームをいたしましょう。
皆元気にしてるかな・・・
押忍