毎回のきつめの稽古を課してウェイトトレーニングもしっかりやって、不安を打ち消すには稽古しかありません。
数ヶ月過ぎ・・・ついに昇段審査の日がやってきました。
参段昇段審査 基礎体力は後先考えないで、自分の限界までいきました。
鎖につかまっての懸垂はタイマーが鳴っても鎖が手の平に食い込んで指が開かなくなって下から抱きかかえてもらって指を外していきました。
基本 移動 型と進んでクライマックス30人組手 60分以上入れ替わり立ち代りで獣達(相手してくれた皆ゴメンね・・そんな感じがしたので)が襲い掛かってくるわけです。
組手が始まり10人目が終わったところで兄弟子の先輩師範が送れて到着 自分では、もう10人終わったんだと言う感じでしたが・・・
先輩師範に「今何人目だ!」聞かれ「10人終わったところです」と答えると、先輩は「20人終わった後みたいな疲れ方でダメだ!もっとしっかりやれ!」と激を飛ばされました。
20人目苦しいと言うよりも何が何だかで終わった感じ その後は、だんだんと意識朦朧となっていつしか30人目となって終了していました。
何とか生きて終われました。
後に先輩に言われたのが初段の時の10人組手の方がよっぽど苦しそうだったな。
私的にも30人苦しかったのですが、初段の10人組手は格別苦しかった記憶が甦りました。
実際は組手の最中は、いったい今が何人目なのか全くわかりませんでした。
その後かなりの間?数ヶ月身体が痛かった覚えがあります。
審査の後は皆で無事終了の食事会を開いてくれました。
後日、参段昇段(中部本部師範)となりました。
程なくして先輩師範が4段に挑戦す事になり、私にも師範よりは「3段に挑戦してみなさい」と話がありました。
げ~3段ですかと心の中で思いましたがNOはありません「押忍 挑戦いたいます」と言っていました。
基礎体力 基本 移動 型も更なるハイレベルを要求されるわけで、組手も2分×30人こなさなくてはいけないわけで・・・
何とも大変な事になりました。
当時の風林火山空手道は 初段(指導員) 弐段(師範代) 参段(師範)でしたので師範の審査という事になります。
審査がこなせるのか? 30人組手は大丈夫なのか? 師範に値するオーラがあるのか? 色々悩みましたが刻々と審査日は近づいて来ます。
体力面と技術面とメンタル面との戦いです。
それらを克服する為の稽古に望みました。
この時期中部本部一般部の稽古は私の指導がほとんどだったので、自分の為にのメニューを考えて稽古指導をしていたので他の生徒達もきっときつかったと思います。
この頃にベンチプレスも120キロ、レッグプレス420キロ上がりパワーアップもできました。
4ヵ月の活動の自粛があって門下生の意識も良くも悪くも変化しているだろうと思っいましたが、悪くがほとんどなく良い変化が目立ちました。
今はソーシャルディスタンス 三密 消毒等を心がけた稽古体系をとっての空手なので、この際基本動作の正しい動きを徹底しています。
4ヵ月の自粛で忘れている事もありますが、意識が上がっている子が結構います。
稽古のに対する姿勢が真剣になったというか成長した感じが凄くしています。
結構な人数が脱落したり技術の低下、意識の低下を覚悟していましたが、人は見くびるものではありません。
嬉しい誤算です。
今又第二発が来そうな感じが今あります。
GoToトラベルキャンペーンも良いですが、第二発をおこさない為にも考えれるなら、今は自粛を望みます。
日本の武道がなくならない為にも各自が考える必要があるでしょう。
早く皆に普通の環境での稽古がさせたいです。
押忍
支部道場も数ヶ月たち、子供達もだんだんと空手の基本が様になってきました。
生徒によっては簡単な約束組手も出来る様になってきました。
指導はウォーミングアップ~基礎体力~基本・移動動作~ミット~テクニック~の1部と基本をダブらせて~基礎体力~ミット~テクニックと空手の稽古の形がやっと出来てきました。
そこだけが嬉しく思えて指導をし、夜な夜な作ったチラシを電柱に張りに行きました。
それでも新規会員は増えませんでしたので、赤字運営がまだまだ続きました。
勢いで始めた支部道場。
マイナス運営、これがなかなか辛い。
厳しかった。
もらう会費より場所代や運営費上回る運営。
色々と募集もかけましたが、なかなか生徒も集まらなくてそれでも数名集まった生徒の為に存続をさせねばと努力はいたしました。
道場運営は指導じゃない所でも戦わなくてはいけません。
そして難度の高い子供の指導に奮闘。
子供に理論は無理でして、どんなに噛み砕いて説明しても通じにくい、ただ子供の凄い所は映像として技を記憶すると言う事です。
事細かく説明して稽古すると1時間半はあっという間です。
なんせ全く空手を知らない子供相手ですから柔軟性、基礎体力、基本少々、まともな形になるまでに数ヶ月かかりました。
数名出来る子が出来れば、子供はそれを見て真似するので指導はやりやすくなります。
とにかくそこまで必至。
違った意味できつかった時代・・・・・
今月の少年部の稽古は基本的に接触を避けたメニューで基本・移動・型を主に稽古を行なっています。
4ヵ月間の活動停止がありましたが、ちゃんと門下生の身体の中に空手の動作、技が存在していました。
自分自身でも、ちゃんと空手を始めてから4か月も間が空いた事が過去にありませんでしたので、自分自身の空手がどれだけ刷り込まれているのか?記憶は薄れていないか?無いとは思いたいが記憶が薄れていたら脳が消去していたらどうしよう?これは年齢的な問題もあるので0%ではないかも・・・と思っていました。
しかしながら始めてみれば以前と変わらない身体動作、技の記憶は全く変わっていませんでした。
身体が動いて記憶が薄れなければ道場の活動は続けます。
記憶が薄れ情けない知識と動きになってしまったら空手技術の提供は出来なくなるので、道場としての活動は終わりに致します。
ただ継続が長く出来る身体作りと脳の活性は行っていますので、ロングラン出来る様な自分作りは欠かさず行っています。
始めて空手を目にした小学生の記憶、始めて黒帯を頂いて帯を絞めた時の感動と覚悟を今でも忘れていませんし、現在も道着を着て帯を絞める時はしっかりとスイッチはオンにして稽古に臨んでいます。
30年稽古してもまだまだ未熟で武道は奥が深いのでやりがいはあります。
後半は黒帯だけでしたので、久々に軽い組手を行ないました。
やはり空手は良い!! 本当に思います!! 空手を稽古出来る環境に感謝!!
そして身体の続く限り・・・押忍
ちょうど二段を取得して1年位たった頃だったか??、師範と話の流れで支部道場でも出してみてはどうかと言う話が出てきました。
当然道場運営となると大人と子供との指導になると思いますが、当時は大人の指導は難なくこなしていましたが本格的に子供の指導はしてなくて若干は先輩の支部道場の補佐はやっていましたので、全く子供の指導に係ってないわけではありませんが自分一人で子供のクラスを持つのは初めてとなります。
私にも子供はいますので、子供との関りあいは大丈夫と思いましたが・・・
それよりも何も先ずは場所探しからです。
それが、なかなか無いのです。
私が月曜日の休みなので月曜で場所が良いところがなかなか無い。
公共施設は月曜が結構休み、あっても何故か使用料が高いばかり・・・私の希望で会費は安くやりたかったので施設の使用料が高くては何ともなりません。
色々探し回り自宅よりちょっと遠い稲沢市に施設を借りる事になりましたが、やはり使用料が高い・・・それでも何とか始めようと借りる事にしました。
ここから、又悩みが増える事になりました。
無事二段取得し、稽古も平穏な日々が続き、殆どの毎回稽古の指導を任される事になりました。
指導といって一般部の大人のクラスだったので、こちらの思う様に大人の方達は動いてくれるし、そんなに大変でなく楽しんで指導が出来ました。
この時は、まだ子供の指導の困難さを全く知りませんでしたので後に子供の指導の壁にぶち当たる事となります。
大人のクラスは新しい事も色々と試す事が出来たので、私も生徒も、皆が結構充実した稽古内容だったと思います。
この頃の他人の審査は結構気楽に楽しんで相手していました。
相手をする場合に勝手にテーマを決めて、
彼は自衛隊上がりだからテーマは「ほふく前進」とにかくパンチも蹴りも中段に決まるようにコンビネーションを組み立てて相手を前のめりに倒す組手を心がける。
髪の薄い後輩のテーマは「増毛キック」コンビネーションの中で足の裏の柔らかい部位でかかと落としを優しく当てる組手を心がける事。
結果ちょっと髪の毛が増えた感じがしたのは私だけでしょうか?(人助毛??か?)
要するに段々と自分が思う技が少しづつ相手に入るようになったのだと思います。
そんな感じで楽しい優しい師範代していました。
皆には人気ありましたよ・・他の師範クラスの黒帯の先輩達はMAX厳しすぎたので・・・
押忍
自粛から4ヵ月ぶりの空手の稽古
30年空手をやってきて始めて4か月も空手の道場稽古を休みました。
部位鍛錬、型は個人稽古で時々行っていましたが、空手着を着ての稽古は本当に久々で、心配っだのは門下生が空手を忘れているかどうかより、我が肉体がきっちりと空手を記憶しているかどうかが、ほんの少し不安でした。
ただ稽古を開始してみると何ともないと言うか、休んでないみたいにスムーズに稽古も進行して身体も何も変わらずに動きました。
翌日はなんとも心地よい筋肉痛が全身にありました。
空手が効率の良い全身運動なのだと改めて気づかされました。
稽古の出来る日常に感謝。
押忍
遂に私の二段の昇段審査が行われました。
審査はいつも緊張感MAX。
メンバーは名古屋支部の黒帯全員と春日井支部の人達が相手をしてくれました。
始まってみるとあれよあれよと10人が終わって・・気分的にはもう10人終わったんだと言う感じ、初めて初段を取得した審査の方がしんどかった様に思えました。
それでも後半は辛かった。。。。
私の審査の為に他の支部から来てくれた黒帯もいて感謝、とにかく自分ではギリギリでやっている感じでした。
とにかく私の事を殺そうと向かってくるのが、日頃やられている人達(後輩)で・・
私は心の中で「こいつらは絶対俺が元気になったら半殺しにしてやる」と思いながら捌いていました。
19人目までこなした所で20人目は3巡目に当たるの現〇○館の愛知支部長の○〇先生でした。
この先生にも色々お世話になった方で、ちなみに型はほとんどこの先生から私は習いました。
師範より、さあ20人目だ!力残すな!全力出し切れ!と言われ、もうがむしゃらで攻撃を出しました。
もう立っているのがやっとでも力なんて残っていません。
やめ~の合図で、あ~20人組手終わったんだと思っていたら師範より信じられない悪魔の一言が・・・
20人全力で戦った後に、もう一人と戦うのが本当の二段だからと言われて「ラスト21人目」(鬼~あんたは鬼か~と心の中で叫びました)と私には信じられない事が始まりました。
そして21人目の組手も無事終了。
その後、皆で焼肉に行きましたが、私は腕が痛くて箸を口に持っていけずに口を箸に持っていく情けない姿でした。
今回は腹筋は日ごろから打たれ強く稽古してましたので内臓にダメージが無く大変美味しくいただきました。
後日の二段合格証と新しい帯を頂きました。
押忍