ネタ不足の6月。
今日は、閉鎖した私のサイト「1/2THROTTLE」から、ドラゲーの話をお届けします。
「ドラゲーとの出会い」
昔から、筐体が動くゲームが大好きでした。
高校生の頃は映画「Top Gun」の影響もあり、学校帰りにショッピングセンターのゲームコーナーにあった「Afterburner」をやり込んだものです。
プレイ料金が200円か300円くらいだったと思いますが、情熱はあっても下手なので、1人ではすぐにゲームオーバーです。
そこで、友達とお金を出し合ってコンティニューし、とにかく「クリアすること」を目指して遊びました(笑)
ドラゲー(車のゲーム)を始めたのも、その延長のような感じです。
社会人になってからは連コインする財力を得て(笑)、1人で「OUTRUN」や「DAYTONA USA」で遊んでいました。
免許を取った後、しばらく格闘ゲームやメダルゲームをやっていた時期もあったのですが、「頭文字D」のアーケードゲームが登場すると、私のドラゲー熱が再燃。
あっという間にハマってしまい、毎日のようにゲーセンに通うようになりました。
(頭文字Dのカード。いまだに捨てられずにアルバムに貼ってある笑)
「D」はそれまでのドラゲーと違い、カードに自分の記録が残せると言う画期的なものでした。
最初はタイムアップで終わっていたコースが、何度かやっていくうちにクリアできるようになり、それを記録として残せる。
社会人になってから、久しく味わうことのなかった達成感(笑)
完全にハマりました。
それからは、仕事帰りは毎日のようにゲーセン、週末は昼間から夜中までゲーセン三昧になってしまいました(笑)
(中央通りのBJで卒業バトル。たぶん負けたはず)
「D」の熱が冷めたのはシステムのバージョンアップで操作性が変わったせいだったと記憶していますが、次にハマッたのは「バトルギア3」でした。
「バトギ」は、きちんと減速しないと曲がれなかったり、壁に当たると止まったりと、Dと違って操作にシビアさがありました。
記録媒体として「鍵」を使うことや、オンライン接続で自動的に記録が残せること、ネットでチームを作ったり車をカスタマイズできるシステムも新鮮でした。
掲示板を運営したり、ゲーセンでオフ会を主催するなどして交流の輪を広げ、仲間もたくさんできました。
(いまだに捨てられない「ギア鍵」の数々。メーカーと車種のシールは自作)
盆暮正月ドライバーだった私が「運転したい」と思うようになったのは、この「バトルギア3」のおかげです。
ゲーム仲間の車に乗せてもらったり、ジムカーナの同乗体験をさせてもらうなど、車に触れる機会に恵まれ、それまで以上に車に興味を持つようになりました。
そしていつしか、ゲームで使っている車で本当の道を走りたい、と思うようになっていたのです。
私が使っていたのは濃紺のRX-7(FC3S)、金銭的に手の届かない車ではありません。
ミッションはMTで年式は・・・そう思った時、大変なことを思い出しました。
私はAT限定だった!
まずは、それを何とかしなくては(汗)
そして、二度と戻らないと誓った自動車学校の門を、再び叩いたのでした。
(岡山の「楽市楽座」に遠征した時のもの。誰が撮ってくれたんだっけ??)
今でも時々、ゲーセンでドラゲーをやりますが、以前のように月2万円も費やすような遊び方はしなくなりました。
リアル車を手に入れた今は、ゲームとして純粋に楽しんでいます。
あのお金を貯めておけばもっと別の使い道があったのに・・・と思うこともありますが、ドラゲーとの出会いがなければ、未だに私はAT限定の盆暮正月ドライバーのままで、車を買うこともなかったでしょう。
どんな出会いにも、必ず理由があるのです。
(おわり)
今日は、閉鎖した私のサイト「1/2THROTTLE」から、ドラゲーの話をお届けします。
「ドラゲーとの出会い」
昔から、筐体が動くゲームが大好きでした。
高校生の頃は映画「Top Gun」の影響もあり、学校帰りにショッピングセンターのゲームコーナーにあった「Afterburner」をやり込んだものです。
プレイ料金が200円か300円くらいだったと思いますが、情熱はあっても下手なので、1人ではすぐにゲームオーバーです。
そこで、友達とお金を出し合ってコンティニューし、とにかく「クリアすること」を目指して遊びました(笑)
ドラゲー(車のゲーム)を始めたのも、その延長のような感じです。
社会人になってからは連コインする財力を得て(笑)、1人で「OUTRUN」や「DAYTONA USA」で遊んでいました。
免許を取った後、しばらく格闘ゲームやメダルゲームをやっていた時期もあったのですが、「頭文字D」のアーケードゲームが登場すると、私のドラゲー熱が再燃。
あっという間にハマってしまい、毎日のようにゲーセンに通うようになりました。
(頭文字Dのカード。いまだに捨てられずにアルバムに貼ってある笑)
「D」はそれまでのドラゲーと違い、カードに自分の記録が残せると言う画期的なものでした。
最初はタイムアップで終わっていたコースが、何度かやっていくうちにクリアできるようになり、それを記録として残せる。
社会人になってから、久しく味わうことのなかった達成感(笑)
完全にハマりました。
それからは、仕事帰りは毎日のようにゲーセン、週末は昼間から夜中までゲーセン三昧になってしまいました(笑)
(中央通りのBJで卒業バトル。たぶん負けたはず)
「D」の熱が冷めたのはシステムのバージョンアップで操作性が変わったせいだったと記憶していますが、次にハマッたのは「バトルギア3」でした。
「バトギ」は、きちんと減速しないと曲がれなかったり、壁に当たると止まったりと、Dと違って操作にシビアさがありました。
記録媒体として「鍵」を使うことや、オンライン接続で自動的に記録が残せること、ネットでチームを作ったり車をカスタマイズできるシステムも新鮮でした。
掲示板を運営したり、ゲーセンでオフ会を主催するなどして交流の輪を広げ、仲間もたくさんできました。
(いまだに捨てられない「ギア鍵」の数々。メーカーと車種のシールは自作)
盆暮正月ドライバーだった私が「運転したい」と思うようになったのは、この「バトルギア3」のおかげです。
ゲーム仲間の車に乗せてもらったり、ジムカーナの同乗体験をさせてもらうなど、車に触れる機会に恵まれ、それまで以上に車に興味を持つようになりました。
そしていつしか、ゲームで使っている車で本当の道を走りたい、と思うようになっていたのです。
私が使っていたのは濃紺のRX-7(FC3S)、金銭的に手の届かない車ではありません。
ミッションはMTで年式は・・・そう思った時、大変なことを思い出しました。
私はAT限定だった!
まずは、それを何とかしなくては(汗)
そして、二度と戻らないと誓った自動車学校の門を、再び叩いたのでした。
(岡山の「楽市楽座」に遠征した時のもの。誰が撮ってくれたんだっけ??)
今でも時々、ゲーセンでドラゲーをやりますが、以前のように月2万円も費やすような遊び方はしなくなりました。
リアル車を手に入れた今は、ゲームとして純粋に楽しんでいます。
あのお金を貯めておけばもっと別の使い道があったのに・・・と思うこともありますが、ドラゲーとの出会いがなければ、未だに私はAT限定の盆暮正月ドライバーのままで、車を買うこともなかったでしょう。
どんな出会いにも、必ず理由があるのです。
(おわり)
年よりには全く縁がないのですが昨年でしたかしらんエディオン広島本店で家電売り場だったか結構大きなディスプレーのドライブゲームがあったので、生まれて初めて挑戦してみました・・・スタートして30秒もしないうちにコースアウトや衝突でクラッシュ、何回かやっても同じこと、実車のドライブの何十倍も難しいことが分かりました。
で「こんなことが出来る者は天才じゃ・・」という判断して諦めました。
家電売り場に展示してるようなゲームといえば、PS(プレイステーション)とかでしょうか。
ああいう今時のゲームだと、たぶん私も無理だと思います(笑)
ゲームセンターにあるようなものは、もう少し易しいので、試しに遊んでみては?
グラフィックもきれいなので、ちょっとした観光気分も味わえますヨ^^
ことしは古希になるのでなるべく長くいつまでも安全にドライブを楽しみたいので、リハビリと楽しみを兼ねて3年まえに勇気を出してtsタカタにデビューしました、対向車も歩行者も交差点ものないので公道よりも運転に集中できて安全だと思います。
ただ皆さんよりも遅いので平日の空いた時に走ります。
でも体力的に衰え何時かは免許返納してもドライブを楽しみたい・・・との思いが強くこのブログを見て、その時のためにドラゲーにも挑戦してみたくなった次第です・・・。