ネタ不足になりがちな2月。
節分もバレンタインも記事にしてしまったし、「おはさか」も行くかどうか怪しいですし(汗)
今日は久しぶりに、閉鎖した私のサイト「1/2THROTTLE」から、母の車の話をお届けします。
「母の車」
母の車は、昔からずっとホンダ車です。
特にこだわりがある訳ではなく、単に「友達の自動車屋がホンダ系列だったから」とのこと。
父も友達がマツダ系列だったから、マツダ車に乗っていたのだと思います。
田舎で暮らしていくには、付き合いが大切なんですね(笑)
そんな母の「歴代ホンダ車」に、思い出深い1台があります。
(父の仕事の資材が置いてあったけど、たぶん隣の家の所有地。手前のカリメロ頭が私)
ホンダNⅢ360だと思いますが、合っているでしょうか?
それは白い3ドアで、長い間、家のそばの空き地に放置されていました。
たぶん、私が小学校1年生くらいの時からそこにあったと思います。
どういう経緯で置いてあったのかは知りませんが、事故をして壊れたふうでもなく内装もきれいだったので、そこは私たちの恰好の遊び場になっていました。
運転を真似て遊ぶようなことはありませんでしたが、拾ってきたガラクタや漫画を隠しておいたり、親に怒られた時にはおやつを持って立てこもったり(笑)
今の時代、そんな所で子供が遊んでいようものなら、近所の人から「何かあったら危険だから車を撤去しろ」と抗議を受けそうですが、昔は今よりもずっと寛容な世の中で、車を放置していることも、子供が遊んでいることも、咎める人は誰一人いませんでした。
かくして、その放置された「ポンコツ車」は、長きに渡って私達の大切な「居場所」となったのでした。
(2代目シビックだと思うのですが合ってる?)
小学校3年の時、家を引っ越すことが決まり、ポンコツ車もいよいよ撤去されることになりました。
あの時の衝撃は今でも忘れられません。
学校が終わって家に帰ると車がなくなっていて、廃車にするから解体屋に引き渡したと言われて大泣きしました。
長く親しんだ遊び場がなくなる寂しさもありましたが、実はガラクタと一緒に隠してあった大人の漫画(成人漫画というヤツですね)が親に見つかったら、絶対に怒られると不安になって(汗)
後日、まだバレていないことを幸いに「中に自分の物が残ってるから」と1人で解体屋に行き、ガラクタと一緒にその漫画を処分しました(笑)
それにしても、何故あの車は放置されていたのでしょう?
幼い頃、母の車が田んぼに落ちてひっくり返っていたのを見た記憶があります。
田植えの時期で田んぼには水が張ってあったので、車は即廃車になったと思います。
(ホンダN360 田んぼ畔の色と同じだったと記憶しているので、たぶんコレ)
その後に買ったのがあの白い車だと思うのですが、放置されているからには、何か乗れなくなった理由があったはずなのです。
そのうち話を聞いてみよう。
母の運転歴は40年を越えています。
今でも「車幅は肩幅みたいなもんなんよ」と、タイヤがぎりぎり乗っているような狭路でもスイスイ走ります。
私には、まだまだ到達できない領域です。
そんなベテラン・ドライバーの母ですが、昔からブレーキの踏み方だけはヘタでした。
幼い頃は、よくブレーキの度にダッシュボードに額を打ち付けていたものです。
シートベルトをしていても、体が小さくてホールドされないので、急ブレーキを踏まれると上半身がずっぽ抜けてしまうのです。
その対策として、母はブレーキを踏む時に、左手で私の頭を押さえるようになりました。
ただ、ほとんどの場合はタイミングを外してしまい、後で「ごめんね、ごめんね」と痛いくらいに額をさすられていましたが(笑)
今でも母は、ブレーキを踏んだ時に反射的に左手を伸ばします。
ハンドルを握る母にとって、助手席の私はいつまでも小さな子供なのでしょう。
それは愛情に満ちた、ありがたい母の癖です。
(おわり)
(母の最後の車はFit。2016年に姉の元へ)
昨年、母は運転免許を返納しました。
2013年頃までは普通に運転できていたのですが、緑内障になっていることが分かり、運転をやめました。
それでもなかなか車を手放せずにいましたが、姉から車を譲ってほしいと言われて、ようやく決心がついたようです。
自分の車で、自分の好きな時に、自分で何処にでも行ける。
離婚して、子供も独立して、1人になっても、誰にも頼らず生きてこれた。
車は母のアイデンティティだったのでしょう。
車を手放した後、しばらくは喪失感に苦しんだようです。
幸い、母は自分の気持ちに折り合いをつけ、車のない生活を受け入れることができましたが、それも母が移動に困らない便利な場所に住んでいたからだろうと思います。
これが、バスが1時間に1本しか来ないような所だったら、難しかったかも知れませんね。
ところで、あの白い車はどうして放置車両になったのか?
その理由を母に尋ねたところ「知らんよ」と素っ気ない返答。
確かに白いホンダ車には乗っていたけど、買い換える時には必ずお店に引き取ってもらっていたから、放置するなんてありえないとのこと。
じゃあ、あれは一体誰の車だったの!?
まあ、ここまで信じてきたのだから、もう「母の車」でいいか(笑)
節分もバレンタインも記事にしてしまったし、「おはさか」も行くかどうか怪しいですし(汗)
今日は久しぶりに、閉鎖した私のサイト「1/2THROTTLE」から、母の車の話をお届けします。
「母の車」
母の車は、昔からずっとホンダ車です。
特にこだわりがある訳ではなく、単に「友達の自動車屋がホンダ系列だったから」とのこと。
父も友達がマツダ系列だったから、マツダ車に乗っていたのだと思います。
田舎で暮らしていくには、付き合いが大切なんですね(笑)
そんな母の「歴代ホンダ車」に、思い出深い1台があります。
(父の仕事の資材が置いてあったけど、たぶん隣の家の所有地。手前のカリメロ頭が私)
ホンダNⅢ360だと思いますが、合っているでしょうか?
それは白い3ドアで、長い間、家のそばの空き地に放置されていました。
たぶん、私が小学校1年生くらいの時からそこにあったと思います。
どういう経緯で置いてあったのかは知りませんが、事故をして壊れたふうでもなく内装もきれいだったので、そこは私たちの恰好の遊び場になっていました。
運転を真似て遊ぶようなことはありませんでしたが、拾ってきたガラクタや漫画を隠しておいたり、親に怒られた時にはおやつを持って立てこもったり(笑)
今の時代、そんな所で子供が遊んでいようものなら、近所の人から「何かあったら危険だから車を撤去しろ」と抗議を受けそうですが、昔は今よりもずっと寛容な世の中で、車を放置していることも、子供が遊んでいることも、咎める人は誰一人いませんでした。
かくして、その放置された「ポンコツ車」は、長きに渡って私達の大切な「居場所」となったのでした。
(2代目シビックだと思うのですが合ってる?)
小学校3年の時、家を引っ越すことが決まり、ポンコツ車もいよいよ撤去されることになりました。
あの時の衝撃は今でも忘れられません。
学校が終わって家に帰ると車がなくなっていて、廃車にするから解体屋に引き渡したと言われて大泣きしました。
長く親しんだ遊び場がなくなる寂しさもありましたが、実はガラクタと一緒に隠してあった大人の漫画(成人漫画というヤツですね)が親に見つかったら、絶対に怒られると不安になって(汗)
後日、まだバレていないことを幸いに「中に自分の物が残ってるから」と1人で解体屋に行き、ガラクタと一緒にその漫画を処分しました(笑)
それにしても、何故あの車は放置されていたのでしょう?
幼い頃、母の車が田んぼに落ちてひっくり返っていたのを見た記憶があります。
田植えの時期で田んぼには水が張ってあったので、車は即廃車になったと思います。
(ホンダN360 田んぼ畔の色と同じだったと記憶しているので、たぶんコレ)
その後に買ったのがあの白い車だと思うのですが、放置されているからには、何か乗れなくなった理由があったはずなのです。
そのうち話を聞いてみよう。
母の運転歴は40年を越えています。
今でも「車幅は肩幅みたいなもんなんよ」と、タイヤがぎりぎり乗っているような狭路でもスイスイ走ります。
私には、まだまだ到達できない領域です。
そんなベテラン・ドライバーの母ですが、昔からブレーキの踏み方だけはヘタでした。
幼い頃は、よくブレーキの度にダッシュボードに額を打ち付けていたものです。
シートベルトをしていても、体が小さくてホールドされないので、急ブレーキを踏まれると上半身がずっぽ抜けてしまうのです。
その対策として、母はブレーキを踏む時に、左手で私の頭を押さえるようになりました。
ただ、ほとんどの場合はタイミングを外してしまい、後で「ごめんね、ごめんね」と痛いくらいに額をさすられていましたが(笑)
今でも母は、ブレーキを踏んだ時に反射的に左手を伸ばします。
ハンドルを握る母にとって、助手席の私はいつまでも小さな子供なのでしょう。
それは愛情に満ちた、ありがたい母の癖です。
(おわり)
(母の最後の車はFit。2016年に姉の元へ)
昨年、母は運転免許を返納しました。
2013年頃までは普通に運転できていたのですが、緑内障になっていることが分かり、運転をやめました。
それでもなかなか車を手放せずにいましたが、姉から車を譲ってほしいと言われて、ようやく決心がついたようです。
自分の車で、自分の好きな時に、自分で何処にでも行ける。
離婚して、子供も独立して、1人になっても、誰にも頼らず生きてこれた。
車は母のアイデンティティだったのでしょう。
車を手放した後、しばらくは喪失感に苦しんだようです。
幸い、母は自分の気持ちに折り合いをつけ、車のない生活を受け入れることができましたが、それも母が移動に困らない便利な場所に住んでいたからだろうと思います。
これが、バスが1時間に1本しか来ないような所だったら、難しかったかも知れませんね。
ところで、あの白い車はどうして放置車両になったのか?
その理由を母に尋ねたところ「知らんよ」と素っ気ない返答。
確かに白いホンダ車には乗っていたけど、買い換える時には必ずお店に引き取ってもらっていたから、放置するなんてありえないとのこと。
じゃあ、あれは一体誰の車だったの!?
まあ、ここまで信じてきたのだから、もう「母の車」でいいか(笑)
って書いたらトシがばれますねw
名前は全部合っています。シビックは二代目、通称スーパーシビックの最終モデルですね。たぶん昭和56年ごろ?
車種名、答え合わせありがとうございました。
最後のFitを買う前に、比較対象で3代目デミオを見せたのですが、
やはりホンダの車がいいと言って決まりました。
長年、ホンダ車に親しんできた母にとっては、
運転席に座った時の景色が、ホンダ車と他の車では違うのだそうです。
母なりのこだわりがあったようです^^