浜床のふろしき

尾道市因島から日常を記します

復興

2013年04月06日 | 日常

東日本大震災から2年が経ちました。

直接的な被害者ではない僕を含む多くの人たちは震災とは縁のない日常生活を送っていて、少しずつ忘れていっている現状があります。

311日」が訪れるたびにメディアは取り上げ、日本の人々は思い出すでしょうが、その日が過ぎると何事も無かったように記憶の片隅に追いやられます。

あたかも桜の花が満開になるとお花見をして、その後は桜の存在すら忘れ去ってしまうかのように。

実際には桜の木はずっとそこに存在しているし、花が散ると若葉が茂り、また葉を赤く染めて散った後は寒さに耐えて新しい命を育てています。

でも、それに気づいて目を向けている人はわずかなのです。

例えば、震災直後には原子力発電に対して国民の大半が批判的な見方をしていました。

でも、現首相が原子力発電ゼロの方針は白紙に戻すと言った時にどれだけの人が反応を示したのでしょうか?

さて、「復興」という言葉が度々聞かれますが、なにを持って復興が出来たと言えるのでしょうか?

非常に難しい問題です。

特に上記のような状況を考えると、当事者と僕たちの間に大きな隔たりがある気がします。

ただ、ここで一つ言えることはこの国は様々な災害・被害を受けながらも人々がここで暮らし続けているということです。

東京大空襲だって、広島・長崎の原爆だって、伊勢湾台風だって、神戸の震災だって、火山の噴火だって、色々な災害だって、多くの人々が亡くなって生活を奪われてきました。

それでも暮らし続けているのです。

亡くなった人たちが生き返ることは不可能です。被害を受けた前の生活に完全に戻ることも不可能です。

でも、それらを経験したということも含めて、未来へ一歩ずつ踏み出していくことが復興となるのではないでしょうか?