昨年の11月17日に起こった「奈良の女児誘拐殺人事件」について僕が感じたことを書こうと思います。テーマがテーマなので、感情的になったり、文章がおかしかったりするかもしれません。
今日、事件の初公判が行なわれ、小林容疑者は起訴事実を認めたそうです。詳細などについてはこれから突き詰められていくのでしょうが、たとえどんな答えが出ようとも、家族が納得できるような答えなど存在しないのでしょう。
7歳の子どもが殺められてしまう。いや、今回は奈良で7歳の少女が殺められるという事件でしたが、新聞紙上で殺人事件の記事が載らない日はあるんでしょうか。それは生まれたばかりの赤ちゃんから人生晩年を迎えた人まで、様々な人が被害に遭っています。
なぜ殺すんですか?
その人は死ななくちゃ駄目だったんですか?
運命だからで片付けられるんですか?
僕は今回の事件に関して、自分が奈良に住んでいたことがあり、自分に子どもがいるために敏感に反応して、様々なニュースや新聞で情報を得ようとしました。でも、日本国中、いや世界中で起こっている殺人事件に対して、同じように感じているかと考えると、そうではない自分がいます。どこかで他人事だと思っている自分がいるんです。そんな自分がすごく嫌になるときがあります。
答えはないと分かってはいるものの、人が人の命を意図的に奪うことが正しいことだとは僕は思いません。罪なき人々が殺す側の一方的な理由のみで殺されることが無いよう、祈ります。
そうですね。子どもがいるという事は、確かに今の世の中で不安要素が大きいのかもしれませんが、逆にどうしたら子どもが幸せに過ごせるのかを考える機会を与えてもらっているのかもしれません。
周りの人たちが優しくなれるように、自分が優しくできたら、きっと更に沢山の人たちが優しくなるんじゃないかと思います。
なぜ大人の都合で子供まで手をかけるのか。。。
となんともいえない気持ちになりました。
子供がもっと安全に生きていける世の中にしたいですよね。
殺人ということが昔にくらべ、日常的にTVから聞こえてくる今日この頃。
なんだかとっても、悲しいです。
今は、TVのワイドショーでは、毎日のように取り上げてる。わるさをしてる、近所のこどもを叱るにも、死を覚悟して(おおげさかな?)叱る。この頃。
まだまだファイヤーなわたしだけど。。。いいかげん、自分を守らなきゃと感じてます。
犯人の生い立ちを知った所で、どうにかなるもんじゃないのに、まるで犯人をかばうような報道も…
幸せだったか、不幸だったかよりもどんな親が育てたんだろう?って思うのは僕だけでしょうか?妻によく言われます。
近い将来、子供と再会した時に恥ずかしくない大人でいようって。↑妻も書いてますが、よその子も叱れる環境はもうないのかもしれませんね。僕なんて、親よりも近所の叔父さんに教育されたような記憶がありますが…
身の回りで事件が起こった時って、びっくりします。それと同時に悲しくなります。
日常的に殺人の報道がされていて、鈍感になっている自分がそこにいて嫌になっています。
本当に子どもたちを含め、皆が幸せに暮らせるようになって欲しいものです。
>因島の浜崎あゆみさん
殺人事件、多いですね。気にして新聞などを見ると、本当に毎日のように載っているんですよね。しかも一時の感情(キレて)で殺人なんかもよくあるし・・・。
小学生や中学生などに注意して殺されるんだから、堪りません。
>賢司です・・・さん
子どもを育てるってことは自分も育てるってことなのに、それを自覚せずにいる大人たちの何と多いことでしょう。
事件を起こしている人たちは、さしずめ子どもに育てられた子どもという事でしょうか。
僕自身、子どもに責任を持っていたいし、誇ってもらえる親でありたいと思います。
最近、人が皆、自分自身を愛して受け入れることができれば、こんな事件は起こらないのかもしれないと考えるようにはなりました。スミマセン。長くなってしまいました。
僕は「人の命について自分の意見を言ってみろ」と言われて、意見を言えるほど自分自身の確固たる考えを持っているわけではありません。また、僕だって殺人事件などのニュースの大半には目を背けているような気がします。それは自分には関わりの無い事柄であってほしいと願うためかもしれません。
でも、子を持つ親になり、人の命(死の直前)に関わる仕事をして、様々なことを考えさせられているのだと思います。
加害者を育てた親の責任も大きいのでしょうが、育てたのは親だけではありません。社会全体がその人物を育てたのだと思います。だからこそ、目を背けずにいたいなと考えているところです。