国語の教科書に詩歌が全く載らなくなって
日本人はどこで「詩歌」を学ぶのだろう
と書いている方がいた。
国語も実務的な文章ばかりで文学的な作品
は学ぶことがなくなったというニュースを
観たことがあった。
最近の教科書なんて見たことがないので
実情は知らない。
以前毎月食事会をしていた中学時代の
同級生の集まりで突然酔っぱらいながら
「あの虎が吠える小説の題名はなん
だったっけ?」といった友人。
「山月記でしょ」
「そうそう。そうだった」と彼。
中学校卒の他の2人は興味なげにお酒を
楽しんでいた。
中國の漢詩離れはもっとすごかった。
何度も中国旅行をしたが例えば寒山寺
でここは鐘で有名です と説明される。
「楓橋夜泊ですね」と言ったら吃驚
された。
石林を観に行った時折角だから
雲南羅平の菜の花畑もみようと
春に行った。
見事だった。
たまたま近くにいたガイドが
「桃源郷でしょう」という。
「陶淵明ですね」というと
よく知っていますね。と。
普通高校を出た日本人なら皆知ってますよ
というと感心している。
今それと同じことが日本で起きている。
先日亡くなった谷川俊太郎の作品や
吉野弘の「I was born]
にふれていらっしゃった。
「こころ」や「高瀬舟」を一生
読まない人がふえることであろうか?
転職して、40代の上司と同僚と仕事をしていますが、彼らのボキャ貧は目を覆うばかりです。
したがって、彼らの子供たちは推して図るべしです。
読書量が絶対的に足りないのと、読書してもきちんと創られた文章を読んでいないからだと思います。
母国語ができなくて、何が国際化だと思う今日この頃です。
ご近所の知りあいの女性たちには
読書の話しはタブーです。
彼女たちは全く読書をしないようです。
こういう親に育てられた子供が本好きになるわけがありませんよね。
まず英語より日本語と言いますがその通りだと思っています。
日本語をちゃんと読めないものは歴史はもちろん
数学も理科も理解できないと思っています。
ありがとうございました。
私の小中高時代の音楽教科書にはなかった「イエスタディ」「戦争を知らない子供たち」。
国語の吉本ばなな「キッチン」、谷川俊太郎「二十億光年の孤独」。
私より後の世代の教科書には確かにありましたが、今は‥?
化学は兎も角、生物の教科書は生物学そのものがまるで変わり殆ど分子生物学。
物理は 新発見続々も教科書レベルでは生物ほどではないかも‥。
算数・数学は年々難化し 私学受験で愈々マニアックになり 数学嫌いが激増。
"戦争史観"をめぐりしばしば問題となる歴史教科書は、最早"不毛の論争"の域。
こうした時代に育つ(生きる)子どもたちですから
知識も教養も理解力も体(耐)力も感性も‥危ぶまれるところではあります。
ではありますが、いつの時代も "過渡期" "激変"を経てきました。
人間の長い歴史から見れば些事!かも‥。
そう思って 心の平安を保ちましょうかねぇ
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=gUX2qOl13AQ&t=3s