今日は午前中、おじいさんの施設の対処手続きをしてきました。
手続きを済ませ、看護師さんや、ケアマネさんに挨拶をして・・・。
おじいさんの身の回りの荷物は、大きめの段ボール箱1個
居宅担当の方が運んでくださいました。
缶コーヒーも2ケースほどありましたが、これは、皆さんでと、置いてきました。
外に出て、空を見上げたら、青いこと、青いこと・・・・。
赤い屋根の施設・・・・・。
あぁ、もうここに通うこともないんだなぁ・・・・。
ポソッと、独り言のように、口から出てしまいました。
荷物を積んだ台車を押して歩いていた担当の方が、話しかけます。
それで、
「○○さん(居宅担当のケアマネさん)にね凄くお世話になってんですよ。」
そう言ったら、
「そうなんですか、話します?呼んできます。」って・・・。
施設に着いてすぐ、出て来てくれて話はしたんですけど・・・。
帰る時は、電話中だったので、遠慮しました。
荷物を車に積み込んだ後、呼んでくれて、最後にもう一度お礼を言うことができました。
このケアマネさんに出会えなかったら、ここまで来られなかっただろうなぁ・・・。
一生懸命になってくれて・・・。
おじいさんがここの施設に入所できると分かった時、お父さん
「姉さんが知ったら、驚くやろうなぁ・・。待っとりゃ良かったって・・。」
なんて、言いましたが、
「お義姉さんが、まだ、一緒に介護してたら、ここの施設には入所できんかったわ。」
って、言ってやりました。
ケアマネさん、相当義姉には怒ってましたし・・。
数々の裏切り行為をし、ケアプランがあるにもかかわらず、勝手なことばかりするので、辟易していたようです。
最初は、私も同様に思われていたのかもしれませんが、接していくうちにだんだんわかってくれて・・・。
ある日、勝手に入所施設を探してきて、「入れる」なんて言うもんですから、寝耳に水状態で・・・。
義姉は、私に言いましたから・・。
「ケアマネの言うことなんてねぇ、聞かなくて良いんだよ。みんなそう言ってる。」と・・・。
みんなと言うのは、怪しいものです。やれやれです。
お正月も、おじいさんは家で過ごすはずが、義姉は、自分がスキーに行くのに、気楽に行きたいがために、訳の分からない、車で1時間以上もかかるショートステイ先を見つけて来て・・・。
私にも、一緒に下見に行ってくれと言い。
義姉の知り合いの男の人の運転する車で、出かけました。
おじいさんには合わないなぁ、と思えるところでしたが、義姉は
「ええ所やねェ・・。」
などと言って、とにかくおじいさんをショートに預けたいという気持ちが見え見えで・・・。
私は、疲労と安定剤のせいで、眠いこと眠いこと・・・。
帰ってきてから、場所は何処だった?とお父さんに聞かれても、
「熟睡してしまって。分からない・・・。」
と返事・・・・。
ただ、熟睡する前に高速に乗ったことと、確か「一宮」という文字を見たような気がしたこと、それ以外、帰りも家の近くの紳士服の青山のお店の前でやっと気がついたような訳で・・・。
何処まで連れて行かれたのやら・・・・。
結局、私自身もお正月は家でと思っていたのと、お父さんがどんなことでも手伝うからと、言ってくれたので、義姉にも、おじいさんのことは大丈夫だからと伝えました。
義姉は怒っていました。
「最初から、スキーに行っても良いって言ってくれれば良かったのにっ!!(ぷんぷん)」
何を考えているんだか・・・・・。
子供でもあるまいし・・・・。
自分で決めればいいことで、私達が、「行っても良いよ。」と、許しを出す問題ではないと思うのだけど・・・。
だから、ブチブチと、キャンセルしようかなぁ?とか、風邪引いたから、滑るのは出来ないけど、ストレスがたまるから、ちょっと介護を忘れて・・・。とかいろいろ言っていたけれど、放っておいたのが、いけなかったようで・・・・。
(結局、行った先では、寝てるけど、滑るかもしれないけど、滑れないかもしれないし・・・。などと、電話してきた。元気そうだったから、滑っていただろうけれど、別にわざわざ電話するような内容じゃないと思った。)
母でなく、姉でなく、娘でしかない義姉だった。
最後に、ケアマネさんが、
「○○さん(義姉の名前)、病院に行くかしらねェ・・。」
と・・。
「連絡が取れないので、仕方ないです。」
そうなんです。
連絡はとれません。
何処に住んでいるかも、知らないことになっています。(実際に、あの辺としか聞いていないのですが・・。)
一人で大騒ぎして、一人で怒り狂って、もう、携帯に電話しても出なくて・・・。
黙って、引越していった。
仕方ないわねぇ・・・・・・。
親戚には伝えてあります。
巡り巡って耳に入ることもあるのでしょうか・・・・。
あの人なら、後悔なんてしないと思いますが・・・。
施設で静かに最後までと言う思いはかないませんでした。
でも、今度の病院も最後まで看てくれるそうです。
今日看護師さんから聞きました。
その病院も、本来ならなかなか入れないと・・・・。
この施設からの患者さんだから、入れるということを・・・。
施設の看護師さんが頼んでくれたのです。
何から何まで、ずっと、ここでお世話になったんだなぁ、
と感謝の気持ちでいっぱいです。
共倒れになりかかって、
ある日、お父さんが、もう、おじいさんではなくて、私の方が夏を超えられないだろうと言いました。
その当時、介護されて当たり前と言うおじいさんが、初めて、私のことを
「可哀想やと思って・・・。」と言ったのです。
1度きりですけどね。
何故か今日は、一つ何かが終わった気がしました。
手続きを済ませ、看護師さんや、ケアマネさんに挨拶をして・・・。
おじいさんの身の回りの荷物は、大きめの段ボール箱1個
居宅担当の方が運んでくださいました。
缶コーヒーも2ケースほどありましたが、これは、皆さんでと、置いてきました。
外に出て、空を見上げたら、青いこと、青いこと・・・・。
赤い屋根の施設・・・・・。
あぁ、もうここに通うこともないんだなぁ・・・・。
ポソッと、独り言のように、口から出てしまいました。
荷物を積んだ台車を押して歩いていた担当の方が、話しかけます。
それで、
「○○さん(居宅担当のケアマネさん)にね凄くお世話になってんですよ。」
そう言ったら、
「そうなんですか、話します?呼んできます。」って・・・。
施設に着いてすぐ、出て来てくれて話はしたんですけど・・・。
帰る時は、電話中だったので、遠慮しました。
荷物を車に積み込んだ後、呼んでくれて、最後にもう一度お礼を言うことができました。
このケアマネさんに出会えなかったら、ここまで来られなかっただろうなぁ・・・。
一生懸命になってくれて・・・。
おじいさんがここの施設に入所できると分かった時、お父さん
「姉さんが知ったら、驚くやろうなぁ・・。待っとりゃ良かったって・・。」
なんて、言いましたが、
「お義姉さんが、まだ、一緒に介護してたら、ここの施設には入所できんかったわ。」
って、言ってやりました。
ケアマネさん、相当義姉には怒ってましたし・・。
数々の裏切り行為をし、ケアプランがあるにもかかわらず、勝手なことばかりするので、辟易していたようです。
最初は、私も同様に思われていたのかもしれませんが、接していくうちにだんだんわかってくれて・・・。
ある日、勝手に入所施設を探してきて、「入れる」なんて言うもんですから、寝耳に水状態で・・・。
義姉は、私に言いましたから・・。
「ケアマネの言うことなんてねぇ、聞かなくて良いんだよ。みんなそう言ってる。」と・・・。
みんなと言うのは、怪しいものです。やれやれです。
お正月も、おじいさんは家で過ごすはずが、義姉は、自分がスキーに行くのに、気楽に行きたいがために、訳の分からない、車で1時間以上もかかるショートステイ先を見つけて来て・・・。
私にも、一緒に下見に行ってくれと言い。
義姉の知り合いの男の人の運転する車で、出かけました。
おじいさんには合わないなぁ、と思えるところでしたが、義姉は
「ええ所やねェ・・。」
などと言って、とにかくおじいさんをショートに預けたいという気持ちが見え見えで・・・。
私は、疲労と安定剤のせいで、眠いこと眠いこと・・・。
帰ってきてから、場所は何処だった?とお父さんに聞かれても、
「熟睡してしまって。分からない・・・。」
と返事・・・・。
ただ、熟睡する前に高速に乗ったことと、確か「一宮」という文字を見たような気がしたこと、それ以外、帰りも家の近くの紳士服の青山のお店の前でやっと気がついたような訳で・・・。
何処まで連れて行かれたのやら・・・・。
結局、私自身もお正月は家でと思っていたのと、お父さんがどんなことでも手伝うからと、言ってくれたので、義姉にも、おじいさんのことは大丈夫だからと伝えました。
義姉は怒っていました。
「最初から、スキーに行っても良いって言ってくれれば良かったのにっ!!(ぷんぷん)」
何を考えているんだか・・・・・。
子供でもあるまいし・・・・。
自分で決めればいいことで、私達が、「行っても良いよ。」と、許しを出す問題ではないと思うのだけど・・・。
だから、ブチブチと、キャンセルしようかなぁ?とか、風邪引いたから、滑るのは出来ないけど、ストレスがたまるから、ちょっと介護を忘れて・・・。とかいろいろ言っていたけれど、放っておいたのが、いけなかったようで・・・・。
(結局、行った先では、寝てるけど、滑るかもしれないけど、滑れないかもしれないし・・・。などと、電話してきた。元気そうだったから、滑っていただろうけれど、別にわざわざ電話するような内容じゃないと思った。)
母でなく、姉でなく、娘でしかない義姉だった。
最後に、ケアマネさんが、
「○○さん(義姉の名前)、病院に行くかしらねェ・・。」
と・・。
「連絡が取れないので、仕方ないです。」
そうなんです。
連絡はとれません。
何処に住んでいるかも、知らないことになっています。(実際に、あの辺としか聞いていないのですが・・。)
一人で大騒ぎして、一人で怒り狂って、もう、携帯に電話しても出なくて・・・。
黙って、引越していった。
仕方ないわねぇ・・・・・・。
親戚には伝えてあります。
巡り巡って耳に入ることもあるのでしょうか・・・・。
あの人なら、後悔なんてしないと思いますが・・・。
施設で静かに最後までと言う思いはかないませんでした。
でも、今度の病院も最後まで看てくれるそうです。
今日看護師さんから聞きました。
その病院も、本来ならなかなか入れないと・・・・。
この施設からの患者さんだから、入れるということを・・・。
施設の看護師さんが頼んでくれたのです。
何から何まで、ずっと、ここでお世話になったんだなぁ、
と感謝の気持ちでいっぱいです。
共倒れになりかかって、
ある日、お父さんが、もう、おじいさんではなくて、私の方が夏を超えられないだろうと言いました。
その当時、介護されて当たり前と言うおじいさんが、初めて、私のことを
「可哀想やと思って・・・。」と言ったのです。
1度きりですけどね。
何故か今日は、一つ何かが終わった気がしました。