
語感もよろしくセブンイレブン。
岡村ちゃんがまた逮捕されたらしい・・・・しゃあない。
『無駄』ってなんだろうと突然気になる。字のままだと"駄"が"無い"と言う事になるのだが・・・どうやら当て字らしいと電子辞書に。さらにググると「南無阿弥陀仏」の"無"と"陀”が語源だと、なんとなくそれっぽくも意味不明な嘘とも誠ともつかぬ情報もあるが・・・気になったのはそう言う事じゃない。
どういう事を無駄と感じるか?
車のアイドリング・・・する。電気のつけっぱなし・・・よくやる。風呂のお湯・・・あふれてます。割り箸・・・ばっか使うな。どうやら花男はエコな野郎じゃ無いらしい。恥ずかしながら、どうもそういう事には強烈に「無駄」を感じないらしい。あ・・・食い物は「よほどのこと」が無いと残さない方だとは思う。
じゃあ何に強烈に無駄を感じるか・・・例えばうちの職場で大量に回って来る様々な不要書類(自分にとって)の回覧。一切中身に興味が無いのに、次から次へと回って来やがる。それに判子ついて、未だ見て無い人を確認して、その人の席まで持っていかなければならない。それぞれの回覧物を選別し違う場所へ運ばなければなら無いのだ。ましてや最後だったりすると、よその部署へ持って行ったり、分別して廃却しなくてはならない。そんな書類が大量に・・・・普通に考えれば大した手間では無いのだが、その取らなくてはならぬ行動のあまりの「意義」の無さに軽く殺意を覚える。恐らく100人中96人くらいはなんとも思わない事、でも何故かそこに怒りを伴うほどの無駄を感じる。
同じ理由でポストに入っているダイレクトメールにも殺意を覚えた物だが、今住んでいるところは不要郵便やチラシは管理人ポストにぶっこみゃ良いのであまり腹が立たなくなった。つまり「紙が勿体無い!!資源の無駄だ!!」などと言う理由ではなく、自分にとって無意味な紙切れごときにほんの少しでも労力を強要されるという事実に心の底から腹が立つのだ。やっぱエコでは無い。
昔会社に英語を教えに来ていた・・・確かイギリス人。趣味はマラソンでフルマラソンで3時間を切る位では走るのだと、そんな事を言っていた。そんな彼の授業の中で「好きな食べ物は?」と言う話題になった。その時に彼は「自分にとって食事は単なるエネルギー補給。味わう事・・・・何が美味しいとか不味いとかと言う事は自分にとってはほとんど無意味だ」と言うような事を言っていた。食を楽しむという行為が無駄だと。合理的ではないと言うことか?
昨日の笑ぶきや。後輩の一人が「以前は良く小説を読んだけど、ある時『何も残らない・・・何も得るものが無いな・・・』と思って。意味が無いなと。んで実用書とかの方を読むようになった時期があって・・・」と言う趣旨の事を言っていた気がする(間違ってたらすまん)。有効な事、自分が成長する事に時間を使いたいと言うことか?
どーやら、このブログを見ているらしいセームシュルト似のカリフォルニア在住の弊社駐在員(1個先輩)はどうも「動き」に無駄が多かった・・・という印象がある。本人にして見ればきっとナチュラルな動きで余計なお世話に違いない。
「文化は無駄から生まれる」と誰かが言ってた気がするがうろ覚え。なんか生まれたらそもそも無駄じゃない気がする。「一見無駄と思える事が・・・」っつう事なんだろう。結局何が無駄かなんて人それぞれ。ポリシーゆえの琴線と言うか「無駄センサー」が千差万別と言う事。コモンセンスっつうのは多少あるにしても、結局そう言ったものは何が正しいとか誰が間違ってるとかじゃなく・・・・
「俺様が正しい」
と言うことだ。そう思ってなきゃ世の中やっていけない・・・って何の話だっけ?
なんか徒然とまた無駄に意味の無い事を書いてみた。
明日は中神へ出張。これが最後か・・・行ってもあと1~2回だろう。そう思えば、いとおし・・・くはねえな、別に。ともかくお仕事きっちり&美味いもの食う。
そして会社に戻ると、引継ぎの方向性が見えてくるとか来ないとか・・・
そんな木曜日がやってくる。