た む し ば

引越blogで、リンク切れも多々あるようです。古い記事もありますが記録ということでそのままで^^

絶対音感

2010-08-19 | 
に関する面白い?話が書いてあった。↓
http://www.nexyzbb.ne.jp/~tanbashikki/essay20.html

私には無縁、憧れの絶対音感ですが、こういう見解もあるのですね。
便利なだけで無い方が音楽を楽しめると言った仕事仲間がいます。
彼女はお琴の先生でもあるのですが音楽を聴くと癒しにならず疲れるそうです。

そうかも知れないと想像はできる。
意識しなくても音階に聞こえたらそうだろうな、
スイッチを入れた時だけ音階に聞こえるのなら
やはりあったほうが便利だと思う。

長男は意識した時だけと思うけどどんな物音でも音階に聞こえドレミで言えるそうです。次男は音は分からないけど、心のスイッチを入れた時だけ見たい人の顔を額の中にいつでもリアルな影像で見ることが出来ると学生の時に言っていた。今でもそうなのだろうか?私にはどちらの能力も無い。あるのは山勘だけ、これは結構自信がある?!





同じ仕事をしている鎌倉在住の先輩のブログ日記から、以下コピー

『真面目であること・・・』
家風などという伝統的な特質ではないと思うが
育った家庭には【真面目であること】には大きな価値が在った。

真面目とは
規則を守ることだけではない。
正直、礼儀、誠実、なども含まれると思う。

いつの間にか、【真面目】の価値が大幅にダウンしている。
駆け引きとか
気を持たせるとか
知らん顔を決め込むとか
便宜上の嘘をつくとか
生きる知恵みたいなものが良しとされている?

『真面目なのね~~!』には、侮蔑の響きが在る。

【真面目】は、すごく当たり前だと思っていたが、、実は少数派なのだ。
たぶん、真面目な人は、周囲の人にとってはうざい存在。
子供の世界でも真面目な少年少女が、いじめの対象になって孤立するらしい。

理由は・・・なんとなくわかる。

それでも真面目な人たちが構成する社会の方が、心が安らかで幸福なのに。
今ある社会的問題の多くは【真面目であること】を社会が要求、あえていえば、
強制しなくなった頃から始まった様に思う。

すこし前までは「真面目に生きるのが人として当たり前」だったと思う。
同じ仕事を30年してきて、この根本が様変わりして来たことを肌で感じる昨今です。