た む し ば

引越blogで、リンク切れも多々あるようです。古い記事もありますが記録ということでそのままで^^

ウニャ・ラモス考(或る方の文章を転記させて頂きました)

2021-01-16 | 

シリーズ投稿  ウニャラモス         wright  2020.12
(以下はあまりにも素敵な投稿でしたので勝手にコピーさせて貰いました、お許しあれ)
1「ウニャラモス ああ名手ウニャ」 
あなたはまさに僕のアイドルであり、ケーナ人生の指針だった。
来月20日のウニャラモス特集ライブ第二弾の日まで毎日1つ、ウウニャにちなんだ話を書こうかなと思います。
自分がウニャラモスを知ったのは、1974年7月、もちろん灰色の瞳のヒットがきっかけでした。自分は中学3年。

当初、ウニャはアイマラ族の酋長か何かで、焚き火などを囲んで、ケーナを吹きながら、インカの歴史や習俗を伝えるシャーマンか何かだと思っていました。中学生の考えることなんてそんなものでした。
75年のFMf anと月刊中南米音楽でその尊顔を拝し、憧れは具現化しました。ミュージックテープを買い、エアチェックを夢中になって集めました。ケーナ史上最高の名曲「Eve 」を覚えました。

76年3月、ウニャラモスを聴きに厚生年金会館に行きました。 
ピントスのケーナp の塗装を、僕はサンドペーパーで惜しげもなく落としました。
そこにウニャのサインを入れてもらうためです。
コンサートが終わり、東出さんがウニャに僕を引き合わせてくれました。心臓が止まるかと思った。
僕がそのケーナを出すと、ウニャは「mi afexto 」と添えてサインを入れてくれたのでしたが、
なんと彼は僕の笛でEveを聞かせてくれたのです。

もちろんそのケーナは今も大事な宝物であります。メインとして吹いていたケーナでしたが、以降、なくしてはいけないので、門外不出にしています。それがきっかけともなり、その時から自作のケーナを使うようになりました。ケーナの作り方を教えてくださったのは当然、いや必然、東出五国先生。
もう45年も前のこと。     つづく


2「アルゼンチン式運指」
1974年ころから日本にアルゼンチン製のケーナが輸入されはじめた。当時、ケーナのサンクチュアリはアルゼンチンだった。主にケーナ奏者の第1人物であったアルノルド・ピントス作と民剣iのフフイのケーナ、そして家具職人エンリケ・バニーニ作の者だった。幸いにウニャもペルー出身のパントーハも、そのケーナと同じ押さえ方だったので当時のケーナ普及には大変にラッキーな事だった。

さて、現在日本に於いて、ボリビア式、アルゼンチン式 という用語がある。これはケーナの指穴の構造の違いと運指の違いを区別する普通名刺である。指穴の配置と穴の大きさの違いにより、運指も違いが生じたために区別されたのである

ウニャの吹くケーナは当然アルゼンチン式であるのだが、彼はアルゼンチン生まれであるから当然のこと、彼は生涯それを全うした。これはケーナ継承者たる彼のアイデンティティーによるものに違いない。
ボリビアのケーナは40年くらい前に変革し現在の運指が普及した。続いてペルーとアルゼンチンのケーナもボリビアタイプに追随したのでいにしえの音色は消滅の危機に瀕しているのだ。

かつてアルゼンチンでは一番下の穴を押さえる奏法はなく、それを空気穴、捨て穴と呼んで演奏には使わなかった。実はなお以前のケーナにはその穴もなく、面は5穴だった。祭典音をラとしていたので6つめ。穴が付いたのもラのケーナとよんでいた。今のG管の事だ。

ウニャは左手を二本、右手を三本、空気穴を押さえない。表の穴は、全体の長さの丁度半分の位置に人 差し指の穴を開け、管尻の節までの距離を6等分して等間隔に開ける。裏穴はその穴の間隔と同じ場所に開けるのだが、空気穴と裏穴は6ミリ、その他は全て8ミリで開けるのがウニャ式だと45年前に東出先生から聞いた。なお、ウニャの調律の仕方も教わったのだが長くなるのでまた次に。なお、ウニャの作るケーナは平均律の音程の解釈は無関係であり、その作り方がトラディションなのだということなのだ。

そしてその運指は、ソのナチュラルがボリビア式では全開するのに対して、ウニャのアルゼンチン式では、それに表の一番上の1をふさぎ、5を押さえる。全開がG♯となる。このソ♯の音はケーナの基本振動で、いわば地声であるのに対し、ボリビア式のGシャープは第2倍音になるので、同じソ♯でも校舎は裏声の音色になって聞こえる。この音色の違いは決定的で、特に灰色の瞳やオルーロのクエッカなどはこの運指でなければ、その歌い回しは再現できない。またドは5の穴をふさぐ。これはボリビアの明るいドよりも、クロスフィンガーになる分、音色はくぐもるのだが、それがアルゼンチンの歌い回しであり、それでなければできないいにしえの装飾音が可能になる。

またドから上は常に5の穴には右手の薬指を億のだが、これは昔の5つ穴時代のなごりだと思われる。
ウニャの曲にはDやDm、Bmの曲が目立って多い。これは同じアルゼンチンのアバロス兄弟の運指に共通することで、これも五つ穴ケーナのなごりと考えて間違いないと思う。その運指でなければ、ウニャのあの極めて叙情的な語り口は生まれなかった。なお、ペルーの巨匠、ルイス・ドゥランの運指も全く同じで、Bmが多いのも共通している。


3「ウニャラモスとブルースリー」
ウニャラモスが日本で紹介されたのが74年、73年のアルゼンチン録音のレコード、ケーナの響きの3枚だ。特に加藤登紀子と長谷川清の灰色の瞳のカバーでヒットし、知られるところとなった。
奇しくもブルースリーが日本でブレイクしたのも74年。73年政策の燃えよドラゴンであった。中学三年の僕には、ウニャラモス、ブルースリー、アグネスチャンが同時のアイドルだった。
ブルースリーと言えば、「アチャーッ! 」というかけ声が印象的だが、あれは「怪鶏音」グァイニャオイン、と言って香港でも話題になったらしい。尚、お弁当アタタタタタめますかとはあまり関係はないと考える。

一方、ウニャラモスと言えば「ホホホホイ!」というあの謎のかけ声が特徴で、何だか楽しくて愉快だ。自分も一所懸命に練習したものだが、ケーナ上達には何の役にも立たなかった。
さて、あれはどんな時に発せられるかは永遠の謎だが、あの発声はまた随分とアホのように考察しては考察した。
まず、口は閉じたままで息を鼻から抜く。その時にホとクの中間の音を喉で作り、 裏声で笑うのだ。つまりは口をとじたまま高い声で笑うのだが、この時表情はいかにもニコニコしていなければいけない。思わずもらい笑いをするような陽気でなければならない。皆で練習しましょう。

なお、T氏が持っていたウニャの故郷のウマウァカのグループのカセットの中では頻繁にホホホホーッという裏声のアニマシオンがはいっている。あっ、ウニャがいっぱいいるっ、と僕は喜んだのだが、果たしてそれがウニャのオリジナルのパフォーマンスであったのか、それともウマウァカ周辺のトラディショナルであるのかは未だ定かではない。
  参照 ウニャラモスのコンドルは飛んで行く 
https://www.youtube.com/watch?v=AKBxb-d2VFo&feature=share
後半の早くなるワイノのところにその不気味で楽しいほほほほーが4回出てきます。
つづく、、


4「ウニャの音色」
笛の音を言葉で表す時に「澄んだ音色」という慣用句がある。加藤登紀子さんの付けた灰色の瞳の歌詞の中にも、澄んだ音色で響くこの笛 という一説が出てくるのだが、実はウニャの笛はそれほど澄んではいない。むしろ、にごっていると言っても異論はないだろう。

 澄んだ音色とは楽器の音に雑音が少ない状態を言うのだろうと一般には考えられる。自分がピアノ調律を勉強した時の楽典にあった事なのだが、楽器の音には基本の振動の上に整数倍の振動数の倍音が重なっているもので、さらにその中には雑多な奇数倍音やイレギュラーな雑音が沢山含まれるのが普通である。楽典ではそれを上音と言って、オーケストラで使うような様々な西洋楽器ではそれが徐々に省かれていく歴史があった。古楽やバロックの楽器には今では耳障りとされる音色が多く入っていたのだが、クラシックではだんだん澄んだ音色、つまり純粋な振動に近い波形の出る演奏を好むようになっていった。歌ではにごった音の混じる地声をやめて、やわらかなベルカント商法が主流となった。

ウニャの音色にはにごりが多いと書いたが、そこにはアウトクトナの楽器のようなアニミズムの息吹があって、音叉のような純粋振動の多いフルートのような音よりも、フォルクローレにはケーナのその方がよほど良い。ウニャの笛には砂塵の舞う空気のにおいがある。馬の鳴き声と、そして寒い夜にたくさんの星に抱かれて眠る子供の穏やかな寝息の音がする。

言葉に子音と母音があるように、ウニャの立ち上がりのアタックにはいろいろな発音がある。普通タンギングはtを意識した物であるが、時にウニャのタンギングはchだったりkであったりPだったりもする。沢山の子音を活用すると、ケーナに沢山の発音が生まれる。ウニャはダブルタンギングを多様するが、よく聴くと。 pututukutu と舌を打っていることがある。この初めのpuは唇による破裂音だ。
そしてそのアタックの後のロングトーンが合わさって音色となるわけだが、惰性のようにスタッカートで音を区切ってしまうケーナによくあるビブラートはウニャにはほとんどない。ビブラートは時に感情移入の妨げにもなる。それがよほどウニャらしくて良い。

ウニャの音色はハスキーである。尺八や中東のナイのように叙情的で人間的で、断然スピリッチュアルである。
例えば、森進一やルイアームストロングは必ずしも美声ではないが、無二の歌心の表現があるからこそ誰にも愛されるように、ウニャには彼だけが持つ突出したイレギュラーな音色がある。

そしてその独特の歌い回しを作っているもうひとつは、彼独自の多彩な装飾音なのだが、これは実践的な話しとなり長くなるので、また次のココロにする。。最後にウニャがよく見せるピアニシモの奏法について少々。この奏法はウニャはフランスに言ってから会得した吹き方のようだ。唇をやや開いて息のスピードを落とし、少しかぶるようにカリ吹きに構える。ケーナの尻を少し上げる事により、歌口の刃が唇に近くなり、すなわち歌口が浅くなり弱い息でもストレスなく小さな音がでしやすくなる。2オクターブめは裏穴をサミングして主振動を消す事により、二倍音を小さな音で鳴らすのだが、オクターブ上を小さなピアニシモで吹くこの奏法は、パリに渡ってから発明した音色で、これもウニャの真骨頂の技である。

彼はこれを「ケーナを半分しか鳴らさない」といって半分音と呼んでいた。
名曲「葦笛に歌満ちて」のラスト。最低音のロングトーンが、まるで薄墨の筆を静かに払うかのように音が消えていく。ウニャが静かにケーナを話しても、まだその笛は聴衆の耳にいつまでもたゆたっているのだ。


5「ウニャのケーナの作り方」
今日はことのほかお酒をいただいてしまい脳波がストップしてしまっています。
だのであまり日本語の組み立てができないようである。だので手短にて勘弁ください。

ウニャは夜中にケーナをつくる。真夜中に がばっと起きて、ケーナを作るのだが、家の柱に縦に窒オばりつけ、火で炙った五寸釘で焼いて穴を開ける。失敗した時踏んづけて割るのだそうだ 。踏んで割れるのだから、相当にカーニャは肉が薄いことがわかる。

ちなみに。そのメートル原器はどうなっているのかはしらないのだが。。音が小さい程、うゅん、あづ、意識朦朧、混濁、明日のこころだ!   ごめんなさい。


6「ウニャのケーナの作り方」

お酒と眠気で撃沈した昨晩のつづきです。  
ウニャは前述したように、焼いた釘で窒ノ穴を開ける。窒撃ノしばって固定するというのは面白い。自分も昔は半田ごてや焼いた傘の先で開けていた時期があったが煙が目に染みたりして何本も作るときはかなり閉口するので、横から役なら煙が目に入る事も少なくて手も熱くないし、柱に固定すれば左手を火傷することもない。
理にかなっていたのかも。

穴の配置は、まず左手の人差し指の穴を全長の中央に開け、残りは節までの距離を6当分にして開ける。裏穴もその間隔で開ける。空気穴と裏穴が役6ミリ、その他が8ミリであるのだが、実はこれだとあまり音程の良い状態ではない。ラがあっていると考えると、シが相当低い。ドはクロスヒンガーで合わせる。レはやや高い。ミはかなり低いがファシャープはだいたい合っていて、ソはアルゼンチン式となる。
どうもウニャはあまり調律という作業をしないようだ。

歌口は浅いV字型であまり大きくは見えない。表のみを削り、内側にやすりをかけるのは嫌いだと言っている。あごに当てる窒フ断面は、歌口から舌へ斜めの坂となるように切っている。土の人形のジャケットのD♯管を見るとかなりの傾斜である事がわかる。僕はこの手の笛は苦手なのだが、あごや唇の形など人はそれぞれだから、いいとか悪いという事ではなくて、ウニャはななめが好きという事だ。

彼は1本作るまでにそれほど時間を要していたようには思えない。できた笛が音が狂っていた場合は、踏んづけて割るのだそうだ。ああもったいない。ウニャはピッチが低い場合、空気穴を広げ、高い場合は裏穴をひろげるのだと、東でさんから教わったが、これは少しまゆつばでもある。

踏んづけて割れるほどのカーニャであるから、肉の薄い軽いカーニャを使っていたのは確かだ。
昔ウニャのパントーハとの対談記事を読んだ。ケーナの材料は薄いほど良く、最上の物はアルゼンチンのガラスのカーニャというマテリアルで、表面に点々の模様があるのだそうだ。
いずれにしろ、74年からフランスに移住してからはカーニャの入手には苦労していたようである。ヨーロッパには窒ェないからである。南米の知人よりペルーのカーニャなどを送ってもらっていたようだ。
なお、日本の窒ナは横笛をつくっていた。
つづく

写真はこれがウニャのケーナに一番近いかと思うコレクションのひとつ。28年前、ラパスの路上の笛職人から買ったすばらしいトラディショナルなケーナ・窒フ裁断も穴開けも、歌口もたった一本のナイフで付くっていた。値段は1ボリビアーノ(当時37円)、自分が持っているケーナでは最も安価なものだが、自然な感じの色づけもされていて、これぞ自分が理想とするケーナであり、涙の出るような暖かな音色がでる。

良いケーナとは消して大きな音とか半音が百選とに調律されているとか、特にそんな事は僕には必要がない事。暖かでふくよかな音色が出れば。特談値段とかブランドとかなんて僕は頓着しない。
ケーナは吹き手が音程を作りながら奏でる楽器なので、そもそもケーナに12平均律の「調律」は味気なくなるだけで必要無いのではと考えている。その笛はそんな事を教えてくれる。


7「ウニャと子供達の見る夢」
ウニャラモスはフランスに渡った後、演奏レパートリーのほとんどが自作曲となった。題材のほとんどはロマンチックでメルヘンにあふれたテーマである。灰色の瞳、エヴェ、トキコ、マミータリンダ、というように、自作のサンバは全て女性に捧げるのだと言っていた。

また、ウニャの曲には子供達が喜ぶようなぁもちゃをタイトルにした曲がとても多い。
・欲しい物を沢山背負った人形であるエル エケコ
・ミ ムニェキータ「私の小さなお人形」
・ムニェーカ デ ャ セラーナ「土の人形」これは焼き物の人形の事だ。
・コメータ デ ルス 「光の凧」
・カヒータ デ ムシカ 「小さなオルゴール」
・「月のリボン」「ボリビアの子守唄」
などなど。

ウニャラモスの家族の事はほとんど知らないのだが、彼は子供達が好きだった。
「リズロンのワルツ」も「チキータリンダ」も小さな女の子との小さな話がかわいらしい曲となった物だ。
光の凧は、自信の幼少期のたこ上げの記憶の曲である。ウニャは小さい時、お兄さん(妹かもしれない)と一緒に、夜、星空に凧を上げて遊んだのだそうだ。その凧は火を付けたろうそくが付いていて、「星まで届け」と願ってあげるのだが、やがてろうそくの火が凧を焼いてしまい、星には届かず、いつも燃えながら落ちてくるのだった、という、何とも切ないメルヘンにあふれた少年期の記憶がテーマになっている。

それだけで、もう第一級の文学だ。
ウニャはロマンチストでケーナ詩人である。なお、自分は持っていないのだが、彼は絵本付きのミニLPレコードも出版している。
公約・12月20日の配信ライブで、その光の凧を必ず演奏することをお約束します!
(訂正とお詫び
昨日の投稿でカバジート デ トトーラ を 葦で編んだ馬 と書きましたが、日本語タイトル「アンデスのいかだ舟」を自分が勝手に誤訳だろうと勘違いしていましたが、そのタイトルで良いようです。トトラ の一種だったようです。
仙台の斎藤さんが教えてくれました。よく写真で見るチチカカ湖のボートとは違うようです。物を乗せて運ぶ水上移動手段として作った筏のような船を馬に例えたのではないかと想像します。


8「チキータ リンダの不思議」
chiquita linda は1976年の アルバム Eve に入ったタキラリである。当時これを拭く日本の愛好者が多く、人気曲だった。自分も高校生の時にはよく吹いたし、MAYAが三人だったころのレパートリーでもあった。明るくて軽やかで、無垢な感じが良い。
ところがこの曲、いくらウニャと同じように吹いても、一向に吹けた感が得られない。何かどこかがかなり違うのである。キーはCである。指は簡単なのだがウニャの歌い回しと装飾音が再現出来ない。よく聴けどもなかなか違いが分からない。

待てよ、、と、それに気がついたのはかなり最近になってのこと。初めて聴いてから40年くらい経ってのこと。
何とウニャはCの曲をわざわざF管を使い、Dの指使いで吹いていた!これは ソ の音が倍音か否かという大きな違いが出る。主音はド であるが、アルゼンチン式では穴を4つ押さえることになり音がくぐもるが、F管のドはレの指使いなので穴が多く開く分、音色が明るいのだ。さらにこの曲はグリッサンドや早いスケールの音階が何度も出てくる野だが、Dのスケールならばファのナチュラルがソになるので明瞭な音程で吹ける。何よりDのスケールは軽やかである。
実はウニャはDの指まわしの曲がとても多い。ソイデラプーナやカチャルパリ、ケーナャbプ、長調のダンス、麦の色、インカのサンカなどがそれである。ではでは明日のココロだ!

9「Eve」
Eve エウェ は知るかぎりウニャラモスが発表した二曲目のサンバである。
サンバと言っても、こおろぎのサンバとテントウムシのサンバとは全く関連はない。
ツクマンンの月やアンヘリカなどで知られるアルゼンチンのフォルクローレのスタイルであって、ほとんどが歌である。
ウニャラモスの代表曲はティトベリスとの共作の灰色の瞳がまず挙げられるが、そのスタイルがサンバである。極めて情熱的な歌い口に、今聴いても本当に息を飲む。
そのスタイルで続いて作曲したのが、名曲Eveである。
キーは灰色の瞳と同じGm、叙情的で憂いがあり、分散和音から始まるメロディーは灰色の瞳よりも、遙かに美しい。
ウニャの官能的な音色が特にすばらしい曲である。
特に2オクターブ目の切ないピアニシモの物憂げな音色の表現は、ケーナを文撃フ高みへ誘ったと言っても過言でないと思う。この曲はフランスに写った後の作品で、74年の初来日の際にも演奏された。
自分がこれを練習したのは76年の高校2年の時で、それ以来もう44年も吹いているのだが、未だ憧れはあせない。
実のところ、この曲に関するバックグラウンドを自分は多く知らない。女性に捧げた曲とだけ聴いている。自分はウニャの私生活には関心がなかった事もあって、未だにこの曲の背景に関しては謎が多いのだ、と白状をする。言ってみればこの曲は、僕にとって永遠の モナリザ なのである。

音声動画をリンクしたので、ご存じでない方はぜひ聴いてください。
ニャラモスを聞いてみたいと言う人がいらっしゃれば、ぜひこの1曲だけを聴いてください。
明日のココロへ、つづく


10「ウニャラモスとアントニオ・パントーハ」

ウニャラモスとパントーハは70年代中頃、日本にケーナブームをもたらした。
と言っても、それはもっぱら、雑誌中南米音楽とビクターの仕鰍ッと宣伝によるものでもあったのだが、それでも高校生の僕には、両者とも神様だと本当に信奉していたし、本当に僕にとってはキャンディーズと同様のアイドルでもあった。ちなみに僕はスーちゃんが好きだった。

76年、パントーハは日本で中南米音楽誌の企画による「ケーナ教室」というレコードも出していた。インタビュー形式の解説も入り、二羽の小鳩や、コージャ族の王女などの模範演奏とカラオケもついていた。そのインタビューと通訳をしたのはケーナ講座の教則本を書いた故・高場将美さんであったのだが、実は僕は高場さんのお宅のピアノの調律に二度伺った事がある。その時高場さんに「高場さんはケーナは上手なんですか?」と大変ぶしつけな事をお聴きしたら、「吹ける訳ないでしょ」との答えで、しかも彼の家にはケーナが一本もありませんでした。(笑)

一方、同時期にウニャラモスの方は76年の日本ライブの録音がLPレコードとなった。これまた名盤である。その次ぎに発売されたウニャの「土の人形」はとてもおとなしい曲集であったのだが。同時にグルーャAイマラなど、ボリビアのフォルクローレの力強いアニミズムにあふれた音源が入ってきた。何か日本のケーナの黎明期が修了した感があった。、そして日本の愛好者達もボリビアのフォルクローレのブームへと転換する過渡期が来たかのように思ったと記憶する。。

実はこの二人、自分が高校の時、日本でジョイントコンサートをしたことがある。自分はその情報を聞き逃していて、そのレジェンドの共演を見られなかった。つくづく悔やんでいる。
写真を見ると、夢を見ているようなツーショット。花祭りを共演したとか、その時の録音を誰かに聴かせていただいたような気がするのだが、記憶は霧の彼方である。

どなたかその時の録音をお持ちの方がいらっしゃるならば、是非コピーしてはもらえないでしょうか?お礼は、5千円までなら、僕はいくらでも出します。
この二人の他に、ロス アンダリエゴスのラウルメルカードという人が加わりケーナの三大巨匠というキャッチがあったが、三人ともビクターで、ブエノスアイレスのミュージシャンだったため、まだまだケーナのサンクチュアリであるクスコやラパスの伝統的な音色を聴く機会は、まだもう少し遠回りをしていたような時代であった。

写真を見ると、二人とも左手は二本、薬指と小指を仲良くケーナの舌にしまっていて何だかほほえましい。改めて見ると、パントーハはいつものG管だが、ウニャはやはりF管でAmの花祭りを吹いているように見える。
明日へ つづく
(写真をもう1枚。僕の宝物一つ、アントニオ パントーハのケナーチョ。C管です。お世話になっていた中南米音楽の編集部にて戴きました。43年前のものです。歌口の内側は全く削ってありません。)


11「ウニャの装飾音」
アイリッシュのフルートやホイッスルにも共通するのだが、また中東のネイ、中国の笛子、日本の尺八や能管、篠笛にも共通すると確信する事。、ケーナの歌い口の表現には、「装飾音」という物が至ってロマンの重要な表現方法であり、またそれがケーナの魅力の大半であるのかもしれないと思っている。

Siriに「装飾音とは?」と聴いてみた。「音楽の音をゆらしたり、付け加えたりして飾る事」と答えた。特段にこれが正解である分けもないのだが、考えてみれば、発信音が何かの表現を持って音楽に変わる時、言ってみればそれは全て装飾音であるのかもしれない。

時にボーカロイドが発信音ならば、人の肉声は全て装飾音に満ちている。
さて、ケーナの表現において、装飾音は大変に重要なカテゴリーだ。それでも、アカデミックに裏打ちされた考察や定義などは一切ない。そこは邦楽の尺八と違って窮屈でなくてまるでいい。

何も地域で区別する事もないのだが、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、それぞれの吹き方にはそれぞれの特色があるもので、また吹き手の個性やはやりの歌い回しがあるのであって、それは全て装飾音なのだと自分は思っている。

ウニャラモスのケーナは他に類を見ないほど装飾音に満たされている。
さて、自分なりにウニャの装飾音を考察分類してみる。
・強弱
・ビブラート
・音色の変化
・アタックの面白さ
・トリル
・他、イレギュラーな全ての表現など、
自分の少ない脳みそではこれくらいの事を想像するが、もちろんこれ以外にも様々な奏法の妙があると思う。そう考えた場合、今のケーナにおける音程や音量を重視するケーナの吹き方、例えば某楽器会社直営のケーナ教室が教えるスタンダードの良しとする音と比較すると、ウニャのケーナは全てが装飾音なんだよなあ、と僕は思う。けしてその教室の教える物を批判するのではない。フォルクローレのケーナは決して画一的で普遍的なものではなかったんだよ、ということなのである。

さて、その実践について少し書く。
まず、ウニャの運指は表の穴は左手が人差し指中指の二本、右手が人差し指、中指薬指の三本である。
余談を許してもらいたいのですが、人差し指という名前はよくない。このような名詞は滅んでも、僕は全く惜しいとは思わない。薬指とは文字通り薬を塗るときに使った指なので、なんともゆかしい名前なのだが、僕が育った埼玉では「紅指」とよんでいた。紅をつける指でもあったわけで、これは美しい響きだ。今は使われなくあるので、これはもったいない言葉である。

ウニャの運指にもどるが、一番下の穴はまず押さえない。
この中で一番よく動く指は両の人差し指である。ウニャもパントーハもルイスドゥランもテブノーもロランドも、この指が欲動くので、装飾音で活躍するのはまずこの指である。

装飾温は飾りであって音程ではない。だからた問えばトリル、例えばコブシのようなコロリと聴かせる音が音程で聞こえてしまってはもうメロディーになってしまうので、それではだめだと自分はこだわっていた。ウニャのトリルやコブシは、僕が頭の中で形容するに、水面に浮き上がった泡が、、ャRリ、あるいはプクプクとはじけて割れる音なのである。僕はこれを密かに破裂音と呼んでいる。

また、ロングトーンでは、彼はノンビブラートを多様するのだが、むげにビブラートを鳴らして感情移入がおろそかになるよりも、それを知っていて、ずっと続けた無垢なウニャの心が愛おしく感じる。 
本当は実践的な事は野暮になるのだが、彼はグリッサンドやスラー、タンギングの変化、裏穴のサミング、ケーナのくわえ方の角度の変化、などまだ様々な奏法を駆使して物語を奏でていた。それが沢山の景色を再現する。

今思ったのだが、あのイヨーッ、ホホホーというアニマシオンも、彼の心の塗り絵を彩る絵の具だったのだと確信した。
(添付は、そのあぶくが水面ではじける装飾音が多分に聞けるドンパブロ。チリのピノチェトとアメリカのCIAの軍事クーデターの下で粛清されてしまった、社会主義者で詩人のパブロネルーダの死に対する悲しみと静かな怒りを、ケーナの音色として、具現化しようと模索したウニャの意欲作です。)


12 「エアチェックの時代」
エアチェックをご存じでない若い方もいらっしゃると思いますので、最初に少しご説明いたします。
エアチェックとは、単にFMラジオの放送をカセットテープに記録する作業の事です。、71年ころから普及して進化の過渡期を迎えたラジカセを使ったり、ステレオのチューナーとカセットデッキを用いて録音をしました。前者は貧乏人のエアチェック、後者はオーディオマニアと言われた人達のAirチェックであり、チュウボウ(中坊)の自分は当然に前者だったのです。

FM波がステレオになって、ラジオで音楽を聴く環境が確率し、東京では民放のFM局もできて、73年には高音質の音楽番組が一気に増えたと記憶する。 まだ留守録などはなかったので、聴きたい番組を録音するために急いで家に戻ったり、アンテナの向きをあっち向けこっち向けしてそれはムキになってラジオにかじりついたものである。今では何だというような現象だったのだが、レコードを変えない学生にはそれは毎日のイベントみたいなものだった。

自分は中2の時に映画音楽やアグネスチャンを聴いて、中3でバロック音楽と民族音楽を聴き、リコーダーとケーナを吹きたくなった。74年夏くらいから時々ウニャラモスやパントーハがかかるようになる。11月、番組表をチェックするために、FM-fan と言う雑誌を初めて買った。74年12月号である。
表紙をめくると、なんと1ページ目にウニャが長いケーナを持って写っていたのです。。
つづく


13「アンデス音楽とアルゼンチンのフォルクローレ」

自分が中三から高一にかけて、日本の片隅でささやかなケーナブームが起きた事は前述の通りです。
ここから常態文にもどしてイタダク事を容赦願います。
ケーナを知ったばかりの子供だった僕には、当然に様々な音楽業界のコマーシャリズムに惑わされていて、必要でなかった勘違いの中を方向も分からず泳いでいたようなものだった。自分が好きだったのは、まずケーナの音色と、アンデスのメロディーの居心地の良い安らかさだった。しかし、75年頃当時は、まだあまりに情報が少なくて、フォルクローレという言葉に近寄りたいがために、分けも分からぬままに、雑誌中南米音楽の推薦するそれをまるで無条件に信じて聴きあさっていた。

ヒナマリアイダルゴというソプラノオペラ歌手がアルゼンチンのフォルクローレを歌って、それもその気になって鼻の穴を膨らまして聴いたものだ。当時、ラジオのラテンフォルクローレの番組のパーソナリティーをやっテいた故タンゴ評論家の谷川エツジさんの名調子を聴いて、僕は常々、それは心を躍らせていたのだが、ある日、雑誌に掲載されていたその氏の書いた記事を読んで、僕は、あれ?と思った。

そこには、「フォルクローレブームであるが、そもそもフォルクローレとは歌なのだ。今の猫もしゃくしもがピーヒャラ笛を吹いている現象は気持ちが悪い」と書いてあった。
氏はウニャの初来日の時、とても好意的に司会を務めた方だったので、何も知らぬ僕は無条件に彼の事も尊敬していたのだったが、何か大人の小賢しい汚れた本心を見てしまった思いに、ある種の失望をして悲しかった。

その時、自分はフォルクローレは南米の弱者の心を伝える物なのだから、アルゼンチンの移民のスペイン語の歌こそが正当だ、と断言した氏の言葉に、フォルクローレを語る人にあるまじき民族主義、ナショナリズムを見て、大変に憤った。

それならば自分はもっともっとマイノリティーの音楽を聴いてやろう、と思った瞬間を覚えている。
自分が、少し物を考えるようになって後、気づいたら、、ウニャはずっと、ずうっとずっと向こうから、イデオロギーなんてばからしく思うほどのまだまだずうっと向こうから、まるでまたたく星のもっともっと高潔な世界の向こうから、、ホホホホー、、ホホホホー、と笑っていたのだった。

14 「ヘタウマとはなんぞ?」

ウニャの音程は時々、いやなかなかの場合に於いて不安定に聞こえる時が多い。これは自分たちがなんとなく小さいときから学習してきたドレミの音程の記憶と無意識に比較して、「あれ、ずれてるなあ」と思う事から生じる違和感なのだが、ずれてるとは何だろうか?

人の五感は是即主観である。頭が捉えるのだから当然である。
おいしいとか、いいにおいとか、いい手触りとか、良い色とか、好きな音、皆主観なとずれていると感じる感覚は、則ち主観なのだ。それは心が感じるのだから皆々主観の思うところの評価だ。
うなぎが美食と言っても、肴が嫌いな人には恐ろしい食べ物だし、パンダがかわいいといくらいったところで、動物は皆こわいという人もいる。食べ物もそうだし、写真と比べてデッサンの狂った絵だって見る人は感動する。
よくウニャラモスとかグルーャAイマラは音程が悪いとか、カブールは音が乱暴とかルーチョは遅くなるとか、そのような事を時々聴いてきた。でもそれって、何と比べているのかしら?
ヘタウマという言葉がある。歌謡曲を考えるとそのような人はいくらもいるよねえ。
エノケン、高田渡、渡哲也、スマップ、ごめん、最近の人はしらない。

タルカやモセーニョが好きな人もかなりいるのだが、その人に音痴だとか音色が野蛮云々などと話をしたってそれはあまりに無意味な事だ。なぜならタルカやモセーニョの文化を、ファンはリスペクトしているからで 、むしろ五線譜に書いた音程と比べられては、イマラの人たちのコケンに関わるのでそれは心外であろう。

ウニャにとってケーナとは、表穴を6等分の距離に正しく開けた笛であり、チューナーの平均律に合わせた物はケーナではないのかもしれない。それで良いではないか。
初めてウニャを聴いた人が覚える印象といえば、いろんな音が狂っているとか、音色に雑音があるとか、リズムがずれるとか、吹き損なっているところがあるとか、例えば近代のフォルクローレに比べるといろいろな あれれ?があるかもしれない。それはそれで全く良いのだが、ウニャをこよなく愛している僕には、そこが良いのです。
これ以上の説明は今日はできません。
最後に「ウニャとキャラメルコーン」という歌を大分前に作ったのですが、それを歌います。
♪キャーラメールコ~~~ン、
(ウニャ)ホッホホッホーッ
キャーラメールコ~~~ン、
(ウニャ)ホッホホッホーーーッ、
東ハト~、キャーラメールコ~~~ンッ!
(ウニャ)ホッホホッホーーーッ!😸


15「ウニャの笛の形」
僕はウニャの作ったケーナを手に取って見たことがない。ケーナを始めた46年くらい前はケーナのハードウェアである笛そのものにとても執着心を覚えて、あんなだろうか、こんなだろうかと思いをはせていた。

おそらく、今の時代にケーナを始めた方にもよくあることなのかな、と思う。全然それは当然だ。ゴルフをする人が、タイガーウッズの使う道具にあこがれるのと同じだからだ。クラッシックギターの愛好者には特にそうなのかな、と思うのだが、決して僕はそれを批判する心はない。愛好者にはその使う楽器も音楽を愛する人にとってアイドルであるのだ。

日本では、タカタカさんがウニャのケーナをもっている。ああ、うらやましいなあ、一度でいいから手に取って吹かせてもらいたいなあ、と泣くほどに思う。いろいろな話しを聴いてまた考えて、ウニャのケーナの形を考察してみる。
まず指穴は小さくアルゼンチンの!運指である。窒フ肉はかなりに薄い。吹き口の幅は狭く浅くややV字に近い。音量はさほどなく、、倍音が多い。しかしそのように笛を作ったところで、皆がウニャに近づけるようなことではないことは誰もが知っているだろう。

自分もずっと吹いてきて、だんだんに分かってきた。
自分は太宰治や夏目漱石のファンであるのだが、彼らが使っていたペンを握ったところで、何か新たに感動を得るものでないだろう。それよりも彼らの表現した心の模様やひだを新しくもっともっと知りたい。できるならば、未発表の物を夜を徹して読んでみたい。

これはハードではなくてソフトだ。ソフトを持っていないのに、ビデオデッキを買って満足する人がいたら、それは、本当は違うんだぜえ、とやっぱり僕はおもう。星を知らないのに望遠鏡を買ってうっとりするようなものだ。
ところでそのハードの話。
山口の風工房の田中茂さんに、ウニャ型のアルゼンチン仕様のF管を作っていただけまいかとお願いしたところ、恐縮にも早々に6本も作っていただきました。今日それが届きましたよ!田中さんにはいつもいつも感謝してもしきれません。こんな集中力の高い仕事は、自分には決してまねができません。
さっそくにドンパブロやチキータリンダ、エバ、リャマの道などウニャのF管の曲を1日しゃかりきに吹きました。もう何年も忘れていたケーナのハードのすごさ、田中さんの技のすばらしさを感じて、それは大感動の1日でした。
明日へつづく


16「散文」
20日のウニャラモス第二弾配信ライブまで、毎日ウニャにちなんだ物を書くと公約しましたが、さすがに毎日ではそのお題目に困ってきた。踏ん張りところである。
さあ何を書くか書こまいか。
ことさらに考えて、それなりに何も出ない。夕飯をしこたま腹につめてしまって脳の血流が悪いぞ悪いぞ。とほほほお(うにゃ風)

ウニャの吹いている曲名を連ねて遊んでみる。山の男が リャマの道を、リャマの群れと共に降りてきた
ャgシの男か?
はい、私は高原育ちです
黒い山の所だね
うん、煙にかすんだャgシの水彩画、
それは?
ャgシーのチャランゴです
あなた、ウニャアナタ!
はい カルナバルの誕生日、アンデスのクリスマス、EVE、
アンデスの夕べの祈り
アイマラ族の祭り 光の凧をこさえて、祭りへ行く道、
孤高のビダーラ  私ひとり、孤高のビダーラ
ああ、悲しい忘却、忘却の種、ああマミータリンダ
風、風の呼び声、風に鳴るアナタ、どうやって吹くの?
コージャ! !       、、、あ ゾクゾク
こだま、箸のこだま、木の箸、いや木の橋だよ。えっ、ャ塔g?いや白いャ塔`ョ
アンデスの筏舟、フフイの小川、釣れますか? いいえ、私はつれない女、灰色の瞳。
誰?
私は 海の女王 持っているのは音楽の玉手箱、オルゴール
蝶々がダンスして、秋の色、どんな色、麦を刈る人、麦の色。
たいらばやしかひらりんか、一八十のもうくもく、ひとつと八つでトッキッキ、さあどうぞ!
ええ!?どうしよう、、
オレンジ林かシュロ林か、カラウァジョーのオーモイデ、いやカルイワヨー、トキコとトトラデトッキッキ、
ホホホーイ!!

17「アンターラ」
アンタラ、アンターラはペルーノカハマルカで使われるペンタトニック(五音階) の一列のサンメ[ニャである。
イ短調であれば下からラドレミソの五つの音、ホ短調であればミソシレミの五つの音でできている。

日本の学校の音楽の教科書は明治に滝廉太郎などが持ち込んだドイツ音楽を勝手に基礎として、いまだそれを教えているのだが、そのペンタトニックを 陽旋法 と読んで教えている。
ドを1度と数えて4番目のファと、7番目のシの音がない ドレミソラ でできているので、俗に ヨナヌキ と呼ばれるあれだ。

ちなみに邦楽では楽調子と呼ぶ。ラから数えて4番目のレと7番目のソのない。もの悲しいヨナヌキを平調子と言う。また上がるときは、ラシレミファラシとなるが、時に下がる時にミドシラファミドシラ、と羽化する事が多く、これはクラシックの旋律短音階の先方の変化、上がる時ファとソが♯になるが下がるときはそれがナチュラルに戻るのと似ていて、これは西洋人と日本人の聴覚心理は似ているぞ、と再認識する。

さらに言えば、十二鍵盤ではド♯とレ♭は同じ振動数であるが、純正律で歌われるコーラスでは、上がる時の♯は高く、下がる時の♭は平均律よりも低くなる。それが聴覚心理の喜びであって、数学の倍数の単純さは、音楽の快感に比例すると言うピタゴラス音階はやっぱり正しかったと言う事の実証である。

すみません、やっとウニャラモスの話。
ウニャはケーナの他にペンタトニックのアンタラを多用している。  
彼がフランスに渡った73年ころ、彼をスカウトした ホルヘ ミルチベルグのロス インカスはアンタラをよく使っていた。ウニャはそれに触発されたと思われるのだが、それ以降、彼は好んでBmシレミファ#ラのアンタラを多く吹き始めている。

代表曲と思われるのは、エルミタージョ、黒い山、木の橋、光の凧ではないかと思う。その他様々な曲に使っているが、ウニャはBmのエルコンドル パサにも効果的にそれを入れている。

45年前、ウニャからもらったという黒い山を吹いたBmのアンタラを、東出さんに見せていただいたことがある。細くて軽いカーニャであった。今思えばカハマルカやエクアドルのものよりも肉が薄く、倍音が多い細い音だった。

一列ということだけなのに、サンメ[ニャよりもなぜだかツヤのある音色がするのが不思議だ。
写真は、僕がウニャの光の凧や黒い山、蝶々のダンスを吹くために、ソンゴ材で作ったBmのアンターラです。
明日へ つづく

おまけ😸😸
サッャ?番みそラーメンのシーエムソング、「札幌いちばああん、ミソラーアメーーン
というメロディーの最後の音階は、「ミソラーソラー」でできている。僕はこれを中学の時に自力で発見したのだが、ものすごい嬉しかった!


18「灰色の瞳」
ウニャラモスとティトベリスが共作した 灰色の瞳 は加藤登紀子さんと長谷川きよしさんが74年に歌って日本でヒットした。
(枯れ野に咲いた小さな花のように なんて淋しいこの夕暮れ とどかない想いを抱いて)
で始まるこの歌の歌詞の浪漫の世界はすごい。「灰色の瞳 」というタイトルも、底知れない背景が隠されているようでエキゾチックだ。

現代は 「Aquellos ojos grises 」
これはとても思わせぶりなタイトルで、何をさすのか自分はわからない。
曲の造りはアルゼンチンのサンバである。イントロ~テーマを2回繰り返しからサビ+テーマの後半繰り返し これをまるまる2回繰り返す。キーはGminor、使っている笛はF管である。

移動度で説明する。ケーナを吹かれる人で原曲を聴いた事がない方も最近は多いようで、それは出だしからすぐの ソ の音が最低音なのか、上の ソ であるかでわかる。
ラシドレミードファー と始まり、 ファミレドシー(ソ)ラシドレミー と続くが、西洋音楽になれている多くの人は、そこの ソ を最低音でならして吹くことが多いようで、実際そう書いてある楽譜もあるようだ。
しかし本来は ソ の音は上のソである。これはアルゼンチン式の運指ではしばしばこうなることが多いのだが、ファミレドシー(ソ)と6度高く上がり、次は そのソから下のラに落ちてシドレミー と進む。

このソからラに落ちる音程を減7度といいって、この動きはクラシックではしばしば禁則とされて、西洋音楽では不快な動きとされる事が多いようである。実際に「 上のソに上がるのは変だ」と言った人もいた。
しかしウニャのオリジナルがそうなっているので、それが本当に正しいのである。
もう一つの特徴は、この曲に何度も出てくるソ♯の音色が、    
とても野性的で良いと言うことだ。まさに聞かせどころである。

ボリビアの運指では2つ目のソ♯は2オクターブめの倍音となるので、いってみればこれは裏声であるが、アルゼンチンの運指では1オクターブ目の最後の音であって、これはケーナの地声である。前者のソ♯は涼しげな音がするが、後者はいわば熱い音がする。それがこの灰色の瞳の魅力の世界を作っているのだと思う。

原曲のリンクを付けたのでどうぞ聴いて下さい。
尚、加藤登紀子さんも長谷川きよしさんも、ウニャの吹いたメロディーの通りにうたっています。だからエキゾチックな魅力がそこなわれていないのだ。スラーやグリッサンド、トリルやダブルタンギングなど、多彩な装飾音が出てくるが、何よりも、情感にあふれる強烈な表現が最大の魅力だ。かつてのひなびたクスコのケーナも自分は大好きなのだが、それとは全く表現する世界が違うと言っても良い。


19「ウルバンバ」
ウルバンバ URUBAMBA はフランスで70年代に大活躍をしたロス インカスの別名グループである。
サイモンとガーファンクルは、そのロスインカスの演奏し  たコンドルは飛んでいくのテイクを使って、歌をその上にかぶせて録音したのだが、世界的な大ヒットは、・あの清涼なサウンド・をそのまま使いたいと決断した、メ[ルサイモンの英断がもたらした物に違いないと思っている・・・・・。
余談だが、それ以前に発売された日本盤のロスインカスのレコードには、「ワシは過ぎ行く」となっていた。そのLPを持っているので、オークションに出してみようかしら。・・・・・・・・・・

ウニャラモスはそのロスインカスにもウルバンバにも参加していた。日本ではフィリップスからロスインカスが発売され、CBSソニーからウルバンバが出た。そのウルバンバにウニャラモスがミルチベルグやエミリオアルテアーガらと共に入っている。日本語開設には何故かウニャは入っていないようだ云々と書かれているが、間違いなく100%ウニャが全面でケーナを吹いているし、ホホホホーも入っている。ジャケット写真にもウニャがプシピアを持ってクールに移っている。
添付はそのアルバムの最後の曲「Un~a 」日本語タイトルは「名手ウニャ」である。


20「チョケーラ」
ウニャにちなんだ投稿もついに20回となった。毎日書くのはあれやこれやのネタ探しの日々である。公約道理に20日までがんばろうと想う。

さて、ウニャラモスの演奏を聴いてコピーするとき、なかなかに難しい事が多い のだが、それがまずキーの問題だ。ウニャは様々なキーで演奏しているのだが、たとえばAmとかキーが分かったところで、なかなか どうもしっくりしないことが多く、それを解明するのが まず難関なのである。・・・それはウニャはいろんな長さのケーナを持ち替えている為、普段よく使うG管やD管ではなかなか合わない。むしろG管 とD管を使うことの方が少ない位なのである。

彼が一番よく使っているのはF管とE管である。
F管はGmの灰色の瞳やエヴェ、やAmの花祭りやCのチキータリンダなどに使い、Cmのエルエコ、名手ウニャなどに使用し、またアカペラのソロに使っている。
半音下がり のE管は、アンタラを用いる曲にこれを持ち替えて吹くことが多い。
木の橋、コンドルは飛んでいくなどだ。この時はG感で考えた場合のDmの指周りになる。 

自分は長い事、D管でEmまわりでBmのウニャコンドルを吹いていたが、実はよく2オクターブめの変わるところ と指回しを聴いたら、実はE管を使っていたことに大分後になって気がついた。またファの指をクロスフィンガーで吹くことも多いので、それをよく聞くと運指の解明 の手がかりになる。

D♯管は土の人形や風に鳴く鳥などのFmの曲に使っている。D管はエルビエントやアンデスのクリスマスなどにつかっている。そして普通のG管は、大体Bmの曲にこれを多く使っている。インカの参加、ソイデラプーナ、光の凧、ダンサでマリメ[サ、ケーナャbプ、アンデスのいかだ舟、リズロンなど、

そしてクエッカやバイレシートは大体はG管で吹いている。悲しい忘却、コージャ俗のクエッカ、忘却の種子、そしてハイメトーレスに参加した風とケーナのロマンスなどがG管である。

やたら書いたが、ウニャの使うケーナは得てして長めの細身で歌口の小さいものだ。
そして穴は小さく等間隔に空いているので、音程のあちこちがずれている。
ボリビアのアイマラのアウトクトナの楽器に チョケーラ という細身で穴が小さく 等間隔、歌口は表のみを四角く削った笛がある。ケナーチョより華奢でやや短い。倍音が多く野趣にあふれた音がする。肉は薄く管は軽い。ラを抑えると 、概ねファの音が出る。D#管と考えていい。
アウトクトナのマニアの方は持っておられる方もあると想うが、実はこれがウニャラモスの笛にそっくりな音がでて、ごきげんであるのだ。


21「↑のつづき」
ウニャは色々なキーのケーナを使うという続きです。
ウニャは演奏舞台の後ろにテーブルを置いて沢山のケーナを並べていた。
自分も同じなのだが、時折間違えて吹いてしまう事故が起こる。

考察するに、ウニャは、A管から半音違いの笛をD管まで並べていたようだ。
75年の加藤登紀子さんとのコラボの時、ウニャはネグリータの笛を取り間違えて、演奏事故が起きた事がある。

これは身につまされる事なので自分としてはよく分かる。
さて、自分の半音違いのケーナを、適当に並べてみた。どれも無作為に選んだ者で、田中さん作、Qさん作、東出さん作以外は、自分作を含めてノーブランドのモノばかりです。


クイズ
ここにササクボシンさんにいただいた、アヤクーチョのカーニバルに使うE管がある。さて、それは左から数えて何番めでしょう?ヒント・一番左は自分が作ったB♭管である
正解の方にはネコマークを10個さしあげます!


22「木の橋」
今回もアンタラの話。
ウニャラモスは二列のサンメ[ニャを吹かない。ユヤンキチュというバイレシートでスカスカ吹いているみたいなのだが、ウニャが吹いていたのかは定かでない。
ウニャはBmのペンタトニックのアンタラを好んで沢山の曲で使っている。前にも説明したように、アンタラはペルーのカハマルカでよく使われる一列の5音階のパンフルートで艶やかな音色がする。 

アンタラはラドレミソの5音の配列であるので、シとファの管がないのだが、ウニャはシやファ♯をそれで出す。サンメ[ニャでもマルタの高音域でこれができるのだ、唇を吹き口にメルようにかぶせて弱い息で、ゆらゆらと半音下げた音を作って出す。・・・・この音が妖艶な音色で良いのだ。

またアンタラだけではなくて、ケーナでも、音をャ泣^メントで下げる装飾音を多様している。
「木の橋 」le pont de aois ではその半音下げの奏法がとても効果的に用いられている。
また、この「木の橋」のレコードの頃から、ウニャはアンタラをゆらしてビブラートをかけるようになったように思うのだが、これをやっているフォルクローレの奏者はほとんどないので、おそらくパンフルートの奏法を参考にしたのではないかなと思っている。


23 とりあえず明日のココロ
「綺麗な音とイレギュラーな音」
綺麗な物って何だろう。整っている物って何だろう。
皆さんはどう考えますでしょう?
ウニャラモスの音色、音程、奏法、さらに言えば、その表現は実に整っていなくてスリリングで、わくわくに満ちている。

一言で言えば、アニミズムにあふれているのだ。
たぶん、オールマイティー、ノーマル、マジョリティーの表現の対局にあるのかもしれないと自分は思っていて、だからこそ偏屈な自分はそこに魅力を覚えるのである。

整っている物とは、大抵気にとまらない物だ。例えば電車のダイア、例えば行政のシステム、シンメトリーなデザイン、ファミレスの味、インターネット、物流、教科書、約束ごと、医療、そして人間関係、それらは潤滑で円満であるほど、さして気にとまらず、それが当たり前と思うからこそ、心に引っかかりがなく何気なく過ぎて行くもので、それが当たり前と思うからこそ、逆にその記憶も満足も思い返す事はない。

むしろ災いでイレギュラーで、いびつで、またサプライズな興奮がある物事は、思い返しては記憶にとどまり、後になって感動を深くしたり、つくづく考察する機会となって、自分の心象風景の財産となるのではなかろうか。
件pとは実験であって、既存の物の外にあるのだ。
そもそもフォルクローレは異文化の件pである。それをリスペクトできる人は、常々事を真摯に捕らえる性質の人で、少数派に目の向く人達なのだろうなあ、と思う。

もし、機械的な正確で狂いのない、万人がいつでも良しとする音楽があるとしたらどうだろう。それはたぶん さして感動も薄く、記憶にも消えてしまうようなものかもしれない。

アンデスのケーナは、それほど実は歴史の辻褄を合わせるような普遍的な本流なんてないと思う。
オーソドックスな今の吹き方があるとしたら、ウニャの吹き方は、まさしく自己流でおおざっぱなのだが、本当に他に類を見ない表現と、強烈な個性がある。

そして彼は何かのまねでない、新しい分野を霧開いてきた。名もない継承者の無垢なケーナのそれと比べたら、ある種コマーシャリズムであったが。他の追随を許した事は、やはりなかったろうと思う。

彼は天地へ帰っで永遠となった。自分はウニャの失敗をほとんど知らない。それは最後までウニャはウニャだったからだ。もしウニャがランバダを吹いたらどうだったか。ウニャが誰かの真似をしたらどうだったか。ウニャが平均律のケーナに持ち替えて、西洋音楽にコンプレックスをもって媚てしまったらどうだったか。 その時はおそらく自分はウニャへの憧れをやめてしまったことだろう。
一ファンとして、そんな風に思うのである。

御礼  シリーズ、読んでいただきましてまことにありがとうございました!

Pehuenche
二十歳の時、胸を焦がしてSavia Nueva を聞いていた。
この曲はケーナ教室でも教えていた。
久しぶりに聞いてみて、いろいろなことが蘇り、心が熱くなった。
https://www.youtube.com/watch?v=1xejxqEIxNQ&feature

以上、ありがとうございます!


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