浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

極楽と地獄の在り処
たずぬれば我が内にこそ
共にあるなれ

「心行の解説」より。

2014-03-24 03:50:36 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ お写真はモーゼがエジプトで奴隷となっていた40万人の同胞ユダヤの民を引き連れて
   神から与えられたと言われているカナンの地(今のイスラエル)へ40年かけて旅された
   その足跡をたどり我々も旅をしました。
   その途中でバスを降りられて周囲の景色を御覧になられている我らの恩師「長尾弘」先生です。


          ~ 恩師の「心行の解説」より ~


先の続き・・・

「正見」は三つに分けることができます。
一つは「妾」を離れ、間違った見方をしないことです。明晰でない、如実でない、
真実に即さないそういう明確に話さない言葉は間違いです。
ある宗教の教祖が、常に「長尾は高橋信次先生から破門された人間である」と書いています。
真実に即さない言葉で書いていますが、これは正しく語っていません。
正しく見ていないからです。
私がほんとうに破門されたのかどうかを調べれば直ちに分かることを調べもしないで
事実に反することを本に書いたりしますと、正に八正道の正見、正思、正語、正行に反し、
邪見、邪思、邪語、邪行であり、ここまでくれば正命、正精進、正念、正定も間違ってきます。
こうなれば八正道の名を騙って多くの人々をだます結果となります。
正法を学ぶ者は「八正道」を実践してこそ苦しみから救われるとお釈迦様は説いておられます。
事実無根のことを確認もしないで言ったり書いたりしたら、お釈迦様の教えから失格ということです。
真実に即していない言葉は使ってはいけません。

真実に即さない明確でない言葉を使うこと一般的な言い方をすれば「嘘つき」であり、
悪いことです。
第二は「転倒」を離れることです。
人間は「常転倒」していますが、この世にあるもので常にあるものは何ものもなく、
すべては移ろい変わっているということです。
赤ちゃんは何年か経てば成長し、一人前になり、年老いてやがて死んでいきます。
花も、種を播き芽が出て成長して花が咲きますが、時間が経てば消えていきます。
移ろい変わりゆくものが、いつまでもあると錯覚を起こしていますが、その先には
必ず死がやってきます。
これは厳粛なる事実です。

自分はいつまでも生きられるのだと錯覚を起こして、よその方が亡くなられると、
「気の毒にねえ、まだ若いのに」と、人ごとのように言っていますが、
これはやがて必ず来る自分のことです。
常にあるものと転倒するのが私たちです。
本来この世というのは苦しみの海であるのに、楽な世であると錯覚を起こしています。
自分の思うようにならない苦しみがあって当然なのに、
楽な世であるような錯覚を起こしているのです。
これを「楽転倒」といいます。


          ~ 感謝・合掌 ~





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