浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

偉大なる光の王に導かれ
我が身は動き口は語らん

「講演集」より。

2014-08-16 01:56:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       ~ 恩師の「講演集」より ~


           講演集、 一

先の続き・・・

やがてその人のお母さんが半年も経たないうちにリューマチが
進んで悪くなって、再度私の所に来られ、実は母のリューマチに
ついてその偉い先生のご指導を受けたということでした。
その偉い先生は「私が天上界に行って聞いて来てあげましょう」と
言って、この話は今から数年前の十月の出来事ですが、
「来年の二月十五日になったら最期だから精一杯尽くしなさい。
これは私が神のご託として聞いて来たから間違いない」と言われたと
いうのです。
これは大変なこと、十月から二月までならあと四カ月の命かと思って、
家に帰って来てお母さんを含めて皆が信じたわけですね。
信じたものだから一月の末頃になると、
完全に顔が死相をあらわしてきて、
もう死の寸前になっていたのです。
そして死ぬ前にもう一度私に会いたいので
顔を見せて欲しいと言う事で本人が来られたのです。
その後重ねて頼みに来られたので、私が行きましたところ、
「二月十五日に死ぬということなので、
その前に先生に一度お会いしたかったのです」と言われますから、
「そんな馬鹿なことは信じなさんな。
神様がそんな無慈悲はことをどうしておっしゃいますか。

信じたらあなたはほんとうに死にますよ。
人の命がいつまでなどと神様はそんなことは絶対におっしゃいません。
神は黙々としてその日までちゃんと私達を見守って下さいます。
本当の神様の御心は慈悲愛にあふれています」
そこで「私が神様にお願いしましょう」と言って、
その人に光を与えて戴きましたら、
今まで明らかに死相が出ていたものが、
瞬間にハッと生き返って来られました。
それから二年半経ちますけれど、
段々元気になって来ておられます。
言葉によって人は自分の命さえ落とす場合があります。

次の話は私の先生である高橋信次先生がよくおっしゃっていたものです。
人間は思うことぐらい自由にさせて欲しいということになるのですが、
その点についての一例です。
電車の中で一人の紳士が自分の前に坐っている美しい女性に目をやっている。
その紳士の心の内をこちらから見ていると、始めはああ美しい人がいるなあと
思っているが、その心がだんだんエスカレートして、この女の人を裸にしたら
どんなだろうと思うようになり、裸にするだけならまだいいのですけど、
自分の思いの中でみだらなことを思っている。
自由に思っている紳士の心の内がまる見えなのですが、いくら形、姿、恰好が
良くても、その思いができていなかったら、何にもならないということです。
卑しい思いを退けることですね。
今日の私は良い服を着せてもらっていますが、いつもはボロを纏っています。
私が日頃余り身を構わない面白い風をしているので、
「先生、これを着て下さい」と言って、いただいたのです。
いただけば着せていただかないわけにはいかないと思い、
今日は着て参りましたけれども、実は窮屈でしようがないのです。
いつもはほんとうに着のみ着のままの姿で生活させてもらっています。


            ~ 感謝・合掌 ~




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