浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「御垂訓」

2018-04-04 23:52:54 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

      心の教えを正しく行うと証がついて回る

      気づきと癒し

神戸のあるクリスチャンの婦人がヨーロッパからの帰り飛行機の中で、
山口での講演からテープ起こしして作っていただいた文章を読み、
ここに聖書そのものの世界が書かれていると感じられたそうです。
洗礼を受けて以来三十年も経つという方ですから、聖書については赤線が
たくさん引かれてほとんど赤くなるくらいに詳しいのです。
ひょっとしたらこれはイエス様が日本にご出現になったのではないか、
日本に戻ったらすぐに会いに行こうと思われたそうです。
ところが、このハイカラな婦人が実際に訪ねて見えられると、ステテコと
ランニングシャツ一枚でうろうろしている私の姿を見て、最初は人違いだと
思ったようです。

そのうちお目当ての人物とわかると、腰を抜かすほどにびっくりされました。
もっと威風堂々として、
立派な出で立ちの方がカーテンの奥から静々と出て来られるのかなと
思っていたと言われます。
この方にお話をさせていただきました。
宗教の法王様なら、大勢の人々にかしずかれ、壮麗な長衣をまとい、
頭にはきらびやかな冠を頂き、黄金の錫杖を手にして威厳を保たれておられる
姿を彷彿とさせるでしょう。
そういう方が立派であるとあなたは思っておられるかもしれません。
しかし、古の聖者イエスはその生涯において、いつあのように着飾られたでしょう。
そのように身を飾ることなどなさったことは一度もありませんでした。
キリスト教徒といえば、イエスの生きざまを生きなくてはいけないのです。
後の世の法王のように生きるのではないのです。

イエスは一般の者となんら変わりはない格好をされていたはずです。
しかも、イエスはこのように言われています。
「私は人々に仕えられるために来た者ではなく、仕えるために来た者である。
そして、多くの人々の贖いのために私の命を与えに来た者である」と。
教会の偉い方々は、大勢の人々に仕えられています。
イエスはそうではなく、人々に仕えています。
今の在り方が元の教えから隔たってしまったことに目覚めなさい、と言うと、
本当にそうですとおっしゃいます。
その方が、肺癌ですぐにも入院して抗癌剤で治療をしないといけないと、
医者から宣告を受けました。

すると、肉体を救ってくださいとは言いません。
このまま自分の魂が汚れたままあの世に帰ると大変です、
せめて私の心を救ってください、と頼まれました。
そこで、反省をしていただきました。
泣いて泣いて、本当に泣き叫んで、ご自分の過ちに目覚められました。
それから、まもなくお医者さんで検査を受けると、
まったく癌がなくなっていたそうです。
反省により心によって癌が消えた事例です。
もう十数年も過ぎますが、元気に生きておられます。
自分の心の誤りに気づくということが、限りある人生においていかに大切であるか。
このことをわからせてもらえる好例だと思います。


             ~ 感謝・合掌 ~

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「御垂訓」

2018-04-04 01:27:32 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より



       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

       心の教えを正しく行うと証がついて回る

         個我の力ではない癒しのパワー

先の続き・・・

なぜ、そのようなものを受けるのか。
人の病気を治させていただきたいですが、
相手の病気をもたったら大変です。
これは嫌いです。
怖いです。
これも自己保存の心です。
病気には何とも言えない恐ろしいものまでいろいろとあります。
そんな病気を自分が受けたらたいへんです。
そういうわけで、一時はとても悩みました。
そこで、その当時はまだ正法に御縁はありませんから、
どこに神様がいらっしゃるかもわかりませんが、
もし神様がいらしゃったらということで祈りました。

「今いただいた力で少しでも多くの方を救わせていただきたいです。
しかし、相手の業をもらうのは嫌でございます。
だから、治させていただいて、相手の病気を受けない方法があるなら、
是非教えてください」と、あつかましい祈りですが、
毎晩一時間、二時間、三時間と真剣に祈りました。
或る時は朝まで祈りました。
百日も過ぎた頃に、「汝の癒しを他にゆだねよ」という言葉が、
自分の心の中から湧き上がってまいりました。
この短い言葉ですべての謎が解けたのでした。

病気治しをする人で相手の病気をもらっているのは、
「自分が治してやった」という
「自分が 自分が」の「我」の中に相手の業を
受けてしまうのだということがわかったのです。
すべての謎が解けて以来、癒しの成果を自分以外の方の力に
帰しました。
その結果、あまりにも多くの方が救われてくれましたが、
そのかわりに私自身の肉体のほうはなんともないという
有難い結果が出ております。
それは、人々の業が神様のほうへ行ってしまい、
その光の中で消されるからです。

「偉大なる光の王に導かれ 我が身は動き口は語らん」当時の歌です。

私以外の力であるということは、神様の力であり、
目に見えない世界のご協力をいただいているお陰ということを
誰よりもよく理解しているつもりです。
その代わり、自慢することができません。
自分の力でないとわかっていますから、どんな奇跡を現わしていただいても、
自慢することはできません。
これは神様のお陰であって、私には関係のないことです。
神に感謝しましょう。


           ~ 感謝・合掌 ~




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