恩師のご著書「思いの中に生きる」より
思いの中に生きる
思いによってこの世は現れているのです。
そして、人は環境の中に生きていると錯覚を起こしているのです。
本当は自分の思いの中に生きているのです。
これはちょっと難しいように思いますけれど、たとえば、
これも思いの中に生きているという一つの証拠ですね。
ある四十そこそこの女性の方がワイヤロープの工場に勤めておられて、
ワイヤがポンと弾いて片目を失明されました。
その人はもう本当に朝から晩まで泣き通しの毎日を送っておられたのです。
「私は何と不幸だ」と。
あれは難儀です。
目が潰れましたら目が萎んでしまってだんだん落ち込んでくるのです。
また、
義眼(ガラスの目玉ですね)を入れますとちゃんと目が
閉じられないようになるのです。
夜休んでも目が開いたまま寝なければなりません。
これも難儀だし、目玉を出したらグッとへっこんで落ち込んでしまう。
「そういうのを主人に見られるのは辛い。
うまれもつかない片輪になってしまった」と、
泣いて泣いて暮しておられたのです。
四年間、「そんな辛い悲しい私は不幸だ」とばかり思っているから、
本当にそのようになってくるのです。
今度動脈瘤ができて、お医者さんに診てもらいましたら、
「あなたのはもう手術できません」。
「それじゃあどうなるのですか」と聞きますと、
「この動脈瘤が腫れたら、あなたは一巻の終わりだから、
もうそこまで大事に生きないと仕方がない」と言われて、
その人の嘆きがまた大きくなったのです。
これはまさに「泣き面に蜂」です。
「あの石原裕次郎のあんなのでも治すのに、
どうして私のを治してくれないのか」と言って、
泣いて泣いて暮しておられたのです。
で、その人のお姉さんが私にご縁がありまして、
連れて来て下さったのです。
「妹がこんなにして四年間、毎日毎日泣き明かしています。
何と助けやってほしいのです」といって見えたんです。
~ 感謝・合掌 ~