浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2018-05-04 23:53:06 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「思いの中に生きる」より


          思いの中に生きる

思いによってこの世は現れているのです。
そして、人は環境の中に生きていると錯覚を起こしているのです。
本当は自分の思いの中に生きているのです。
これはちょっと難しいように思いますけれど、たとえば、
これも思いの中に生きているという一つの証拠ですね。
ある四十そこそこの女性の方がワイヤロープの工場に勤めておられて、
ワイヤがポンと弾いて片目を失明されました。
その人はもう本当に朝から晩まで泣き通しの毎日を送っておられたのです。
「私は何と不幸だ」と。

あれは難儀です。
目が潰れましたら目が萎んでしまってだんだん落ち込んでくるのです。
また、
義眼(ガラスの目玉ですね)を入れますとちゃんと目が
閉じられないようになるのです。
夜休んでも目が開いたまま寝なければなりません。
これも難儀だし、目玉を出したらグッとへっこんで落ち込んでしまう。
「そういうのを主人に見られるのは辛い。
うまれもつかない片輪になってしまった」と、
泣いて泣いて暮しておられたのです。
四年間、「そんな辛い悲しい私は不幸だ」とばかり思っているから、
本当にそのようになってくるのです。
今度動脈瘤ができて、お医者さんに診てもらいましたら、
「あなたのはもう手術できません」。

「それじゃあどうなるのですか」と聞きますと、
「この動脈瘤が腫れたら、あなたは一巻の終わりだから、
もうそこまで大事に生きないと仕方がない」と言われて、
その人の嘆きがまた大きくなったのです。
これはまさに「泣き面に蜂」です。
「あの石原裕次郎のあんなのでも治すのに、
どうして私のを治してくれないのか」と言って、
泣いて泣いて暮しておられたのです。
で、その人のお姉さんが私にご縁がありまして、
連れて来て下さったのです。
「妹がこんなにして四年間、毎日毎日泣き明かしています。
何と助けやってほしいのです」といって見えたんです。


            ~ 感謝・合掌 ~


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「御垂訓」

2018-05-04 00:05:32 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     恩師のご著書「思いの中に生きる」より


          調和と中道

先の続き・・・

お釈迦様の悟りのきっかけになったのは、

弦の音は 強く締めれば糸は切れ
弦の音は 弱くては音色が悪い
弦の音は 中ほどに締めて音色がよい
音に合わせて歌えや 歌え
歌に合わせて踊れや 踊れ

という、チュダリア・スダータという少女の歌声でした。
そういうインド民謡があったのですね。
お釈迦様が、厳しい厳しい、もう今まさに肉体の命が絶えんとするほどの
厳しい行をなさって、ある日ネランジャ川に顔を洗いに行かれましてフト
水面をのぞかれましたら、九十、百のお年寄りもなお衰えた自分の姿を
見られたのです。

そのとき、「あっ、これだったらもう自分は死んでしまう。
しかし、死んだらもう自分は悟ることができない」と思われたのです。
『仏陀苦行像』という像がありますけれども、それを見せていただいたら、
もう本当に涙が出ますね。
後光はきれいに出ていますけれども、肋骨の一本一本、そして、その肋骨の
上を這っている血管まで出ています。
顔でも全くもう骸骨の顔になっています。
目は落ち窪み骸骨みたいですね。

ところがまた、あの彫刻を作られた方も名工だと思います。
骸骨が座っているようなのに、
何とも言えない慈愛、慈悲に溢れたお顔に見えますね。
あれを見せてもらいますと、どうしても涙が止まらなくなります。
それほど厳しい行をなさって、そして、「このままいっては死ぬ。
死んでは悟れない」と思われた時、川上の方からその歌声が流れて来たのです。
その時、お釈迦様の気持ちの中では、
もう本当にこれは天女の教えだと聞かれたのです。

そして、「私は今までお城の中の王子としてあった時、穴蔵の中へ入って
千度禅定・瞑想したけれどなお悟れなかった。弦の糸が強ければ切れる。
今まさに自分は厳しく締めすぎた糸が切れる寸前だ」ということを悟られた。
それでお釈迦様は、苦行を一切放棄され、
中道の道を歩むことをお悟りになったのです。


           ~ 感謝・合掌 ~


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