浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

五十路過ぎ振り返り見ば
我が人生罪と恥との
積み重ねなり

「御垂訓」

2018-05-11 23:39:39 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「思いの中に生きる」より


           正しく見る

先の続き・・・

八正道の一番最初に「正しく見る」と説かれていますけれど、
この「正しく見る」というのはなかなか難しい問題です。
私たちが学ぶのに一番わかりやすい「正しく見る」方法といいましたら、
それはまず自分から離れてみるということです。
自分からものを見た時もう既に間違うのです。
なぜなら、この私たちには五官が与えられているからです。

眼・耳・鼻・舌・身の五官は何のために与えられているかということを考えましたら、
この肉体を保持するため、自分の身を守るために与えられているのです。
口から食事をいただかなければなりませんし、目が見えなければ難儀ですし、
耳も聞こえなければこれも大変です。
だから、自分を守るために与えられた五官を通してものを見聞きしましたら、
どうしても自分本位の見方になってしまうのです。
そうなっても悪くないのです。
それが当たり前です。

自分本位はこの身を守るためです。
ところが、そういう思いで見た時、もう既に思いが間違うのです。
自己中心に見ますから、見るということに対して自己保存と自我我欲という
色眼鏡がかかっているのです。
だから、人は間違いやすいものである、過ちを犯しやすいものであるというのは、
五官そのものが間違いを犯しやすく作られているからです。
深く追求しました時にこういうことがわかります。

このように、自分を守るためにいただいている五官を通してものを見ますから、
どうしても自分を守りたい自己保存の思いにうつるのが当たり前です。
ですから、まず自分という立場を離れて、
たとえば、一対一の場合、常に自分の立場を離れて相手の立場に立って
ものを見させてもらった時、また、私たちを生かしていただいている
神の意識あるいは守護霊さんの立場に立って自分と相手を見た時に、
これは間違いのない正しい見方ができると思います。
ですから、常に相手の立場に立ってものを見、聞き、また「善意なる第三者」
と信次先生がおっしゃいましたその立場に立って自分を眺め、
相手を眺めさせてもらった時、
自己から離れた正しい判断ができると思います。


           ~ 感謝・合掌 ~



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2018-05-11 18:29:03 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

※ 昨夜から只今現在までプロバイダーのインターネットメンテナンスのため
  当ブログの投稿が一切できませんでしたことを皆様に心より深くお詫び申し上げます。
  いつものことなのですが、プロバイダーは、何の予告も知らせもなく、
  突然メンテナンスをするので皆様に前もってお知らせもできず、そのつど皆様には大変ご迷惑を
  おかけしております。
  日本ではこんなことは考えられないことですが、こちら比国ではこのようなことは
  日常茶飯事のことで「モラルもなければ何もない」開発途上国(?)なるがゆえんでしょうかね。

 恩師のご著書「思いの中に生きる」より


正しく見る

私たちのこの学びの一番根本・基本となっておりますことは、
高橋信次先生によって『心行』の中にすべて明かしていただいております。
すべての教えは『心行』から始まっていると思います。
何回も何回も読ましていただきましたら、
最初は意味がわかりにくくても自然とわかってきます。 
そして、『心行』を日々の生活の師として行じさせていただきます。
『心行』には、
まず私たちを生かしていただいておりますこの大自然の法則を
詳しく書いていただいております。

それから、人間として生きる道、
まず肉体先祖に報恩供養の心を忘れてはいけない、
また両親に対しては孝養を尽くさなければならないと説かれています。
このような生活の中で最低、
次の八つの正しい生き方『八正道』を行じなければなりません。
それは正しく見て、正しく思い、それから正しく語ること、それから正しく
仕事をなし、正しく生きさせてもらって、正しく念じ、正しく道に精進して、
正しく定に入るべし、このように説かれています。
この人間界というか、この世がうまく、まるく、円滑に行くように法律があります。
この法律は人間として行を間違った時に罰せられるようにつくられています。

ところが、
「心」、
自分の心で思ったことはどんなに悪いことを思っても罰せられないのです。
思いは表面に表われないので相手にもわからないし、
そのために思いというものをつい疎かにします。
思うことぐらいどんなに悪いことを思ってもわからないし、
また人に迷惑かからないから自由させてほしいと思っています。
ところが、思いというのは、私たちが行動を起こすことを、いわば「陽」、
表れた行とすれば、行の前にする「陰」、隠れた行になるわけです。
ですから、思うことを間違っていましたら必ず言葉も間違ってきます。
その言葉が間違えば、また今度は行も間違ってきます。
したがって、思いから正していくことが大切なのです。


              ~ 感謝・合掌 ~



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする