恩師のご著書「思いの中に生きる」より
「先祖供養」について(その1)
先の続き・・・
その時、「ああ供えてくれたなァ」
という一時の心の納得というか、
供えてくれたという思いはあるのですけれども、
いつまでたっても満足を得ることはできません。
また供え物についても聞いてみました。
「今日までに、どれほどの供え物を
子孫の方はあなたに捧げましたか」。
しかし、それによっても満足は得られなかった。
戒名なんかはけっさくです。
「よき戒名を付けられたでしょう」
と聞きますと、「あれは何もなっておらん」。
「どうしてですか」と聞いたら、
「わしが死んだ後のこと、わしゃ知らん」
こう言われました。