添付のお写真はその昔、お釈迦様が好んで「法」をお説きになられた
インドの霊鷲山(りょうじゅせん)山頂で昇る朝日を
カメラ片手にお待ちになっている恩師「長尾弘」先生です。
~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 五
「六根あるがゆえに己が悟れば菩提と化すことを悟るべし」
先の続き・・・
日常の具体例で、怒りの壊滅の方法をいいますと、
これは思い方をうまく変える方法しかないのです。
一番手っとり早い方法は常に大難を小難と思うことです。
何事が起きても、もっとひどい目に会うことを思えば幸いだと、
考えることです。
ある方が奥さんからいつも怒られて逃げ回っていると、
また追いかけてきて言われるので「うちの嫁さんにはかないません。
どうしたらいいですか」と相談に見えたのです。
「本物の狂人よりはましだと思って喜びなさい、
文句を言われるぐらいで結構なことです」と言いますと、
「そう思いましたら、えらい楽になりました」
と言って、いつもそう思うことにされたそうです。
私たちは思い方一つによって不幸になったり、
幸せになったりしますね。
男性は嫁さんにえらい目に会わされてかなわんな、
えらい嫁さんで苦労するなと思うのですが、
ほんとうは心の持ち方でああましな嫁さんだと思えるのです。
奥さんの立場に立って見ても同じことです。
うちの主人はうるさくて嫌だな、
どうしようもなくかなわないと思う主人を、
「ああ結構だ、この人がいるから私は生活させてもらえる、
もう嫌なところは目をつぶろう」と
思い変えましたらたちまち楽になります。
嫌な面ばかり見るから嫌になるのです。
私たちは環境の中に生きていると錯覚を起こしていますが、
ほんとうは心の中に生きているのであり、
思い方一つ変えるだけですごく救われる場合がありますね。
自由自在に良い面も悪い面も見分けて、
良いほうへ心を変えるのが「観自在菩薩」で、
良い面に素早く切り変えのできる方は観自在です。
仏を目指して修行する方をボサターと言います。
私たちは、アボロキティーシュバラーといって過去、現在、
未来の三世を見通す能力を持つような
偉大な者にはなれませんが、
観自在菩薩でしたら、誰にでもなれます。
私たちは確かに三世を見通す能力があれば
素晴らしいなあと思いますが、
こんな能力がつきますと、魂の修行ができないのです。
みな分かってしますから生まれる必要はなくなってきます。
前以てすべての筋道が分かっていて、こちらへ行ったら駄目、
こう行ってこのようにすればよいというのでしたら、
何も生まれてくる必要はありません。
ですからいくら失敗しても「ああ私は駄目人間だ」と
思わなくってもいいのです。