生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学のすすめ(14) ジャック・ウエルチとの出会い

2017年05月17日 07時24分17秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(14)    H29.5.17投稿     

TITLE: ジャック・ウエルチとの出会い

私の過去の名刺ファイルを繰ると、176枚のGEのロゴマークの入った名刺があった。1970年代半ばから2005年までの30年間のお付き合いの結果だ。最初の付き合いは、タービン翼の研究関係で、彼らの伝熱工学の知識と応用技術に関心を持ったが、別途述べたように、特許論争などから、大きな脅威は感じられなかった。最も驚いたのは、材料に関するデータベースで、膨大な資料が全て3種類に色分けしてあった。研究段階、試用段階、実用段階の3種類だ。
本格的な付き合いは、GE90エンジンの共同開発で、このときにはいくつかの疑問があった。そのときのことを思い出し、改めてこの2冊を読みかえす気になった。

2 001年に、ジャック・ウエルチ に関する2冊の本が発行された。一つは、有名な彼自身の自叙伝で、他の一つは彼の在任中にGEから発行された「アニュアルレポート」を年次順に纏めたものだ。この両書を照らし合わせると、今まで疑問に思っていたことの、裏の事実が見えてくる。

① 「ジャック・ウエルチわが経営」(上)、(下)
著者;ジャック・ウエルチ  発行所;日本経済新聞社 発行日;2001.10.21

② 「GEとともに」
著者;GEコーポレート・エクゼクティブ・オフィス 発行所;ダイヤモンド社 発行日;2001.10.18
 


プロジェクトが一段落した後での付き合いは、Value Engineering(価値工学)とQuality Control(品質管理)と防衛庁が導入した自衛隊機に搭載されたエンジンに関するものだった。考えてみると、これら3つの全ては、彼らにオリジナルがあり、我々はそれを導入して成長した。オリジナルに直接アクセスできる機会を常に持っていたことが、メタエンジニアリング指向の根っこになったのかも知れない。

相手方の対応態度は、初めの10年間はもっぱら教師役で、ほぼ何でも答えてくれたし、こちらが望む以上のものまで見せてくれた。GE90プロジェクト前後の10年間は、彼我の長所と欠点が明らかになった期間で、GEへの脅威は全くなくなり、むしろ老齢化が進んだ気の毒な企業に見えたこともあった。そして最後の10年間は、まったくのビジネス・ライクの付き合いで、むしろ数名の友人とのプライベートな会話を楽しんだ。ここでは、中間の
10年間に思っていた疑問を解決するために、その箇所に限って読むことにした。

第1の疑問は会社の組織体系に関するものだった。GE90スタート当初は、V2500プロジェクトも最初の型式承認が取れた後に続けて、第2、第3の型式承認(AirbusA320機用の大型化とMcDonaldのMD90機への搭載型)を得るための開発の真っ最中で、当方のエンジニアの数が圧倒的に不足をしていた。そこでGEに作業委託をすることになったが、紹介されたのが英国の中心部のレスター市にある「GEC」という会社だったが、こことGE本体の関係が不明だった。ある人はGEと一体と言うし、ある人はGEとは全く別の会社だと言っていた。作業委託は20~30人規模の設計業務だった。

第2の疑問は、GEという巨大企業の中で、ウエルチが次々に打ち出す経営改革の手法が、どのように各個人に浸透しているかといったことだった。当時のGEのエンジニアは、担当分野に限らずすべてが過去に作られたマニュアルによって作業を進めていた。つまり、伝統墨守と改革という相い反することが、同時に行われていたことになる。

第3の疑問は人事関係で、当時はベルリンの壁の崩壊から始まった東西冷戦の終焉のために、GEを離れてゆく人が、身の回りにも大勢いた。一方で、V2500で付き合ったRolls Royceのエンジニアが数名GE社に入社しており、お互いに、突然顔を見合わせてびっくりしたものだった。
これらの疑問は、それ以降は解決の当てもなく忘れていたが、この書に出会って、もう一度考えてみることにした。きっかけは、通常のエンジニアリング ⇒リエンジニアリング⇒メタエンジニアリングという一貫した流れに、どうもウエルチの施策が重なって見え始めたからである。
彼の根本思想が、正にメタエンジニアリングそのものに見えてきた。

①の著書は、まったくの自叙伝で冒頭の12ページにわたる彼の家族の写真(自身の少年時代、両親、奥さんと子供たち、孫たち)の後での第1ページにはこんな言葉が記されている。

『数十万のGE社員に捧げる その人たちの知恵と努力のおかげで、私はこの本を書くことができた。
*本書からの著者が得る収益は慈善事業のために寄贈されます』


第4部「流れを変えるイニシアチブ」には、次の言葉がある。

『1990年代われわれは、グローバル化、サービス、シックスシグマ、Eビジネスという四大イニシアチブを追求した。どのイニシアチブも、最初は小さなアイデアの種から始まった。それをオペレーティング・システムのなかに撒いてやれば、成長のチャンスが生まれる。われわれの四つの種は大きく育った。われわれがこの10年間に経験した加速度的な成長を支える重大な要素になった。

これらは「今月のおすすめ」といった類のものではない。GEでは、イニシアチブを全員の心をつかむものと定義する。会社全体に重大な影響を与えられるだけの大きな規模、広範囲、包括的なものだ。イニシアチブの活動に終わりはなく、組織そのものの性質を根底から変える。それがどこで生まれたものであろうとこだわることなく、私はチアリーダーの役目を果たしてきた。すべてのイニシアチブをときに狂信的ともいえるほどの情熱と熱狂によって支えてきた。』(pp.124)

これは、第2の疑問の答えの一部になる。当時も気になっていたが、マネージャー・クラスに対する全員一括教育の徹底が、この雰囲気を作ったのだろう。

ここでの注目は、「会社全体に重大な影響を与えられるだけの大きな規模、広範囲、包括的なもの」という言葉で、特に「大きな規模、広範囲、包括的」と「性質を根底から変える」と云うことに、彼のチャレンジ精神と、同時にリスクテイキングを感じる。多くの日本人の経営者が不得意とする領域だ。

これについて、②の著書の1988年の項には、次のようにある。

『GEの経営陣は、CEOと各事業の工場の間に存在する管理職を九人から四人に削減しました。計算ずくの賭けではありましたが、80年代中ごろには、第2、第3階層の経営陣―セクター,グループと呼んでいた階層―を取り除きました。
14の主要事業部門については、従来のように副社長に報告し、副社長が上級副社長に、しかもすべて補佐とともに報告するのではなく、いまでは我々3人に直接報告しています。この方法が成功するか否かは、業務レベルにおけるリーダーシップの質に依存しています。我々はそれだけの質を備えていると賭けて、これに勝ったのです。』(pp.88)

ここで彼は、「改革は賭けだった」と明言している。日本の大企業は、相も変わらずに、セクターとか、グループと呼ぶ組織を作り続けている。前に紹介したビジネス・プロセス・リエンジニアリングの採用も、中途半端では効果が出ないことは、明らかだ。

これによってGEは、アイデア、イニシアチブ及び判断は、多くの場合音速で(すなわちペーパーではなく会話で)進んでゆくと明言をしている。さらに同時に、セクショナリズムが一体感に変わったとも明言している。まさに、「大きな規模、広範囲、包括的」のためであろう。

第1の疑問の「GECという名の会社」については、同じ②の1988年の項に記されている。

『最後に、89年初め、歴史に残るともいえる、イギリスのゼネラル・エレクトリック・カンパニー(GEC)との一連の契約を締結しました。これによって14の主要事業のうち4事業(メディカルシステム、大型家電、産業用電力システム、送電機器)がヨーロッパ市場に参入する道を大きく広げたことになると思われます。』(②pp.86)

 つまり、それまでのGECは全く米国のGEとは無関係だったのだ。しかも、英国のGECが、ヨーロッパにおける4事業の主力会社だったことが記されている。名刺ファイルを繰ると、「GEC」の名刺は、僅か6枚だった。1990.7.5のDirector of EngineeringのD.B.氏のものが最初で、彼は、「GEC ALSTHOM」の人であった。そして、我々が設計業務を発注した相手は、RUSTON GAS TURBINS LIMITEDのエンジニアであった。このような判断も、GE内では音速のスピードで行われていたのであろう。

 ついでながら①の著書には、こんなくだりがある。

『グローバル化が飛躍的に進んだ年があるとすれば、1989年だろう。それはイギリスにあるGEC(ゼネラル・エレクトリック・カンパニー)会長のアーノルド・ワインストックからの電話で始まった。(GECの名称はGEとまったく同じだが、両者の間には何のつながりもない。やっと2000年にGECがマルコーニに名称変更して、GEの名称に対するすべての権利を買い取ることができた)。』(①pp.135)

①と②の著書の中で、航空機エンジン関係の話は異常に少ない。少なくとも売上高の割合とは全く釣りあっていない。彼のさまざまな施策からのこの分野への影響が、小さかったからかもしれない。
唯一の話は、1995年の話で、①の第20章「サービスの拡大」に記されている。

『1995年11月に、サービス要員に焦点を合わせた特別セッションCミーティングを開いた。96年1月には航空機エンジン事業で他に先駆けて大規模な組織改革を実施した。エンジンサービス担当バイス・プレジデントのポストを新設し、この事業を独立採算制にした。』(pp.154)
 
そして、直ちに規模拡大に向けた戦略を展開した。既に、世界各地にオーバーホウルの拠点工場を持っていた(プロジェクト担当当時、私はGEの手配でロスアンゼルスから成田経由でシンガポールの工場の見学をアレンジされた)が、BA(British Airway)からウエールズの工場を、ヴァリク航空からブラジルの工場を買収した。それらはすべて、サービスコストの大幅な削減に寄与したと述べている。

 ①の第21章「シックスシグマ」では、1995年の心臓発作の話が語られている。既に20回の発作を経験していたそうだが、夜中の1時に「苦しい、死ぬ」と叫んで緊急入院し、手術を受けたとある。そして、「シックスシグマ」の導入は、自宅での療養中に決断をして、実行に移した。「シックスシグマ」の実行は、膨大な作業を伴うので、導入の可否の決断は、このような日常を離れた環境だからこそ、できたのではないかと思う。

 ウエルチは品質改善運動についてはこのように述べている。
『品質改善運動に本気で取り組もうとは決して思わなかった。品質向上プログラムはスローガンばかりが大げさで、その成果はほとんど上がらないものだと考えていた。
1990年代のはじめころ、航空機エンジン事業がデミングの品質向上プログラムに試しに取り組んでいた。このプログラムがあまりにも理論を追いすぎていたために、私はこれを全社的なイニシアチブにしようとは思わなかった。』(pp.167)

『業界では、一般的に100回のうちおよそ97回旨くゆけば通用する、これは3から4シグマだ。この品質レベルは具体的には、不適切な外科手術を毎週5000例、郵便物の紛失が1時間あたり2万件、間違った薬の処方箋が1年に何十万枚も発行される、という数字だ。考えるだけでも愉快な話ではない。』(pp.167)
 ちなみに、このシグマ数値は間違っている。彼の数値は正規分布の両側をとっているが、シックスシグマでは、確率論に意図的なバイアスをかけており、けた違いに厳しい数字になる。

彼が、何故品質管理に対する考え方を180度転換したかは、単純だった。『さらに私が行った調査でも、品質こそGEの抱えている問題だ。これが一点に集約されたとき、私はシックスシグマの信奉者となってその導入に着手した。われわれは、シックスシグマ担当として中心人物を二人指名した。全社的に展開するイニシアチブのトップ、ゲリー・ライナーと、私の長年付き合っている財務アナリスト、ボブ・ネルソンで、費用便益分析を行った。』(pp.168)
 
その費用便益分析の結果は驚くべきもので、コスト削減効果はGE全体の売上高の10~15%になった。そして直ちに、シックスシグマの元祖であるモトローラからシックスシグマ・アカデミーの経営者を招いて全員教育を始めた。つまり、目的は、GE全体の売上高の10~15%のコスト削減だったわけである。
 
さらに、ブラックベルト(指導的立場のスタッフ)に、ストックオプションを設けたり、グリーンベルト(活動のリーダーの資格)のトレーニングを受けることを、マネージャー昇格の条件として、厳しく守らせた。
このストーリーは、私の第3の疑問の人事管理に関する答えになっている。彼は、①の最後でこう述べている。

『人材のトップ20%に報い、ボトム10%に転身を勧める』

 まさに、その時その場での的確な決断の速さを維持するために、多くの情報が智慧化して蓄えられている。

その場考学のすすめ(13) リエンジニアリングとの出会い

2017年05月16日 07時00分19秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(13)    H29.5.16投稿     
TITLE: リエンジニアリングとの出会い

1989年から、私は10年前からChief Designerとして担当をしていたV2500プロジェクト(英・米・独・伊・日の5か国共同でAirbus A320機に搭載する全く新しいエンジンを開発する)に加えて、General Electricが開発中のGE90プロジェクト(当時Boeingで開発中のBoeing777機に独占的に搭載されることが決まっていた)にChief Engineerとして参画することになった。年間数回繰り返されていたアメリカへの出張は、Pratt & Whitney社のあるEast HartfordとGE社のあるCincinnatiと数社の材料・加工メーカーを渡り歩く羽目になった。
 
当時のGEは、あのジャック・ウエルチの全盛期だったが、彼とのニアミスはたった1回だった。彼が航空機用エンジンのビジネスに本腰を入れたのは1995年からのオーバーホウル・ビジネスからで、当時はフランスのスネクマ社との合弁事業であるCFM56エンジン(Boeing737機に搭載)が好調で、ただ一つ興味は「世界最大の、しかも跳びぬけて大きい革新的なエンジン」を開発することだったと思う。

蛇足だが、1回のニアミスは、私が開発プロジェクトのオフィスからGEの社有滑走路へ行くために乗ったGEの社有車の運転手が、「たった今、ジャックを空港からホテルに送ったところだ、彼がCincinnatiに来るのは、本当に珍しい」と云って、道々エピソードをいくつか話してくれた、たったそれだけだった。
 
しかし、当時ビジネスプロセス全体の改革に取り組んでいたウエルチの具体策を国際共同事業に最初に適用したのが、このGE90プロジェクトだったと思う。それは、この開発のオフィスのあり方や、後に始まった初号機からの製造工場のあり方に明確に表れていた。具体的なウエルチの思想は、彼自身の言葉で書かれた「ジャック・ウエルチ わが経営(上)、(下)」[2001](別途、KMB4084)に譲るとして、ここではその元になった有名な著作から引用する。

書籍名「リエンジニアリング」[1994] 
著者;ダニエル・モーリス、ジョエル・ブランドン  発行日;1994.1.10
発行所;日本能率協会マネジメントセンター



 この書は、1993年にMcGraw-Hill社から発行された「RE-ENGINEERING YOUR BUSINESS」の訳本なのだが、文中にあるように、その思想と方法論は、その10年前から米国内には広がっていた。
 
『原理原則の方法論は、最近のリエンジニアリングの実践にはリンクしなくなってきている。ここで述べられる、ダイナミック・リエンジニアリングの実践導入の方法は、10年前から我々によって開発されてきたRSD(Relational Systems Development)を基礎としてみられたものであり、事業の統合やコンピュータのよる業務の統合にこの方法を導入してきた。』(pp.15)
 
この書の内容の多くは、具体例の説明に終始しているので、そのことは省略して、その本質のみを引用する。そのことは、「著者のまえがき」に凝縮されている。つまり、従来行われてきた各種の社内改革がバラバラで効果が小さかったが、一つの最終目的のためにそれらを統合して、大きな改革を行う、と云うものだった。

『マネジメント革新の考え方もさまざまなものがある。インダストリアルエンジニアリングは事業をいわば一つの機械としてとらえ、事業を新たな機構モデルを設計するような方法で革新にアプローチする。組織開発では業務の心理的側面を強調し、業務の第一線の士気を上げ、事業目標に向かい前進する方法により革新を展開する。品質管理論では、業務というものは処理された業務の結果を再検討し、それをプロセスにフィードバックし続け、常に革新するべきであると考える。一般的な経営アプローチでは、事業を小さな業務に分け、それらのプロセスをガントチャートに書き出し、“それを行え”といった具合に革新を展開する。

これら四つのアプローチはすべて過去に実績があり、その価値が証明されているものである。しかしながら。それらはこれまで効果的に組み合わされることはなかった。インダストリアルエンジニアリングと組織開発は、まったく相反するものと考えられてきた。一流の経営者は、いま、過去のムダにおこなわれてきたさまざまなプロジェクトを超えた、何かしらの新たなアプローチ方法が必要であると感じている。』(pp.1)

『ビジネスプロセスのリエンジニアリングはベテランの管理者にとっては、小規模なものはすでに経験済みのものである。それはこれまでの経営や経営科学の有効的な面や非有効的な面について検討し、全面的な管理を行うことにより、複雑な環境下においても導入可能なものになり得るのである。また、新しい情報技術により効果的かつ管理された方法で、新しいビジネスプロセスの設計が可能になりつつある。我々の目的は経営者に対し価値ある革新とは何かを知るための経営手法を明らかにし、強調することである。』(pp.2)

これではいかにも抽象的なのだが、「価値ある革新とは何か」が、単なる改革活動とは異なるように思う。本論の目次には以下のようなものがあるが、中身は割愛する。
第1章 ダイナミック・ビジネス・リエンジニアリング
第3章 パラダイムの転換
第6章 ポジショニングの実践
第7章 ビジネスプロセスのリエンジニアリング (9つのプロセスの具体的な手順の内容)
第9章 人的資源のリエンジニアリング
第10章 新たな事業環境の創出

 「訳者あとがき」には、次の言葉がある。
 『アメリカが半歩先行している「知的生産性と革新力」が向上することにより、新しい優位性が用意できる。工業化社会での競争優位は機械設備で決まったが、知識社会では、組織の知識・情報・行動で決まる。しかも、その速さが鍵であり、これが日本企業の次のターゲットである。』(pp.306)

 「その速さが鍵」は、まさにその場考学なのだが、日本はまだ「その速さ」が足りないように思うことがしばしばある。GEで経験した具体例は、その場考学のすすめ(14)「ジャック・ウエルチとの出会い」で示す。

その場考学のすすめ(12)その場でメタ思考

2017年03月16日 14時08分52秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(12)

・その場でメタ思考
 
「メタ思考」は、メタエンジニアリングの基本になっている。それは、あるものを一つ上の視点から客観的にみるということなのだが、そのことは、やはりその時その場で実行できなければ何にもならない。従って、メタ思考トレーニングなるものが必要なのだが、そのための良い本があった。

細谷 功「メタ思考トレーニング」PHP研究所[2016]



先ずは、「メタ思考」として、3つの特徴を挙げている。
 
『一つ目は、私たちが成長するための「気づき」を得られることです。特に知的な成長において「気づき」の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはありません。まずは自分がいかに知らないか、自分がいかに気づいていないかを認識することが、知的な成長のための第1歩です。』

『二つ目は、「思い込みや思考の癖から脱する」ことにあります。まず「思い込み」とは、「自分(の考え)が正しくて当たり前だ」と、露ほどにも疑っていない状態のことです。一つ目の気付きにつながるものですが、自らの視野を広げ、成長するためには、「自分は間違っているかもしれない」と常に自分自身の価値観を疑ってみることが重要です。』

『三つめは、上記の二つで得られた気づきや発想の広がりを基にした創造的な発想ができる、ということです。本誌では、「なぜ?」という問いかけによってメタの視点に上がって新しい方法を考え出すやり方と、抽象化という手段でメタの視点に上がり、「遠くの世界から借りてくる」ことで斬新なアイデアを生み出すアナロジー思考について取り上げます。』(pp.4)

 逆に、メタ思考を苦手とする人については、

『往々にしてこのタイプの人たちは行動力があり、それなりの実績を上げて地位の高い人も多く、そうなるとさらにこれらの傾向に拍車がかかってきます。その状態に入ったらもはやメタの視点で考えるのはほぼ不可能と云えます。』(pp.7)
と断言をしている。

 ソクラテスの有名な「無知の知」を挙げて、『気づきの難しさと同様に、「気づいていない人」の最大の問題点は、「気づいていないことに気づいていない」という「無知の無知」状態だからです。一つ言えることは、「無知の無知」から脱するのは他人の力では絶対に無理ということです。』(pp.29)

 メタの視点で考える具体的な方法としては、次のことを挙げている。(pp.34)

 ① 自分を客観視する
 ② 「無知の知」を知る
 ③ 「〇〇そのもの」を考える
 ④ 上位目的を考える
 ⑤ 抽象化する

 「戦略というのはいわば「メタの作戦」のこと」
 Whyだけが、「繰り返す」ことができる

『ある程度安定した組織、伝統ある会社、大企業ではこのような「手段の目的化」が後を絶たず、当然そのような組織にいる従業員は長年その組織にどっぷりとつかればつかるほど思考停止は進行していきます。そのためにはきわめて基本的なことではありますが、常に慣習化してしまった行動に対して目的を問うてゆく姿勢が求められます。』(pp.80)

 この言葉は、現役当時での思い当たる節がある。考えてみると、「手段の目的化」は日常的に起こっていた。そこで、「その場でメタ思考」のためにひとつあげるとするならば、④の「上位目的を考える」だろうか。このことは、「手段の目的化」が起こっていることを、その場で気づかせてくれる。


その場考学のすすめ(11)その場で設計標準化

2017年03月15日 10時30分07秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(11)

・その場で設計標準化
 
「その場でA4紙1枚」の少し高級な実例は、設計標準資料の作成だった。通常は そのことに専用の時間をつくり、専用のスタッフがこれを行うようだが、プロジェクトの進行中にそのような余裕は全くない。私のモットーの一つに「忙しい時に使える資料は、忙しい人がつくったものであり、暇な人が作った資料は、忙しい人には役に立たない」ということがある。従って、標準化もその場で行うことに決めた。
 
設計書でも、計算書でも これぞというものを指定して、A4紙1枚の表紙を追加する。それだけである。この表紙のフォーマットを念入りに工夫すればよい。目的、経緯、標準性の度合い、適用許容範囲などだが、A4紙1枚のスペースがあれば、十分に必要なことを全て書き込むことができる。どのような資料であるかは、あらかじめ番号体系を計画的に決めておけば、誰にでも番号を見ればすぐに分かってしまう。
 
余談になるが、私はこの方法で、ある開発プロジェクトの間に1000件の設計標準を作る目標値を定めた。1000という数字は、数年間で完成の目途が立つことと、一つの設計標準として自立して運用ができることの兼ね合いの数字のつもりであった。

実際にこの目論見は成功した。そして、思わぬ余録があった。それは、プロジェクトのしかも最も精神的な負担の重い設計技術者の中から、一人の精神障害者も作らなかったことだ。
 
過去に次の様な文章を書いたことがある。


・「部下をノイローゼにしない方法

本稿は蛇足である。20年以上前に書いたことなのだが、現在の設計技術者の危機的な様子を見て 敢えてこの蛇足を書くことにした。

ここ数年の設計技術者(私の場合、設計技術者とは、常に機能設計と工程(あるいは生産)設計の両者を指す)のてんてこ舞い振りは目に余る。一般にプロジェクトの数が増えたことと、増産、人数不足などが挙げられているが、ジェットエンジンの場合、これらが世間一般の製造業に比べて特に激しいものとは思えない。プロジェクトのゴールまでの期間を考えれば、むしろ変化が緩やかな部類と思う。

原因の大部分は世の中の変化に追随できないアジリティー不足で、その原因はITツールの使い方の間違えから来ていると思う。納期問題は調達のIT,品質問題はQCのIT,技術の伝承問題は形式知のITなどなど。
 
余談が先になったが、これも設計リーダーの考えの一つと思い敢えて記しておく。
てんてこ舞いの設計技術者の精神と肉体を健康に保つ方法。

時間の確保については、既に記した。ここでは業務の中身について記す。
一般的に、設計技術者の頭の回転は早い。通常はゆっくりでも、状況に応じていくらでも加速できる。要は、無理なく加速し、それを無理なく持続させる方法。

加速期間が長くなるとノイローゼの問題が出てくる。私は、20年間の設計リーダーの間に部下をこの状態にした覚えが無い。それは、ある一つのことを常に実行してきたためと信じている。それは何か。
それは、「どんなに忙しくても、1%の時間を標準化の為の作業に充てること」だった。そのメリットは沢山ある。

・1%という時間はチーム全体の時間管理としては無視できる時間である。

・標準化の為の作業の間は、目の前の重荷を忘れられる(気分転換)。

・標準化の為の作業は、自分の為ではなく他人の為(ボランティア心地)。

・標準化の為の作業をしていると、不思議と心に余裕が出来る(心の余裕つくり)。

・標準化の為の作業をしていると、予期せぬことに出会う(不安ではなく楽しみ)。

・標準化の為の作業は、簡単なわりには完成後の充実感がある(短時間でも充実感を得ることができる)。
などなど、いくらでも出てくる。

てんてこ舞いの設計技術者を抱える部門には、このことをお勧めする。私は、設計担当の課長時代の全期間に、この1%という数字を確保するための独自のデータ収集法を実行した。

ただし、このことは、私の一人合点かも知れない。しかし、お試しあれ。少なくとも害にはならないと思う。
二律背反。一石二鳥。

・蛇足の蛇足

標準化の資料は、「忙しいときに忙しい人が作るべき」ということ。忙しい人が、仕事のやり方を一番良く知っており、標準化をする資格がある。また、忙しいときに作ると、簡潔になるので、後で忙しい人が見るときにちょうど良い。暇な人が、暇なときに作った資料は、いざと言う時に役立たない。
だから「その場考学のすすめ」と云う訳である。

・哲学からの再出発(つづき)

M.ハイデッガー著、関口 浩訳「技術への問い」平凡社 [2009.9.16]

この書は書店では手に入らず、インターネットに頼った。書には、彼の科学・技術・芸術に関する5つの論文が纏められている。ハイデッガーの5つの論文の冒頭が「技術への問い」であった。


 
この講演は,1953年11月18日にミュンヘン工科大学での連続講演のひとつとして行われたが、内容が難解だったのもかかわらずに、終了後には「満場の人々から嵐のような歓呼の声があがった」と記録されている。
 
この時代、即ち第2次世界大戦の恐怖から解放された欧州では、技術の本質に関する議論が盛んに行われたようである。

アインシュタインの相対性理論により、質量が膨大なエネルギーに変換可能なことが理論づけされ、彼が反対したにもかかわらず、米国では、ヒットラーに先を越されるかもしれないという、政治的な説得に応じて原子爆弾を作ることにより、実証までをしてしまった。ハイデッガーはその事実に直面して(彼は、一時期ナチスの協力者であった)哲学者として技術の本質を知ろうと努力をしたのかもしれない。「技術への問い」という題名は、暗にこのことを示しているようにも読み取れる。
 
 この時代の同様な著書が、訳者後記に記されている。「歴史の起源と目標」カール・ヤスバース(1949)、「第3あるいは第4の人間」アルフレート・ウエーバー(1953)、「技術の完璧さ」フリードリッヒ・ユンガー(1953)などがそれぞれの見方で技術の本質を究めようとしたとある。
翻って、現代は大きな原発事故と地球規模の環境汚染を目の当たりにして、再び技術の本質を問い直す時期に来たように思われる。

 ハイデッガーの見た本質は「現代技術の本質は、集―立にある」と訳されている。「集」とは、例えばウラン鉱床からウランを抽出し、それを必要とする場所に必要とする量を集めると云うことなのだ。このことは全てのものつくりに共通する基礎になる。

「立」とは、集められたものを、何かの役に立つ形状に加工をして製品化し、更に実際に使用することを指す。これが現実の技術なのだが、しかし技術の本質ではない、と彼は断言をしている。ここからが、メタエンジニアリングとの関係を彷彿とされる議論が始まるのだ。

彼の表現によれば、「技術は人間の知りたいという本能の自然の現れ」と考えているように思う。それは、次の表現で表されている。
『不伏蔵性の内部で現前するものを人間が自分なりのしかたで開蔵する場合、彼はただ不伏蔵性の語りかけに応答しているだけなのである。』(pp.30)がその部分だ。

また、『技術は開蔵のひとつのしかたである。技術がその本質を発揮するところとは、開蔵と不伏蔵性とが、すなわちアレーティアが、すなわち真理が生起する領域なのである。』(pp.22)

 「アレーティア」とはギリシャ語で『神の真理』、「レーティア」は『秘匿性』を意味する言葉で、任天堂のDS用ゲームソフトの名称にも使われている。「ア」は、否定を表す前置詞で、アレーティアはレーティアの否定形になっている。

アレーティア(http://tekiro.main.jp/soma/w-jisyo_a.htmより)

『太古の時代に異界から来訪した邪神”という伝承はねつ造であり、本来はクレモナ文明が絶頂を極めた時代より約千年前に、外世界からトルヴェールを訪れた総体意思生命体の総称である。

肉体を持たない精神だけの存在で、基本的に“個”という定義を持たない。肉体を持たないが故に、地上では人間達の手を借り、見返りに知識と技術を与えていた。その結果、人間の文明レベルは急速な進歩を遂げ、アレーティア来訪から約千年の間に渡り、文明は発展と繁栄を続けた。しかし、長い時を経て知恵をつけた人間達は、アレーティアから生命力ともいえるエネルギー、ソーマを抽出する術を見いだし、それを独占しようと画策しはじめる。
 
この頃から、アレーティアの持つ絶対的な力を恐れる、反アレーティアの勢力が台頭し始め、やがてそれは世界全体を動かす大きな流れとなった。そして、彼らのその禍々しき策謀により、アレーティアは全ての力を奪われ、意識のみの存在へと変えられてしまうのである。アレーティアの怒りを怖れた人間達は、アレーティアの技の一つであった、地上全域のソーマ安定装置として建造されたリングタワーを利用し、惑星外にアレーティアの意識を追放した。さらに二度と戻れぬよう、リングから生じる青い障壁によって防御策を施すが、それは完全なものにはならなかった。
 
障壁にわずかな綻びが産まれ、その綻びを通過したアレーティアの意識の一部は変異し、人間達を恐怖に陥れるビジターとして地上へと降り立つこととなった。』

 ここで云う真理とは、自然科学が解き明かしたすべての事柄を意味する。つまり、相対性理論の様なものを指す。その真理を現実に立たせるものが技術と云うものだと解釈できる。そしてそのことをギリシャ神話の一つに当てはめたのではないであろうか。それにより、技術の不可解さ、恐ろしさ、将来性までを云い当てようとしたかに見えてくる。同時に、エンジニアリングの根本がこの様な解釈をされることに、メタエンジニアリングの考え方からは共感を覚えてしまう。

 つまり、相対性理論という真実が存在しても、それは伏蔵性のなかに隠されているのであって、それを人間が自分なりのしかたで開蔵すること、即ち必要な材料を集め、貯蔵し、必要な製品に加工し、使用できる状態(この場合は、爆撃機や弾道ミサイルなどに搭載すること)を作り出すことの全てが技術というものと解釈される。

『ウランは破壊あるいは平和利用のために放出されうる原子エネルギーのために調達されるのである。』(pp.24)

 この様に解釈をすると、技術は人類の為にあると云うことが現れて来ない。良くも悪くも勝手に創造に走ってしまう、と捉えられる。つまり、技術は人類を破滅の方向に向かって加速させるためのものとも考えることもできる。

 このことは、見えていないものを追求し、あらゆる知恵と手段でそれを具現化するメタエンジニアリングの考え方に共通するのだが、やはり技術には、社会科学・人文科学・哲学などが常に加わらなければならないと云うことが明らかとなってくる。
 いずれにせよ、すべてはその時、その場の判断によることになる。


「GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (終章)」

【Lesson13】リベラルアーツは常に重要
 
ここ数年,大学教育を中心にリベラルアーツ教育の重要性が注目されて始めている。ジェットエンジンはコモディティー品ではないので,個人生活とは関係がないと思われがちだが,実は環境問題や信頼性・安全性などで大きな関わりがある。エンジンに起因する事故を想定すれば,より明白に理解できると思う。

設計時に用いられるのは自然科学の知識が主と思われがちであるが,実は人文・社会科学や哲学的な思考がより重要である。重力という自然の基本的な原理に逆らって,半世紀近くも絶対安全性を確保し続けることは,その間に起こる可能性のある潜在的な要因をすべて配慮する必要がある。直ちに人命にかかわることであるので,想定外という言葉は通用しない。

国際共同開発では,業務外の付き合いも長時間多岐にわたる。お互いの歴史や文化(特に伝統文化で現在まで続いているもの),さらには政治的な考え方も理解しなければならない。英国での共同開発の作業中にフォークランド戦争や湾岸戦争が勃発した。サッチャー政権が誕生し,終焉を迎えた時も会食での大きな話題になった。リベラルアーツ面での深い相互理解がなければ,何回も訪れる危機を無事脱することはできない。

【この教訓の背景】

 日本の技術力は、海外では自分たちが思っているほどには評価されていないということを、自覚しなければならない。ことが、ある程度細部にまで入り込むと、むしろその技術力には感心されることが多いのだが、全体的な観点(すなわち戦略)が必要な場面では、例えば、中国にも後れを取るという場面は、最近の世界情勢の中でも、珍しいことではない。

これは、一にかかって、「日本の技術者のリベラルアーツ面での教養が足りない」ことが原因だと断定してもよいと思う。英米の技術系の大学でも大学院でもリベラルアーツ教育は必修科目になっている。一方で、わが国では入学時のオリエンテーリング感覚で形式的に行われるのみで、専門学科との連携が見受けられない。専門学科と教養学科は、始めから終わりまで並行に行わなければ、世界に太刀打ちできる技術者は、育つわけがないであろう。

結言
 
福島第1原発事故や笹子トンネルの天井板崩落事故などを知ると,常にエンジンの設計が蘇る。前者では想定外という言葉,後者ではメインテナンス不良という言葉は,ジェットエンジンの設計では最も重要視されて配慮が払われる観点である。

新エンジンの設計と開発には,計画段階を入れるとほぼ十年を要する。その間に必要とされる知識は,大学での教養学部と工学部のすべての科目にわたっていた,というのが実感である。FJR710(当時、通産省の大型プロジェクトで、最終的には短距離離着陸機を飛ばした)の成功から半世紀が過ぎようとしているが,当初の日の丸エンジンが世界の空を飛ぶ夢(本来の目的)は果たされていない。

その経緯を示す意味で,実体験から得られた13の教訓の概略とその背景を述べた。すべては部分的な勝ちであり,全体的な勝利にはほど遠いものであったと反省をしている。最終目的に対する確固たる戦略の共有が明らかに足りなかったためであろう。確固たる独自の戦略の確立と、最終目的を忘れずに、手段の目的化をしないことが、グローバル社会では最も重要だと思う。

その場考学のすすめ(10)その場でA4を一枚

2017年03月14日 08時04分52秒 | その場考学のすすめ
第3考 その場でA4を一枚

・その場で知力

知力とは、出来るだけ少ない情報で、出来るだけ早く正しい判断を下す能力、と思う。技術者にとっては、常にそのことが要求されている。いざと云う時に彼方此方を調べまわったり、逡巡するようでは時間がいくらあっても足りなくなるので、競争には勝てない。いや、はっきり言って仕事にならない。

知力は、知恵の集積から生まれる。
知恵は、知識の集積から生まれる。
知識は、情報と経験によってつくられる。
知識は、情報の集積から生まれる。

つまり技術者にとって大事なことは、情報を知識化し、知識を知恵化し、知恵を知力化する術を知ることであろう。このことは、訓練によって可能になる。つまり、日常の動作の中で自然にそのことが出来るようになる。

情報の集積の形はこの10年間で革命的に変わってしまった。いわゆる「ネットサーフィン」である。しかし、そこには人間の能力に関する重大な欠陥がある。そのことは、あの有名なキッシンジャーが繰り返し指摘し続けている。最近の発言は、2016.12.20に行われた読売新聞記者とのインタビューの中にある。主テーマは、その年に起こった英国と米国における政治的な大変化なのだが、敢えて次の言葉を追加している。

『確かにインターネットはボタンを一押しするだけで、実に多くン情報を得ることができる。しかし、それが可能になったことによって、我々は得られた情報を記憶する必要がなくなったことが問題だ。得た情報を記憶しなくなると、様々な情報を取り入れて、体系的に思索するということができなくなる。
それで、どうなったかといえば、知識力が著しく損なわれる結果を招くことになった。そして、なにもかもが感情に左右されるようになり、物事を近視眼的にしかみられなくなる。私はこれを大きな問題だと思っている。多くの人がこの事態をさらに研究して、対策を考えるべきだろう。』(  ,pp.100)
このことが、すでに英国のブレクジットと米国のトランプ政権の誕生で起こってしまったということなのだろう。

このことの解決策の第1歩は、情報の知識化になる。短時間で情報を知識化する方法は色々とあるのだろうが、私のお勧めは情報をA4サイズ1枚に纏めること。この作業は、慣れると非常に簡単で、しかも楽しい。

実例は、会議の打ち合わせ覚えのような単純なものから、設計の標準化の資料などの複雑なものまで枚挙にいとまがない。いくつかの実例を別途纏めることにした。

その数は63種類で、覚えやすいように各シートには英字3三字以内の愛称を付けた。これもRolls Royce譲りなのだが、他部門への浸透力は抜群であった。(デザイン・コミューニティー・シリーズ 第12巻)








そして、それらはその先の知識の知恵化にも役立つ。A4が一枚で独立した資料になっているので、ファイルに纏める方法はいくらでもある。
 
なぜ、A4サイズが一枚も必要なのか、との疑問が生じるかもしれない。メモでは役に立たないのだろうか。
 技術者は、常に「何故;Why?」を念頭におけなければならない。つまり、情報の背景や目的や起承転結が同時に明らかでないものは、技術者にとっては情報たる価値が無いのである。従って、「Why」を記入する欄は必ず必要である。


・A4横型のバインダー


 A4の一枚の資料は、できれば横サイズに統一すると使いやすい。
第一に、大方の資料は縦型なので、一目で区別がつく。バインダーに綴じても、他の資料との区別がはっきりと分かる。ファイリングの方法も、時間とともに簡単に変化させることができる。
 
 私は、設計の現役時代にいくつかのプロジェクトを掛け持ちした。そこで、先ずはプロジェクトごとにファイリングをする。大きなプロジェクトならば、その中をいくつかに分ける。最初から分けなくとも、途中から分ける場合でも、A4紙1枚で独立しているので、たとえば年賀はがきを、差出人別に あ行、か行などと分類するように簡単に分割をすることができる。

プロジェクトが終了したら、単純に年度別にバインダーに纏めてしまう。その際は、社内と社外、あるいは国内と外国などと自由に分けることも簡単である。
 
もっとも、その為には一つの工夫が必要である。それは、番号付けなのだが、1970年代のロールスロイスから学んだ方法の詳細は後に譲ることにする。とにかく、どんな一枚にも右上に小さな四角い欄を作り、そこに日付と情報の種類が分かる記号と番号をその場で書き込むことができるように自分なりのルールを決めておくことだ。私は、このルールを1980年以来 既に30年以上もの間まったく変えずに守っている。
 
例えば、昨今盛んにおこなわれている講演会でも、講演者の紹介文などの裏面の右上に小さな四角い欄を作り、日付とRR式番号体系を記入して、あとは講演を聞きながら必要な情報を書き込む。その紙は、色々な書類と一緒に1か月間纏めておかれて、次の月にそれぞれの保管ファイルに分けられる。
従って、いざとなれば30年前の資料と、昨日書いた資料を一つのファイルに纏め直すことが、可能になっている。

 知識は断片的でも役立つものだが、知力は断片ではなく、一つのストーリーが必要になる。その場合には、そのストーリーに必要なシートのみを集めればよい。ノートや手帳に書いてしまうと、この自由は全く無くなってしまう。だから私は、過去20年間はノートも手帳も使わなかった。

 パソコンの記憶容量が増えて、なんでも「名前を付けて保存」し、あとからの「検索」で自由に過去の資料が取り出せる環境が整っているのだが、やはりA4一枚のシステムのほうが格段に優れている。そのことは、長年の実感でしか知ることはできない。


・その場でSchedule管理、その場で日記

 手帳が無いと困るのはSchedule管理だが、それもA4紙1枚で済ませた。方法は、Out Lookの日程表の1週間分をA5サイズにして、2週間分をA4紙1枚に印刷をする。実際には、3週間先までが実用的なので、2枚になってしまうのだが、これをA5サイズに二つに切り4つ折りにして、ワイシャツのポケットに入れておく。
 
一番上は今週の予定表で、実績や追加の予定を随時書き込む。それが日記帳代わりになる。四つ折りにした3枚目の裏側は、4面あるので それぞれをメモ帳として使う。4面はそれぞれ違う場所でのアクション項目とする。たとえば、事務所、工場、自宅、旅行先など その週ごとに勝手に決めればよい。
 
1週間が過ぎたところで、4週間分の2枚を改めて印刷をする。
その際は、先週の分から始めると、その間に追加や訂正の予定がパソコンには入っているので、その週の始めと終わりとでの予定の変化が一眼で分かる。また、メモ代わりの紙は、4分割をしてそれぞれの場所に置いておく。

アクションが全て終われば、捨てる。アクションをのろのろと済ませていると、この小さな紙切れが何枚もたまってしまうので、処理の遅れの度合いも一目で分かるというものだ。そして、日記帳には、先週書きこんだ紙と、今週印刷した紙とを並べてはる事により、どのような変化が起こったのかも同時に記録する事が出来る。

 このことも、現在はスマホで全てをすますことが容易に可能になっている。しかし、それでは「知恵は、知識の集積から生まれる」ができるわけがない。A5サイズの紙に書かれた予定と実績と、ちょっとしたメモ書きは、そのまま日記帳に張り付けることができる。つまり、私の予定表は「日記」なのだ。そして、過去の日記は知識の集積であり、知恵のもとになる。

 この様に、A4紙1枚は 小さな工夫でいかようにも効率を上げることができることが、最大のメリットと言えるのだろう。



「GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その12)」


【Lesson12】エンジンの設計は知識と経験が半々[1979]

1979年3月26日から,共同開発期間において技術と設計の作業をどのように進めるかの会議が始まった。我々は,FJR710のエンジンを10年間で4種類すべてを成功裏に運転した直後であったが,RR流のやり方をとことん吸収すべく 取り入れられるものはすべて取り入れることにして会議に臨んだ。会議は一日に数回,連日行われた。

最初は,会議に使うノートである。ほとんど全員がA4サイズの2センチほどの罫線の入った分厚いノートを持ち歩いている。ファイル用の孔が明いており,一枚ずつ破って別々のファイルに保存する。したがって,持ち歩くのは,だんだん薄くなる何も書いていないノートだけになる。会議の冒頭で,私は先ずこのRR式ノートを差し出して,相手の名前を書いてもらった。(これも教訓の一つ)親切な人は,自分の周りの組織図まで書いてくれるので,かなり合理的だった。以来,私は従来型の日本式ノートを持ち歩くことはなくなった。

午前9時,B J Banes氏と執務室の正確なAddress( RR Ltd. Whittle House Room W1-G-4)などのTechnical Systemの話から始まった。続いて,10時から,設計に使う様々な単位の話,10時半からは,Fan部分の性能の話,11時半からはHP Compressorの性能の話,といった具合に矢継ぎ早に攻めてくる。相手は,次々に代わるのだが,こちらは連続である。幸い,一度にすべてではなく,段階的に話を進める術を心得ているようで,中身は良く理解できたように思う。

これが,その後数十年間にわたって続く(私の場合だけでも, 10年間で約1000回),RRとの開発設計に関するEngineering Meetingの始まりであった。パラパラと当時のRR式ノートのファイルを捲ってゆくと,日本に居ては決して聴けないような話が至る所に出てくる。エンジン設計は,知識と経験が半々に必要であるとの認識を初めて持つことになった瞬間であった。

【この教訓の背景】

 英国人は、教え方にたけているように感じたことが何度かある。先ずは、相手に合わせる技術。一度に全てではなく、基本的なことからある時間をおいて、徐々に詳細に入ってゆく手順の良さ。最初の駐在者部隊は英語に長けたメンバーだったが、年を追うにしたがって、交代要員が不足し始めて、英語が不得意な人も送り込まなければならなくなった。しかし、心配は杞憂に終わった。彼らは、心配になるとこういう、「Are you with me?」。少し失礼な言い方なのだが、明確である。日本人が教えるときは、このようなことは起きない。
 
ちなみに、ここで実感したのは、「会話の能力は言語によらない」ということだった。いくら学歴が高くても、日本での会議の席での発言がきちんとできない人は、英語能力が達者でも意思疎通が不完全だった。一方で、英語が全くの不得手でも、日本語での会話能力が達者な人は、あっという間に英国人との意思疎通ができてしまう、ということを何度も経験した。
 
このことから、最近の大学や大学院で行われている、英語でのプレゼン能力の重視教育からは実質の効果が期待できない。重要なのは、会話を通じた意思疎通能力であり、訓練の方法は全く違ってくる。



その場考学のすすめ(09)哲学からの再出発(つづき)

2017年03月08日 08時31分32秒 | その場考学のすすめ
・哲学からの再出発(つづき)

加藤尚武著「ハイデガーの技術論」理想社 [2003.6.20]

 加藤氏は、いわゆる哲学の京都学派の重鎮で、日本哲学会の委員長も務められたが、同時に原子力委員会の専門委員も務められた。「災害論―安全工学への疑問」世界思想社[2011]が有名である。その中では、「ハイデッガーの技術論」に関連して、『危険な技術を止めようというのは短絡的。今やるべきなのは多様な学問分野から叡智を結集し、科学技術のリスクを管理する方法を考えることだ』、『合理主義が揺らぐ中で科学のありようが問われているだけではない。哲学もまたどうあるべきかを問われている』などが述べられている。



 「ハイデガーの技術論」は、前書きにもあるように、ハイデガーの技術論を少し本格的に研究しようとする者のための入門書であり、従来のハイデガーに関する様々な著書が、技術論を詳細に扱っていないとの考えに基づいて書かれている。メタエンジニアリングにとっては、格好の著書のひとつである。

彼の解説は、大きく二つに分かれている。
1. 技術は、人間を引き立て、現実のものを取り立てて発掘するように仕向ける
2. 「転向」でハイデガーはどのような歴史意識をつたえようとしたか

前の章では、「技術論」の特徴を次のように要約している。

『① 機械にたいして、たんに人間が主体性を、個人が自立性を取り戻すだけでは不十分で、同時にその人間が本来性を取り戻すのでなければならない。
 
② 特定の人間や階級が、姿のない匿名性、非人格性を通じて、多数の人間を自分たちの利潤追求の手段とし、監視し、支配するのではなくて、その支配者もまた徴発性という形のない仕組みの奴隷となっており、一つの時代の文化、社会、人間が全体として人間存在の真実を喪失している。
 
③ 人間が自己を喪失して機械の部品となり、技術が自然の持つ奥深い真理性を破壊するのは、西洋とその影響を受けた文化全体の根本にかかわる大きな歴史的運命のなかの出来事であり、何らかの作為で解決がつく問題ではない。』(pp.23)

 「転向」の中では、いかなる本質も、時間の経過とともに転換期が到来することを述べている。
『技術道具説、技術中立説とは、根底にある心性に無理解であることから生まれてくる即物的な個体主義である。私が私の自由意思でナイフを使う。ナイフは善悪両方に使うことができる。善悪の決定は私の意思にゆだねられている。これが、技術道具説、技術中立説の基本認識である。
 
ハイデガーはこれに対して、社会文化全体が「総とりたて体制」「収奪性」「徴発性」という潜在的な集団心性にもとづく、体制化された自己忘却を作り出しているのであって、その全体的な文脈は個別的な行為のなかに、実証可能な形で内在している物ではないということを指摘する。
(中略)

ところが、そこに同時に、逆転の可能性がひそんでいる。危機が危機として明らかになるとき、危機は転換期の到来をもたらすのである。自己欺瞞が自己欺瞞であることを露にすることによって、逆転が生ずる。』(pp.36)

それに続く、「3.徴発性は、歴史的なめぐりあわせのなかで、変化する宿命をもっている」のなかでは、

『存在そのものが変化するということは、世俗的な言い方をすれば、文化の体質が根本から変化することである。その中で生きる人間の存在の意味が歴史的な規模で変化することである。(中略)

このような変化全体が行われる場が、時間なのであって、この時間は歴史的な出来事の複雑な組み合わせが変わる世俗的な世界の時間であり、その中で物事の根本的な意味づけの枠組みもまた変わる。』(pp.40)
としている。
 
しかし、次の節では「技術の本質を人間が操作することはできない」と断言している。
つまり、技術の本質は存在そのものだというわけである。


・和辻哲郎の見方


 存在と時間が発表された丁度このころに、日本人哲学者の和辻哲郎がドイツに留学をしていた。そして、驚くことに彼はすぐそれに対する反論(というよりは、もっと広い視野からの追加の意見)を発表した。そして、和辻の論理は当時の哲学者に広く受け入れられた。そこにも、その場考学と似たような考えがある。
 
それは、和辻の著書の中でもっとも有名な「風土」の序文で述べられている。



「この書の目ざすところは人間存在の構造契機としての風土性を明らかにすることである。」

「自分が風土性の問題を考え始めたのは1927年初夏、ベルリンにおいてハイデガーの「有と時間」を読んだときである。人の存在の構造を時間性として把握する試みは、自分にとって非常に興味深いものであった。しかし時間性がかく主体的存在構造として活かされたときに、なぜ同時に空間性が、同じく根源的な存在構造として、活かされて来ないのか。」

「そこに自分はハイデガーの仕事の限界を見たのである。」

「ハイデガーがそこに留まったのは彼のDaseinがあくまでも個人に過ぎなかったからである。彼は人間存在をただ人の存在と捕えた。それは人間存在の個人的・社会的なる二重構造から見れば、単に抽象的なる一面に過ぎぬ。」

「ハイデガーにおいて十分具体的に現れて来ない歴史性も、かくして初めてその真相を露呈する。」
その場考学にとっては、なんとも小気味よい文章である。

・人⇒人間⇒空間的な広がりの場⇒その場⇒その場考学

 以上の経緯を経て、技術によって完全に支配された現代社会において、その場考学の進むべき方向が示されたように感じている。そして、その課題に対しては根本的エンジニアリングの手法で臨むことが良いのではないだろうか。

 
・「GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その11)」

【Lesson11】試験用エンジンをいかに早く組み立てるか[1982]


いよいよ最初の共同設計の成果であるRJ500の組み立てが日英双方で始まった。初号機は勿論Rolls-Royce。2号機のIHI瑞穂工場でのスタートは約1ヶ月遅れの計画だったと思う。

途中で問題が起こった。FAN ROTOR MODULEでバランスが旨くとれないのだ。設計では,鳥や氷で頻繁に傷つけられるエンジンの最先端にあるFANやLPC Moduleだけの交換が、機体に取り付けたままで自由にできるように,小さなStub Shaft(Fan RotorとLP Shaftをつなぐ短い軸)にLPCサイズのDUMMY WEIGHTを付けてバランスをとることを要求している。これが,日英双方の現場でトラぶったのだ。

結局解決策を見つけたのは,瑞穂工場であった。問題解決の場面が設計と現場とのコラボレーションになると,圧倒的に日本チームが強い。
更に,計測ラインの取り付けでも同様で,当時のRRが最も恐れていた,2号機が先に運転場に運び込まれる事態となってしまった。結果は,RR NEWSの記事にあるとおりに,同じ週の数日違いでRRが面目を保った。めでたし,めでたしであった。(当時のRolls-Royce Newsは後日追加で添付します)

【この教訓の背景】


 このことは、「格差のないチームワークだけが複雑な問題を素早く解決できる」ということだと思う。
リーダーとメンバー、経験の差、年齢の差、出身母体の差など、格差の要因はいくらでもあるし、格差が全くないチームは不可能だ。要は、格差を感じさせないチームということだ。

日本では、設計と現場の間で格差を感じることはない。(このことは、私の長年の経験なのだが、そうではないという人もいる)しかし、欧米の会社での設計と現場の会話には、明らかに格差を感じることが多かった。勿論、このことは個人差によるのだが、文明論などを読んでいると、歴史的に奴隷制度があった国となかった国の差とも思えてくる。

その場考学のすすめ(08)哲学からの再出発

2017年02月25日 07時35分32秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(08)

・哲学からの再出発

 その場考学と最も近い著書は、ハイデガーの「存在と時間」である。その場考学は、純粋な哲学とは基本的には大いに異なるのだが、時と場所とを最重要視する考察であるという点において共通のものがあると、勝手に思い込んでいる。



この「存在と時間」という書は、難解であるとの評判が高く、ハイデガーの研究の第1人者である、京都大学の木田 元名誉教授も2010年9月の日本経済新聞の私の履歴書でこの様に述べておられる。(O内の数字は、掲載回を示す)

 「⑰ そのうち、現代ドイツの哲学者のハイデガーが、ドストエフスキーとキルケゴールの二人の影響を受けながら「存在と時間」という本を書き、無神論の立場で人間の在り方を分析していることを知った。
 
これだ、と思った。これさえ読めば生きる道筋が見えてくるにちがいない。さっそく古本屋にいって翻訳を買ってきた。当時1種類だけ翻訳があり、どこの古本屋にもころがっていた。
 だが、読もうとしてもさっぱり分からない。いくらか読書の訓練は積んだつもりでいたが、文学少年が読んで分かるような本では無かったのだ。」
 
「⑳ ようやく読破、しかし…一度では理解にほど遠く。」
 「(21)私がハイデガーについて初めて書くのは、「存在と時間」を読み始めてから33年後の1983年に、岩波書店の「20世紀の思想家」の一冊として書いた「ハイデガー」である。」

 このように、「存在と時間」は一介の技術者が太刀打ちできるような代物ではない。しかし、彼に興味をもって図書館でありったけの 著書を借りて斜め読みを試みた。

 幸い、図書館の書架の最初が100番台に分類される哲学であり、ハイデガーの著書は難なく見つけることができる。もっとも詳しいのは、昭和30年代から出版が続いた理想社の「ハイデガー選書」であった。その第18巻は「技術論」とある。これだ!、である。その中味を拾い読みしてみよう。


M.ハイデガー「技術論」理想社[1965.4.26]

この書は、小島威夫、アルムブルスターの共著となっている。冒頭には、「序にかえてー日本の友に」と題して、ハイデガーが1963.8.18に小島氏あてに書いた手紙が10ページにわたって示されている。そこから引用する。

 『一般の通念では、技術とは数学的・実験的物理学を自然力の開発や利用に応用することと解されていています。そしてこの物理学の成立のなかに、西欧的近代すなわちヨーロッパ的なものの始まりが認められています。』(pp.6)
 
彼らは、技術を通じて世界がヨーロッパ化されることに注目をしていた。

『この自然科学の根本特質はかかる意味での技術的なものであって、それがなによりも近代物理学によって初めて、全く新たな独自な形態をとって現れてきたのです。この近代技術によって、自然の中に閉ざされていたエネルギーが打ち開かれ、その開発されたものが変形され、変形されたものが補強され、補強されたものが貯蔵され、貯蔵されたものが分配されるようになりました。

自然のエネルギーが確保される在り方が制御されるばかりではなく、その制御自身もまた確保されなければなりません。いたるところで、このように挑発し、確保し、計算するように自然を立たせることが、支配し統べているのです。

それのみではなく、遂には様々なエネルギーを手元に立ち上げるということが、あるがままの自然のうちには決して現れて来ないような要素や素材の生産にまで、拡大されてしまいました』
 (pp.6)

ここでは、哲学者とドイツ語の独特な言い回しがあり、翻訳者を悩ませている。特に、「立ち上げる」は、ドイツ語のstellen(シュテレン)で、地上に横たわっているものを、垂直にするとの意味がもともとの解釈である。更に、「追いたてる、取り立てる,責め立てる」という意味が含まれている。この元締めがgestellenなのだが、これを「徴発性」と訳す場面が多い。

この文章の全体的な流れは、例えば鉄鉱石と石炭を掘り出して、製鉄を行い、それを様々な場所に移してものを作り、貯蔵をして利用するといった流れを想定すればよい。

『あるがままの自然のうちには決して現れて来ないような要素や素材の生産にまで…』とは、当時始まったばかりの核反応の利用を指していると思われる。

 そして、『このさけることも制することもできない力は、その支配を全地球上に否応なく拡大してゆくばかりです。しかも時間的にも空間的にもその都度達成されたどんな段階をもたえず乗り越えてゆくことが、このちからの持ち前なのです。』(pp.7)
としている。人間は、技術の拡散を制することができないとの議論の始まりだ。つまり、科学技術が将来世界を完全に乗っ取ってしまうとの宣言になっている。
 
そして更に、
『人間は、ますます自己の人間性を喪失してゆく脅威の高まりの中に立っています。(中略)人間はこの立たせる力に売り渡されてしまって、自己の生存の本来の意義を塞ぎ立てられているのです。』と続く。(pp.8)
 
しかし、その先が本来の哲学になってくる。
『その際必要なことは、仕立てることに没頭したり技術的世界を観察したりする代わりに、むしろ私たちはこの立たせる力の統率から一歩引くことです。そこから引き退る歩みが必要です。』(pp.10)

『この引き退る歩みとは、決して過去の時代への思惟の逃避でもなければ、ましてや西欧哲学の復興を行っているのではありません。(中略)むしろ仕立ての進歩や退歩が生気している路面から抜け出す歩みなのです。』(pp.11)

『立たせる力は人間を呼び求め、その求めに応ずることを必要としています。だから、かく呼び求められている人間は、この立たせる力の本来的なもののなかへ一緒に所属してゆきます。人間はかくのごとく呼び求められた者であるということ、-これが世界の技術時代における人間の成存の固有なものを特徴づけています。』(pp.11)

『つまり世界の技術化の本来的な意味――を垣間見る閃きが、まさしく人間本来的なものへの到る道を教えてくれます。この本来的なものとは、人間が存在によって、存在の為に呼び求められている意味において、自己の人間性を特徴づけているものを行っているのです。(中略)

この力を制御しえない人間の行為の無能をひそかに暴露しているものです。しかしそのことは同時に、未だ覆い隠されているこの立たせる力の秘密に、自ら反省しつつ適応するようにという合図も含んでいます。』(pp.11)
ここに至って、「存在と時間」の匂いがしてくる。

 以上の文章は、ハイデガーが日本の哲学者の小島威彦氏に1963年に送った文章として、序文に載せられている。
前述のように、「存在と時間」は専門の哲学者にとっても難解なので、この様な私信から入る方が良さそうだ。
 
「存在と時間」は、主に生と死に関するものなのだが、技術論としては、このように書かれている。
 
『科学的認識や技術的発明の前進は、この立たせる力の支配の結果、世界文明といったようなものを仕立てたり切り揃えたりするために、風土的・民族的に芽生えた国民文化が(一時的にか永久的にかはともかく)消え失せてゆくのです。』(pp.7)

 人間が技術を支配している時間は短く、いずれ技術に人間が支配されるであろう、技術にはそのような力が備わっている、ということなのだが、ではどうするか。開発設計を行っていると、技術に関する決断を一日に何十回も行うことになる。すべて、その場・そのときに決断が必要になる。よほどの信念が無いと技術に支配されてしまう。その場考学の発想は、そこから来たのかもしれない。



「GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その10)」

">>【Lesson10】世界中のエアラインの特徴を把握する[1980]
 
V2500エンジンの前に,RJ500のプロジェクトがあった,一切ののれん代無しに日英で50対50で短距離用エンジンの開発を進めようという,野心的な契約が交わされた。その第1陣のリーダー役として派遣された私は,マーケティングに始まるすべての部署のオリエンテーリングを受けた。

大型航空機用のエンジンは,生まれながらのグローバル製品である。世界中のすべての国のエアラインが顧客の候補であり,一旦運航が始まれば,世界中のすべての空港での離着陸が行われることを配慮しなければならない。駐機中に問題が発生すれば,その場で直さなければならない。

したがって,設計者は世界中のエアラインで起こりそうな問題を,できるだけ知っておく必要がある。たとえ中古機であっても,事故の原因がエンジンにあることは許されない。例えば,「英語のマニュアルが正確に読むことのできない空港でも,整備上のヒューマンエラーが生じない設計を考えること」,「日本人の手は小さく,指も細いが,世界にはグローブのような手を持った人種の国もある。そのようなところでも,on wingの整備で必要な個所には,手が入らなければならない」などであった。
 
また,エンジン会社よりもエンジンの詳細に詳しいエアラインがある。ドイツのルフトハンザ航空だそうだ。「彼らの最新かつ広範囲な知識も,身につけなければいけない。その情報は,マーケティング部門からもたらされる」も貴重な教えだった。
 このように考えてゆくと,日の丸エンジンのスタートには,重要なものの多くが抜けていることが自ずと分かってくる。

【この教訓の背景】

 日本の企業もかなりグローバル化が進んだと評価されるようになった。しかし、航空機用エンジンの常識からみると、すべては国際化であって、グローバル化、すなわち地球化でなない。ある特定の国や地域の文化に適合するように、製品の一部の機能やデザインを修正する、といったことが多いように思う。つまり、スタートから方向が違っている。
 
文明の条件は色々あるのだが、単純明快なものの一つが、「だれでも簡単に入手できて、利用できるもの」というのがある。司馬遼太郎がアメリカ素描で書いたように、Gパンは、取り扱いが容易でどこでも入手が可能で、見ればTPOが分かる。マクドナルドハンバーガーは、誰でもおいしい食べ方が分かる。
 
今は、情報が簡単に手に入るのだから、その気があれば世界中の文化を知ることができる。スタート時点で、どこまでの情報を入手し、分析をするかの気構えだけの問題であるように思う。
 
このことは、新製品の開発時の原価企画にあると思うのだが、それはまた別の話になってしまう。

その場考学のすすめ(07)講義と教育

2017年02月22日 08時59分55秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(07)

・大学での講義

 1990年から2016年までに、いくつかの大学と大学院でほぼ毎年講義をした。中味はジェットエンジンの工学的・技術的な話と国際共同開発での実体験からのノウハウ的なものが主であったが、その中で必ず、その場考学的な話を加えることにした。つまり、知識の詰め込みや伝授ではなく、素早く考えて結論を得ることの中味とその術の説明だ。

 考えることの中味は、個人の年代や技術レベルによって異なる。Whatを考えるか、Howか、Whyであるかでも異なる。部分適合か全体最適かで、ときには正反対の答えになる。最適化についても、ロバスト性をどこまで考慮するかによって,解は大きく異なる。それらを考える時間を、どのようにして十分に確保するかの術もある。そのような内容の授業にした覚えがある。




・社内での教育

 社内教育も随分行った。内容は、大学での講義と大差がないものもあるが、焦点は絞られる。設計、管理(TQM)、品質、コスト、原価企画、VA&VE、信頼性、研究課題、プロジェクト・マネージメント、リーダーシップ、人材育成、ノウハウの伝承など様々だった。(註1)しかし常に考えることは、経験をいかに形式知化して後輩たちに伝えるかということだ。このことが無いと、進歩は望めない。特に標準化については、その場考学が大いに役立ったのだが、中味は別途第5考の中で述べることにする。要は、その時・その場で標準化も同時に行う術である。

 社内での標準化、形式知化に関して、必ず話したことは、「今は忙しいから、少し暇になってからやろう」ということは、二つの点で間違えだということだった。

 一つは、技術者、特に設計技術者である限り、今よりも忙しくなることはあっても、暇になることは絶対にあり得ないということ。二つ目は、暇な時に作った資料は、忙しいときには役に立たないということ。忙しいときには、暇な時に作った資料を読む暇があるわけがない。つまり、その時・その場でつくってしまうということだ。
 
 つまり、そこでの具体策は、設計書なりノウハウを纏めたレポート作成時に、同時に標準化の資料も作ることだった。ただし、分厚い報告書をA4一枚に纏めること。フォーマットを予め作っておけば、必要事項を埋めるだけでよい。早い人ならば5分でできる。このことは、「その場考学」の基本的な考え方でもあるのだ。

 ちなみに、このA4一枚の設計標準は、番号体系をあらかじめ決めて、作成枚数は1千枚までとした。多すぎれば後始末に困るし、少なすぎれば自然消滅する。全体量はそこから決めた。

 
・先ずは時間を作る方法を開発すること


 時間を作る方法は、無限にある。人それぞれに異なる条件があるのだが、もっとも単純な考え方は、他人のまねをせずに、自分自身の独特なやり方を開発することだと思う。多くの人がやっていることは、一見合理的に見えるものだが、明らかに無駄が多い。少し理屈っぽくなるが、多くの人がやっているやり方は、結局そのやり方が楽だということなのだろう。楽と言うことは、即ち無駄があるということなのだ。

 技術者にとって、大きく時間を稼ぐことは難しいのだが、小さく稼ぐことは比較的容易である。それは、技術者は仕事のやり方を自分自身で決められる裁量の範囲が、他の業種よりも多いためだと思う。そのことを利用しない手はない。小さなことでも、一週間の間に二度以上繰り返されることについては、独自の方法を考えるべきであろう。そうすれば、小さな時間が自分のものになり、その時間を使って、さらなる手法を開発することができるのだ。


GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その9)

【Lesson9】商品としての差はMaintainabilityでつく[1979]
 
 大型の機体の場合には,複種類のエンジンを搭載できるようにすることが,当時の一つの常識であった。V2500のライバルは,先行するGEチームのCFM56エンジンであった。当初の戦略は,「燃料消費率と騒音レベルで絶対に優位に立つ」であり,その条件を満たす設計は可能であった。しかし,毎月行われる世界中のエアラインとの商談は,数回のエンジン試験で性能が実証されるまでは連敗が続いた。開発試験も後半になると,少しずつ受注が取れるようになったが,そうなると競合エンジンは性能の改善を発表した。

 ジェットエンジンの世界では,このような言葉がある。「この業界のcompetitivenessというのは,結局はシーソーゲームで何時の時点で見るかにより変わる。明らかに差が出れば売れなくなるので必然的に同じレベルに近づいてゆく傾向にある。」

 実際の売価や支払い条件でも接戦が続くと,最後には整備性の比較が精密に行われる。エンジンの整備費は膨大で,ライフタイムを通して支払われる総費用は,価格の数倍になるので,エアラインがエンジンを選択する際の大きな要因と考えられている。

 整備性は,初期の設計思想で固められるのだが,後からの変更は他の特性と異なり,容易に改善をすることができない。機上で部品交換が可能な範囲,主要モジュールの取り出し方法と部品交換サイクルの同期,高温部品の寿命,分解組み立てに必要な特殊治工具など,後からの変更は難しい。FJRの場合には,一切問題とならなかった観点であり,このための主要なノウハウは長期間の自身の経験と,世界中のエアラインからの様々な意見からのみ得られるものである。

【この教訓の背景】


 多くの製品において、なぜメインテイナビリティーがこうも軽視されるようになってしまったのであろうか。高度成長時代以前は、修理や修繕が盛んにおこなわれた。しかし、その時代以後は、大量生産、大量消費にばかり眼が行ってしまった。おまけに、「省エネ」と「技術立国」の掛け声で、多くの会社や研究機関が次々と新製品を生み出さざるを得ない体質になってしまった。部品を海外調達にしたので、長期間の同一品の入手ができなくなったからだ、との説もあるが、本質論ではないと思う。
 
 新しく作ることと、直して使い続けることの「省エネ」比較は、比べ物にならない。しかし、「省エネ」の掛け声のもとに、次から次へと省エネ新製品をつくり出し、それを無理やり消費者に押し付けるのだから、宣伝も過剰すぎるほどに行わなければならない。全体的に見れば、「省エネ」とはまったくの逆の話なのだが、部分適合の社会では、常識としてまかり通ることになる。

 これだけならば、経済の活性化と裏腹の話になるので、まだ許せる。資本主義経済の下では、やむを得ないということなのだ。しかし、こと安全、しかも生命や財産の危険が絡むことになると、話は違ってくる。この問題の多くは、エネルギー機器とインフラに起こりやすい。エネルギー機器は正しくメインテナンスをしなければ、エネルギーが制御不能になる。例えば、湯沸かし器の一酸化炭素発生、漏電による火災、自動車のブレーキ故障やフェールセイフ機能などがそれに相当する。インフラは、寿命を超えた橋やトンネル。水道管にガス管などなど。
 
 これらは、製造と同時にメインテナンスの方法と、その限界である寿命の判断基準が明示されなければならないのだが、それはごく一部の法令で定められた場合に限っているように思える。一般的には、作って、売ればおしまい。製品の保証期間はどんどん短くなって、今は1年間が常識になってしまった。技術や文明が進化したのならば、保証期間は長くならなければおかしい。しかし、正常なメインテナンスが行わなければ、保証期間は短くなって当然なのだろう。
 
 省エネとか、廃棄物の削減とか、地球負荷の軽減などの標語が叫ばれるのだが、すべて部分適合の範疇であり、全体をカバーする原則のようなものがない。つまり、戦略がない。

註1;
社内教育の資料は、KTA(Technical Advice)として発番、その後はKTR(Technical Review)として発番した。総数は1350件を超えていた。

その場考学のすすめ(06)設計への応用

2017年02月15日 16時17分39秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(06) H29.2.15投稿

設計への応用



・少ない情報で早く正しい決断をすること

 技術者の生涯賃金が安すぎるとの根強い意見もあるが、それは創造の自由への代償だと思っている。やはりじっくりと物事を考える時間の確保が技術者にとっての第一の命題であろう。考える時間を持たない者は、単なる作業者である。長年開発エンジンのChief DesignerやChief Engineerを続け、その後様々な組織の計画と立ち上げをやったが(最後は従業員一千人、売上高500億の会社づくりだった)、必要なことは少ない情報で早く正しい決断をすることだった。

 それは30年前のその場考学の延長線上にあるものだと思う。そこで、その場考学研究所なるものを始めることにしたが、先々のことは皆目見当がつかない。そこで、第2作目(第1作は、DCシリーズ 第7巻 設計とサイクル論)としては 改めてその場考学とは何か、何が出来て何ができないのかを考えてみることにした。


・その場考学の目的と手段


 その場考学とは、その場・その時を最も有効に過ごすために、実生活における知力を備えた鼎型人間の育成と実践とを目指す工学である、と述べた。それを達成するための手段は何であろう。

 その場考学の第1の手段は、考えるための自由な時間を作ること。その術を出来る限り開発することにある。このことはちょっとした工夫でいくらでもできることを、Rolls Royce社との共同開発中に学んだ。そして、それを習慣として身につけてしまうことだ。

 第2の手段は、その時間を使って考える際に、少しでも早く結論を得る術を開発することである。何を考えるのかは、人それぞれであろう。しかも、一人の人間であっても、その時・その場で異なる。考えることは、ある情報に端を発する。そして、考えるためには追加の情報が必要になる。結論を得るまでに、どれほどの追加情報が必要になるのかが、結論を得るまでの時間を決定する。

 過去の情報が知識となって整理されており、その知識が知力という形にまで整理されていると、意外に早く結論に至ることができる。その際に、様々な雑学が役に立つ。サイクル論も重要な雑学の一つだが、開発設計技術者としての経験からは、価値工学(VE,Value Engineering)と品質工学(QE,Quality Engineering)が大いに役に立ったと思う。特に、価値工学の元である価値解析(VA; Value Analysis)は、多くの会議の場で役に立った。
 
 これらの工学については、通常の大学で教えられることは少ない。しかし、技術者としての業務では直ちに必要となる重要な知識なのだ。
その詳しい内容はともかくとしても、基本的な考え方を理解しておく必要がある。特にVEとQEの基本的な考え方は、全ての技術的な作業の場において、強力な根拠となる事を実感することが、その場考学の第2段階と考える。
 

 ものでも、ことでも果たすべき機能が存在する。その機能の価値を分析するのだ。方法はいたって簡単で、基本機能と補助機能に敢えて分けることから始める。基本機能は大概3つ以内に記述できる。
 
 次に、補助機能を列記する。これは沢山ある、考えてゆくと無限に出てくる。それらの基本機能を達成するために直接に必要なものと、そうでもないものに分類する。そして、後者を捨て去る。その上で、基本機能をどうすればもっと良くできるかに思考を集中する。いわば、考え方の選択と集中であろう。これが、VAの基本だと考える。
 
QEについては、話がやや複雑になるので、第5考で述べることにする。
 その場考学の第2の手段は、まずこの二つから始まる。


・設計プロセスへの応用

 その場考学の応用で1980年当初からまず始めたことは、設計プロセスへの応用であった。
航空機用エンジンの設計は典型的なすり合わせ型ものつくりである。構造上は、空気の取り入れ口⇒圧縮機⇒燃焼器⇒タービン⇒排気口の積み重ねに見えるのだが、その中で空気と燃焼ガスが複雑に動き回る一つの固まりなのだ。

 基本設計の段階から数十人の設計技術者と、解析の専門家がそれに群がる。それから詳細設計に至るまでに、無限の設計案が乱立する。1回の試験運転をすると百か所位の要検討項目が発見される。

 しかし、当然のことながら最終の設計解はただ一つであるのだから、これらの情報から 出来るだけ早くに正解を決めなければならない。開発を始めると、そのことが数年間続くことになる。そして、常に時間との勝負になる。

 これに対するひとつの答えが、「A4一枚の場」である。報告も、議論も、会議記録も、出張報告も、不具合の再発防止などの決定に至るプロセスも全てA4一枚に纏める工夫をするのだ。このことは、第3考の中でふれることにするが、具体例は別冊に示した。(DCシリーズ 第12巻 A4シート一枚の場 参照)



「GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その7)」

【Lesson7】品質管理技術の問題(経験と理論が半々の世界[1998])
 
 品質管理は,航空機関連の事業にとっては最重要な技術のひとつである。この技術は第2次世界大戦中に米国でQuality Controlとして開発された。空中戦で圧倒的な強さを発揮していたゼロ戦に対抗するために,安全な高空から編隊で一気に急降下攻撃をかけるために,性能が均一なエンジンを大量生産するためのものだったと言われている。IHIの大先輩は,戦後まもなくGHQでこの教育を受け,その時の話を伺った覚えがある。
 
 Quality Controlは,日本では品質管理と訳され日本の勤勉な文化により大発展を遂げた。しかし,そこには一つの問題が潜んでいた。本来Controlとは,ばらつきが存在するものに対して,ある許容範囲に収めるべく調整をしてゆくことであろう。しかし管理と訳したために,ばらつきは可能な限り小さくすること,規定を完全順守することなどが目的となっていった。一般には,これで問題はないのだが,ジェットエンジンの製造の世界ではいくつもの問題が潜んでいる。その事例を紹介したい。
 
 第1段タービン静翼は,複雑な冷却構造と交換を容易にするために一枚ずつのセグメントにする設計が行われた。その時の問題は,隣どうしのシュラウドの間から冷却用の空気が漏れることで,その防止のための工夫が施される。材質はコバルト合金の場合が多く,超難削材(実際には研磨)である。そのためにシュラウド幅の寸法公差は,生産技術からある範囲が要求された。

 しかし,製造が繰り返されるうちに,製品寸法のばらつきは小さくなっていった。設計の仮定は,製品寸法は公差内で正規分布をするである。しかし,すべての幅が小さめに偏ると,隙間が空き過ぎ冷却空気が漏れてしまう,逆に大きめに偏ると,隣どうしがぶつかり合って,規定の半径に収まらなくなる。この場合には,追加工で直すことが可能なのだが,大きめに偏ることは,次に示す大きな問題を引き起こすことになる。

 機械加工の実力が増して,多くの部品が公差内のある寸法での加工が可能になった。すると,加工時間の短縮と,工具の摩耗量を減らすために,寸法公差内ぎりぎりで加工をストップすることになる。つまり,すべての部品が大きめになってしまう。もちろん寸法検査は合格である。しかし,そのような部品を組み立て,エンジン総重量を計測すると,許容範囲を超えてしまう。慌てて分解をして,大型部品を最軽量のものに入れ替えなければならない。
 
 同様なことに起因した事故が発生し,原因究明を行った経験がある。事故はエンジン屋が最も恐れる,In Flight Shut Downであったために,念入りに行われた。原因は,オイルポンプのシールリングの寸法であった。三重のリングの外径が,すべて公差ぎりぎりの大きめにできていた。ゴム製のリングは,使用しているうちに微量のオイルを吸収して膨潤し,かつ硬くなる。飛行中にポンプが固着して,安全設計が作動してギアボックスから切り離されたのだが,エンジンオイルの供給が突然ストップしたことにパイロットは1分以上気づかなかった。そのためにエンジンのメインベアリングが固着してしまった,というわけである。

 経験と理論が半々の世界についても,苦い経験がある。鋳造品には欠陥がつきもので許容欠陥サイズは,設計ごとにこまごまと設定される。従来は経験値が主であったが,破壊力学による詳細検討で,使用中に徐々に拡大する欠陥寸法が算出されて,許容範囲をより厳しくすることになった。当時は,タービン翼の鋳造の多くは米国の限られた会社で行われ,そこからは全世界に供給されている。そこで,IHI向けだけの許容基準が厳しくなったわけである。当然,国内での受け入れ検査時に不良品が多く発見されることとなった。そのたびに,品質管理の担当者が現地へ出向き,指導を行うのだが,一定期間のうちに再発が繰り返されることになる。この問題の正解は難しいのだが,理論と経験が半々ということの意味を熟知していれば,起こらなかったであろうと推察する。

【この教訓の背景】

 日本の品質管理のガラパコス性については、書き出したら切りがないほどの経験があるので、ここでは書かないことにする。ほぼすべては、Controlではなく、ひたすら完全を求めて管理を強化する、ということなのだが。その結果、無駄な作業が多くなり、コストが嵩み、一部の高級志向の人には、満足感を与えるが、競争力はひたすら落ちてしまう結果となる。日本が長らく「世界の先進国のなかで、労働生産性が最も悪い」との評価の原因の一部であると思う。

 高級ブランドを作る目的ならば、それはそれでよいのだが、そこまでの覚悟は無い。つまり、お得意の中途半端になっている。
 ジェットエンジンとロケットの世界では、すべてに100%の品質を求めるが、砲弾や小型ミサイルの場合には、かなりの不良品が許される。危険性さえなければ、質と数のバランスの世界なのだ。

「GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その8)」

【Lesson8】価値工学の基本を知る(Rolls RoyceのDirectorとの議論[2002])
 
 新製品開発にもちいられる原価企画と原価管理は,現在では日本のお家芸の一つになっているのだが,元はGEのマイルズが発明したVA(Value Analysis,価値解析)とVE(Value Engineering,価値工学) である。しかし,1970年代にトヨタがこの手法を原価企画にまで発展させ,日本の高度成長にも大いに貢献することになった。しかし,その基本の部分ではまだGEに一日の長あり,専門家のOBを招いての集中講義を受けた。

 中でも,この手法のおおもとである調達方法のノウハウについては,多くを学ぶことができた。当時のGEは,あのジャック・ウエルチの全盛期で,調達戦略もMDP(Market Driven Procurement)からVJP(Value Justified Procurement)へ大幅にシフトをしており,その方法論を詳しく学び,かつ応用することができた。また,シックスシグマやCOE(Center of Excellence),BPR(Business Process Re-Engineering)についても,GEの専門家との直接の会合を通じて,国内では得られない貴重な最新ノウハウを得ることができた。これらの手法はいずれも基本的には価値解析の考え方の応用なのだが,ここでは詳細を割愛する。
 
 この経験は,後にRRの幹部の知るところとなり,コスト低減,調達戦略,人材育成と組織改編など広範囲にわたる総合的な技術者の在り方についいての会合にまで至った。
 
 何事についても,学会等で得られる知識は表面的であり,危機にあたって真に役立つものは基本的な考え方であり,そのことは苦楽を共にする国際共同開発を通じて得られる。グローバル経済社会にあって,新製品を開発し量産で成功するまでの過程では,必ず危機的な状況が数回は訪れる。その際,それを乗り切るノウハウなしには,存続はあり得ない。
 
 蛇足ながら,価値解析の手法は通常の会議でも大いに役立つ。多くの議題に多くの選択肢があり,決定に時間がかかるときには,まず基本機能に関することと,補助機能に関することを分ける。不思議なことに多くの場合に前者は三分の一になるので,それを片付ける。次に,補助機能を基本機能に対して必須のものとそうでないものに分ける,これはほぼ半分になり,後者は忘れることにする。この分類方法はVEの基本なのだが,会議に限らず多くの場合に応用が効く。

【この教訓の背景】

 価値工学(Value Engineering)と品質工学(Quality Engineering)は、設計と製造に関する強力な実学問だと思うのだが、そのことが一部の人にしか認められていない。特に、開発現場における品質工学は、本来はタグチメソッドなのに、品質工学という言葉に執着するために、そのようなことが起こっているように感じている。
 
 両方に共通することは、それ自身では価値が発揮しにくく、なにかの他分野とインテグレートしなくてはならないのだが、そのことを学会が拒否しているように思える。そのことは、それぞれの学会に参加すると、直ちに感じるのだが、このことを理解してもらうことは永遠にできそうにない。
 
 ガスタービン学会も、一時期日本機械学会の中に入るという話を聞いた覚えがあるのだが、まったく可能性はなさそうだ。最近の企業は、xxコーポレーションとか、xxホールディングの名のもとに、同種の企業がひとつのガバナンスで運用されるようになった。メタエンジニアリング的には、学会もおなじだと思ってしまう。そのようなことが起こらければ、メタエンジニアリングもマイナーなままで終わるであろう。

その場考学のすすめ(05)様々なサイクルに興味

2017年02月06日 13時39分16秒 | その場考学のすすめ
その場考学のすすめ(05)様々なサイクルに興味

日常繰り返し起こることとは、すなわちサイクリックに繰り返されることが多いと云うことで、サイクルに興味を持ち始めた。すると日常生活でも仕事の上でも、驚くほど多くのことがサイクリックに繰り返されていることに直ぐに気が付く。

大宇宙の創造からノミの心臓の鼓動まで、あらゆる物事にサイクルが存在する。思えば当然のことなのだが、サイクリックに繰り返さないものはこの世に存在し続けることが出来るのであろうか。答えは否だと思う。単調増加や単調減少を続けるものは、長期間存在を続けることはできない。現代では宇宙の存在ですらサイクリックに繰り返されていることが理論的に説明されている。

そこで、その場考学の第一は、サイクル論を考えることとした。このことを気にかけると、実は毎日出会う全ての新聞や雑誌の中にサイクルが含まれていることに気が付く。そこでサイクル論にはとめども無い楽しみが生まれてくる。そこで、デザイン・コミュニティ・シリーズの第7巻として、             
 「設計とサイクル論(その場考学シリーズ 1)」を次のような目次で纏めた。



目次

第1章 設計とサイクル論とは         10
・VE(価値工学)に学ぶ
・経験に学ぶ(その1、組織のありかた)
・経験に学ぶ(その2、新規調達先発掘の旅)
・経験に学ぶ(その3、品質管理)
・何故サイクル論なのか?

第2章 自然界の中でのサイクル          18
・2600万年の大絶滅周期説
・温暖化の地球史
・太陽黒点の周期
・ミランコビッチ・サイクル
・空気中の炭酸ガス濃度
・気候変動と社会不安
・短いサイクル
・長いサイクル
 
第3章 人間界におけるサイクル        34
・日本列島における人口波動
・世界における人口波動
・心臓の脈動
・睡眠における波動

第4章 文明と科学と技術におけるサイクル   42
・デュポンの技術革新の周期
・日本文明再生サイクル
・世界の文明サイクル

第5章 経済活動におけるサイクル       49
・キチン循環
・コンドラチェフの波
・クズネッツ循環
・ジューグラー循環
 ・実質GDPの伸び率の推移
 ・在庫循環の推移
 ・業況判断指数
 ・長期波動理論
 ・戦後の日経平均株価のサイクル
 ・株価におけるシルバー法
 ・円安の波
 ・未成熟の債務国
 ・資産の種類別の年間リターンの波

第6章 航空工業におけるサイクル       72
 ・ロードファクター70%論
 ・航空機発注数と太陽黒点活動
 ・需要の波
 ・エンジン開発設計の3か月ルール

第7章 その場考学におけるサイクル      78
・その場考学とは
 ・技術者の育成サイクル
 ・How とWhyのサイクル
 ・改革と改善のサイクル
 ・種々の改善サイクル
 
第8章 人生における波            84

そして、「おわりに」には、次のように書いた。

 サイクルということに特別な興味を持ってから30年余が経った。それを、思い切って自然―人間界―文明・科学―経済―航空機工業と括ってみた。これらのサイクルを全てコンピュータに入力すれば、色々な将来予測ができるのではないかと、勝手に想像をしてみるのも楽しい。
 
その意味もあって、補章には二つのテーマについて、将来の楽しみにしていることを述べた。少々哲学的ではあるが、これもサイクルに大いに関係があり、かつ技術者にとっては重要なことだと思い、敢えて追加をした。

 この書を読んで、色々なサイクルに興味を持つエンジニアが増えれば、私の目的は達成されたことになる。エンジニアは常に変化の1次と2次の微係数を意識して行動を起こさなければいけない。そのことが、40年間の開発技術者人生で味わった最大の教訓だったと今更ながら思う次第である。

2011年 大寒の日に                              その場考学研究所



「GEやRolls Royceとの長期共同開発の経験を通して得られた教訓 (その6)」

>【Lesson6】実験装置でも勝つことができた(NASAとの熱疲労試験機比較[1977])
 

実機翼の製造が安定したのちには,冷却翼の熱疲労解析が重要なテーマになってきた。エンジンの高温部の部品は,離着陸時に降伏点をわずかに超える応力が発生する。したがって,大部分の部品寿命は低サイクル疲労で規定される。第1段タービン翼は高温なのでクリープとのラチェット解析が必要だが,航空機用エンジンの場合には最高温度での運転時間は短いので,熱疲労が圧倒的に大きくなる。
 
熱疲労試験機は,定格の圧縮機出口温度の冷却空気を翼内に流しながら,最高時とアイドル時のガス温度の流れの中を,往復する機能が要求される。周囲との輻射熱の影響を低く抑えるためには,供試翼を3枚としても,全体では9枚以上の翼列が必要になる。
 
I社の試験機は下町の町工場で作られた。二つの風洞と翼列部以外の全体構造と往復駆動装置は全面的に彼らの技術にお願いした。その後,同じ実験結果がNASAのPaperで発表され,私は手紙の往復からLewis Research Centerへの訪問が許可されて,単身クリーブランドに向かった。そこで間近に見た彼らの試験機は,翼枚数も駆動の早さも明らかに町工場製に及ばないものだった。

 学会で発表される内容は,ともすれば組織名が評価を決めてしまうのだが,個々の実験装置の内容まで精密に検討しなければ,真実は分からないとの教訓を得て,以降はNASA Paperへの評価が慎重になった。

【この教訓の背景】

 全くの余談だが、この時私はニューヨークからクリーブランドへの日帰り旅行をした。ノンストップの直行便もあったと思うのだが、現地駐在員は粋な計らいをしてくれた。なんと、プロペラ機で途中に2STOPがある。つまり、一日で6回の離着陸を経験した。勿論、機内から降りることはないのだが、地上の景色、街並み、乗降客の質の変化など、大いに楽しみ、かつ文化の理解にも役立った。
 
米国内のフライトでは、色々な経験があった。冬のハーフォード(PWAの場所)からシンシナチィー(GEの場所)は、直行便がない。冬にはあちこちの空港が閉鎖になる。その度に乗り継ぎ場所の空港を変更する。自分はシカゴ経由だが、荷物はデトロイト経由で全く別の航空会社などは日常的で、自分のロストバッケジーを探すのには、大いに感を働かせる必要がある。
 
大型の機体にたった二人の乗客でワシントンに向かったことがある。こんな時にはスチュワーデス達にモテモテだった。彼女たちにとっては、暇つぶしなのだが、こちらは大歓迎だった。通常は、このようなフライトはキャンセルになるのだが、この時は、ワシントンから先のニューヨークまでは満席に近くなるので、キャンセルは免れたという次第。
 
日本の空が、このように自由になるのはいつのことなのだろうか。例えば、帯広から熊本まで、どこで乗り換えようと、空港で最適ルートを探してくれて、チケットを書き換えてくれる。むろん追加料金は一切ない。現代の発券システムでは簡単なことなのだが、日本でそのようなことの可能性すら話を聞いたことがない。日本の空は、全く合理性に欠けている。

その場考学のすすめ(05)ここまで