生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアリングとLA設計(14) 第11話 最近の大事故から正しい設計を考える

2013年12月20日 08時00分28秒 | メタエンジニアリングとLiberal Arts
第11話 最近の大事故から正しい設計を考える 

概要; Boeing777やAirbus320などの旅客機に搭載されたジェットエンジンの国際共同開発を通じて、米・英・独・仏・伊のchief designer達から学んだ設計に対する考え方や取り組み方を、メタエンジニアリングとうい観点から考えてみる。すると、現代の我が国に起こっている様々な問題や事故の根本的な原因が当初の設計にあると云うことが見えてくる。
なぜ設計がおかしなとになってしまったのだろうか。それらの原因を探り、解決策を見出してゆく。
(この資料は、H25.12.12 に行われた多摩発遠隔生涯学習講座での講演内容を纏め直した。)

目次;


Ⅰ.今、設計の問題とは何だろうか?
Ⅱ.問題は、どんなところにあるのだろうか?
Ⅲ.ジェットエンジンは、どのように設計され、開発されているのだろうか?
Ⅳ.メタエンジニアリングとは何を目的としているだろうか?
Ⅴ.「技術への問い」という本が、ヒントをくれた
Ⅵ.メッキーは、何を目指しているのだろうか?
Ⅶ.古代ローマは、なぜ古代から中世まで持続できたのだろうか?
Ⅷ.現代の設計の根本的な問題点は何だろうか?
Ⅸ.正しい設計は、どうしたらできるのだろうか?
Ⅹ.正しい設計とは何か

本文;


Ⅰ.今、設計の問題とは何だろうか?

・21世紀にはいって、今まで予想もしなかった事故が起きている。福島原発、笹子トンネルの天井版崩落など。また、首都高速の老朽化や、明石大橋のクラック問題、高速道路の跨道橋の劣化、などかなり大きな心配事も増え続けている。
・多くの問題は、点検整備が不十分だったこと、設計では想定しなかったことなどが主な原因であると云われているが、はたしてその通りなのだろうかといった疑問が生じる。
・この疑問に対する答えを、私の40年間に亘るジェットエンジンの設計と開発から得られた経験と、その後に始めたメタエンジニアリングという思考法から考えてみる。

Ⅱ.問題は、どんなところにあるのだろうか?

1.学問とその適用技術の専門化が進み過ぎている

① 原理的にかなりの危険性があるものを、人類として活用してゆかなければならないこと。
(原発、航空機)
② 設計の専門化と多くのマニュアル化(公の基準や規程等も含む)が進み、特に基本設計段階で、思慮に欠ける分野が存在すること。(トンネル、橋梁、跨道橋)
③ 専門分野化が進み過ぎ、専門外からの反論が評価されずに、俯瞰的・包括的な解決策が得られない時間的、空間的に巨大な問題が多くなってしまった。(環境汚染、地震予知と津波の被害、地球温暖化問題)

2.航空機用ジェットエンジンの場合はどうなのか

・このように分類をすると、実は旅客機のエンジンはこの全てが当て嵌まる。
  ⇒ それでは、どうすればよいのだろうか?
  ⇒ どのように、信頼性と安全性を保ってきたのだろうか
  ⇒ 1980年代から始まった、規制緩和(初期品質安定設計法)
  ⇒ しかも、さらなる規制緩和が進みつつある(自動車と航空機の設計思想の違い)

3.技術が成熟してゆくと
 
  ・初期故障率は大幅に減少する。
  ・その反面、ある時期を経過すると、ヒューマンエラーが増してくる。
  ・更に、メインテナンス上の問題と、寿命感知不足の問題などが顕在化する。
  ・しかし、何れの原因も基本設計時の考え方に根本的な問題がある。

Ⅲ.ジェットエンジンは、どのように設計され、開発されているのだろうか?

1.国際共同開発の経験

・ 40年間に亘って民間航空機用エンジンの設計と開発に携わってきた。
・ FJR710(NAL実験機飛鳥に搭載)⇒ RJ500 ⇒ V2500(Airbus320,MD90に搭載中)
⇒ GE90(Boeing777に搭載中)
この間に、設計に起因する大きな事故は起きていない。むしろ、規制緩和が進み続けられて、
現在に至る。
・ 新しいエンジンの開発にあたって、まず設計が考えることは何か
① 使用者(エアライン)の総コストの最適化 ⇒使用者の本当の総コストを予め想定する
② 40年間に亘る安全性と信頼性を保つためのメインテイナビリティー ⇒中古品の安全性
③ 最新の技術を、どこまで取込むか、取込まないか ⇒技術者自身による決断
 
Ⅳ.メタエンジニアリングとは何を目指しているのだろうか?

1.EngineeringとMet-Engineeringの関係
 
・ 人⇒人間⇒文明・文化⇒哲学⇒人文科学・社会科学⇒自然科学⇒工学⇒技術⇒ものつくり、
という流れの中で、現代のEngineeringは、末端の3つのステップに集中して進化を遂げた。
・ しかし反面多くの事故や公害や環境異変をもたらす結果となった。好むと好まざるとによらずに、この傾向はグローバル競争時代にはますます激しくなることが予想される。
 ・ 現在のイノベーションは、iPadなどに見られる如くに即日中に全世界に広がってしまう。もし、従来の数々の事例にあるごとくに、公害や副作用があった場合には、その影響は限られた地域に留まることはない。したがって、この様な状態は、エンジニアの責任の重大さが以前にまして数十倍、数百倍になったことを示している。
 ・このことを、古代ギリシャにあてはめてみた。ソクラテスやプラトンが社会現象を色々な見方で分析をした結果が、アリストテレスに引き継がれた。彼はその先を突き詰め、倫理的な考えを経て、全ての根源を考える学問としての形而上学を始めた。当時の自然学(Phisica)の元を解明するためのものとして、それは形而上学(Meta-Phisica)と命名された。この様な経緯から、これからのエンジニアリングには、従来のEngineeringと並行してMeta-Engineeringという考え方が新たに必要となる。つまり、エンジニア自身の思考範囲を「文明・文化⇒哲学⇒人文科学・社会科学」という上流まで遡らせるという考え方である。


Ⅴ.「技術への問い」という本が、ヒントをくれた


 20世紀最大の哲学者と言われたM.ハイデッカーの技術論では「近い将来に、技術が全てを凌駕することになるであろう。何故なら、人間は常により良く生きることを望み、より少ない犠牲でより多くの利益を得ようとし続ける。これが実現できるのは、哲学や政治や宗教などではなく、技術である。世界中の良いものも、悪いものも全て技術が創り出すことになる。」と述べられている。
「技術への問い」M.ハイデッガー著、関口 浩訳(平凡社、2009)には、彼の科学・技術・芸術に関する5つの論文が納められている。そして、冒頭が「技術への問い」である。


 この講演は,1953年11月18日にミュンヘン工科大学での連続講演のひとつとして行われたが、内容が難解だったのもかかわらずに、終了後には「満場の人々から嵐のような歓呼の声があがった」と記録されている。
 この時代、即ち第2次世界大戦の恐怖から解放された欧州では、技術の本質に関する議論が盛んに行われたようである。アインシュタインの相対性理論により、質量が膨大なエネルギーに変換可能なことが理論づけされ、彼が反対したにもかかわらず、ヒットラーに先を越されるかもしれないという、政治的な説得に応じて原子爆弾を作ることにより、実証までをしてしまった。ハイデッガーはその事実に直面して(彼は、一時期ナチスの協力者であった)哲学者として技術の本質を知ろうと努力をしたのかもしれない。 

       
「歴史の研究」経済往来社(1972)より
 また、20世紀最大の歴史書のA.トインビーの「歴史の研究」)では,現存する世界十文明の唯一の生き残りは西欧社会文明であり、日本文明を含む他の文明は衰退期にあると断言をしている。そして二十世紀の後半は彼らの喝破したとおりに進んだ。
 ハイデガーの「これが実現できるのは、哲学や政治や宗教などではなく、技術である。世界中の良いものも、悪いものも全て技術が創り出すことになる。」と、トインビーの「唯一の生き残りは西欧社会文明」という二つの宣言から提出される結論は、衰退する文明を救えるのはより根本的な考えに基づくエンジニアリングである、ということではないだろうか。現代のエンジニアリングは、このことの重大性をもっと深く、かつ真剣に認識しなければならない。

                       
Ⅵ.メッキーは、何を目指しているのだろうか

メタエンジニアリングのMECIサイクル



図のサイクルは「MECIサイクル」と名付けられて、日本工学アカデミーを中心に研究がすすめられている。

     
MECIのそれぞれの意味は、

Mining:「潜在する仮題の発見」
地球社会が抱える様々な顕在化した、或いは潜在的な課題やニーズを、問いなおすことにより見出すプロセス

Exploring:「必要領域の特定・育成」
こうした課題を解決するに必要な科学・技術分野を俯瞰的にとらえる、あるいは創出 するプロセス

Converging;「領域の統合・融合」
課題解決への必要性に応じ、多様な科学・技術分野の融合や、新しいアプローチ法との組み合わせを進めるプロセス

Implementing;「社会価値の創出と実装」
新たな科学・技術を社会に適用、実装しそれにより新たな社会価値を創出する。その過程で、次の潜在的な課題を探すプロセス。

すなわちこの根本的エンジニアリングという技術概念は、米国のCT(Convegent Technology)が示唆するような「研究分野や技術の融合によって新規に創出する社会価値の創出」(図の①の部分)だけではなく、地球社会において解決すべき潜在課題の発見、そこで必要となる技術の特定や育成、そして、さらにその技術や分野の新たな融合とより的確な社会価値創出へとつなげていくプロセスの全体、すなわち図の①~④のサイクル全ての活動を主体とするものである。
この中で、特に「技術を理解し、関連技術や社会の状況を判断しつつ、他技術との融合も含めて社会への実装の可能性を検討し、そしてそれを実装する」という部分が、従来我が国の設計技術者に欠けていた部分のように思われる。つまり、社会における実装ということなのだが、社会という概念も、実装という概念も現代のグローバル競争社会の規模に対して少々矮小化された概念で捉えられているのではないだろうか。このことは、日本人の脳の構造が世界のどの国民とも異なる特徴をもつことと大いに関係があると思われるのだが、そのことについては別の機会があれば、詳しく述べることにする。


Ⅶ.古代ローマは、なぜ古代から中世まで持続できたのだろうか

1.古代ローマのLiberal Arts 教育

・自由七科の原義は「人を自由にする学問」、それを学ぶことで非奴隷たる自由人としての教養が身につくもののことであり、起源は、古代ギリシャにまで遡る。
・おもに言語にかかわる3科目の「三学」(トリウィウム、trivium)とおもに数学に関わる4科目の「四科」(クワードリウィウム、quadrivium)の2つに分けられる。それぞれの内訳は、三学が文法・修辞学・弁証法(論理学)、四科が算術・幾何・天文・音楽である。哲学は、この自由七科の上位に位置し、自由七科を統治すると考えられた。哲学はさらに神学の予備学として、論理的思考を教えるものとされる。(Wikipediaより)

2.最近の米国の大学では、

最近の米国の大学では、工学と同時にリベラルアーツを教える傾向が強まったと伝えられている。日本でのリベラルアーツは、大学入学後の一般教養課程を指す場合が多いのだが、次第に軽視されつつある。それには、人文・社会科学はもちろんだが、自然科学も含まれる。語源は古代ギリシャだが、古代ローマで市民教育として大々的に行われたそうだ。通常は、自由七科とその上位概念の哲学がセットで考えられている。つまり、リベラルアーツはものごとの根本である哲学を考えるための基礎学問になっていたわけである。そして、古代ローマ時代のArtsとは、ラテン語の技術そのものであった。

・私は、メタエンジニアリングの基本もこの自由七科+哲学であると考える。なぜそのように思うことになったか。それは、現代のイノベーションのスピードが益々速くなったことと、人間社会に及ぼす  影響が益々大きくなってきたことに密接に関係する。私の小学校時代にラジオからテレビへのシフトが始まった。しかし、所謂テレビ中毒が話題になるまでには数十年を要した。1980年代にワープロからパソコンへのシフトが始まったが、完全移行には十数年を要した。現代の携帯からスマートフォンへのシフトは、わずか半年で主流交代である。そして、そのシフトは世界同時進行で起こってしまう。
 この様な状況下で、イノベーションの発信母体が自然科学とか社会科学の一分野のみに限定されていると、どういうことになるだろうか。イノベーションの母体は、その正の機能のみを強烈に宣伝する。しかし、全てのイノベーションには負の部分が存在する。従来のイノベーションは、徐々に広がるので、負の部分の研究は別の専門分野によってかなり後から進められたのだが、もはやそのようなスピードでは負の遺産が手遅れになるほどに広がってしまう。


Ⅷ.現代の設計の根本的な問題点は何だろうか

1.現代の流れ


社団法人日本工学アカデミーの政策委員会から、2009年11月26日に出された「我が国が重視すべき科学技術のあり方に関する提言~根本的エンジニアリングの提唱 ~」という「提言」では、「社会課題と科学技術の上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」を『根本的エンジニアリング(英語では、上位概念であることを強調して Meta- Engineering と表現)』と名付ける、としている。

19世紀から盛んになった現代の工業化社会の文明は、20世紀終盤から一気に情報化社会、更には知識社会へと変貌をしている。知識社会文明という言葉はまだ一般的ではないが、早晩21世紀の文明の座を得るであろう。その中にあって、現代の工業化社会文明の最も基礎的な部分を担ってきたEngineering(工学と技術)は、従来のままで良いはずはない。知識社会文明に対応した新たなEngineeringが必要となるであろう。それをMeta- Engineeringと定義してみようと思う。

現代の工学の多くは自然科学に依存している。そして、全ての人間活動はエンジニアリングの生産物の上に成り立っているといっても過言ではないであろう。しかし、近年のグローバル化の急激な進展においては、エンジニアリングの特に広義の設計(デザインというべきか)の結果は、社会科学的、人文科学的かつ哲学的にも正しいものでなければならない。そうでなければ、人間社会の持続性が危ぶまれる事態になりつつある。過去における様々なEngineering Schemeが引き起こした、副作用や公害や更には地球の持続性を脅かすような経験は、もはやこれからのEngineeringには許されない場面がより多く存在することになるであろう。

知識社会文明における新たなエンジニアリングとしてのMeta- Engineeringの眼で、先ずは、現在の社会に存在する様々なイノベーションの結果を見なおしてみることから始めてはどうであろうか。
例えば、便利さを求めてひたすらデジタル化を進めることにより、連続的にものごとを捉えて深く考える習慣の欠落、日本の品質という名のもとに、ひたすら品質の完全性を求める姿勢、競争に勝つための技術的な進化の過程におけるWhat優先の弊害としてのWhyの伝承不足などである。特に本質管理については、本来のQuality Controlの意味、即ちばらつきを持つ特質を許容範囲内にコントロールするための統計的手法、との考え方が希薄になっている。このように考えてゆくと、「上位概念から社会と技術の根本的な関係を根源的に捉え直す広義のエンジニアリング」という見地から考察の余地が身の回りのそこここにあると考えられる。
これらの例はごく卑近なものなのだが、技術の上位概念を人文科学、社会科学、心理学、生態学、さらには哲学にまで広げると、Meta- Engineeringに付託すべき新たな課題は現代社会に無数に存在しているのであろう。


2.メタエンジニアリング導入後の流れ


現代にあふれ出した様々なイノベーションと、これから世界中に瞬く間に広がるであろう新たなイノベーションについては、科学による新発見とそれを実現する専門分野の工学の間に、メタエンジニアリングという思考分野を置き、地域の文化と人類の文明の将来について深く考える場をつくらねばならない。このことは、ベテランの科学者とエンジニアの責務であろう。

Ⅸ.正しい設計は、どうしたらできるのだろうか

1.Design on Liberal Arts Engineering

・ Liberalとは、Oxford Dictionaryより抜粋
① willing to understand and respect other people's behaviour, opinions, etc, especially when they are different from your own; believing people should be able to choose how they behave
② wanting or allowing a lot of political and economic freedom and supporting gradual social, political or religious change
③ concerned with increasing somebody's general knowledge and experience rather than particular skills

・LA&E(Liberal Arts & Engineering)とは

英語版のGoogleでこの語を検索すると、多くの米国の大学やカレッジで両者を並行して教えていることが分かる。一例を紹介する。
WPI’s Liberal Arts & Engineering (LAE) degree program prepares students to take on those challenges by providing a broader base of knowledge not only in engineering, but in other disciplines as well. The LAE degree was created for the student seeking a career that demands engineering know-how, communication tools, and problem-solving skills. Our students graduate with a strong technical background, a broad appreciation of the humanities, and a critical awareness of social implications.
つまり、Design on Liberal Arts Engineeringとは、Liberal Artsをエンジニアリングのセンスで身に付け、それを自らのDesignに反映する設計のことを示している。

2.設計技術者は、一朝一夕には育成できない

・計理工哲(設計のレベルに対するマクロ的視点)

設計者のレベルには4段階あると思う。私の造語だが「計理工哲」と示す。
「計」は、計算ができる、計算づくでやる、計算結果で設計する、などだ。これでは設計とは云えず単なる計算書つくりだ。(その前に「真似る」という段階があるが、これは設計以前。)
「理」は、計算の上に理由、理解、原理、定理、公理、などを取り入れた設計。一応形にはなり、多分 性能や機能は発揮できるであろう。
しかし競争力を備えた商品にはならない。
「工」は、人間が作り、人間が使うことを前提として「計」と「理」にプラスした設計。製造者にも使用者にもメリット(利益)が出るもの。通常の設計はこの段階である。CS(顧客満足)もこの範疇に入る。
「哲」は、更に哲学的な要素が加わった設計。どのようなものが人類または地球や生物に本当に良いものか。芸術的な要素もこの段階から入ってくると思われる。人工物の世界遺産などがそれにあたると思われる。



Design for constraintsと云われるものは、「計と理」の設計。これに対して、American Society for Engineering Education と National Society of Professional Engineering では、かつて「Liberal arts engineering」という言葉を使っていたが、これは「工と哲」の設計ではないだろうか。

 
Ⅹ.正しい設計とは何か

本当に正しいか  ⇒ 工学+哲学的な視点 (長期的観点から潜在する問題の除去)
本当に良いのか  ⇒ メタエンジニアリングの視点 (文化と文明における価値)
本当に最適なのか ⇒ Liberal Arts の視点 (多様化する人間活動への理解)
  



附録;


・設計パラメータのトレードオフ

2013年新年特別号「文藝春秋」の「日本はどこで間違えたか もう一つの日本は可能だったか」という記事は、30人の識者が、それぞれ戦後処理、経済政策、官僚主導など具体例を挙げ、持論を語っており読み応えがあったが、そこで感じたことは、まさに藤井清孝氏の指摘「本質的にトレードオフになる論点を議論せず、いいとこ取りをした聞き心地の良い言葉を信じるような風潮」が多くの場合に当てはまってしまうということだった。
 しかし、これは日本文化の根底にあり、美徳とも言えるようなことでもあり、一般社会では良いとされることが少なくない。これが日本社会から消えることはなかなか考えにくいのだが、世界を相手に競争をする場合には、これだけではやってはいけない。技術が優れている、品質が良い、サービスが良いなどといううたい文句だけでは間違いなく負けてしまう。 ジェットエンジンの新機種の設計に際しても、まずここが検討のポイントとなった。使用者、すなわちエアラインにとってのライフサイクルにおける総コストが「設計のトレードオフ」との関連で定量的に明示され、その上で評価されたものでなくては厳しい勝負に勝つことはできない。

 かつてジェットエンジンの新機種の設計を開始する時点で、市場開発部門と設計部門が協力し、エアラインの直接運航費(DOC : Direct Operating Cost)に関するデータを基に以下のような表を作成した。





この表を使って基本設計の方針や大きな設計変更などについては検討し、判断を下すわけである。
 この表の項目でエアラインが最も興味を示すのは、燃料消費率(TSFC=Thrust Specific Fuel Consumption)である。

 圧縮機やタービンの効率を上げれば燃料消費率は下げられるが、そうすると圧縮機やタービンの段数を増やさなければならないなどでエンジン重量が増加してしまう。そして、それだけ搭載許容重量・乗客数が減少してしまう。またエンジン重量を抑えるために特殊材料を多用すれば、エンジン原価が上がり、それはエアラインの直接運航費(DOC)を引き上げてしまうことにつながる。
 そうした関係を定量的に示したのが先の表で、これによって燃料消費率を1%引き下げるためにXXXポンドまでの重量増は許されるが、それ以上の重量増は直接運航費(DOC)を引き上げしまい、本末転倒となる。軽量化のため特殊材料を用いると、今度は製造コストが上がってしまう。燃料消費率を1%引き下げのためにX.XX×104ドルまでのコスト増は許されるが、それ以上のコスト増となると、直接運航費(DOC)を引き上げてしまい、意味がなくなる。こういったことが分かる。
実際には、重量増加とコスト増加を組み合わせによって燃料消費率向上を実現させている。そして、それをどのような組み合わせにするのかの設計変更の方針が決められる。このようにエアラインの直接運航費(DOC)の観点から「設計のトレードオフ」が行われるのである。

 さて、このような定量的な判断基準はどのような背景から実現が可能であろうか。通常のエンジニアの専門知識だけでは、不充分であることは自明であるが、同時にエンジニアでなければ定量化できない数値である。エアラインがその機種の入手からはじまり、長期間の通常の運用中にどのようなコストが発生するのか、最後に中古機市場に売却するときはどうであろうか、といった事柄を知らなければならない。このようなことは、経済学ばかりではなく、広く社会科学にまで及ぶので、一般的にはLiberal Artsと呼ぶことができるであろう。そこでは、Liberal ArtsとEngineeringの合体(LA&E)が求められるわけである。