生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

その場考学との徘徊(63)ダボス会議でのメタ視点

2020年01月26日 16時19分28秒 | メタエンジニアの眼
その場考学との徘徊(63)         
TITLE: ダボス会議でのメタ視点
『ダボス会議』 KMB4144

このシリーズは企業の進化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。            
『』内は,著書からの引用部分です。                      
                                                         
書籍名;『日立評論』 [2019] 
著者;加藤兼司
発行所;日立評論社 発行日;2019.6.20
初回作成日;R2.1.26 最終改定日;



「ダボス会議」の正式名称は、世界経済フォーラム(WEF)の年次総会、今年は各国政府のトップや企業経営者など2800人を超えるリーダーたちが参加しまして、昨日閉幕した。
NHKのWeb News(2020年1月25日 6時33分)では、『「ダボス会議」閉幕 日本企業にも環境対応突きつける会議に
世界の政財界のリーダーらが集まる「ダボス会議」が24日、閉幕しました。環境への対応をおろそかにしている企業には融資や投資が集まらなくなる仕組みづくりの議論などが行われ、日本の企業にも対応を突きつける会議になりました。』とある。日本の企業は、どこまで真剣に受け止めるのだろうか。

この記事は、日立評論 第101巻 第3号「グローバル価値創造に向けたオープンイノベーション」という特集号の中にある。(pp.14-19)筆者は、日立製作所グローバル渉外統括本部の所属とある。
 蛇足になるが、私は修士2年の夏に就職先を決める際に、日立を希望して、日立市の工場、研究所、発祥地の鉱山のポンプ場まで、丸一日かけて見学をさせてもらった。しかし研究室に戻ると、石川島播磨から「浪人中の航空機用エンジン研究の大型プロジェクトの予算が、来年度から付くことが決まった。10年で100億以上だ」とのニュースに、つい浮気をしてしまったというわけだった。そこで、今でも日立の株主総会と秋の有楽町国際フォーラムでの展示会と講演会には、必ず出席をすることにしている。そこでこの報告書を毎年手に入れるわけである。

 本題に戻る。この記事は、当然昨年のもので、参加したいち社員の記事なのだが、その中身がいかにもメタエンジニアリング的に見えたので、敢えて記憶にとどめることにした。題名は「Society5.0@ダボス会議」とある。

 記述は、「1989年にオーストリア・ハンガリー帝国の皇妃がレマン湖で蒸気船に乗ろうとしたときに襲われて死亡したこと」で始まっている。これを、欧州秩序の崩壊の始まりとしている。(歴史、地政学)
 WEFでは、「グローバル化1.0を1950からで蒸気機関と鉄道、グローバル化2.0を1950年からの世界大戦後の繁栄のTV時代、グローバル3.0を1990年からのジェットエンジンと衛星、光回線の時代」としており、2019年からはグローバル化4.0の時代というわけだ。グローバル化4.0は、「Newグローバルアーキテクチャー、西から東、北から南、第4次産業革命の時代」と説明している(文明論、地球的社会の変遷)

 そして、次の言葉を引用している。
 『またWEF創始者のシュワブ教授は,グローバル化と は技術がもたらす現象であり,グローバリズムは,国益よりネオリベラリズム的な秩序を優先させる思想であると厳に区別している。 グローバリズムは,時に一部の国家・企業が,他者の 犠牲の上に利益を貪る事象を引き起こす。そこでWEFは過去に学び,技術がゼロサム的社会を生まぬよう,時代に沿うアーキテクチャを創ろうと呼び掛けた。』(pp.14)

 ホテルの周りの景色の表現は、「バイロンとシェリーが過ごした別荘と、スイスワインのシャスラ種の葡萄畑」の様子を述べている。(文学、自然)

 会議の様子については、日立会長の「第4次産業革命は、個別の事象に捉われ過ぎず、まずありたき社会像を共有すること」との発言を強調している。(全体最適指向)(pp.15)

 続けて、1929年の「ダボス討論」で「ハイデッガーによるカント解釈を巡る論戦」を挙げて、「良き世界を目指す議論」としているが、当時のハイデッガーは、大学教授で「存在と時間」は発表済だが、ナチ党員になる直前で、私には、あまり良い議論とは思えない。(哲学思考)

 次に、東原日立社長が発議した「技術開発とビジネス倫理」の話では、いきなりこんな記述になる。
 『ディオダティ荘の座興で,シェリーの妻メアリーが創作した怪奇小説「フランケンシュタイン」は,実は技術と倫理の物語である。よく知られる映画の怪物は動物的で残虐だが,原作ではゲーテを愛読する知識人だ。逆に功名心から怪物を創った若者ヴィクターは倫理に欠け,怪物に「なぜ生命を弄ぶのか」と諭され,神の領域を侵 したことを激しく後悔する。 Al開発などにおける技術者の葛藤を「フランケンシュタイン・コンプレックス」 と呼ぶ由縁だ。』(pp.16)(文学論)

 続いて、女性重視のダイバーシティーの議題からは、突然映画の話になる。
 『「口ーマの休日(原題:Roman Holiday) 』は,バイ口ンの詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』にある成句
「Roman holiday」からの引用だ。Roman holidayには,他人の犠牲の上に成り立つ利益などの意味がある。映画では,新聞記者ブラッドレーが王女のプライバシーを売って一撰千金を夢見,夜ごとのパーティーに飽きた王女は,公務を放棄しブラッドレーとの恋を夢見る。』(pp.17)(文芸)
 この話は、プライバシー保護と忘れる権利の表現だそうだ。一方で、安倍首相の「大阪トラック」の話は、2行で片付けられている。

 会食中に考えたこととしては、次の記述がある。
 『マリノフスキーは文化が異なれば人々は異なる幸福を望むと説き,人々の不可量的行動を記録して,文化人類学の重要な手法,参与観察を編み出した。 日立でも顧客協創方法論「NEXPERIENCE」にこうした手法を採用し,各地の社会イノベーション協創センタには,文化人類学などに知見のあるデザイナーを置いている。』(pp.18)(文化人類学)
 「参与観察」については、以前に話を聞いたのだが、「不可量的行動」とは、何なのだろうか。数値化できないことなのか?

 そして、再び倫理の話に戻り、こんなことを記している。
 『ネオリベラリズムを市場原理主義と同一視する向きもあるが,「見えざる手」を唱えたアダム・スミスは道徳の重要性も説き,カントに傾倒した新古典派経済学の始祖マーシャルは,ビジネスリーダーの倫理「経済騎士道」を唱えた。スミスやマーシャルがダボスに参加したなら,やはり倫理に基づくデータのルール形成を唱えたのではないか。』(pp.19)

 最後には、きちんと「日立の企業理念」の紹介で締めている。
 「優れた自社技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」というわけである。「技術に社会的価値を埋め込む」のだが、果たして、真の社会的価値とは何かを、今の企業所属の技術者は理解できているのであろうか?

全体を通じて、聊か知識の安売りにも見えるのだが、会議をメタ的に捉えている態度は、メタエンジニアリング的に面白かった。