様々なメタ 81 ( 人文系のメタ 20 ) その場考学研究所
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
TITLE:文化人類学のメタデータ
初回作成年月日;2022.4.7 最終改定日;
文化人類学には、「通文化的比較研究」という言葉がある。ある文化を研究するために、他の文化と比較しながら、理解を進める方法で、文化人類学では一般的に行われている。
船曳建夫 他編「文化人類学」(有斐閣[1997])には、色々な用語の解説が述べられている。 それによると、通文化的比較研究を有効に行うために、膨大なデータベースが1925年頃から米国のエール大学で進められている。名前を「HRAF(Human Relations Area Files)」といい、人間のあらゆる行動様式を図書分類のように3桁の数字と、小数点以下2桁の数字を割り振ったものになっている。
例えば、「婚約指輪の交換」についての記述は、584.09で、58の「Marriage」の中の584の「Arranging of Marriage」で、更に、-09の「婚約」という項目に分類される。ちなみに、大分類の58「Marriage」の次は、59「Family」になっている。すべてのデータは、その行動様式が行われている場所に紐づけされている。まさに、人類の行動に関するメタデータになっている。
人類の行動の歴史は、文化人類学により明らかにされているので、文化の優劣や進化として語られることが多い。しかし、多様化の時代である近年では、文化の優劣や、ましてや本当に進化しているのかといった疑問が持ち上がっている。つまり、西欧中心の考え方が、否定される場面が見受けられるようになっている。
文化人類学には、「進化主義」という言葉がある。はたして、人間の文化は進化してきたのだろうか、という設問を考える際に、色々な進化のパターンを想定して、評価する仕組みになっている。
進化主義は、旧進化主義と新進化主義に分けられる。従来型の進化主義は、「単系進化」と呼ばれ、どの民族も同じ進化の道を辿るはずだと考えられた。つまり、下記のような道筋である。
・乱婚制 ⇒母権制 ⇒夫権性 (J.バハオーヘン)
・アニミズム ⇒多神教 ⇒一神教 (E.タイラー)
・野蛮 ⇒未開 ⇒文明 (L.モルガン)
等である。民族ごとに、進化のスピードが異なるために、それぞれの民族特有の文化が現存するわけで、その中で、進化の途中で以前の慣習がそのままの残っている状態を「残存」とした。
しかし、20世紀になって従来の単系進化という前提はおかしい、非科学的であるとの議論が高まり、様々な新進化主義が唱えられてた。
・普遍進化 年間一人当たりの捕捉エネルギーとそのための技術の積などで評価
・一般進化 一般的に考えられる定量化できる物理量による比較
・多系進化 環境によって、進化の道筋が異なるという考え方
・特殊進化 特殊な環境による、特殊な進化のあり方
などである。
現在では、これらすべてを包含した説として、次の道筋が広く受け入れられている、とされている。
・バンド社会 ⇒部族社会 ⇒国家社会 ⇒産業社会 (M.サーリンズ)
しかし、歴史的に人類の行動に最も影響があったのは、政治や都市のあり方ではなく、宗教であったように思う。そこで私が、どうにも納得できないのが、「アニミズム ⇒多神教 ⇒一神教」という文化進化論だ。これは、そもそもが、人間対地球の自然という西欧的な二元論によるもので、この考え方は、ダーウインの進化論以来、徐々に否定されつつあると認識している。ダーウインの進化論は、明治維新の頃の西欧では、賛否両論が争っていたが、日本では、ごく自然に受け入れられた。
江藤淳著「漱石とその時代 第一部」(新潮選書[1970])には、その時の様子が詳しく書かれている。
西郷隆盛が西南戦争で敗れた年の10月に、その春に新設された東京大学で、モースによる記念講演が行われた。モースとは、あの来日直後に汽車の窓から大森貝塚を発見したことで有名な、生物学者のエドワード・S・モースで、「進化論三講」の第一講を、数名の教授と約500人の学生に講演を行った。彼は、講演中にほとんどの人がノートをとっていたことに感銘したのだが、『
米国でよくあったような宗教上の偏見に衝突することなしに、ダーウインの進化論を説明するのは、誠に愉快であった。』(p.81)とある。
そのことは、アニミズムと多神教が日本に根強く残っていたためで、特にキリスト教徒には、現在でも否定論者が多い。古代ローマ帝国の歴史から容易に分かるように、当初弾圧していたキリスト教を、俄かに国教にしたのは、皇帝にとって多民族を統治しやすく為で、現在でもローマ法王はその手法を使っている。
自然回帰が当然のようになった現在では、一神教 ⇒アニミズム(勿論、その内容は古代とは異なる)が文明の進化の方向になるのではないだろうか。
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
TITLE:文化人類学のメタデータ
初回作成年月日;2022.4.7 最終改定日;
文化人類学には、「通文化的比較研究」という言葉がある。ある文化を研究するために、他の文化と比較しながら、理解を進める方法で、文化人類学では一般的に行われている。
船曳建夫 他編「文化人類学」(有斐閣[1997])には、色々な用語の解説が述べられている。 それによると、通文化的比較研究を有効に行うために、膨大なデータベースが1925年頃から米国のエール大学で進められている。名前を「HRAF(Human Relations Area Files)」といい、人間のあらゆる行動様式を図書分類のように3桁の数字と、小数点以下2桁の数字を割り振ったものになっている。
例えば、「婚約指輪の交換」についての記述は、584.09で、58の「Marriage」の中の584の「Arranging of Marriage」で、更に、-09の「婚約」という項目に分類される。ちなみに、大分類の58「Marriage」の次は、59「Family」になっている。すべてのデータは、その行動様式が行われている場所に紐づけされている。まさに、人類の行動に関するメタデータになっている。
人類の行動の歴史は、文化人類学により明らかにされているので、文化の優劣や進化として語られることが多い。しかし、多様化の時代である近年では、文化の優劣や、ましてや本当に進化しているのかといった疑問が持ち上がっている。つまり、西欧中心の考え方が、否定される場面が見受けられるようになっている。
文化人類学には、「進化主義」という言葉がある。はたして、人間の文化は進化してきたのだろうか、という設問を考える際に、色々な進化のパターンを想定して、評価する仕組みになっている。
進化主義は、旧進化主義と新進化主義に分けられる。従来型の進化主義は、「単系進化」と呼ばれ、どの民族も同じ進化の道を辿るはずだと考えられた。つまり、下記のような道筋である。
・乱婚制 ⇒母権制 ⇒夫権性 (J.バハオーヘン)
・アニミズム ⇒多神教 ⇒一神教 (E.タイラー)
・野蛮 ⇒未開 ⇒文明 (L.モルガン)
等である。民族ごとに、進化のスピードが異なるために、それぞれの民族特有の文化が現存するわけで、その中で、進化の途中で以前の慣習がそのままの残っている状態を「残存」とした。
しかし、20世紀になって従来の単系進化という前提はおかしい、非科学的であるとの議論が高まり、様々な新進化主義が唱えられてた。
・普遍進化 年間一人当たりの捕捉エネルギーとそのための技術の積などで評価
・一般進化 一般的に考えられる定量化できる物理量による比較
・多系進化 環境によって、進化の道筋が異なるという考え方
・特殊進化 特殊な環境による、特殊な進化のあり方
などである。
現在では、これらすべてを包含した説として、次の道筋が広く受け入れられている、とされている。
・バンド社会 ⇒部族社会 ⇒国家社会 ⇒産業社会 (M.サーリンズ)
しかし、歴史的に人類の行動に最も影響があったのは、政治や都市のあり方ではなく、宗教であったように思う。そこで私が、どうにも納得できないのが、「アニミズム ⇒多神教 ⇒一神教」という文化進化論だ。これは、そもそもが、人間対地球の自然という西欧的な二元論によるもので、この考え方は、ダーウインの進化論以来、徐々に否定されつつあると認識している。ダーウインの進化論は、明治維新の頃の西欧では、賛否両論が争っていたが、日本では、ごく自然に受け入れられた。
江藤淳著「漱石とその時代 第一部」(新潮選書[1970])には、その時の様子が詳しく書かれている。
西郷隆盛が西南戦争で敗れた年の10月に、その春に新設された東京大学で、モースによる記念講演が行われた。モースとは、あの来日直後に汽車の窓から大森貝塚を発見したことで有名な、生物学者のエドワード・S・モースで、「進化論三講」の第一講を、数名の教授と約500人の学生に講演を行った。彼は、講演中にほとんどの人がノートをとっていたことに感銘したのだが、『
米国でよくあったような宗教上の偏見に衝突することなしに、ダーウインの進化論を説明するのは、誠に愉快であった。』(p.81)とある。
そのことは、アニミズムと多神教が日本に根強く残っていたためで、特にキリスト教徒には、現在でも否定論者が多い。古代ローマ帝国の歴史から容易に分かるように、当初弾圧していたキリスト教を、俄かに国教にしたのは、皇帝にとって多民族を統治しやすく為で、現在でもローマ法王はその手法を使っている。
自然回帰が当然のようになった現在では、一神教 ⇒アニミズム(勿論、その内容は古代とは異なる)が文明の進化の方向になるのではないだろうか。