ささやかな幸せ

SUPER EIGHT、本、美術鑑賞、俳句、お茶が好き!
毎日小さな幸せを見つけて暮らしたい。

復活当選が・・・大大大反省

2024-12-18 21:06:26 | SUPER EIGHT
 実は、母が入院したので大分に帰っていた。足が立たなくなったとかで一人暮らしが不安なようで入院してホッとした様子。原因は、何年か前に尻もちをついたときに尾てい骨を骨折したところではないかとのこと。
 親戚がとてもよくしてくれ、感謝しかない。また、職場もボランティアも気持ちよく代わりをしてくれたりして、ありがとうしかない。

 で、7時間かかる帰省の道中。日頃の睡眠不足を補うために爆睡したり、スマホのいらないメールを消したり、俳句を考えたり。SUPER EIGHTから会員向けにきているメールを消していて、気がついた。

 SUPER EIGHTのドームツアー復活当選してるやん。でも、二か月前のメールやん。もちろん、締め切り過ぎて、せっかくの復活当選流しているやん。
 二か月前といえば、娘が悪阻がひどくて孫を連れて帰省していた頃。洗濯物二倍やし、.赤ちゃん用の食事作らなあかんし、孫を風呂に入れたり、公園に連れて行かなあかんわ、と忙しかった頃。ブログも全然していなかったし、丸ちゃんのブログも全然見ていなかったもんな。
 大大大反省。しようがないないないないぜ。
 孫のほうが大事。
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写真de俳句「ブルガリアの道路」で人

2024-12-12 21:32:06 | 俳句
写真de俳句「ブルガリアの牛」で人をいただきました。ありがとうございます。

黒牛の昏き目の底秋の水     丸山隆子


長沢芦雪展での黒牛の目が印象的でした。


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『バッタを倒すぜ アフリカで』

2024-12-10 23:36:19 | 
『バッタを倒すぜ アフリカで』 前野ウルド浩太郎 光文社新書
 自分の婚活よりバッタの婚活!? 日本、モーリタニア、モロッコ、アメリカ、フランス――世界中を飛び回り、13年にわたり重ねてきたフィールドワークと実験は、食糧危機の原因となるバッタの大発生を防ぐ可能性を持っていた! 
 分厚くて、読むのにたじろぐ。さくさくとは言えないが、まあまぁ、読み終える。前作と比べると、学術的要素が多い印象。でも、クスリと笑ってしまう文章は健在。とくに、ティジャニの章は、おもしろい。わざわざ一章もうけるだけはある。そう、表紙にバッタの格好をしている人が二人いて、「誰?」と思っていたが、左側がティジャニなのだ。作者は、「良いお金の使い方をすると後で嬉しい形で帰って戻ってくる」と言うが「それって大丈夫なの?」という使い方をするのでハラハラする。また、ハイインパクトジャーナルに論文を載せる過程が興味深かった。
 そして、最後の章が作者が研究を続けられた理由を考察していて、為になった。笑顔で元気に挨拶、些細なことでもお礼を言うこと。さらに、「人生失敗したもん勝ち」と言う。失敗した分、大切なポイントに気づくと。普通の人は、気づかず、又、同じ失敗を繰り返しがち。(私のことである)なかなかできないことであるが、失敗しても気づきがあればよいのだと思えば、前向きになれる。
 あっ、夢や進路を見つけるためには、憧れる大人を見つけるとともに読書も大切と書いてあった。うん、ボランティアで読み聞かせをしている私には嬉しい言葉だ。
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當る巳歳顔見世興行 昼の部の感想

2024-12-08 22:13:32 | 歌舞伎
當る巳歳顔見世興行 昼の部(京都・南座)の感想


 毎年行っていたのに去年・一昨年は、行かなかった顔見世。久しぶり。行ったら、やっぱり、よかった。壱太郎さん大活躍。そして、泣いた。

●蝶々夫人
 士族の娘で家が没落したため芸者になったお蝶は、廓で海軍士官のピンカートンに見初められる。実は、これは夢で現実は三年後。お蝶は、ピンカートンとの間にタロウをもうけ、ピンカートンの帰りを待っている。そこへ、叔父がお蝶はピンカートンの現地妻だと言って、山森酉蔵をお蝶の縁談相手に連れてくる。お蝶は、断るが山森は取り合わない。そこへ、花月楼のお駒が現れ、山森を追い返す。お駒は、ピンカートンは親の決めた縁談を断り切れず、正式な妻を持ち、タロウを引き取りたいと言っているという。金髪をからかわられて泣くタロウを見たお蝶は、断腸の思いでタロウを手放す決心をする。
 壱太郎さん演じるお蝶が、いい。タロウを思う親心に涙。そして、鴈治郎さんのお駒も貫禄。

 幕間に妹が八ッ橋サンドを買ってきてくれ、二人で分けて食べる。美味しい。八ツ橋がこんなにパリパリだったっけと言いながら食べる。

●三人吉三巴白浪 大山端庚申塚の場
 節分の夜。夜鷹のおとせが、昨日の相手の客が落とした百両を返そうと思い、百両を持って現れる。そこへ、お七と名乗る娘が道を尋ねる。お七は、おとせの金を奪い、おとせを川へ突き落す。お七は、実はお嬢吉三と言い、旅芝居の元女形で娘の姿に化け、盗みをするのだった。そこへ、お坊吉三が現れ、お嬢吉三の金を奪おうとする。互いに刀を交える二人に和尚吉三が仲裁に入る。同名の三人が出会ったのも何かの縁と乳兄弟の契りを結ぶ。
 孝太郎さんの可憐な町娘からごろつきに変わるところが見どころ。刀で争う二人の刀を羽織で抑え込む和尚吉三(錦之助さん)もカッコイイ。ちなみに、お坊吉三のお坊とは、お坊さんではなく、お坊ちゃんの意味だとか。隼人さんのお坊吉三、美しい。

 お昼は、南座で買ったなだ万のお弁当。もちろん、美味しかったです。弁当の写真を撮ろうとしたら、スマホの電源がなぜか入らず四苦八苦。写真はあきらめて、弁当を食べようとしたら、箸がない。あちこち探すが、見当たらない。席が列の真ん中だったので、「食事中の人の前を通って売店まで箸を取りにいかないといけないのか、ごめんよ」と申し訳なく思っていたら、隣の人が「お箸なら持っているよ」とお箸をくれた。ありがとうございました!

●大津絵道成寺 壱太郎五変化
. 桜が満開の大津・三井寺。大津絵の主人公たちが道成寺を踊る。
 私の知る道成寺では、はじめにお坊さんたちが出てくるが、今回は、外方、唐子、鯰が登場。「?」と思っていると「大津絵の主人公たちが出てくるから」と妹が教えてくれた。なるほど。鯰がかわいかった。
 愛之助さんが舞台装置で怪我をしたため、壱太郎さんが代役。(愛之助さん、早くよくなりますように)踊りの家元の壱太郎さんだから、心配なし。それにしても、飛び込んだり、飛び出したり、ダミーの人と入れ替わったりと大変。藤娘は、可憐に。船頭は、粋に。鬼は、荒々しく。演じ分けもバッチリ。
 虎之介さんの犬がよかった。

●ぢいさんばあさん
 江戸の美濃部伊織の家。伊織の妻るんは、弟の短気をいさめている。友人とけんかになり、手傷を負ったため、この春から勤めるはずだった二条城の勤めができなくなり、義兄の伊織が代わりに単身で京都に行くことになったのである。その三か月後、伊織は鴨川に近い料亭で同輩を招いて刀披露の宴をひらいている。刀屋で立派な刀を見つけた伊織は、どうしてもその刀がほしくて、下嶋甚右衛門から金を借りて手に入れたのである。そこへ、泥酔した甚右衛門が現れ、金を借りておきながら自分を招かぬ伊織に悪態をつく。じっと耐える伊織だが、はずみで甚右衛門を切りつけてしまう。そして、37年後、伊織は、越前有馬の家に預かりになったが、罪が赦された。るんは、子供を病気で亡くし筑前黒田家で奥女中に。今日は、いよいよ再開の日で
 芸達者な中車さんと扇雀さん。若い時と37年後との対比が鮮やかで、年月の残酷さを表していた。ここでも、泣かされてしまう。
 巳之助さん、いい味だしているなあ。厚みが出てきた感じがする。

 阪急で帰ろうとすると、沿線火災で運転見合わせ。20分前の事象なので、すぐ復旧できないだろうと、烏丸まで一駅歩き、地下鉄でJR京都駅に向かう。地下鉄は、日曜の夕方で阪急の運転見合わせもあり満員。なんとかJRで家に帰りつく。
 大変だったけれども、久しぶりに顔見世を見て大満足の一日。 
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「デ・キリコ展」

2024-12-06 23:19:38 | 美術鑑賞
「デ・キリコ展」 2024.9.14-12.8 神戸市立博物館
開館時間/9:30-17:30(金・土曜日は、20:00まで) 休館日/月曜日 


 イタリア人の両親のもとギリシャで生を受けたジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)。1910年頃から、簡潔明瞭な構成で広場や室内を描きながらも、歪んだ遠近法、脈絡のないモティーフの配置、幻想的な雰囲気によって、日常の奥に潜む非日常を表した絵画を描き始める。後に「形而上絵画」と名付けた1910年代の作品は、サルバドール・ダリやルネ・マグリットといったシュルレアリスムの画家をはじめ、数多くの芸術家に衝撃を与えた。1919年以降は伝統的な絵画技法に興味を抱くようになり、古典絵画の様式へと回帰。それと同時に以前の形而上絵画の題材を取り上げた作品も頻繁に制作するなど、90歳で亡くなるまで創作を続けた。


 キリコと言えば、「通りの神秘と憂愁」(誰もいない通りを女の子が輪回しをしている画)を思い出す。不思議さ、不気味さ、懐かしさ、静寂を感じる画風だが、さて?
 私は、マヌカンの絵は生理的に受け付けなかったが、他は不思議さや怪奇さを堪能した。


「17世紀の衣裳をまとった公園での自画像」 衣装の生地の手触りなどわかる感じ。さすが上手い。


「球体とビスケットのある形而上的室内」 青が鮮やか。好き。


「孤独のハーモニー」 S字型のくるりんとしたモチーフがきになる


「予言者」

「形而上的なミューズたち」
私は知らなかったが、キリコと言えば、このマヌカン(マネキン)らしい。表情がないから、なんか不気味。自分の心情でどのような顔にも見えるからかな。


「風景の中で水浴する女たちと赤い布」 古典絵画へ回帰したときの作品。


「瞑想する人」 上半身を大きく、下半身を小さくすることで威厳を表しているらしい。


「オデッセウスの帰還」 一番好きな作品。部屋の中に水とボート、なんで?感が好き。


「燃えつきた太陽のある形而上的室内」

●「山上への行列」 黒い塊のように見える黒い服を着た人たちが坂道を上がる。なぜか心惹かれる。
●「バラ色の塔のあるイタリア広場」 キリコの絵によく出るアーチ状の建物。建物の端から見える影は、誰?
●「福音書的な静物」 濃い青が印象的
●「ダヴィデの手がある形而上的室内」 描かれているモチーフももちろんだが、窓から見える風景がまた不思議。
●「谷間の家具」 アテネでは、地震がある度に家具を路上に出したらしい。それが着想のヒントらしいが、屋外にある家具は違和感。そこが狙いか。
●「岩場の風景の中の静物」 古典絵画回帰作品だが。葡萄だけど、葡萄に見えないような
●「鎧とスイカ」 割れたスイカが人の頭のように感じられて不穏。
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