ささやかな幸せ

SUPER EIGHT、本、美術鑑賞、俳句、お茶が好き!
毎日小さな幸せを見つけて暮らしたい。

「古代メキシコ マヤ、アステカ、テオティワカン」

2024-03-29 22:45:17 | 美術鑑賞
「古代メキシコ マヤ、アステカ、テオティワカン」 2024年2月6日-5月6日 国立国際美術館
開館時間=午前10時~午後5時(金・土曜は午後8時まで) 休館日=月曜日

右 死のディスク石彫
左 赤の女王のマスク・冠・首飾り


オルメカ様式の石像 オルメカ 半人半ジャガーの幼児像。ヒスイでできている。


夜空の石板 アステカ 両脇には金星と星、中央にはワシと兵士。戦争や生贄で亡くなった兵士は、太陽と共に天球上を旅しなければならないらしい


球技をする人の土偶 マヤ お相撲さんかと思ったら、腰に防具を着けているらしい。なんかポーズがユーモラスで好き。


貴人の土偶 マヤ 1000年以上経った今でも鮮やかな青は、マヤ・ブルーと呼ばれるらしい


装飾ドクロ アステカ 前頭部の穴に毛を挿し込み、目のくぼみには貝殻と黄鉄鉱をはめたマスク。死者の神ミクトランテクトリ神を表す


火の老神石彫 テオティワカン 頭の上に火鉢をのせ、火を焚くために用いられたとか

後ろの色が残っている


モザイク立像 テオティワカン 木製の人形土台の上に貝殻や、小石、黄鉄鉱を貼り付けて磨いたもの


嵐の神の壁画 テオティワカン トウモロコシを持っている


香炉 テオティワカン


盾を持つ小像 テオティワカン かわいらしい


鳥型土器 テオティワカン 貝がいっぱいぶらさがっている


人型骨壺 サポテカ 骨壺!? 人の表情がいい


支配者層の土偶 マヤ 大きく口を開けた蛇の冠をかぶっているし、イヤリングしてるし、王や高官だな


捕虜かシャーマンの土偶 

背中の穴はなんだろう?


トニナ石彫 マヤ 王同士が球技をしている 真ん中や左右にマヤ文字


赤の女王の冠・マスク・首飾り・胸飾り マヤ パカル王の妃。赤い辰砂におおわれて見つかったので「赤の女王」と言われるらしい


チャクモール像 マヤ 腹の上の台に捧げものを置いたらしい


鷲の戦士像 アステカ くちばしや羽根だけでなく足もきちんと


トラロク神の壺 アステカ トラロクは、雨の神。水をためる壺になっている。


プルケ神パテカトル像 プルケとは、リュウゼツランから作る発酵酒。パテカトルは、発酵を促す植物オクパトリを発見した神。


テスカトリポカ神の骨壺 「煙を吐く鏡」を意味する万物の神テスカトリポカが描かれている。そういえば『テスカトリポカ』という直木賞受賞作があったな。めちゃくちゃ人が死ぬ話でちょっと引いたが、グイグイ読んだ記憶が。

いいんだけどね。私は、遺跡の方が好きかもしれない。

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『科学歳時記』『かたばみ』

2024-03-26 22:37:10 | 
『科学歳時記』 寺田寅彦 KADOKAWA
 初期から晩年まで、季節を主題にした随筆作品を歳時記風に掲載。生きる世界を俳諧に見出し、科学と融合させた独自の短文集。文学的随筆の代表作として著名な「団栗」「竜舌蘭」をはじめ、夏目家の文章会以前の「祭」「車」「窮理日記」「凩」等、全39篇を収録する。
 季節と科学を融合したようなエッセイ。私はちょっと読みにくかった。私の頭では何回か読み直して、心が動きそう。
 日本人の感じる「涼しさ」を論じた章にはスゴイと思った。暑さがなければ涼しさはない。言われてみればその通り。そこから、自由へと考察が広がるなんて!スゴイ。
 「蓑虫と蜘蛛」「追憶の冬夜」が好き。

『かたばみ』 木内昇 KADOKAWA
 太平洋戦争直前、故郷の岐阜から上京し、日本女子体育専門学校で槍投げ選手として活躍していた山岡悌子は、肩を壊したのをきっかけに引退し、国民学校の代用教員となった。西東京の小金井で教師生活を始めた悌子は、幼馴染みで早稲田大学野球部のエース神代清一と結婚するつもりでいたが、恋に破れ、下宿先の家族に見守られながら生徒と向き合っていく。やがて、女性の生き方もままならない戦後の混乱と高度成長期の中、よんどころない事情で家族を持った悌子の行く末は……。
 かたばみ。かたばみの葉の形や花言葉が物語を表している。
 読みながら、「そうはいかんやろ」「やっぱりな」「でも、よかった」の繰り返し。普通にいいホームドラマだった。
 そして、さまざまな人物の言葉が深いこと、深いこと。「負けを経験すると人生に深みが出る」「時代によって『正しいこと』は変わっていきます」「親は神じゃないよ。人だからね」「普通って結構難しい。そもそもなにをもって普通っていうんだろうね」「挫折は忌み事と捉えがちですが、もしかすると『お前はそっちじゃないよ』という天からの差配かもしれない」etc 心に突き刺さる言葉がいっぱいだった。
 
 
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『ルクレツィアの肖像』『独裁者の料理人』

2024-03-26 21:27:00 | 
『ルクレツィアの肖像』 マギー・オファーレル 小竹由美子訳 新潮社
 15歳で結婚し16歳で亡くなったと、わずかな記録しかイタリア史に残されていない主人公ルクレツィア・ディ・コジモ・デ・メディチ。彼女は病気で亡くなったと言われるが、夫に殺されたという噂があった。政略結婚の末に早世したという少女の「生」を力強く羽ばたかせる。
 幼少時のルクレツィアは、鋭い感性のため周囲から風変わりな子と見なされ無視されていた。死んだ姉の婚約者だった男と結婚させられ。さらに夫からは、好きな絵画を奪われ、徐々に支配されていく。しかし、彼女は内なる自分を手放さずにいた。その強さが眩しい。そして、驚愕のラスト。
 過去と現在が交互にはさみこまれ、始めは、年号や地名でこんがらがった。
 地下室に飼われている虎、絵の上からまた別の絵を描ける油絵。閉じ込められているかのようなルクレツィアの境遇、それに屈しない彼女の魂を表すようなエピソードが印象的。
 わずかな記録しかないルクレツィアだからこそ、作者は想像の翼を自由に再構築させた。あっぱれ。

『独裁者の料理人 厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓』 ヴィトルト・シャブウォフスキ 芝田文乃訳 白水社
 本書に登場する独裁者は、サダム・フセイン(イラク)、イディ・アミン(ウガンダ)、エンヴェル・ホッジャ(アルバニア)、フィデル・カストロ(キューバ)、ポル・ポト(カンボジア)。彼らに仕えた料理人たちは、一歩間違えば死の危険に見舞われた独裁体制下を、料理の腕と己の才覚で生き延びた無名の苦労人ばかりである。インタビューを再構成する形で料理人たちの声が生き生きと語られ、彼らの紆余曲折の人生の背後に、それぞれの国の歴史や時代背景が浮かび上がる。
 興味深く読んだ。いまだポルポトに心酔する女性料理人とアミンの料理人が印象的。とくにアミンの料理人は、親友と思っていた人の嘘の密告により命の危機に陥る。そこが、独裁国家だとしみじみと思った。精神を患った料理人は、何があったのだろうかと思う。
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NHK俳句 兼題「バス」で佳作

2024-03-19 19:42:46 | 俳句
NHK俳句 兼題「バス」で佳作をいただきました。高野ムツオ先生、ありがとうございます。そして、なんとお友達の小倉あんこちゃんも同じ高野先生の選で佳作。嬉しさ倍増です。

病院行バスは満員浅き春      丸山隆子

脳出血で倒れた夫に会に行くのに毎日病院へのシャトルバスに乗っていました。毎日、ぼぉ~と夢の中で過ごしていたような感じだったな。辛かったことも俳句で喜びに変わりました。人生で無駄なことはないなあ。
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『タラント』『消された信仰』

2024-03-17 21:32:09 | 
『タラント』 角田光代 中央公論新社
片足の祖父、不登校の甥、大切な人を失ったみのり。長年にわたり、祖父に届く手紙の差出人「涼花」とは誰なのか?祖父とどんな関係なのか?手紙から物語が動き出す。
 多くの登場人物にさまざまなテーマ、時代の違う話をうまくまとめたなと作家の力量に感服。よかった。みのりなど、嫉妬もするし落ち込むこともある普通の人なので、身近に感じることができた。物語は時を生きつ戻りつするので、始めは戸惑ったが、重層的でいいかも。
 ボランティアは欺瞞なのか、自己満足なのか?よかれと思ってしたことが、裏切りに会う。
 「何をやってもやらなくても なんか言う人はなんか言うよ。やるって決めたら どんなひどいことを言われてもやるんだよ。そうじゃなきゃ、最初からやんないほうがいい」
 「あなたのタラントは、あなただけに与えられたもの。活かし増やすことを考えましょう。・・・神のさまざまな恵みの善き管理人として、それをお互いのために役立てるべきである」
 「比べたらだめだ。つらさの大小を苦しみの大小をうしなったものの大小を。比べた途端に私たちは想像を放棄する。そして、断絶してしまう」
 「すごくきれいなものとすごくおそろしいものはつながっている。一点の疑いもなく心の底から神さまを信じるきれいな気持ちは、そのまますごくおそろしい武器になる」
 かわいそうな助けるべき人から憎まれ口を聞いたら、ビックリしないか?私たちと違う世界の弱っている人は弱弱しくいてほしいって思っていないか?
 深かった。

『消された信仰 最後のかくれキリシタン-長崎・生月島の人々』 広野真嗣 小学館
 250年以上も続いたキリスト教弾圧のなかで信仰を守り続けた「かくれキリシタン」たち。その歴史に光を当てようとしたのが、2018年に日本で22番目の世界遺産となった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」だ。ところが、PRのために長崎県が作ったパンフレットからは、「最後のかくれキリシタンが暮らす島・生月島(いきつきしま)」の存在がこっそり消されていた。今も島に残る信仰の姿は、独特だ。音だけを頼りに伝承されてきた「オラショ」という祈り、西洋画と全く違う筆致の「ちょんまげ姿のヨハネ」の聖画……取材を進める中で、著者はこの信仰がカトリックの主流派からタブー視されてきたことを知る。一体、なぜ――。
 う~ん。生月島の人々は、弾圧をすりぬけるために、口伝で祈りを伝えてきた。意味のわからない外国の言葉を必死で伝えたので、ラテン語の言葉などわりとそのまま伝わっていると思った。意味がわからないから、音を日本語の単語に置き換えて覚えたのもしょうがないだろうし、隠すために仏様やいろんなものとくっつけるのもしようがないだろう。変遷しながらも必死で信仰を守り通したのは、すばらしいのではないか?カトリックに戻らないからと切り捨てるのはどうかなと思う。
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