茨城から八ヶ岳南麓へどどんぱっ

今までのタイトルがブログの内容に合わなくなってきたので、模様替え。

切ない。。。

2012-03-21 23:29:38 | Weblog
先日から、ずっと私の頭から離れないことがある。
札幌の自室の部屋で、人知れず死亡してた40代の姉妹だ。

姉は病死、妹は凍死。

両親は既に死去。
妹は知的障害があり、姉が面倒を見て、共に生活してきた。
だが、姉の勤めてきた洋品店が閉店、
職を求めて、滝川から札幌へ生活の場を移し、
職にありついたが、姉の病気によりやむなく自ら退社。

それからは、妹の障害者手当ての2月に一度の約12万円の収入だけが
唯一の収入。

無論、1月6万程度の収入では、大人二人の生活費のほんの一部にしかならず、
家賃、水道光熱費、滞納していったため、電気、ガスを止められていたとの事。

姉は貯金が底をついてきたときに、
生活保護の受給の相談に役所を訪れているのだ。
だが、姉は相談だけして、申請をせずに帰っていったというのだ。

役所の人もこのケースであれば、受給対象になりえる困窮ぶりだったので、
申請さえすれば認可になったはず、と語っていた。

なぜか?
役所の人が受給のための要件に、
「より一層の求職活動が必要」との話を聞き、
そうか、まだ、自分は努力が足りないのね、
もっと頑張らねば!と、友達に語った彼女の言葉があったようだ。

役所の人は、それは生活保護の申請をする人、全ての人に
説明する通りいっぺんの話の一つであったと言う。

怠慢な役所のせいで、彼女を救えなかった?
最初は役所に対して腹がたった。
でも、役所は所詮、受身の仕事。
積極的に申請しましょう!
と、親身にコンサルティングする場ではないのだ。

その通り一辺の説明を生真面目に受け止めてしまった、
彼女があまりに哀しい。

そして、何より、一番、胸をしめつけられるのが、
残された家計簿だ。
何時、お金が入金になって、
何月何日に何のお金がいつ支払いか、金額が几帳面にノートに綴られていた。

死ぬ間際は収入自体がほとんどなかったので、
支払う金額の多くに未払いの「未」の赤い文字が並ぶ。

そして、2012年の家計簿には、
支払い予定の項目の一覧表が既に準備されていた。
収入がなくても、
あきらめることなく、
支払いを放棄しようとすることなく、
きちんと、いつ支払いがいくらある、と払うつもりで準備していた。

それは、彼女が最期の最期まで、生きることをあきらめる事なく、
必死に生きようとしてた証である。
彼女はどんなにお金がなくても、
自暴自棄になることもなく、
きちんと前向きに生きようとしていた。

そして、部屋には、「より一層の求職活動が必要」
の言葉を全うするための求職の面接の予定がびっしり書き込まれた手帳。
それまでの職歴とはまったく関係ない、農業の仕事や、
肉体労働、仕事さえあれば、とにかく何でもやる、
という彼女の必死の生きようとした痕跡。

こんなに彼女は、前向きにひたむきに、
がむしゃらに一生懸命、生きようとしてた。
自分のためだけでなく、妹のためにも。
でも、叶わなかった。

なんで、
なんで、こんなに真剣に生きようとしてる人が
生きていけなかったの?

一度も会ったことのない、
赤の他人である彼女のこのやるせない死に接して、
私は涙が溢れてくるのです。

お金が無くても簡単にキャッシングが出来る今の時世。
世の中には簡単に借金して、やがて返せずに、
簡単に自己破産しちゃう人だっているのに、
借金もせずに、綺麗にお金を最後まで使っていたね。

こんな生真面目に、生きるために頑張り続けた、
彼女が愛おしい。
どうかもう苦しまないで、安らかに妹さんと眠って下さいね。

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