茨城から八ヶ岳南麓へどどんぱっ

今までのタイトルがブログの内容に合わなくなってきたので、模様替え。

鶴瓶、よかったな。。。

2012-03-20 03:56:34 | Weblog
鶴瓶の「家族に乾杯」、何となく点いていたから、
何となく、観てたのだが、、、

鶴瓶、今まで嫌いだったけど、、、
いいじゃん。。。

被災地の大船渡を訪れた後、鶴瓶は、
陸前高田に向った。
そこで市庁舎のあった建物に行き、
その前で周りを見渡した鶴瓶は、
言葉に詰まった。

しゃべる事が仕事の
常に淀みなく言葉が次から次へと溢れる
噺家である彼が、低音で唸るような声をあげた後、
言葉が出てこなくなった。

彼の胸にぐっときたものがあるのがわかった。

そして、被災地の仮説住宅の一角の勉強コーナーの部屋ででくわした
小学生の少女二人。

そのめっぽう明るい女の子に鶴瓶は、
「姉妹は?」
と質問した。

あぁ、言っちゃった!
それはまづい事になるかもしれないから
触れてはいけないことでは、、
と、観ていたこっちが、ハラハラ。

まもなく、その少女が、
「一人っ子」
と答えてホっとしたのもつかの間、

今度は、
「親はどこにいるの?」
という質問。

うぅぅ、また、何故、そんな質問しちゃうんだ?
と、ドキドキしていると、
「お父さんは、、、消防団員で、流された。。。」
と答えた少女。

あぁ、やっぱり心配してた通りの答えが、、、

その答えをした後、少女は、うつむいて背を向けたまま無言だった。
1分ぐらいは、そんな状態が続いた。

私も、そしてテレビを見ていた他の人たちも、
そして何より、鶴瓶が、この1分が何時間にも感じられるような長さで
少女の動向を見守った。

やがて少女は何事もなかったように、又、元のあっけらかんとした、
他愛無い会話をしだした。

凍りついてしまった空気が溶解しだし、
止っていた時計が又、元の時間を刻みだした安堵感。

その1分間、
背を向けていた無言だった、あの姿は錯覚だったのか?
と思わせるような、見事なリカバリーぶり。

いや、でも、きっと、
間違いなく、あの1分間は、
そうだったのだ。

ハラハラしながら多くの人が心配してた通りの
事態に陥っていっていたのだ、少女は。

その時の事を振り返る鶴瓶は、
涙目であった。
そして、そのときの心境を語った。

やはり姉妹のことを聞いてしまった事は失敗した!
と思ったらしい。
そして、その答えに安堵しつつも、その失敗発言に狼狽した彼は、
更に両親の事を口走ってしまって傷口を広げてしまった事を
深く後悔していた。

あの鶴瓶の涙には、こっちまで、もらい泣き。

今回の旅の相方は、高橋尚子。
彼女の元気さ、明るさが被災地には必要と、
鶴瓶が選んだらしいが、、、

はっきり言って、うるさすぎ。
キャーキャー騒いでばかりで、何も彼女からは伝わってくるものがない。

100年近く前に、ジョン・ケージという人が作曲した
「4分33秒」という楽曲がある。
これは第1楽章、タクト、
第2楽章、タクト、
第3楽章、タクト。

その全3楽章のタクト、つまり、休みの時間の長さを
全部足すと、4分33秒になる、楽譜なのだ。
タクト(休み)意外の音符はないので、
要するに演奏者は何の音も発する事無く、
4分33秒、楽器の前でじっとしていること、
それが演奏なのだ。

ジャズピアニストの山下洋輔が、この演奏をしたことがある。
その時の観衆の反応は何か得体のしれぬトラブルが起きたのか!?
と、ざわめきたったようだ。

この作曲者の楽曲の制作意図は、冗談でもなんでもなく、
観衆の怒号や、息づかい、そういった様々な向こうから与えてくれる音、
それを聞くこと、それが、この楽曲である、という事らしい。

未曾有の災害現場に、ボランティアを初め、何か手助けをと行く人々には、
元気を与えようと向う人もたくさんいる。

だけど、もし私が被災者の立場であったら、
やたらに元気に笑顔を振りまいて、頑張ってね!
という高橋尚子のような人はノーサンキューだ。

鶴瓶のように、その地の上に自らの足で立ち、
その惨状に言葉を失い、その地に漂う深い絶望や哀しみを
吸い取り紙が全ての水を含むように、
自らの中に吸い上げていってくれて、
一緒に震えてくれる人、
そういう人だったら、少しは哀しみも和らぐ気がする。

この4分33秒の音楽のように、
観衆の反応にお構いなしに発する、与えるだけの音楽でなく、
自分たちの息づかいや、ためらいの一呼吸、一呼吸に耳を傾け、
受け止めてくれる、そんな訪問者であれば、
何も語らなくても、自分達の苦しみも、少しは癒される気がするように思うのだが。。。

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