先日、カフェで一人、お茶してると私の肩越しに、
店主と常連客の会話が否応なしに耳に入ってきた。
「◯◯さん、K社の一人旅ツアーに参加するんだって?
何でもそのツアーに知り合いがいると判ると断られるらしい。
よく一人でなんて行くよね?
いや、そもそも旅の目的地、寄る所、
100%自分と合う人なんている訳ないから、
だから一人旅なんだよ。」
いや、それは、ちょっと、、、
その時、さすがに会話に突然参加できなかったワタクシが
今、もの申す。
そういう意味で、ひとり旅を捉えているんだったら、
K社の一人旅ツアーは全く違うだろ。
全てお仕着せのパッケージで、
全てが希望通りとは思えん。
これは旅はしたいけど一緒に行く人がいない人、
一人で参加しても、周りは皆一人だから
寂しい想いはさせませんよ。
それだけのツアーだと思う。
ひとり旅のワタシが思う定義とは全く違う。
まず、私はK社の一人旅ツアーには全く参加しようとは思わない。
何故か?
それを考えていくと、自分が考えるひとり旅というものが
おぼろげながら見えてくる。
まず何といっても、全ての行程が決まっているのがあり得ない。
ひとり旅は、風の吹くまま、気の向くまま、
自由きままにその時々で決めるもの。
又、旅の始まりから終わりまで、
ずっと同じメンバーで顔をを付き合わせているって、、、
窮屈すぎる。。。
友達探ししてるんでもないんだから、
ずっと行動共にしてる内に仲の良くなる人が出来ていいでしょ?
ではない。
旅先でちょっと会話したり、ちょっと人と触れあうぐらいで充分。
国内はもとより海外でも、ひとり旅デビューを果たしている
ワタシの考える、ひとり旅は、
「解放」「五感で感じる」
誰かと行く旅は、もうその時点で旅ではなく、
仲間とのコミニケーションを違う土地で紡ぐもの。
主役は旅ではなく、違う土地にいるとだけという単なる背景になってしまう。
一人での旅は、その土地の全てを五感で感じられる。
空気、日差し、匂い、空間、全てをちゃんと受け止められる。
そして日常から、社会からの解放。
誰にも気を使わない個の世界に入り浸れる。
それが、ひとり旅なんだが。
店主と常連客の会話が否応なしに耳に入ってきた。
「◯◯さん、K社の一人旅ツアーに参加するんだって?
何でもそのツアーに知り合いがいると判ると断られるらしい。
よく一人でなんて行くよね?
いや、そもそも旅の目的地、寄る所、
100%自分と合う人なんている訳ないから、
だから一人旅なんだよ。」
いや、それは、ちょっと、、、
その時、さすがに会話に突然参加できなかったワタクシが
今、もの申す。
そういう意味で、ひとり旅を捉えているんだったら、
K社の一人旅ツアーは全く違うだろ。
全てお仕着せのパッケージで、
全てが希望通りとは思えん。
これは旅はしたいけど一緒に行く人がいない人、
一人で参加しても、周りは皆一人だから
寂しい想いはさせませんよ。
それだけのツアーだと思う。
ひとり旅のワタシが思う定義とは全く違う。
まず、私はK社の一人旅ツアーには全く参加しようとは思わない。
何故か?
それを考えていくと、自分が考えるひとり旅というものが
おぼろげながら見えてくる。
まず何といっても、全ての行程が決まっているのがあり得ない。
ひとり旅は、風の吹くまま、気の向くまま、
自由きままにその時々で決めるもの。
又、旅の始まりから終わりまで、
ずっと同じメンバーで顔をを付き合わせているって、、、
窮屈すぎる。。。
友達探ししてるんでもないんだから、
ずっと行動共にしてる内に仲の良くなる人が出来ていいでしょ?
ではない。
旅先でちょっと会話したり、ちょっと人と触れあうぐらいで充分。
国内はもとより海外でも、ひとり旅デビューを果たしている
ワタシの考える、ひとり旅は、
「解放」「五感で感じる」
誰かと行く旅は、もうその時点で旅ではなく、
仲間とのコミニケーションを違う土地で紡ぐもの。
主役は旅ではなく、違う土地にいるとだけという単なる背景になってしまう。
一人での旅は、その土地の全てを五感で感じられる。
空気、日差し、匂い、空間、全てをちゃんと受け止められる。
そして日常から、社会からの解放。
誰にも気を使わない個の世界に入り浸れる。
それが、ひとり旅なんだが。