通夜、告別式(&十日祭)、そして相続手続き代行の手配を3日間で無事終了。
こないだ「怒濤の手続き戦争」って書いたけど、その代行業者さんは電気やガスの名義変更から不動産登記まで全部引き受けてくれるから、私がやることは送られてきた書類にサインや捺印をして送り返したりするだけ。
メチャクチャお金がかかるけど、全部自分でやったらどれほどの時間と労力と髪の毛を奪われるか、父のときに思い知ったから惜しくはありません。あのストレスだけはお金に替えられない。
だから有難いことに、残された慶弔休暇で散髪、歯の治療、メガネの買い替えなども出来そうです。散髪は本来、いよいよスキンヘッドにするつもりだったけど、「まだ早い」「今は(季節的に)寒い」という意見が圧倒的なので、まずは西部署の団長さんよりちょっと長いぐらいにしようかと思ってます。
この3日間は、それぞれ遠方から駆けつけてくれた友2人に本当に支えられました。人との繋がり、温かみがなんと有難いことか!
今回は長年連絡してなかった仲間たちからもメッセージをもらって(ブログを読んでくれてるらしい)、なおさら痛感しました。これこそお金に換算できない一生の財産なんだと、両親から最後の教えを授かった気がします。
いっさい関わって来なかった兄への怒りも自然と収まり、むしろ心配になってきました。これほど大事な教えを受けないまま歳だけ重ねて、あの人は大丈夫なんだろか……
いや、それ以上に心配なのは、学んでしまった私は結局、いつか兄の介護まで引き受けてしまうかも知れないこと。すでに私自身が死んだりボケたりしてなければの話だけど。
ともかく、人生最大のミッションを終え、気が抜けて、これからドッと疲れがくるのは間違いない。「自分の人生」を心底から楽しまなきゃ本当にヤバい。
せっかく休日が完全自由になるんだから、まずは「映画館に映画を観にいく」習慣を復活させるつもり。これは引退を宣言されたハリソン・フォード様による最後の教えです。
今日は母のお通夜。本来なら慌ただしい筈が、ごく少人数の家族葬である上、1日ズラしたお陰で余裕があり、予定より1時間早く会場入りし、母が寝てる横でこれを書いてます。
いよいよお別れかと思うといくらでも涙が出てきます。
父を見送ったときは、棺に大量の花を詰めていくセレモニー(?)の、天国を想起させるビジュアルを見て初めて堰を切ったように涙が溢れたけど、母の場合は亡くなるずっと前から、そうなることを想像するだけで泣いてました。
私はお父さんっ子で、母に対しては憎しみすら抱いてた筈だし、当人からも最後の最後まで拒絶されてたのに、やっぱり母親っていう存在は良くも悪くも、とてつもなくでかい。母親こそ……いや、女性こそが神様なんだとつくづく思います。
幼い頃から母の顔色ばかり伺い、それに囚われ続けた60年間がようやく終わり、もっと解放感があっても良さそうなのに、今はただただ寂しいです。
同列には扱えないけど、勤務先の施設でお婆さんが亡くなるたびに、いやそればかりか、月1回の誕生会でお祝いを受けてるお婆さんを見てるだけで私は涙が込み上げちゃう。お爺さんのときは眼カラカラです。
若い女性は基本的にニガテ。なのにお婆さんは愛おしくて仕方ない。この心理を一体どう解釈すべきなのか……(もちろん異常性癖とかじゃありません)
書いてるうちに時間が迫って来ました。これから、通夜、葬儀、法事、そして怒濤の手続き戦争が始まるけど、相続手続きに関してはもう、プロに丸投げします。かなりの料金がかかるけど、前回(父のとき)で懲りました。出来るだけラクにやらせてもらいます。
ここ数年、我が地域じゃ見られなかった銀世界を眺めながら、私はついに人生の第2ステージの入口に立った緊張感を味わってます。
もちろん喪失感もあるし開放感もあるけど、それ以上に「いよいよ本当に独りだ」「自分の人生を歩むんだ」っていう、重み。
実は離れた場所に5つ上の兄がいるけど、将来世話をする気も無ければされる気も無いと、父の通夜のときに宣言しました。
両親の介護は私が一手に引き受けてきたけど、遺産相続はきっちり二等分するとも約束してあります。遺産が目当てで実家に戻ったと思われたくないし、二等分することで後腐れなく別個の人生を歩めるから。
なので母の葬儀にも兄は(本人了承の上で)呼んでません。今まで私がずっと1人で頑張って来たのに、最後の最後だけ横で家族面されちゃたまらない。
だから通夜も告別式も基本は私1人でやるけど、それじゃ寂しすぎるし私の負担が大きいから、長野の親友Hくんと大阪のGUN友Nくんが付き添いに駆けつけてくれる予定。
そんな葬式は前代未聞かも知れず、葬儀屋の人たちは驚いてた(内心は呆れてたでしょう)けど、喪主は私だから私のやりたいようにやらせてもらいます。
ところで母が亡くなる日の前夜、こんな出来事がありました。
会っても鬱陶しがられるのは承知の上で、でもあと何回会えるか分からない状況ゆえ、いつものように私は業務を終えてから隣部署を訪ねました。
そしたら、ちょうど入口のところで中堅の男性職員と鉢合わせになり、私は「すいません、またちょっと(母の居室を)覗いて行きますね」と、穏やかな調子で言いました。
ところがその職員……もう「アイツ」と呼ばせてもらうけど、よっぽど忙しかったのか直前に腹に据えかねる事でもあったのか、アイツは物凄く迷惑そうなオーラを発しながら、無言で、首を半分だけ横に振る(つまり“勝手に行け”という)仕草をして見せたから驚いた!
もちろん「ええっ!?」って一瞬思ったけど、そのあと全体会議があって急がなきゃいけないし、あまりに想定外な対応にどうリアクションすればいいか分からず、私はすぐその場を離れて母の居室へ行きました。
母の様子は前日とそんなに変わっておらず、「もう近い」ってホンマかいな?と思うほどでした。
で、そのあと参加した月1回の全体会議。基本は各部署の収支報告と施設長による訓示だけど、いつもより長いその訓示が「(職員どうしも含めて)人との接し方が正しく出来ているか、あらためて省みて欲しい」みたいな内容だったもんで、私の奥底にあるマグマがメラメラと燃え始めました。
さっきの「アイツ」の「人に対する接し方」は一体どうなんだ? 私がターミナル・ケアを受けてる利用者の家族であること、それ以前に同じ施設で働く仲間であること、アイツよりかなり歳上であることを差し引いても、どう考えたって圧倒的に正しくない。
しかも、私が「気持ちだけでも」と持ち込んだ栄養ゼリーを女性職員が突き返した件で、隣部署のみんなに謝罪されたあの日から、まだ1週間も経ってない!
その「みんな」の中でもひときわギラギラした笑顔で「僕はあんな人(ゼリーを突き返した職員)とは違いますから」って断言したのが誰あろう、「アイツ」ですよ! これ、本当にホントの話です。
あんな女やこんな男を雇い、野放しにしといて「人との接し方を見直そう」もクソもあったもんか!!💢
施設長の訓示が長すぎて、司会役の人が「今回は質疑応答を省略します」と言って会議を終わらそうとするのを遮り、私が「すいません、どうしても言いたいことがあります!」と手を挙げたもんだから、そこにいる30人前後の職員たちが全員、仰天しながら私に顔を向けました。
なにしろ、私はそんな大勢の前で、しかも皆が早く帰りたがってる空気の中で、いきなり物申すようなタイプじゃないんです。けど、この時ばかりはまったく躊躇ナシでした。
「よその施設で見放された母を受け入れてくれたこの施設には本当に恩義を感じてます」と前置きした上でアイツとのいきさつを話し、「なんやねん、あの態度はっ!?」と、なぜか全員に対して怒鳴る私。もう止まりません。
アドレナリンが出まくって声も足も震えてたけど、私はアイツに限らず職場全体の空気に対して以前から感じてる不満もぶちまけました。
「朝、出勤した瞬間に帰りたくなることがしょっちゅうあります! 必要以上にピリピリして、挨拶しても無視される。ここは野戦病院かよ!?って。新しく入った職員が次々辞めていくのも当然です!」
手を挙げる直前までは「人手不足で余裕が無いのは本当によく解るけど」ってフォローも入れるつもりだったし、「そういう空気が利用者様のストレスになってないですか?」って結論づけるつもりだったのに、興奮しすぎて言い忘れちゃいました。
が、普段おとなしいヤツが大声を上げ、ちゃんと筋の通ったことを言ったときの効果は凄い。まさに「水を打ったように」皆が静まり返り、施設長はうなだれ、中には涙を流してる職員も。
そう言えば数ヶ月前、施設長との個人面談(年に2回ほど定期的にある)で私が「職員どうしの挨拶がちゃんと出来てないのが何より不満です」って訴えたとき、施設長に「私が言うよりハリソン君みたいな人が言った方が絶対に刺さるから、ぜひ皆に言って欲しい」と頼まれたことを、後になって思い出しました。
そのときは内心「ヒンシュク買って損するだけやん」と思ったし、「自分には荷が重いです」って正直に言ったけど、気がつけば結果的に実行してた。施設長とは違う「何者か」に言わされた感じです。
思いをぶちまけた結果はこないだ(栄養ゼリーのとき)と同じで、隣部署のトップはおろか施設長にまで謝罪される事態に。
「利用者様の家族」っていう立場を振りかざすのは絶対ダメだけど、その立場じゃないと言えないこと、言わなきゃならないことを、奇しくも母が亡くなる前夜に(つまりその立場でいるギリギリ最後のタイミングで)、主に役職者が集う会議でぶちまけた。
施設長が予言した通り、トップからの長い訓示よりも確実に刺さったと思います。もちろん、だからって私が大声だせば皆がひれ伏すなんて、アホアホな勘違いは断じて致しません。もういい歳ですから。
ちなみに「アイツ」こと信じられない横柄な態度をとった男性職員も、そして栄養ゼリーを突き返した女性職員も、おおっぴらには言えない裏事情を抱えてることを隣部署の主査が「言い訳にならないけど」と前置きした上で教えてくれました。
「ここだけの話にして下さい」とも言われたので言明は控えますが、私自身にも通底するものがある(親を介護してるって意味じゃなく)と書けば察して頂けるかと思います。
だからって野放しにしちゃ絶対ダメだし、けれど深刻すぎる人手不足という切羽詰まった背景もあるしで、上の立場にいる人たちが一番苦しんでる現実もよく分かりました。
こう言っちゃ何だけど、母がウチの施設(の隣部署)にいるより病院にいる期間の方がずっと長かったのは、今思えばラッキーでした。あの2人以外の職員さんたちに落ち度は無いけど、身内を預ける立場からすると……
挨拶の件にしろ、殺伐としがちな現場の空気にしろ、これまでスルーされてきた(小さいようで大きな)問題を会議の場で浮き彫りに出来たのは、本当に良かったと思ってます。
その翌日に母が亡くなり、私は慶弔休暇に入ってますから、施設に少しでも変化が生まれたかどうか現時点じゃ判りません。
が、大勢が集う会議の場で言うべきことをハッキリ言えた、自身の変化こそが私にとって何より重要。なんだか卒業試験に合格したような気分。
無理くりなポジティブ・シンキングじゃなくて、これまでの長い試練がようやく結実し、それを見届けるようなタイミングで母が逝った。これまた嘘みたいなホントの話です。
ちなみに私の付添人の都合により、母の通夜と葬儀は1日遅れで執り行われます。だからこの記事が書けました。
母が永眠しました。
仕事中に隣部署から呼び出され、駆けつけた時には息を引き取ってました。
が、それはまさに「眠るように逝って欲しい」っていう私の願い通りの最期なので、むしろホッとしました。
表情も本当に眠ってるだけみたいで、最初はなんで呼び出されたのか分からなかったぐらい。私の願いを叶えてくれて、本当に「ありがとう」しか言葉が出て来ません。
お母さん、安らかに。天国ではお父さんと仲良く過ごして下さい。
「令和の当たり屋」かも知れない変なオバサンに出くわした前日、つまり母が病院から介護施設へ戻った日、勤務を終えた私は薬局で買った栄養ゼリーを届けに、母の居室がある隣部署を訪れました。
そしたら、最近入ったらしい女性職員が「いえ、お気持ちは解りますがお母様はいま水分しか採れない状態なので必要ありません」と言って、受け取ろうとしない。
いやいや、今日はそうでも明日は違うかも知れないし、実際、入院中も6つ置いといたゼリーが2つに減ってたから、4つは(ひと口だけかも知れないにせよ)食べられたワケです。断られる理由が分からない。
だから「置いとくだけ置いといてもらえませんか?」ってもう1回頼んでも、その職員は「いいえ、すでに冷蔵庫に2つ入ってますから」と、無駄にスペースを取られて迷惑だと言わんばかりに突き放す。
以前の私ならここでプッツンしたかも知れないけどグッと堪えて「これは常温保存できる食品ですから、居室の片隅に置いてもらうだけでいいんです」と、あくまで穏やかに。
それでも彼女は「いいえ、お気持ちは解りますがお持ち帰り下さい」と頑なに拒否。入院前、母がご飯を食べないからゼリー等を持って来てくれと、依頼したのはそっち側なのに!
まるで「あなたのお母さんはもう、なにも食べないに決まってるから無駄なことさせないで」と言われてるようで、さすがにムカッと来たけど、やっぱり私はここ数カ月で成長してました。
彼女に怒鳴ったところでプラスになることは何もない。むしろ、母の生命を預けてる部署で反感を買えば母を危険に晒しかねないと判断し、「じゃあ、また必要になったら言って下さい」と引き下がりました。
こっち側の部署のクラスターがまだ収まりきってないのに、渡り廊下で直接出向いた私の方が非常識かも知れないしと、なんとか気を鎮めました。
そんな出来事があった上で翌日、GSであのイカレたオバサンと遭遇したワケです。
さらに、その夜。介護職員の義務として毎月受けなきゃいけない動画研修「ジョブメドレー」を早めに済ませようと思ってサイトを開いたら、今月のテーマがよりによって“ターミナル・ケア(終末期の介護)”と来たもんだ。なんという皮肉なタイミング!
おお!マイゴッドはどんだけ意地悪やねん!?って思いながら、そして号泣しながら約1時間分の動画を一気に観ました。ふだんは何日かに分けて観るんだけど、ことターミナル・ケアに関しては今の私が一番知っておくべき知識だから。
それで、ふと気づきました。これはゴッドの意地悪なんかじゃない。むしろ最高のタイミングでくれたアドバイスじゃないかと。つくづく、最近の私は「導かれてる」としか思えません。
で、そのターミナル・ケアには当然ながら「利用者様のご家族に対するケア」も含まれてる。終末期を迎えた利用者の家族、その気持ちに寄り添うことも介護職員の重要な仕事になるワケです。
観ながら前日のことを思い出し、またモヤモヤして来ました。今まさにターミナル・ケアを受けてる利用者の家族が届けた栄養ゼリーを、突き返したあの職員の対応はどう考えても間違ってるのでは?
だから翌日、母のケアマネージャーで私の上司でもあるOさんにいきさつを伝え、どっちが間違ってると思うか客観的な意見を尋ねてみました。
するとOさんは「それってこういう人じゃなかった?」って、その職員(私は名前を知らなかった)の特徴を即座に言い当てた。どうやら普段から問題行動が多い人らしく、Oさんはハリソン君に落ち度は無いと断言してくれた上、代わりにゼリーを届けてくれたのでした。
さらに隣部署の主任さんがわざわざ謝罪に来られる事態となり、当の職員もかなり絞られたみたいです。
私はどっちが正しいのか知りたかっただけで、クレームをつけるつもりは無かったんだけど、あの職員や施設全体の為にも結果的に良かったんじゃないかと思います。
あと、隣部署の人たちが口々に、母のターミナル・ケアに「最善を尽くします」みたいなことを言ってくれて、より安心して任せられる好結果にも繋がりました。そこには少なからず今月の動画研修がもたらした影響もあるんでしょう。
結果オーライ。我が身に起きたことがラッキーなのかアンラッキーなのか、どれもこれも自分の捉え方しだい。「ポジティブ・シンキングが幸せを呼ぶ」と世間で云われてる理由が、なんとなく解ってきました。
ところで今日は午前中に私の出演作『キャプテン・アメリカ/ブレイブ・ニュー・ワールド』を観に行って、帰ったその足で母のいる我が施設へも行きました。
ナース長からは「申し訳ないけど、もう近いと思う」って言われたけど、職員さんによると件のゼリーはごく少量ながら食べてくれてるみたいです。
ただ、声をかけても顔を向けてくれない理由が、私を嫌ってるからなのか単にしんどいからなのか、あるいは相手が息子だと認識できなくなってるのか、私にはもう判りません。
私がしてあげられるのはせいぜい、居室に持ち込んだプレーヤーのCDを入れ替えることぐらいで、かける言葉も「ありがとう」以外のボキャブラリーがない。
こないだ仕事中にふと思ったけど、介護施設って、ウチみたいに会話を失った親子に「一般的な家庭らしいコミュニケーション」を提供してくれる場でもあるかも知れません。
母が職員たちにどんな感情を抱いてるかは知る由もないけど、少なくとも私は利用者さん(特にお婆さん)たちとのコミュニケーションに、実際の家庭では味わえなかった温かみを感じてます。
もし母や父もそうであったとしたら、まさに「導かれた」と言うほかありません。いや、そう信じ込めば自分を責めなくて済む。これぞポジティブ・シンキングの極意!