ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

『非情のライセンス』2―#103

2019-06-30 00:00:06 | 刑事ドラマ'70年代









 
これはガツン!と来るエピソードです。なるほど、こういう話は『非情のライセンス』みたいな世界観でないとなかなか出来ないだろうし、だからこそ人気番組になったんだと私は納得しました。


☆第103話『袋小路』(1976.10.21.OA/脚本=橋本 綾/監督=小山幹夫)

警視庁特捜部のニヒルな警部補=会田(天知 茂)は、「ヤクザが内縁の歳上妻の交通事故死を悲しみ、後追い自殺した」との新聞記事を読み、疑問を抱きます。自殺したとされるヤクザ=竹井のことは会田もよく知っており、そいつはどう考えてもオンナのために自殺するようなタマじゃない。

そんな折り、いぶし銀の矢部警視(山村 聰)が保険金殺人の疑いがある交通死亡事故の再捜査を、会田に依頼して来ます。死んだ木島キミという年配女性はなんと、竹井が後追い自殺したとされる、その相手なのでした。

しかも両者とも、同じ病院の同じ医師=水谷(若林 豪)が治療を担当していた! 単なる偶然とは思えず、これは保険金殺人じゃないかと睨んだ会田は、ダンディーな水谷医師を訪ね、いつものように直球をぶつけます。

「安楽死は、慈悲の殺人とも言いましてね」

しかし水谷は、顔色一つ変えずにこう返します。

「俺はスイス方式を採ってる」

「スイス方式?」

「スイスでは見込みのない患者に毒薬を飲ませることは禁じられてる。だが、患者の手に毒薬を握らせることは認められてる」

「ほう、なるほど……すると木島キミにも、そのスイス式とやらを?」

水谷はほとんど、安楽死の手解きを認めてるようなもんだけど、それが事実ならこの事件、とうてい一筋縄じゃいきません。恐らく証拠は何ひとつ残ってない事でしょう。

「あんた、一体なにを調べてるんだ?」

「誰が木島キミを殺し、誰が竹井ヒロシを殺したか」

「無駄だね。俺は何も知らないし、たとえ知ってたって喋らない」

「喋らせてみせるさ、必ず。競争だな、俺が先に証拠を掴むか……」

「俺が犯人をあんたの手の届かない所へ逃がしてやるか……」

「彼女をね」

「そう、彼女をだ」

彼女とはおそらく、木島キミが亡くなって8千万円の保険金を受け取ることになる、長女=景子(水野久美)のこと。この時代のドラマは昨今のそれみたく懇切丁寧にセリフで説明してくれませんから、ボーっと観てると分からなくなっちゃいますw

また、ほとんど最初から事件の真相が解明され、どんでん返しも何もなく、誰が犯人かよりもその背景にある人間ドラマこそを掘り下げていく作劇も、謎解きゲームを売りにした昨今の刑事物ではまず観られないもの。ガツン!とハートに響いて来るのは、果たしてどっちでしょう?

「そんなの、どっちだっていいじゃない。事故だろうと殺人だろうと」

木島キミの次女、すなわち景子の妹である典子(清水めぐみ)は、姉の犯行を知ってか知らずか会田の尋問に全く動じません。

「そうはいかないね。事故か自殺か他殺かで、あんた方の受けとる保険金の額が大いに違ってくる」

「そんなの問題じゃないわよ、肝心なのはあの女が死んだってことよ」

「あの女?」

「もし殺されたんなら殺してくれた人に感謝するわ。じゃなかったらきっと私が殺してたもん!」

死んだ木島キミは、我が娘のみならず関わった人間のほとんどから憎まれる、界隈じゃ「鬼婆」として有名な悪女なのでした。

景子、典子、そして長男の駿介(川代家継)と3人とも父親が異なり、それも揃ってどこの誰だか判らないという体たらく。景子は学校を出てすぐにバーやキャバレーで働かされ、どうやら売春までさせられてた。それでもグレずに頑張って自立した景子は、小料理屋を経営して妹と弟の面倒をずっと見て来たのでした。

どうやら、景子が母=キミを殺したことは間違いなく、恐らくその秘密を握り強請って来たであろう外道ヤクザの竹井をも殺した。水谷医師の手を借り、安楽死という方法で。

だけど証拠がない。殺人を実証するには、水谷に全てを証言させるしかない。だけどそうすれば彼自身も破滅すること必至。会田は再び水谷にアタックしますが、当然ながら彼の態度は一向に変わりません。

「木島キミは竹井が殺した。そして竹井は自殺した。これで全て丸く収まる」

「だが、それは真実じゃない」

「真実ってヤツが、必ずしも意味があるとは限らない」

「真実に意味があろうと無かろうと、甘かろうが苦かろうが、俺は真実が知りたい。本当のことがな」

「因果な性格だな」

「生まれつきさ」

ニヒル会田とダンディー水谷は、たぶん似た者どうし。ストーリーに安楽死問題を取り入れた点から見ても、作者は医療マンガの金字塔『ブラック・ジャック』のドクター・キリコ編をイメージして本作を書かれたんだろうと思います。

たとえ虐げられた人を救う為とは言え、殺人は殺人として見逃すワケにいかない。だからお互い決して相容れない敵対関係なのに、実は弱者に対する思い入れが異常に強い点で、ブラック・ジャックとドクター・キリコ、そして会田と水谷はよく似てるんですよね。

会田は何とか証拠を掴もうと捜査を続けますが、ここで意外な事実が判明します。保険金の受取人が、なぜか景子から妹・典子と弟・駿介の二人に変更されてるのでした。

そして更に、駿介がかつて母親が引っ張り込んだ男の虐待によって眼に障害を負い、視力を失ってることも判明します。そう、駿介の眼を治すには、多額のマネーが必要なのでした。

景子は水谷の病院を訪れ、角膜移植の名医を見つけたと嬉しそうに報告します。

「典子は一人前の美容師になったし、駿介の眼は治るかも知れないし、いいことだらけで怖いみたい……今までこんな幸せなこと無かったわ。生まれて初めて……」

「不幸せだった分は、これから取り戻せばいい」

「落とし穴があるわ、きっと……幸せに慣れてないからダメね」

「…………」

水谷は言葉を失います。彼は知っているのでした。景子が末期癌で余命3ヶ月の宣告を受けていることを。

執念の捜査によりその事実を知った会田は、もう景子を説き伏せて自白させるしかないと決意しますが、水谷が必死に止めようとします。

「待ってくれ! 3ヶ月もすればどうせ彼女は死ぬ。それまで待ってやってくれ。3ヶ月だけ眼をつむってやってくれ!」

「死ねば真相は分からず終いだ」

思わず水谷は、必殺ダンディーパンチを会田に浴びせます。

「行けよ! 貴様の思い通りにしろよ! 貴様は木島の鬼婆よりよっぽど酷い人間だっ!!」

会田は反撃もせず、黙ってニヒルにその場を去り、繁華街の袋小路にある景子の店へと向かうのでした。

現れた会田のニヒルな顔を見て、景子はいよいよ覚悟を決めます。

「証拠があったんですね……刑事さん、私どんなミスをしました? どんな証拠が?」

「証拠は、あんたの心の中にある」

「私の心の中? 35年間、私はあの女を憎みながら生きて来たのよ。まともな心なんかとっくに無くしちまったわ。あの鬼婆はね……」

「彼女は母親だった。いや、母親になろうとした。あの日から」

「あの日?」

会田は、大学病院に入院中の駿介から、生前のキミが病院の廊下で泣き叫んでいたという話を聞いてました。鬼婆と呼ばれるキミがなぜ、そんなに取り乱したのか? それは娘=景子が余命3か月であるという事実を知ってしまったから。

「なぜあんたの病気を知ったのか、母親らしい気持ちになろうとしたのか、それは分からない。だが、お母さんはこう言ったそうだ。どんな事をしてもいい、何とか娘を助けてやってくれと。出来ることなら娘と替わってやりたい、どうして自分のような女が生きて、景子が死ななきゃいけないのかって」

「嘘! そんなこと嘘よ! あの女が母親になんかなれるワケないわ。そんな女だったら35年も私にこんな想いをさせる筈ないわ! そんな女が私のために泣くなんて……」

「いや、彼女はあんたのために泣いた。それは嘘じゃない。駿介くんが聞いていたんだ」

「!!」

やがて店の窓から夕日が差し、景子は猥雑な外の景色を見つめます。

「刑事さん……私、死刑になるんでしょ? 実の親を殺したんだもの、死刑が当然ですよね」

「…………」

「やっとこの袋小路から出られるんだわ……私、生まれてからずっと、この袋小路を出たこと無いんです。遠足にも行ったこと無いし、友達も無かったし……」

「…………」

「明日でもいいですか? お話しするの……」

犯罪者にはいっさい容赦しない筈の会田が、なぜか黙って頷きます。余命僅かな景子が逃走する筈ないと信じたのでしょうか?

「もう1日ここにいるわ……ここは、この袋小路は私の35年だもの」

日が暮れて、居酒屋でひとり酒を呑む会田の隣席に、すでに出来上がってる感じの水谷医師がやって来ます。

「祝杯ですか。さぞかし旨いでしょうね」

赤ら顔の水谷がダンディーに嫌味を言っても、会田は黙ってニヒルに酒を煽るだけ。水谷もそれ以上は何も言わず、黙々と呑んでたのですが……

絶妙なタイミングで、酔っぱらいのサラリーマンたちが「あの店に行けばいい事がある」「カネの為だったら誰とでも寝る女がいる」などと、明らかに景子の悪口を言い始めたもんだから、まるで水を得た魚のように大暴れするダンディー&ニヒルw 暴力行為と器物破損の罪により、二人は仲良く留置所へとぶち込まれるのでした。

「なぜ刑事だと言わなかった? 早く出してもらわないと犯人に逃げられちまうぞ」

「……どうしてそんなに彼女のことを庇うんだ。好きなのか?」

「…………」

そこで言葉を失っちゃうダンディー男の純情に、会田はニヒルな笑みを浮かべます。しかしそれにしても、袋小路から出なかった景子と町医者の水谷に、一体どんな接点があったのか?

「あんたは安楽死を慈悲の殺人だと言ったな。実際、安楽死を願うほど苦しんでる人間を見たことがあるか?」

「…………」

「俺が医者になって初めて手掛けた患者は、自殺を図った若い女だった。何とか助けてやりたい、何とか生かしてやりたい、俺はそう思った」

「…………」

「命を取り止めた彼女を見て、俺は自分自身に満足したし、彼女がもう一度生きられることを喜ぶに違いないと信じた。だが……目覚めた彼女は俺を見てこう言った。なぜ助けたの?って」

「…………」

「それから1年の間に彼女は3回自殺を図り、俺は3回助けた。彼女は必死で死のうとし、俺は必死で助けようとした。だが……死ぬことでしか救われない人間もいる。必死でこの世から逃げようとしてる彼女を見て、俺はそう思った。俺が、安楽死させた人たちは、皆そういう人たちだったと俺は信じてる」

「…………」

「生きろって叫ぶことは誰にでも出来るんだ。命を引き延ばすことも医学が可能にして来た。でも、本当にそれでいいんだろうか」

「……理想主義者だな」

「…………」

そこに、景子が店で自殺を図ったとの知らせが舞い込みます。

「水谷さん……4回目だね」

「…………」

永遠の眠りについた景子の傍らには、会田に宛てた封書が置かれてました。その中身は恐らく、犯行を全て自白する遺書でしょう。

「満足だろうな。これが真実だよ……あんたが知りたがってた真実を掘り返した結果だ」

「…………」

「俺は彼女が死ぬことを知っていた。知ってて助けなかった。こいつは立派な自殺幇助だ。逮捕したらどうだい?」

ところが会田は、せっかく景子が遺した封書をライターで燃やしちゃいます。あんなに知りたがってた「真実」が記されてる筈の、たった1つの証拠を……

「逮捕するワケにはいかん。俺も同罪だからな。俺は彼女に、毒薬を与えたようなもんだ。お前さん流に言えば、スイス方式を採った」

「…………」

言うまでもなく、こうなる結果を会田も予測してたワケです。だからあえて、彼女をひとりにした。

封書をすっかり灰になるまで燃やし、窓辺に立った会田は、曇りガラスに指で書かれた「水谷景子」という文字を見つけます。ちょっとベタだけどw、そういうことです。

さて、木島キミは事故死、ヤクザの竹井は自殺と処理され、保険金は無事に典子&駿介の姉弟が全額受け取りました。

そして数ヵ月が経ち、会田は水谷医師と二人で大学病院を訪れます。そこにいたのは、手術である人の角膜が移植され、すっかり視力を回復した駿介。

「水谷先生でしょ?」

顔を知らない筈の水谷を、声も聞かない内から言い当てた駿介に周りの人はみな驚きますが、姉の典子だけは平然として言います。

「駿ちゃんには判るのよ、先生が。どこですれ違ったって、どんなに大勢の人の中だって判る筈だわ。だって、姉さんの眼だもん」

つまり、そういう事です。これもまた、昨今のドラマなら過剰に説明し、過剰に盛り上げて無理やり視聴者を泣かせようとするところだけど、本作の場合さらりと一言で片付けちゃう。

水谷と駿介がしばし熱く見つめ合う、このシーンの意味も、ボーっと観てたら気づかずに終わっちゃう事でしょう。(実際、私は初めて観たときスルーしちゃいました。なにせ昨今の懇切丁寧なドラマや映画に感性を奪われた、現代っ子ですからw)

さて、全てが終わり、せっかく何も罪に問われずに済んだ水谷医師ですが、病院を辞めて故郷の四国へ帰ることにしたと会田に打ち明けます。

「俺は、最新の設備と最新の技術、それから優秀なスタッフ……それさえあれば、人を助けることが出来ると思っていた。だが、必ずしもそうじゃねえんだよな……人の命を引き延ばすことが出来ても、人を助けることにはならない。……その辺のところをのんびり田舎で考えるさ」

「理想主義は治らんな」

「お互い様だよ」

そこで笑顔を見せて水谷を油断させた会田は、渾身のニヒルパンチをお見舞いします。

「これであいこだな」

ニヤッと笑ってニヒルに去っていく会田の後ろ姿を、何ヵ月も経つのにまだ根に持ってたのかと呆れながらw、水谷はダンディーに笑って見送るのでした。

♪見えない鎖が重いけど~ 行かなきゃならぬ俺なのさ~ 誰も探しに行かないものを~ 俺は求めてひとりゆく~

そこで天知茂がニヒルに唄い上げる主題歌『昭和ブルース』が流れて、ドラマはニヒルに幕を下ろします。

なんという重さ! なんという濃さ! だけど、良かった! 感動した!

母と娘の絆、姉と妹・弟の絆、男と女の絆、そして男どうしの絆と、あまりに盛り沢山すぎて薄味になってもおかしくないのに、この濃密さ!

昭和という時代背景あればこそ成立する話だろうし、天知茂、若林豪、水野久美という豪華俳優陣の力量に依るものも大きいだろうけど、それより何より私のハートにガツン!と響いたのは、結果的に安楽死を全面肯定しちゃった創り手たちの、その確固たる勇気と覚悟なんだろうと思います。現在のテレビ屋さんたちには逆立ちしても出来ない芸当です。

そもそも、当時はドラマの登場人物が主張したことに対して本気で目くじら立てるような視聴者はそんなにいなかった筈だし、たまにいても創り手は相手にしなかった事でしょう。

これこそが、作品に魂をこめるという事です。そうする事が許された当時のクリエイターたちは、本当に幸せだったろうと思います。自分の本音をストレートに発信するのと、誰にも文句を言われないようオブラートに包み過ぎて、結局なにも伝わらないものを世に晒すのと、どっちがやり甲斐あるかって事です。

仮に今回のストーリーにメッセージ性が何も無く、単に人と人との絆を描いて泣かせるだけの内容だったら、私もわざわざ手間暇かけてレビューしたりはしません。

昔のドラマはこうして詳細にレビューするのに、昨今のドラマはほとんどそうしない理由は、そういう事です。

ちなみに私自身も、安楽死については肯定派です。死にたくなるほどツラくなった時、他に逃げ道がどこにも無かったら、私は是非とも安楽死をお願いしたいです。それの一体なにが悪いのやら?

なお、本エピソードには寺山修司作詞、浅川マキ歌唱による挿入歌『ふしあわせという名の猫』も効果的に使われてました。

♪ふしあわせという名の猫がいる~ いつも私のそばにぴったり寄り添っている~ ふしあわせという名の猫がいる~ だから私はいつも独りぼっちじゃない~

……という歌です。共感しましたw

 
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『非情のライセンス』2―#101

2019-06-29 00:00:06 | 刑事ドラマ'70年代









 
1974年の秋から'77年の春まで全124話が放映された『非情のライセンス』第2シリーズの第101話。第97話で坂田刑事(宮口二郎)、第99話で右田刑事(左とん平)が殉職し、この回から新任刑事が加わる事になります。


☆第101話『恋心』(1976.10.7.OA/脚本・監督=永野靖忠)

香港の麻薬シンジケートに潜入していた保安課の大和田刑事(井上孝雄)が消息を絶ち、その行方を追って香港へ飛んだ警視庁特捜部の会田警部補(天知 茂)は、帰りの旅客機内で美人キャビンアテンダント=滝 悠子(篠ひろ子)が外国人女性とこっそりハンドバッグを交換する姿を目撃します。

それを麻薬の取引だと確信した会田が悠子をマークし、徹底的にストーキングしてみたら、行方不明だった大和田刑事が彼女の前に現れたから驚いた! どうやら悠子は大和田とチョメチョメな仲らしい。

ということは、やはり大和田は麻薬組織に寝返ったのか? 会田はそれを確かめようとするんだけど、組織の殺し屋らしい連中に襲撃され、二人を取り逃がしちゃいます。

どうやら組織は、大和田が潜入捜査官であることに気づいた上で彼を利用してる。じゃあ、大和田自身はどうなのか? 彼はそうとも知らずに潜入を続けてるのか、あるいは完全に寝返ったのか? 彼は果たして今でも刑事なのか?

確信が持てない会田は、悠子を見つけ出して自分のマンションに連れ込み、大和田と組織の出方を探ろうとするんだけど、そこに訪ねて来た上司=矢部警視(山村 聰)がとんでもないことを言い出します。

「紹介しておこう。今度交通課から我が特捜部に配属になった、滝悠子くんだ」

「なんですって!?」

なんと悠子は警察官で、愛する大和田と再会したい一心で特捜部入りを志願し、会田より先に潜入捜査を開始していたらしい。だったら最初からそう言わんかい!と、さすがのクールガイ会田も怒り心頭。だけど矢部は涼しい顔で言うのでした。

「お前さんと彼女とじゃ目的が違う。もし大和田がクロだったらお前さんは彼を逮捕するだろ? ところが彼女は、大和田刑事を殺すつもりでいるんだよ」

「殺す?」

「そうだ。もし大和田がクロならば、彼は麻薬組織の一員として一生を過ごす事になるだろう。だが今彼が死ねば殉職って事になる。それが愛する人間の選んだ道なんだよ」

んなアホな!と、会田刑事より先に我々視聴者がツッコミを入れずにいられませんw

「すみません……私、刑事には向かない人間なんです、きっと。でも私、女ですから」

そうはさせじと会田は組織と取引し、命懸けで大和田を守ろうとするんだけど、往生際悪く逃げようとする彼の背中に、悠子は迷わず鉛の弾をぶち込むのでした。

「お……俺は……刑事だ」

大和田は虫の息で会田にそう言った後、黒幕の正体を告げて絶命します。

「あなた……ねえ、教えて! 教えてちょうだい! あなた刑事だったの? ねえ、教えて……教えてよ!」

泣きながらそう叫ぶ悠子に、きっと大和田はあの世から「撃つ前に聞けよ!」とツッコんだ事でしょう。

こうして麻薬組織は摘発され、大和田を撃ち殺したのは会田であると、矢部警視が上層部に嘘をついたお陰で悠子は免職を免れました。会田が人を殺すのは日常茶飯事だから黙認されるみたいですw

「部長、それで大和田さんはやっぱり刑事だったんですかねぇ?」

若手の浮田刑事(松山英太郎)にそう問われて、矢部は言います。

「さあ、今となっては誰にも分からんな。本人以外には……いや、ひょっとしたら大和田刑事自身にも分かんなかったんじゃねえのかな」

山村聰さんが口にされると深い台詞みたいに聞こえるけど、よくよく聞けば実に無責任な言い草ですw そもそも部下が私情で潜入刑事を殺すつもりなのを知りながら放置するのもムチャクチャだし、それをギリギリまで会田に隠してた真意もよく分かんない。悲劇を高みの見物して楽しんでるとしか思えませんw

で、警察をクビにならずに済んだ悠子は、この先どうするのかを問われてこう答えるのでした。

「大和田さんは刑事だったんです。私、そう信じてます。ですから私、その遺志を継いで………それに、今ここで辞めたら、会田さんに借りが返せなくなりますから」

そんなワケで滝悠子は特捜部の一員となり、篠ひろ子さんは今後レギュラーキャストとして活躍される事になります。(ただし会田と矢部以外の刑事は毎週登場するワケじゃないので、正確にはセミレギュラー)

いやぁしかし、驚きました。滝悠子は恋人に会いたい一心で潜入捜査を志願し、恋人の名誉を守るために彼を射殺しちゃう。職務やモラルよりも恋愛感情を優先し、悪びれもせず「だって私、女ですから」と開き直り、目的を果たせばシレッと特捜部に居座っちゃう。

こんな女性レギュラーが他の刑事ドラマに存在するでしょうか?w 少なくとも、職務のために私情を捨てることを美徳とする『太陽にほえろ!』じゃ絶対にあり得ない。だからこそあえて王道『太陽~』と真逆のアプローチを試みたのかも知れないけど、私は到底共感できませんw

でも、刑事ドラマとしてじゃなく「人間ドラマ」として捉えたら、こっちの方がリアルなのかも知れません。女って多分、こういう生きものでしょうから。

私はこれまで『非情のライセンス』のどこが面白いのか正直よく解らなかったんだけど、このエピソードを観てちょっと解った気がしました。要するにこのリアルさ……と言うより生々しさですよね。

その最たるものが『太陽~』ではタブーとされてるセックス描写で、『非情~』には頻繁に登場するし、今回も悠子と大和田の濡れ場が(見せ方はソフトながら)ちゃんと描かれてます。

オトナの男女が愛し合えばチョメチョメするのは当たり前であり、それを仄めかすことすら許されない『太陽~』でいくら男女愛を描いてもイマイチ説得力が無い。だからこそ家族揃って安心して観られたワケだけど、夜10時台放送の『非情~』は『太陽~』に出来ないことを意識的に追究し、違った客層(現在ではテレビ業界から完全に無視されてる成人男性層)を取り込むことに成功したんだろうと思います。

ほんと笑っちゃうくらい、何から何までアダルト風味。だから精神年齢が中学生レベルの私にはなかなか響いて来ない。今回その良さをちょっとだけ理解した分、ちょっとだけ大人になれた気がしないでもありませんw

なお、次回(第102話)からは財津一郎さん扮する「ばってん刑事」こと堀刑事も新加入。降板された左とん平さん=コメディリリーフ枠の後任ですね。
 
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「宮内 淳 in 太陽にほえろ!'76」―1

2019-06-28 12:00:23 | 刑事ドラマ'70年代





 
テキサス&ボン編の後半になって、徐々にボン(宮内 淳)が格好良くなって来ました。

別にそれまでダサかったワケじゃないけどw、ボンが最も精悍で格好良かった(と私は思う)1977年後半~'78年頃のルックスに近づいて来ました。

サファリジャケットのボタンを1つしか留めない、宮内さん曰く「ヤクザルック」の着こなしも、この辺りから見られるようになります。

けど、ボンにとって1年目となるテキサス&ボン編においては、目覚ましい活躍が見られたとはお世辞にも言えません。単独主演作は極めて少なく、テキサス(勝野 洋)はじめ先輩刑事たちのサポーターとしての出番が多かった。

テキサス亡き後もスコッチ(沖 雅也)に主役を奪われ、その半年後にやっとボン単独編が実現するも、僅か1クールでヒゲ男(ロッキー=木之元 亮)がやって来てしまい、再び「若手コンビ」として扱われる日々が続きます。

思えば不遇な新人刑事だったワケで、なのにあれだけの人気を獲得したんだから、それだけ稀有な魅力を備えたキャラクターであり、俳優さんだったんだと思います。

岡田チーフプロデューサーや小川チーフライターは、明らかに宮内さんを過小評価されてましたよねw ボンの凄まじい人気ぶりが「不思議で仕方ない」みたいなコメントばかりされてました。

それは時代の空気を読みきれてなかったからに他ならず、だからボンの後釜=スニーカー(山下真司)をジーパン(松田優作)の焼き直しみたいなキャラに設定し、視聴者にソッポ向かれちゃうワケです。ボンの人気ぶりをもっと正当に評価し、分析してくれてたら、『金八先生』に王座を奪われる羽目にはならなかったかも知れません。

あくまでテキサスとの対比、言わば引き立て役として生まれたボンボン刑事が、実は来るべき'80年代のトレンドを先取りした重要なキャラだった。『太陽』に革命をもたらしたのは間違いなくドック(神田正輝)だけど、その下地をコツコツ築いて来たのは、ボンです。これは決してこじつけじゃない。

ファンの方が、創り手より真実が見え易いこともある。……かも知れませんw 少なくとも、ボンの良さはファンの方がよく分かってました。
 
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「木村理恵 in 太陽にほえろ!'76」

2019-06-28 00:00:12 | 刑事ドラマ'70年代







 
アッコこと、矢島明子(木村理恵)。ゴッド姉ちゃんとは全然違いますw 『太陽にほえろ!』三代目の庶務係(お茶汲み)ですが、マスコットガールという呼称が一番よく似合う人でした。

「小動物系」って言い方が当時あったかどうか記憶に無いけど、ほんとにリスとか小鳥みたいなイメージでしたね。

七曲署捜査一係が最も家族的に描かれた時代のマスコットガールゆえか、歴代の誰よりも「みんなの妹」って感じがします。

クミ(青木英美)やチャコ(浅野ゆう子)には少しホステスの匂いを感じたしw、後輩のナーコ(友 直子)は隣家のお嬢ちゃんってイメージ。(あくまで私感です)

演技力も理恵さんが一番だったように思います。第206話『刑事の妻が死んだ日』では山さんの奥さんに付き添い、その最期を看取るという重責を担いました。

駆けつけた山さんに抱きついて泣く場面では、可愛いオッパイを山さんに掴まれてましたw(画像4枚目)山さんがアッコのオッパイを掴んだのです。あの山さんが。アッコのオッパイを。

他の番組でも「刑事部屋のマスコット」として新人女優が庶務係を務めるのが定番になりましたけど、七曲署のアッコほど視聴者に親しまれ、記憶に刻まれた人はいないんじゃないでしょうか?

いま見ても、本当に可愛い人です。
 
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『太陽にほえろ!』#216

2019-06-27 00:00:21 | 刑事ドラマ'70年代





 
☆第216話『テキサスは死なず!』

(1976.9.3.OA/脚本=小川 英&中村勝行/監督=竹林 進)

テキサス刑事(勝野 洋)最後の勇姿です。

今となっては地味な存在と捉えられがちなテキサスだけど、当時の人気は凄まじいもので、本エピソードは『太陽にほえろ!』史上最高視聴率となる42%を記録。歴代で最も世間から注目された殉職編と言えましょう。

それは勿論、先代のマカロニ(萩原健一)そしてジーパン(松田優作)の衝撃的な殉職劇が一大センセーションを巻き起こしたお陰でもあるんだけど、若い男子たちのカリスマだったお二人に対して、勝野洋さんは老若男女、より広い視聴者層から愛された結果の42%だったと思います。

内容はかなりハードで、街に粗悪な密造拳銃が大量に出回り、ガイキチ男が無差別に複数の市民を射殺。その現場に居合わせたテキサスに追われ、犯人はビルに立て籠ります。目の前で市民を殺されたテキサスは逆上し、逮捕を焦るんだけど、駆けつけた山さん(露口 茂)に止められます。

「行けば犯人を射殺する事になる。生かして拳銃の出所を掴まないと、また犠牲者が出るかも知れん」

結果、山さんの説得に応じた犯人から手がかりを得て、藤堂チームは拳銃密造組織の正体に迫って行くんだけど、その取引現場まで辿り着いたテキサスが、再び街に拳銃が出回るのをどうしても見過ごせず、仲間の到着を待たずに独りで飛び出しちゃう。

山さんの教えを守り、10人以上もいる敵を1人も殺さずに、みごと取引を阻止するテキサス。だけど、自身は蜂の巣にされて絶命しちゃいます。

いわゆる「犬死に」だったマカロニ、ジーパンとは対照的に、テキサスの死はすこぶる英雄的で、ちょっと美化され過ぎたきらいはありました。

演出も過剰で正直クサかったんだけど、テキサスというキャラクターと勝野洋という役者さんが、いかにスタッフ&キャストと大衆から愛されてたか、それがそのクサさに表れてるんだろうと思います。

ところが! 当時の『太陽にほえろ!』は本当に凄かった。この翌週に登場する新任刑事に、テキサス=英雄の美しい死に様を、引いては山さんの教え=伝統的な『太陽』イズムを、全面的に否定させちゃうんですよね!

そう、あのクールでキザな一匹狼が、スリーピースに身を包み、いよいよ七曲署にやって来るのでした。
 
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