これはガツン!と来るエピソードです。なるほど、こういう話は『非情のライセンス』みたいな世界観でないとなかなか出来ないだろうし、だからこそ人気番組になったんだと私は納得しました。
☆第103話『袋小路』(1976.10.21.OA/脚本=橋本 綾/監督=小山幹夫)
警視庁特捜部のニヒルな警部補=会田(天知 茂)は、「ヤクザが内縁の歳上妻の交通事故死を悲しみ、後追い自殺した」との新聞記事を読み、疑問を抱きます。自殺したとされるヤクザ=竹井のことは会田もよく知っており、そいつはどう考えてもオンナのために自殺するようなタマじゃない。
そんな折り、いぶし銀の矢部警視(山村 聰)が保険金殺人の疑いがある交通死亡事故の再捜査を、会田に依頼して来ます。死んだ木島キミという年配女性はなんと、竹井が後追い自殺したとされる、その相手なのでした。
しかも両者とも、同じ病院の同じ医師=水谷(若林 豪)が治療を担当していた! 単なる偶然とは思えず、これは保険金殺人じゃないかと睨んだ会田は、ダンディーな水谷医師を訪ね、いつものように直球をぶつけます。
「安楽死は、慈悲の殺人とも言いましてね」
しかし水谷は、顔色一つ変えずにこう返します。
「俺はスイス方式を採ってる」
「スイス方式?」
「スイスでは見込みのない患者に毒薬を飲ませることは禁じられてる。だが、患者の手に毒薬を握らせることは認められてる」
「ほう、なるほど……すると木島キミにも、そのスイス式とやらを?」
水谷はほとんど、安楽死の手解きを認めてるようなもんだけど、それが事実ならこの事件、とうてい一筋縄じゃいきません。恐らく証拠は何ひとつ残ってない事でしょう。
「あんた、一体なにを調べてるんだ?」
「誰が木島キミを殺し、誰が竹井ヒロシを殺したか」
「無駄だね。俺は何も知らないし、たとえ知ってたって喋らない」
「喋らせてみせるさ、必ず。競争だな、俺が先に証拠を掴むか……」
「俺が犯人をあんたの手の届かない所へ逃がしてやるか……」
「彼女をね」
「そう、彼女をだ」
彼女とはおそらく、木島キミが亡くなって8千万円の保険金を受け取ることになる、長女=景子(水野久美)のこと。この時代のドラマは昨今のそれみたく懇切丁寧にセリフで説明してくれませんから、ボーっと観てると分からなくなっちゃいますw
また、ほとんど最初から事件の真相が解明され、どんでん返しも何もなく、誰が犯人かよりもその背景にある人間ドラマこそを掘り下げていく作劇も、謎解きゲームを売りにした昨今の刑事物ではまず観られないもの。ガツン!とハートに響いて来るのは、果たしてどっちでしょう?
「そんなの、どっちだっていいじゃない。事故だろうと殺人だろうと」
木島キミの次女、すなわち景子の妹である典子(清水めぐみ)は、姉の犯行を知ってか知らずか会田の尋問に全く動じません。
「そうはいかないね。事故か自殺か他殺かで、あんた方の受けとる保険金の額が大いに違ってくる」
「そんなの問題じゃないわよ、肝心なのはあの女が死んだってことよ」
「あの女?」
「もし殺されたんなら殺してくれた人に感謝するわ。じゃなかったらきっと私が殺してたもん!」
死んだ木島キミは、我が娘のみならず関わった人間のほとんどから憎まれる、界隈じゃ「鬼婆」として有名な悪女なのでした。
景子、典子、そして長男の駿介(川代家継)と3人とも父親が異なり、それも揃ってどこの誰だか判らないという体たらく。景子は学校を出てすぐにバーやキャバレーで働かされ、どうやら売春までさせられてた。それでもグレずに頑張って自立した景子は、小料理屋を経営して妹と弟の面倒をずっと見て来たのでした。
どうやら、景子が母=キミを殺したことは間違いなく、恐らくその秘密を握り強請って来たであろう外道ヤクザの竹井をも殺した。水谷医師の手を借り、安楽死という方法で。
だけど証拠がない。殺人を実証するには、水谷に全てを証言させるしかない。だけどそうすれば彼自身も破滅すること必至。会田は再び水谷にアタックしますが、当然ながら彼の態度は一向に変わりません。
「木島キミは竹井が殺した。そして竹井は自殺した。これで全て丸く収まる」
「だが、それは真実じゃない」
「真実ってヤツが、必ずしも意味があるとは限らない」
「真実に意味があろうと無かろうと、甘かろうが苦かろうが、俺は真実が知りたい。本当のことがな」
「因果な性格だな」
「生まれつきさ」
ニヒル会田とダンディー水谷は、たぶん似た者どうし。ストーリーに安楽死問題を取り入れた点から見ても、作者は医療マンガの金字塔『ブラック・ジャック』のドクター・キリコ編をイメージして本作を書かれたんだろうと思います。
たとえ虐げられた人を救う為とは言え、殺人は殺人として見逃すワケにいかない。だからお互い決して相容れない敵対関係なのに、実は弱者に対する思い入れが異常に強い点で、ブラック・ジャックとドクター・キリコ、そして会田と水谷はよく似てるんですよね。
会田は何とか証拠を掴もうと捜査を続けますが、ここで意外な事実が判明します。保険金の受取人が、なぜか景子から妹・典子と弟・駿介の二人に変更されてるのでした。
そして更に、駿介がかつて母親が引っ張り込んだ男の虐待によって眼に障害を負い、視力を失ってることも判明します。そう、駿介の眼を治すには、多額のマネーが必要なのでした。
景子は水谷の病院を訪れ、角膜移植の名医を見つけたと嬉しそうに報告します。
「典子は一人前の美容師になったし、駿介の眼は治るかも知れないし、いいことだらけで怖いみたい……今までこんな幸せなこと無かったわ。生まれて初めて……」
「不幸せだった分は、これから取り戻せばいい」
「落とし穴があるわ、きっと……幸せに慣れてないからダメね」
「…………」
水谷は言葉を失います。彼は知っているのでした。景子が末期癌で余命3ヶ月の宣告を受けていることを。
執念の捜査によりその事実を知った会田は、もう景子を説き伏せて自白させるしかないと決意しますが、水谷が必死に止めようとします。
「待ってくれ! 3ヶ月もすればどうせ彼女は死ぬ。それまで待ってやってくれ。3ヶ月だけ眼をつむってやってくれ!」
「死ねば真相は分からず終いだ」
思わず水谷は、必殺ダンディーパンチを会田に浴びせます。
「行けよ! 貴様の思い通りにしろよ! 貴様は木島の鬼婆よりよっぽど酷い人間だっ!!」
会田は反撃もせず、黙ってニヒルにその場を去り、繁華街の袋小路にある景子の店へと向かうのでした。
現れた会田のニヒルな顔を見て、景子はいよいよ覚悟を決めます。
「証拠があったんですね……刑事さん、私どんなミスをしました? どんな証拠が?」
「証拠は、あんたの心の中にある」
「私の心の中? 35年間、私はあの女を憎みながら生きて来たのよ。まともな心なんかとっくに無くしちまったわ。あの鬼婆はね……」
「彼女は母親だった。いや、母親になろうとした。あの日から」
「あの日?」
会田は、大学病院に入院中の駿介から、生前のキミが病院の廊下で泣き叫んでいたという話を聞いてました。鬼婆と呼ばれるキミがなぜ、そんなに取り乱したのか? それは娘=景子が余命3か月であるという事実を知ってしまったから。
「なぜあんたの病気を知ったのか、母親らしい気持ちになろうとしたのか、それは分からない。だが、お母さんはこう言ったそうだ。どんな事をしてもいい、何とか娘を助けてやってくれと。出来ることなら娘と替わってやりたい、どうして自分のような女が生きて、景子が死ななきゃいけないのかって」
「嘘! そんなこと嘘よ! あの女が母親になんかなれるワケないわ。そんな女だったら35年も私にこんな想いをさせる筈ないわ! そんな女が私のために泣くなんて……」
「いや、彼女はあんたのために泣いた。それは嘘じゃない。駿介くんが聞いていたんだ」
「!!」
やがて店の窓から夕日が差し、景子は猥雑な外の景色を見つめます。
「刑事さん……私、死刑になるんでしょ? 実の親を殺したんだもの、死刑が当然ですよね」
「…………」
「やっとこの袋小路から出られるんだわ……私、生まれてからずっと、この袋小路を出たこと無いんです。遠足にも行ったこと無いし、友達も無かったし……」
「…………」
「明日でもいいですか? お話しするの……」
犯罪者にはいっさい容赦しない筈の会田が、なぜか黙って頷きます。余命僅かな景子が逃走する筈ないと信じたのでしょうか?
「もう1日ここにいるわ……ここは、この袋小路は私の35年だもの」
日が暮れて、居酒屋でひとり酒を呑む会田の隣席に、すでに出来上がってる感じの水谷医師がやって来ます。
「祝杯ですか。さぞかし旨いでしょうね」
赤ら顔の水谷がダンディーに嫌味を言っても、会田は黙ってニヒルに酒を煽るだけ。水谷もそれ以上は何も言わず、黙々と呑んでたのですが……
絶妙なタイミングで、酔っぱらいのサラリーマンたちが「あの店に行けばいい事がある」「カネの為だったら誰とでも寝る女がいる」などと、明らかに景子の悪口を言い始めたもんだから、まるで水を得た魚のように大暴れするダンディー&ニヒルw 暴力行為と器物破損の罪により、二人は仲良く留置所へとぶち込まれるのでした。
「なぜ刑事だと言わなかった? 早く出してもらわないと犯人に逃げられちまうぞ」
「……どうしてそんなに彼女のことを庇うんだ。好きなのか?」
「…………」
そこで言葉を失っちゃうダンディー男の純情に、会田はニヒルな笑みを浮かべます。しかしそれにしても、袋小路から出なかった景子と町医者の水谷に、一体どんな接点があったのか?
「あんたは安楽死を慈悲の殺人だと言ったな。実際、安楽死を願うほど苦しんでる人間を見たことがあるか?」
「…………」
「俺が医者になって初めて手掛けた患者は、自殺を図った若い女だった。何とか助けてやりたい、何とか生かしてやりたい、俺はそう思った」
「…………」
「命を取り止めた彼女を見て、俺は自分自身に満足したし、彼女がもう一度生きられることを喜ぶに違いないと信じた。だが……目覚めた彼女は俺を見てこう言った。なぜ助けたの?って」
「…………」
「それから1年の間に彼女は3回自殺を図り、俺は3回助けた。彼女は必死で死のうとし、俺は必死で助けようとした。だが……死ぬことでしか救われない人間もいる。必死でこの世から逃げようとしてる彼女を見て、俺はそう思った。俺が、安楽死させた人たちは、皆そういう人たちだったと俺は信じてる」
「…………」
「生きろって叫ぶことは誰にでも出来るんだ。命を引き延ばすことも医学が可能にして来た。でも、本当にそれでいいんだろうか」
「……理想主義者だな」
「…………」
そこに、景子が店で自殺を図ったとの知らせが舞い込みます。
「水谷さん……4回目だね」
「…………」
永遠の眠りについた景子の傍らには、会田に宛てた封書が置かれてました。その中身は恐らく、犯行を全て自白する遺書でしょう。
「満足だろうな。これが真実だよ……あんたが知りたがってた真実を掘り返した結果だ」
「…………」
「俺は彼女が死ぬことを知っていた。知ってて助けなかった。こいつは立派な自殺幇助だ。逮捕したらどうだい?」
ところが会田は、せっかく景子が遺した封書をライターで燃やしちゃいます。あんなに知りたがってた「真実」が記されてる筈の、たった1つの証拠を……
「逮捕するワケにはいかん。俺も同罪だからな。俺は彼女に、毒薬を与えたようなもんだ。お前さん流に言えば、スイス方式を採った」
「…………」
言うまでもなく、こうなる結果を会田も予測してたワケです。だからあえて、彼女をひとりにした。
封書をすっかり灰になるまで燃やし、窓辺に立った会田は、曇りガラスに指で書かれた「水谷景子」という文字を見つけます。ちょっとベタだけどw、そういうことです。
さて、木島キミは事故死、ヤクザの竹井は自殺と処理され、保険金は無事に典子&駿介の姉弟が全額受け取りました。
そして数ヵ月が経ち、会田は水谷医師と二人で大学病院を訪れます。そこにいたのは、手術である人の角膜が移植され、すっかり視力を回復した駿介。
「水谷先生でしょ?」
顔を知らない筈の水谷を、声も聞かない内から言い当てた駿介に周りの人はみな驚きますが、姉の典子だけは平然として言います。
「駿ちゃんには判るのよ、先生が。どこですれ違ったって、どんなに大勢の人の中だって判る筈だわ。だって、姉さんの眼だもん」
つまり、そういう事です。これもまた、昨今のドラマなら過剰に説明し、過剰に盛り上げて無理やり視聴者を泣かせようとするところだけど、本作の場合さらりと一言で片付けちゃう。
水谷と駿介がしばし熱く見つめ合う、このシーンの意味も、ボーっと観てたら気づかずに終わっちゃう事でしょう。(実際、私は初めて観たときスルーしちゃいました。なにせ昨今の懇切丁寧なドラマや映画に感性を奪われた、現代っ子ですからw)
さて、全てが終わり、せっかく何も罪に問われずに済んだ水谷医師ですが、病院を辞めて故郷の四国へ帰ることにしたと会田に打ち明けます。
「俺は、最新の設備と最新の技術、それから優秀なスタッフ……それさえあれば、人を助けることが出来ると思っていた。だが、必ずしもそうじゃねえんだよな……人の命を引き延ばすことが出来ても、人を助けることにはならない。……その辺のところをのんびり田舎で考えるさ」
「理想主義は治らんな」
「お互い様だよ」
そこで笑顔を見せて水谷を油断させた会田は、渾身のニヒルパンチをお見舞いします。
「これであいこだな」
ニヤッと笑ってニヒルに去っていく会田の後ろ姿を、何ヵ月も経つのにまだ根に持ってたのかと呆れながらw、水谷はダンディーに笑って見送るのでした。
♪見えない鎖が重いけど~ 行かなきゃならぬ俺なのさ~ 誰も探しに行かないものを~ 俺は求めてひとりゆく~
そこで天知茂がニヒルに唄い上げる主題歌『昭和ブルース』が流れて、ドラマはニヒルに幕を下ろします。
なんという重さ! なんという濃さ! だけど、良かった! 感動した!
母と娘の絆、姉と妹・弟の絆、男と女の絆、そして男どうしの絆と、あまりに盛り沢山すぎて薄味になってもおかしくないのに、この濃密さ!
昭和という時代背景あればこそ成立する話だろうし、天知茂、若林豪、水野久美という豪華俳優陣の力量に依るものも大きいだろうけど、それより何より私のハートにガツン!と響いたのは、結果的に安楽死を全面肯定しちゃった創り手たちの、その確固たる勇気と覚悟なんだろうと思います。現在のテレビ屋さんたちには逆立ちしても出来ない芸当です。
そもそも、当時はドラマの登場人物が主張したことに対して本気で目くじら立てるような視聴者はそんなにいなかった筈だし、たまにいても創り手は相手にしなかった事でしょう。
これこそが、作品に魂をこめるという事です。そうする事が許された当時のクリエイターたちは、本当に幸せだったろうと思います。自分の本音をストレートに発信するのと、誰にも文句を言われないようオブラートに包み過ぎて、結局なにも伝わらないものを世に晒すのと、どっちがやり甲斐あるかって事です。
仮に今回のストーリーにメッセージ性が何も無く、単に人と人との絆を描いて泣かせるだけの内容だったら、私もわざわざ手間暇かけてレビューしたりはしません。
昔のドラマはこうして詳細にレビューするのに、昨今のドラマはほとんどそうしない理由は、そういう事です。
ちなみに私自身も、安楽死については肯定派です。死にたくなるほどツラくなった時、他に逃げ道がどこにも無かったら、私は是非とも安楽死をお願いしたいです。それの一体なにが悪いのやら?
なお、本エピソードには寺山修司作詞、浅川マキ歌唱による挿入歌『ふしあわせという名の猫』も効果的に使われてました。
♪ふしあわせという名の猫がいる~ いつも私のそばにぴったり寄り添っている~ ふしあわせという名の猫がいる~ だから私はいつも独りぼっちじゃない~
……という歌です。共感しましたw