ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

「オリンピックに出ます!」

2024-09-29 20:55:03 | 日記

今さらの話題ですが、心身共にスランプだった時期にやってたのがパリ五輪。なにせスランプで書けなかったから、今さら書きます。

私が特に注目してたのがレスリング女子で、その中でも元木咲良選手(62kg級)。

開催前夜ぐらいにやってたNHKスペシャル『レスリング女子/新時代』で紹介された、史上最強と言われる日本代表選手6人の中でも、ひときわユニークな存在。

なにせ担当コーチの方が「咲良の運動神経の悪さは尋常じゃない」と太鼓判を押すほどの運動オンチ。

だけど「運動神経がなくても勝てる唯一の競技がレスリング」なんだそうで、多彩な技を繰り出す天才肌の藤波朱理選手(53kg級)とは対照的に、たった1つの必殺技「アリエフ」を徹底的に磨き上げてオリンピック初出場!という、マンガ顔負けの背景に強く惹かれました。



「全階級で金メダルも夢じゃない」と言われた6選手のうち、番組が特に推してたのが前述の元木咲良選手と藤波朱理選手(吉田沙保里さんの連勝記録を抜いてなお更新中の“ワンダーガール”!)、そしてそれまで日本選手は前人未到だった“最重量級での金メダル”を目指す、「かわいい!」が口癖の鏡優翔選手。

結果、その3選手と櫻井つぐみ選手(57kg級)が金メダル、須崎優衣選手(50kg級)と尾崎野乃香選手(68kg級)が銅メダルを獲得!

“オール金”はさすがに無かったけど、出場全階級でのメダル獲得は日本レスリング初の快挙。凄い! よかった! かわいい!

そして眩しい! 羨ましい! 結果じゃなくて、彼女たちの飽くなき向上心と、そのキラキラした眼が!

昭和や平成の時代と違って、悲愴感をまるで感じさせない明るさがある。ほかの種目もそうだけど、みんな「やらされてる」んじゃなく「やりたくてやってる」からでしょう。

私にだって若い頃はそういうのがあった! 自主映画創りやシナリオライターの仕事は、どんなに苦労が伴っても楽しかった。それこそ鏡選手や藤波選手みたいにキラキラした眼をしてたはず。かわいい!

それに比べて今のオレは燃え尽きて、抜け殻で毛も抜けてミッドライフ・クライシスで……と思いかけたけど、いや、待てよと。おいちょ待てよと気づきました。

オレもチャレンジしてるやん! 義務感で始めたから今までそういう意識が無かったけど、“介護”っていうのは過去の自分の生き方を根底から覆すほどの、まったく新しいジャンルへの挑戦やん!って。



介護職を「ハードだハードだ」としつこく書いて来たけど、「辞めたい」とは一度も書かなかったはず。肉体的な限界が来るまで続けたいと思ってるし、施設への愛着もそれなりにある。

こないだ、同じルーティンを繰り返すだけの入居者さんたちを少しでも楽しませたくて、安物ながらDVDプレーヤーとソフト(クラシック映画全集みたいなの)を施設に寄付したんだけど、そんなことする職員はたぶん他にいません。爺ちゃんたちはともかく婆ちゃんたちがホント好きなんです。

しんどいことは他々あるけど、それは若い頃やってた創作活動とて同じこと。ただ、それを乗り越えるのに必要なパワーが大幅にダウンしただけで。

オリンピック選手みたいに高いハードルを自分に課すのは若さの特権で、中年は中年に見合った目標を掲げればいい。記事のタイトルはもちろん嘘です。

いや、別にわざわざ掲げなくたって、生きてりゃ自然と乗り越えるべき壁が次々現れる。それこそ前を向いてる証拠です。

なんか、書いてる内に答えが出た気がします。そういうのがブログの良さだって、phaさんも『ゆるくても続く知の整理術』に書かれてました。やっててよかった! かわいい!

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「ミッドライフ・クライシス」

2024-09-28 19:50:09 | 日記

9月17日に放映されたNHKの報道番組『クローズアップ現代』で「ミッドライフ・クライシス」が取り上げられました。

ネットでその言葉を検索すると、AIが以下のように説明してくれます。

「ミッドライフ・クライシスとは、中年期に直面する心理状態や心の葛藤、不安などを指す言葉で、“中年の危機”とも呼ばれます。

ミッドライフ・クライシスは、人生の折り返し地点である中年期に、自分の人生について問い直さずにはいられなくなる、アイデンティティの不安な状態のことを指します。

ミッドライフ・クライシスの症状には、次のようなものがあります。

・焦燥感や葛藤などの不安定さ。

・のぼせ、冷え、疲れやすさ。肌の張りや透明感が減り、筋力が低下しシワやたるみが出てくる。

・子どもの独立、親の介護、家族や自身の病気などへの悩み。

また、中年期は身体的、社会的、家庭的、心理的に変化の多い時期であるため、急に離職、不倫、家出などの突発的な行動をとってしまうことがあります。」




今回の話に“シワやたるみ”は関係なかろうと思ったけど、否、外見の変化による影響も確かにある!(それについては後述します)

ともかく私がいま抱えてる虚無感って、さして珍しくもない、中年になると誰もが感じるもんなのかと思うと、ホッとしたような残念なような……

ただ、番組内で紹介された、実際にミッドライフ・クライシスで苦しんでる人たちの言葉を聞くと、やっぱり私の虚無感とは種類が違うような気もするんです。

たとえば54歳の大学講師Sさんの「ふと、これまでの人生で何も成し遂げてない、何かを達成するほどの時間も気力もないことに気がついて、自信喪失、自己否定に見舞われました」というお悩み。

さらに「競争社会の中で自分の存在意義を残すことができないという葛藤。新しいことをやって自分の存在を示さないといけない。それなのに自分の残りの人生を考えると、そうそう新しい事はできないんじゃないか。自分の存在そのものが意味が無いんじゃないか。本当にどん底のときは、そういうことも考えたりしました」と続く。

え〜、そうなの? 私なんか40歳前後で“燃え尽き症候群”を自覚し、残りの人生はオマケみたいなもんと捉え、両親を見送ったあと自分がどんな風に死ぬかしか今は考えてない。

だから、人生ってそんな大袈裟なもんかいな?って思っちゃう。なにか大きなこと、新しいことを成し遂げない人生に意味は無いんかい?って。

とすれば、この問題に私はまったく共感できない。そう思ってたら、番組の後半でこんな本が紹介されました。



「pha」という忘れようにも忘れられないペンネーム! “日本一有名なニート”と云われるブロガーさんで、私が以前gooブログ仲間のKTさんから譲って頂いた文庫本『ゆるくても続く知の整理術』の著者さんじゃないですか!

すぐにネットで注文して買いました。私よりひと回り歳下のphaさんにミッドライフ・クライシスはちょっと早いのでは?とも思ったけど、すこぶる頭がいい人ゆえ早熟なのかも知れません。

「40代半ばになった今、つかまってしまったな、という感覚がある。何に? 世間に、だろうか。それとも、老いに、だろうか。何をするにも少しずつ足取りが重くなっていて、昔のように自由に動けなくなってきているのを感じる。」

それがミッドライフ・クライシスなのだとすれば、やっぱり私にも当てはまる気がします。

「特に組織などに属してるわけじゃないし、他人の目や世間の圧力などをあまり気にしない性格だから、別に年をとってもそんなに変わらない生活を続けられるんじゃないか、と昔は思っていたけれど、そんなに上手くはいかなかったようだ。」

「年をとるとふらふらとした状態でいるのが難しくなってくる原因は、体力の衰えのせいももちろんあるけれど、年下の人間が世界に増えたということが一番大きい感じがする。」

そう! そうなんですよ! “オジサン”っていうカテゴリーに仲間入りすると、自分のダメさ加減が周りから見て痛々しく、シャレにならなくなって来ちゃう。

私はチビゆえに実年齢より若く見られがちだったのに、ここ数年で禿げてきちゃったからもう誤魔化せない。そうなると“ダメ人間から抜け出す努力をする”か、あるいは“開き直る”かの二択しか無く、私は迷わず後者を選ぶワケです。



他にも共感ポイントが山ほどあって、ただ1つ、phaさんが自らシェアハウスを立ち上げて集団生活を楽しんだ時期があるのは大きな違いかな?と思ったけど、否、そういや私も若い頃は自ら自主制作映画のサークルを立ち上げ、合宿撮影など楽しんだりしてました。いろんな要素において、ちょっと似てる!

ブロガーとしてのレベルは雲泥の差(無論こっちが泥)だし、phaさんは本を何冊も出されてるから印税だけで生活して行けるでしょうけど、すごい親近感を覚えます。

ちなみに私も昔書いた特撮ヒーロー番組の脚本=DVD売上げの印税が不定期に入るけど、それは(マイナーな番組ゆえ)小遣いにもならない程度。あのシナリオライター時代こそが人生のピークで、ほんと最高に楽しかった! けど、それで燃え尽きたんですよね。

phaさんも「もう何を書いたらいいか分からなくなってきた」と編集者に話したら「じゃあ、そういう気持ちをそのまま書くのはどうでしょう」と言われて、この本を執筆されたとか。

それがベストセラーになって、私が買ったのは第5刷(第1刷発行から僅か3ヶ月!)ですから、ホント雲泥の差も甚だしい。そりゃ相手は“日本一有名なニート”さんだし!(現在は書店で働いておられるそうです)



なにはともあれ、私はいま、母を見送ったあとの「在宅ひとり死」を真剣に考えてますが、実現するまでの期間は意外と長いかも知れない。それまで私はどう過ごせばいいのやら? phaさんの今後の生き方に、そのヒントが見いだせたりするんだろうか?

若い頃は自殺することばっか考えてたけど、せっかくここまで生き長らえて、今更それは無いだろうと最近は思ってます。

築50年以上の家に住んでるから大地震に見舞われたらイチコロだろうし、あんまり先のことを考えても仕方ない。今を精一杯、だけど無理せずに生きるしかありません。

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「認知症とその介護。」

2024-09-22 18:00:22 | 日記

私と兄はずっと不仲だったワケじゃありません。私が小五ぐらいの頃に家族全体の会話が無くなり、兄は大学卒業、私は高校卒業を機に実家を離れ、顔を合わすのは年末年始の帰省時ぐらいになったけど相変わらずノー・コミュニケーション。

変化が訪れたのは私が30歳を越えた頃。理由は単純で、年末年始に家族が集まったときの沈黙に、私が耐えられなくなったから。

ずっとパソコン相手の仕事をしてる兄とは対照的に、私は仕事にせよ趣味にせよ多くの人間と関わらざるを得なくなり、そのお陰である程度の“コミュ力”を身につけたワケです。

兄とは分野は違えど“オタクである”という共通点があり、それを糸口にして私から歩み寄り、仲良しとまではいかないまでも「まあフツー」と言えるぐらいの兄弟仲には修復できました。



それが再び悪化したのは、常連読者さんならよくご存知のとおり、私が両親の介護を一手に引き受けるようになってから。

そのこと自体は「自分で選んだ道」なので、兄が一切ノータッチでも不満は無かったです。最初の頃は。

けど、介護がハードになるにつれ、兄がノータッチである以前に「無関心」であることにストレスが溜まり、いよいよ父が亡くなって喪主となった私を、こっちから頼まない限りいっさい手伝おうとしない兄の徹底した「ノータッチX無関心=まったくの他人事」ぶりに私のマグマが大噴火し、更にその延長線上でも色々あって、私の中ではもう兄は「最初からいない」ことになってます。存在すると思う=助けや慰めを期待するから裏切られるワケで。



とはいえ、認知症の後期高齢者が身近にいない人に、その介護がどれほどハードであるかを想像してもらうのは、いくら言葉を尽くしたところで100%ムリ。自分で経験しないと絶対に解らない。

今回の記事は、「そういや介護がハードだハードだと今までしつこく書いて来たけど、それがどうハードなのか、なぜハードなのかを具体的には書いて来なかったな」と気づき、知らない人に少しでも解ってもらおうと思い立って書き始めたのですが……

やっぱり、お互い気が滅入りそうだし、物凄い長文になるだろうし、もう既に疲れちゃったんでやめときます。

これから介護に関わりそうな人は実際に経験すれば解るだろうし、関わらなくて済むならそれに越したことはない。

ただ、うちの兄みたいに「無関心」を貫くのだけはやめて欲しいです。それじゃ自宅で介護してる人や施設で働いてる人たちの苦労が浮かばれません。

その両方を兼ねてる私の体重が10kg近く減り、頭髪も一気に波平化した。そして職場では同僚が次々と辞めていく。その事実だけでじゅうぶん何かが伝わるかと思います。

兄が無関心を貫いてるのは、たぶん罪悪感を背負うのが怖いから。こちらとしては、罪悪感なんか持たなくていいから関心を持ってくれ!って思いなんだけど。(誰しも早死にしない限り、いつか必ず介護される立場になるんだから、自分の為にも関心は持っておくべき)



ちなみに今日、お彼岸の法要で宗教の人に「もうお金を出せないから今回限りにして下さい」とハッキリ言いました。

先方は「そんなに高い金額は要らない、気持ちだけでいいんだと、前から言うつもりが機会を逸してた」という旨で謝罪し、今回の分はサービスしてくれました。(その“気持ち”につけ込むのが宗教家や葬儀屋のタチの悪さだと学びました。無知だった私の自業自得です)

あわよくばそのまま受け取り続ける気だったのはミエミエだけど、人としては話しやすいお婆さんで嫌いじゃないし、いずれ母の葬儀でもお世話になるだろうから、今後は本当に“気持ちだけ”の金額を包む前提で法要は続けてもらうことにしました。

信仰心がほぼ無い私の“気持ちだけ”は本当に低い金額になるけど、もしバチが当たるなら今の状況こそがそうだろうと思うんで、怖くはありません。

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「理想は在宅ひとり死。」

2024-09-21 17:27:05 | 日記

先日、『在宅ひとり死のススメ』という本(上野千鶴子著、文春新書)を買って読みました。

もちろん自殺を勧める本じゃなくて、メディアによってさんざんネガティブなイメージを植付けられた「孤独死」を、もうちょい聞こえが良くなるよう著者が発案された呼び名が「在宅ひとり死」であり、これまで無視されて来たそのメリットを我々に教えてくれる本。

そりゃあ無論、ひっそり死んで何日も経ってから発見されちゃ悲惨だけど、そうならないよう準備さえしとけば心配ご無用ってワケです。



著者の上野さんは前期高齢者となった現在まで独身を貫き、すでに“おひとりさま”の生きざまをポジティブに語った本を何冊も出されてます。で、生きざまについてはもう語り尽くしたもんで、今度は死後のことを考えてみようと。

「ホンネをいうと、わたしは生きてるあいだのことしか、関心がありません。死後の世界などまっぴら。葬式やお墓などの“終活”にも、何の関心もありません。葬儀は密葬で、遺骨は散骨してほしい、と遺言状には書いてありますし、遺言執行人も指名してあります。散骨場所は国内某所、たいしてめんどうな場所ではありません。そのくらいのことを頼める友人もいますし、少々の迷惑をかけてもいいでしょう。」(“はじめに”より抜粋)

私は大賛成、大共感です。

ちょっと話が逸れますが明日、自宅でお彼岸の法要があるけど、それは信仰深い父が生前に墓や神棚を自分で用意してたから“親孝行”としてやってるだけのこと。

信仰心がほとんど無い私としては、けっこう頻繁にある法要(宗教の人から『何日に伺いましょうか?』と電話がかかってくる)でけっこうな金額を支払い、そのたびに「これっていつまで続くの?」「いいカモにされてない?」と疑問が沸くばかり。

先月はお盆、今月お彼岸、さらに来月は命日もあるし、3ヶ月で10万近くも取られちゃう(父が亡くなったのは一昨年です)。そんなのが続いたら生活が破綻しかねないから、明日「もう今回限りで結構です」って言うつもりだけど、それって非常識なんでしょうか?

ちなみに参加する親類縁者はいつも私1人だけ。母は父の死を認識してないし、今やメール1つよこさない兄もわざわざ呼んだりしません。



だからこの先、私が兄より先に死ぬことになっても、彼に看取って欲しいとはツユとも思わない。数少ない友人にも痩せ細った死に顔なんか見せたくない。本当に“ひとり死”が一番! それも自宅死!

最悪なのは病院死で、患者が担ぎ込まれたら医者は職務として延命措置するしかない。ほぼ意識が無い状態でも治療費や入院費がどんどんかさんじゃう。

よっぽど苦しい症状に見舞われた場合は別として、老衰なら介護施設でそのまま看取ってもらう方が絶対いい(父がそうでした)し、可能なら住み慣れた自宅でモデルガンやフィギュアに囲まれて死にたいもんです。



現在は訪問による介護や看護、看取り、葬儀までプロに任せる選択肢もあるってことを、この本で学びました。究極の理想じゃないですか? パートナーがいても心中しない限りは片方が先に逝く。最期はどうせ独りです。

死ぬ時だけふだん付き合いの無い親類縁者に囲まれて、それが果たして幸せなのか私には解んない。病室で幼い孫に泣きつかれた爺さんが、最期に遺した言葉が「うるさい!💢」だったというw、ホントにあった逸話もこの本で紹介されてます。

まあ、賑やかなのが好きな人は賑やかに見送って欲しいのかも知れないし、これも十人十色でしょう。私は静かな環境で死にたいし、誰かに見送って欲しいとも思わない。だから父の葬儀も家族葬にしたし、母か兄が私より先に死んでもそうするつもり。

誰だっていつかは必ず死ぬんだから、早めに考えておくに越したことはありません。

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「1ヶ月ぶりの日記。」

2024-09-19 21:30:33 | 日記

いくら大作レビューが続いたとはいえ、1ヶ月間に3つしか記事を更新しなかったのは今回が初めて。

その大作レビュー(’80年代ムービー特集)は骨が折れるけど楽しいから、合間にこうして日記やテレビのレビューも挟みつつ、今後しばらく続けていく予定です。何も起こらなければ。



1ヶ月前の日記に書いた「母の食欲不振」はずっと続いてるし、「主戦力の同僚4人が一挙退職」も着々と実行されてます(既に2人が姿を消し、残りの2人も今月いっぱいでサヨウナラ)。

そのぶん残された我々の負担も増えるワケで、母より前に私自身が倒れる可能性も充分あり得ます。

ネガティブな事ばっか書きやがってと思われるかも知れないけど、単に事実を書いてるだけ。この状況をポジティブにシンキング出来るとしたらそれこそクレイジーだと思う。



ただ、1ヶ月前は本当にヤバかった私自身の体力はいくらか回復し、それに伴い気持ちも落ち着いて来ました。

身長156cmで体重44kgという、これまで経験したこと無い痩せ方をしちゃったのは、まだ腎臓にいっぱい残ってる結石がこれ以上大きくならないよう、腎臓疾患者向けのデリバリー弁当(病院食みたいなもん)を毎晩食べてたから。

ところが「そんなもん食っても結石には関係ない、それよりタンパク質をちゃんと摂って体重を戻しなはれ」と医者に言われ、その通りにした次第です。

後の祭りかどうか分からんけど頭髪はますます抜けて、波平予備軍からいよいよホンモノの波平に近づいて来ました。そんなに羨ましいですか?

潔く丸坊主にしたいんだけど、そっちの方が手入れが大変そうで二の足を踏んでます。散髪なんぞに時間と金を奪われたくないし(床屋さんのせいじゃなくて自分自身の問題)、自分で剃るにしても後始末がまた面倒臭そう。

みんな波平カットで統一してくれませんかね?(もしかしてチョンマゲが発案された理由って、それ?)



母に関してはケアマネさんと相談し、いまショートステイで通ってる施設と同じ系列のグループホーム(つまり完全入所を前提にした施設)を見学し、予約を入れました。

後ろめたいけどそうする以外に方法が見当たらない。刑務所みたいな“特養”よりはいくらか好環境であるのがせめてもの救い。そういうことも自分が特養で働いてなければ判断出来なかっただろうし、やっぱり見えない力に導かれてる気がします。

そうなると自分の老後も本気で考えざるを得ず、こないだ『在宅ひとり死のススメ』という本を買って読みました。それについてはまた今度。

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