やっぱり、するもんじゃないですね。エゴサーチ。自分の名前をネット検索してみる行為。
かつて、ほんの数年だけど創作でメシを食ってた時期があり、名前を検索すればいくつか記事が出て来ちゃうし、顔もすぐにバレてしまう。別に犯罪してたワケじゃないからいいんだけど。
エゴサーチは、今まで怖くてしたこと無かったんです。お節介な友人が「こんな悪口書かれてたよ」ってわざわざ知らせてくれた事はあったけど、その悪口を書いたヤツよりも友人の方に私は悪意を感じました。ほんと余計なお世話です。
今回は、テレビ番組でタレントさんがエゴサーチの話をされてて、そう言えば自分はしたこと無かったな、いっぺんやってみようかなって、軽い気持ちで始めたんですよね。私の本名と、このブログの「ハリソン君」がどこかで繋がってやしないか?っていう不安もあったし。
そしたら、私がかつて手掛けた某映像作品について熱く語ってくれてるブログがあって、それもかなり好意的に書いてくれてるもんだから、うっかり読み耽ってしまったワケです。
そしたら、当時私が実名を出して書いてたホームページの日記と、その後で始めた最初のブログ、そして私が度々コメントを投稿してた(自主映画仲間たちとの連絡に使ってた)掲示板まで隈無く読まれてて、私が映像業界を去ってから始めたブログがトラブって閉鎖に追い込まれるまでのいきさつ、その間どんな仕事をしてどんなことをブログに書いてたか、私自身がもう忘れてることまで細かく知られてるもんだからチョー驚いた! おいちょ待てよ!
実名を出してない今のブログまではさすがに追いかけてないようで安心したけど、業界を去ってからもずっと見られてたかと思うと、怖いし、なんだか申し訳ないしで、久々に胸の奥がザワザワしました。
当然なんでしょうけど、かつて作品を評価してくれた人から見れば、私の人生は典型的な「おちぶれ人生」であり、物凄くカッコ悪い生き方なワケです。いや、映像業界の悪口を書いてる時は自分でも「ただの負け犬の遠吠えやん」って思ったりするけど、見ず知らずの人から冷静に言われると凹みます。やっぱりそうか!ってw
また、その人の分析がいちいち的確で、業界にいた頃は勘違いしてゴーマンになってたことも見透かされてて、そのせいで当時の仲間たちもどんどん離れて行ったとか、自分で分かってても振り返りたくない、とても痛い本質を今になって指摘されてたような事になってしまい、ほんと何とも言えない気分になって、今日書くつもりだった記事を書く気力が無くなっちゃいました。で、今これを書いてる次第です。
私は自虐的なところがあるし、見栄を張ってカッコいいこと書く方がよっぽどカッコ悪いと思ってるから、自分の恥部をあえて書いちゃうクセがある。今回見つけてしまった記事の「分析がいちいち的確」ってさっき書きましたけど、自分がゴーマンになってたことも仲間たちが離れていったことも自分で書いちゃってましたから、著者はそれをただなぞってるだけかも知れません。
それはつまり、こっちが自虐ネタとして書いたことを真に受けられ、そのまんまの人間だと思われてしまう怖さもあるワケです。まぁ、おおむね事実なんだけどw
とにかく、当たり前だけど書けば読まれてしまう、それが世の中に残ってしまう(閉鎖したブログもどこかでコピーされ見られてるみたいです)、それが後になってけっこうグサッと突き刺さって来る場合もあることを、あらためて思い知らされました。
レビュー記事は良いとして、日記カテゴリーであげた記事は全部削除した方がいいかな?って、ちょっと思ったりもしました。親の介護の事とか、むかし包茎だった話とかw、わざわざ公表するのも考えもんだぞって。
けど、やっぱり、他人がどう思うかなんてどーでもいい事なんですよね。
客観的に見れば落ちぶれ人生でも、私自身は今こうしてブログを書いてる方が、映像業界で神経をすり減らしながら働いてた時よりよっぽど楽しいし、親の介護も自分の意志でやると決めた事だから、しんどくても納得してます。
件の記事の著者に対しては、私の映像作品を評価してくれたことは素直に有難いと思うけど、辞めた後どういう風に生きてるかに関しては、ホント余計なお世話。他人の人生を覗き見してあれこれ書くヒマがあるなら、自分で私のより面白い作品を創ってみなはれって思う。ゴーマンですか? いいですよゴーマンで。ゴーマンさゼロの人間なんてこの世にいないでしょう。
って、そんな記事をわざわざ見つけ出してドンヨリしちゃってる、今日の私こそが一番滑稽ですよね。これ以上に無益なことって何もない。やっぱエゴサーチなんてするもんじゃないです。ほんと時間の無駄でした。反省。