刑事がただ突っ立ってひたすら謎解きするだけの、紙芝居みたいな刑事ドラマしか知らないキミたちに教えてあげよう。
主役の「ミスター」こと五代警部(菅原文太)がオープニングのタイトルバックだけで20人ぐらいぶっ殺すw、これが本当の刑事ドラマだ!
もちろん初回ゲストのサニー千葉も例外なく即射殺! いくら必殺地獄拳の使い手でも44マグナムならイチコロよ! 何度でも言おう、これが本当の刑事ドラマだ!
同じ初回ゲストの石橋蓮司も宇宙刑事ギャバンも、ミスターの片腕「秀才」こと虎間刑事(三田村邦彦)が問答無用でぶっ殺す! しつこいようだがこれが本当の刑事ドラマだ!
バイオレンスだけじゃない! 殺人課の紅一点「エンジェル」こと眉村刑事(一色彩子)が毎回おっぱいを必然性なく見せびらかし、エロの要素まで満たしてくれる! これこそ真のエンターテイメントだ!!
相手がどんな凶悪犯であろうとぶっ殺さず、おっぱいすら見せてくれない昨今のテレビ番組が、一体なんの為に作られてるのか私にはサッパリ分からない! 頼む! せめておっぱいだけでも見せてくれ!!
『警視庁殺人課』は1981年の4月から10月まで、テレビ朝日系列の月曜夜9時枠で全26話が放映された刑事ドラマ。制作はあの、刑事がただ突っ立ってひたすら謎解きをする(そして誰もおっぱいを見せてくれない)『相棒』や『科捜研の女』と同じテレ朝&東映! マジかっ!?
ニューヨーク市警で殺人術をみっちり仕込まれた「ミスター」率いる警視庁殺人課は、殺人事件を専門に扱う課じゃなくて、人を撃ち殺すのが専門の課なのだ! 知らんけど。
メンバーは前述の「秀才」と「エンジェル」のほか、肉体派の「ウルフ」こと久保刑事(剛 竜馬)、アクション派の「チャンス」こと村木刑事(関根大学)、課長代理の「ビショップ」こと額田刑事(中谷一郎)、そして殺人課を密かに創設しバックアップする田丸刑事部長(鶴田浩二)!
さらに殺人課を目の敵にする捜査一課の平田課長(梅宮辰夫)が、たまに嫌味を言いにだけ現れたりします。なんとも贅沢な顔ぶれだけど、みんな死んじゃいましたね。(劇中でも最終回で全員殉職!)
そして第1話では千葉真一、石橋蓮司、大葉健二の3人が全然似てない兄弟として登場! 殺人課が密かに発注した改造拳銃を強奪し、土地売買の詐欺で父親を自殺に追いやったエリートたちを血祭りに上げ、当たり前のように全員射殺されちゃいます。
かつて優秀な刑事だった主犯のサニー千葉が、わざわざ殺人課の拳銃を奪って犯行に及んだのは、最後に敬愛する元同僚のミスターに射殺して欲しかったから。つまり刑事が犯人を射殺することが大前提で、謎解きしかしない現在の刑事ドラマじゃハナから成立しない話です。
刑事が命懸けなら犯人も命懸け。罪を犯すってのはそういう事であり、ただ真犯人や裏切り者を当てるだけの推理ゲームじゃ命の重さが伝わらないのでは?って、私は真剣にそう思ってます。
第2話では銀行員を射殺してその幼い息子を誘拐した犯人(鹿内 孝)と、陰で糸を引いてた支店長(大木 実)がミスターに射殺されます。
「犯人に対しては徹底的に制裁を加えます。徹底的にです!」とミスターが暗に射殺を宣言すれば、警察幹部である田丸刑事部長が「徹底的にか。よし、やれ」と無責任に背中を押す。それが刑事ドラマだ!
人を殺したり殺させたりすれば、自分も必ず殺される。こんな当たり前の法則が通用しない現在のテレビ業界は、やっぱりイビツです。だから皆が鬱憤を溜め込み、ネット上の罵詈雑言で人を追い込む「指殺人」みたいなことが起きるんですよ!
現実世界でぶっ殺せとは言ってません。せめてフィクションの中だけでも、罪を犯した人間にはそれと同等の報いを与えて欲しい! 刑事モノ(元を辿れば保安官モノ)って本来、その為に生まれたジャンルじゃなかったの?って、私は思うワケです。
いつも書いてる事だけど、謎解きするだけなら探偵でも家政婦でも三毛猫でも出来ちゃうワケです。犯した罪と同等の罰を犯人に与える、それをエンターテイメントとして見せられるのは、拳銃をぶら下げた刑事さんしかいないんですよ!
だから言うワケです。悪党どもをぶん殴り、ぶっ殺してこそ本当の意味での刑事ドラマなんだって。ましてや、警察が手を出せない悪党を裁くために結成した『アバランチ』みたいな自警団がそれをやらなくてどうすんの!?って。
残念ながら、2000年代に入る頃には「本当の刑事ドラマ」は絶滅し、今じゃ「殺さない殺し屋」の映画がシリーズ化されちゃう異常な世の中。やっぱり『踊る大捜査線』と『相棒』の登場がターニングポイントでしたね。だからA級戦犯だって言うんです。
ミスター、カムバック! プリーズ! そしてエンジェルよ、おっぱいを見せてくれ!! どちらかと言えばおっぱい優先でよろしくお願いしますm(_ _)m