単なる近況報告の記事が、またもや変態事務局により消されてしまいました。その理由にまったく心当たりが無いのですが、画像を替えればたぶん消されないので再掲載し、その後のいきさつも追記しておきます。
コメントを下さった“みつぼん”さん、すみません。このブログでは日常茶飯事なのですm(_ _)m
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母の食欲不振がずっと続いており、当然ながら衰弱も進み、要介護度が2から3に上がって、週末の自宅介護も難しくなって来ました。
で、ショートステイ先の介護施設に入所の申し込みをしたら会議に呼び出され、一昨日、仕事を午前中で切り上げて行って来ました。
そしたら、入所どころか「ウチの施設は生活を支援する場だから」という理由で、このまま衰弱が進んだら「ショートステイも受け入れできなくなる」と宣告されちゃいました。
同じ施設で父のときはショート→ロング→入所とすんなり進んだのに、意外な対応に驚きました。父の場合は亡くなるちょっと前まで食事は普通に採れてたから、今回とはケースが違うって事なのか、約3年の間に条件が厳しくなったのか。(たぶん両方でしょう)
さらに、かかりつけ医の検査&診察を早急に受けてくれと言われ、昨日は急きょ休みを取って病院へ行きました。結果は、何かの数値が極端に悪くなってるワケじゃなく、たぶん老衰の兆候だろうと。もう91歳ですからね。
本人に生きる気力が見られないので、ある程度の覚悟はしてたけど、これは思ってたより早くなるかも?とビビりました。
しかも一昨日の会議で面会したとき、母の口から「もう逝かせて欲しいわ」って言葉が出たんですよね。「長生きしてもしょうがない」とは以前から言ってたけど、逝きたいとまで(しかも穏やかな表情で!)言ったのは初めてなので、これは堪えました。
今の施設を追い出されたら、長期医療に対応できる施設を探すか、仕事を辞めて自宅介護するかの二択しか無い。だから昨日は施設と病院を往復したあと、近場では唯一の住宅型有料老人ホームを見学し、予約を入れて来ました。
まだ築2年の新しさで外の景色も良く、理想的な環境だけど現在「4人待ち」とのことで、間に合うかどうか……いや、今の施設を追い出されるのは時間の問題なので、まず間に合わない。となると、やっぱり自宅介護しか無いのか?
そこまで追い詰められたところで、最後の砦を思いつきました。私の勤め先です。要介護3から入所可能な特別養護老人ホームだけど、私は現在の(もはや崩壊しそうな)内情を知り過ぎてるし、同僚に親を介護してもらうことに妙な照れもあって、無意識に選択肢から外してました。
けど、もうそんなこと言ってられない。電話で診察結果を報告がてら、上司に尋ねたら「たぶん受け入れは可能だろう」との返事。
自分の勤め先なら、最期のときに付き添える可能性もグッと上がる。(父のときは間に合わなかった) それで今日、施設の相談員と正式に話し合い、早急に検討してもらえることになりました。ほんの1週間前には想像もしてなかった展開です。
かように福祉の世界もどんどん厳しくなってます。介護する側だけじゃなく、される側にとっても。いつか私自身が介護を受ける頃には、もっと厳しくなってるかも知れない。
そうなる前にさっさと仕事を辞めて、動けるうちにやりたい事やり尽くして、安楽に逝けたら一番幸せですよね。働くのが心底好きな人は職場で逝くのも有りでしょうけど、私はそういうタイプじゃない。
最近、そんな事ばっかり考えてます。勤め先には愛着もあるから当分は頑張るつもりだけど、倒れる前の見極めは絶対しなきゃいけない。しんどいまま死ぬのはゴメンです。
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以上の記事をアップしてからちょうど1週間。私の勤め先が母を受け入れてくれることが、ほぼ決まりました。
ただ、同じ“特養”の施設でも「従来型」と「ユニット型」の2種があり、私が勤めてるのは「従来型」で現在は満床状態。ゆえに母が入るのは「ユニット型」で、従来型より環境が良いぶん料金は割高になっちゃう。
無論それは仕方ないことだし、自分の働く姿を母に見られたり、母が同僚たちに介護されたりするのは照れくさいと思ってたから、かえって良かったです。建物はすぐ隣で直結する通路もあるから、いつでも駆けつけられるし。まさに捨てる神あれば拾う神あり!
なんか、運命的なものを感じずにいられません。昨年、送迎ドライバー募集の面接に行ったのになぜか介護職員となり、そこがたまたま今の母みたいな状態の人でも受け入れてくれる施設だった。
そもそも約16年前に「ただ親を安心させる為に」取ったホームヘルパー2級の資格が無ければ、私は面接で落とされて全く違う仕事に就いてたはず。その場合、母を受け入れてくれる施設が見つかるまで、まだまだ日にちがかかった事でしょう。(となると完全自宅介護しか選択肢が無くなる)
何かに導かれてる気がしてなりません。私は無宗派だし霊体験とかも一切無いけど、カミサマ的な存在はうっすら信じてたりします。人が人の道から外れず真っ当に生きていくには、そういう思想が必要なんでしょうね、きっと。
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