勝手に心の拠り所にさせてもらってた同僚2人が辞めてしまうと判って、母を亡くした喪失感がまたぶり返してます。
いや〜、まいった。まだ続きますか。もっと修行して強くなれってことですか。キツいなあ。お別れが続くのは実にキツい。
段階的に心の準備ができた母の場合と違って、今回は“寝耳に水”な分だけダメージはより大きいかも知れない。まいった。本当にまいった。もう勘弁して下さい。

母に関しては、亡くなる前は自分が幼い頃(家庭が平和だった頃)の想い出に浸って泣いたりしたけど、亡くなったあとは逆に、自分が実家に戻ってからの日々がふと頭をよぎって涙が出ちゃう。
たとえば病院や介護施設へ送るために母を乗せたマイカーの助手席とか、そのときに少しだけ交わした会話とか、なんでもない光景が今は愛おしく感じられる。決して仲のいい親子じゃなかったのに。
どんな物事も人間関係も、永遠には続かない。いつか必ず終わりがやってくる。それはもしかしたら明日かも知れない。

母が私に対して最後にかけてくれた言葉は、「気をつけて帰りなさいよ」でした。施設でも病院でも私は基本的に無視されてたけど、ごくたまに機嫌がいいとき、その一言だけ返してくれました。
ホントそれしか言わないもんだから、私は内心「そんなに早く出てって欲しいの?」なんて思ったりもしたけど、あれは体力ギリギリの状態にあった母の、息子に対する精一杯の思いやりだったのかも?って今は解釈してます。
会話のない家庭と言っても、私が学校に行くときは必ず玄関まで来て「気をつけて行きなさいよ」と言ってくれる母でした。
ガキンチョだった私は「分かってるわ!」ってなもんだったけど、もう二度と聞けないんだなと思うと、いや〜、キツいです。
