前回、この1週間は葛藤しまくったと書きましたが、具体的に言えば「母が元気になって欲しい」っていうのと「もうラクにしてあげたい(逝かせてあげたい)」っていう相反する思いのぶつかり合い。
仲は良くなくとも親子である以上、やっぱり生きてて欲しいのも本音だし、自分が母の立場なら早く逝きたいだろうっていうのも本音。
ただ、後者には「自分が介護から解放されたいだけちゃうの?」っていう罪悪感がどうしても付きまとうから、父の仏壇には「母さんを元気にしてやって下さい」って、宗教心など無いくせに毎日お祈りし、風呂に入ってるときも「母さん、生きろよ」なんてつぶやいたりしてました。そしたら入院からちょうど1週間で「退院できます」の知らせ。
そのとき、私は喜ぶよりも呆気にとられ、と同時に施設との受け入れ調整を急がなきゃ!ってパニックにもなりました。だって先週ドクターは「施設へ戻るのは難しいかも」なんて言ってたから、入院は長引くだろうってこっちは思い込みますよ!
そういうことも含めて、一夜明けた今でも単純に「よかった」とは思えてない自分がいます。これからいつまで、こんな目まぐるしい日々と葛藤が続くんだろう?って。
だから「これは共依存というより、闘い」だと前回書いたワケです。母との闘いじゃなくて、自分自身との闘い。
それが「親の介護」なんですよね、きっと。恩返しができて幸せと感じるか、ただしんどくて苦痛と感じるか、自分の度量が試される機会。「後悔したくないから」っていうモチベーションも有りでしょう。
というワケで今日、病院まで母を迎えに行き、私が勤めてる施設へと送り届けました。私の眼から見ると、容体がそれほど良くなったとは思えません。入院しないよりはマシだった程度。
私に対する母の態度も、明らかに冷たい。身内相手だからムリして笑顔を作ったりしないだけ、とポジティブに捉えたいところだけど、家に帰れないまま住む場所をコロコロ変えられたら、そりゃ「追い出された」「見捨てられた」と感じて当然だろうし、あるいは「余計なことをしてくれた」と思ってるのかも知れない。
ただ、変な話、もとより親子関係は良くなかったから、これは仕方がないと割り切れます。忘れられちゃうよりはずっとマシ。
そう言えば母の口から兄に関して「今どうしてるの?」みたいな言葉を、私は聞いたことがない。そうなりたくないから頑張ってる側面も大きいです。愛情うんぬんは、自分でもよく分かりません。