ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

「闘いの日々。」

2024-12-21 18:30:25 | 日記

前回、この1週間は葛藤しまくったと書きましたが、具体的に言えば「母が元気になって欲しい」っていうのと「もうラクにしてあげたい(逝かせてあげたい)」っていう相反する思いのぶつかり合い。

仲は良くなくとも親子である以上、やっぱり生きてて欲しいのも本音だし、自分が母の立場なら早く逝きたいだろうっていうのも本音。

ただ、後者には「自分が介護から解放されたいだけちゃうの?」っていう罪悪感がどうしても付きまとうから、父の仏壇には「母さんを元気にしてやって下さい」って、宗教心など無いくせに毎日お祈りし、風呂に入ってるときも「母さん、生きろよ」なんてつぶやいたりしてました。そしたら入院からちょうど1週間で「退院できます」の知らせ。

そのとき、私は喜ぶよりも呆気にとられ、と同時に施設との受け入れ調整を急がなきゃ!ってパニックにもなりました。だって先週ドクターは「施設へ戻るのは難しいかも」なんて言ってたから、入院は長引くだろうってこっちは思い込みますよ!

そういうことも含めて、一夜明けた今でも単純に「よかった」とは思えてない自分がいます。これからいつまで、こんな目まぐるしい日々と葛藤が続くんだろう?って。

だから「これは共依存というより、闘い」だと前回書いたワケです。母との闘いじゃなくて、自分自身との闘い。

それが「親の介護」なんですよね、きっと。恩返しができて幸せと感じるか、ただしんどくて苦痛と感じるか、自分の度量が試される機会。「後悔したくないから」っていうモチベーションも有りでしょう。



というワケで今日、病院まで母を迎えに行き、私が勤めてる施設へと送り届けました。私の眼から見ると、容体がそれほど良くなったとは思えません。入院しないよりはマシだった程度。

私に対する母の態度も、明らかに冷たい。身内相手だからムリして笑顔を作ったりしないだけ、とポジティブに捉えたいところだけど、家に帰れないまま住む場所をコロコロ変えられたら、そりゃ「追い出された」「見捨てられた」と感じて当然だろうし、あるいは「余計なことをしてくれた」と思ってるのかも知れない。

ただ、変な話、もとより親子関係は良くなかったから、これは仕方がないと割り切れます。忘れられちゃうよりはずっとマシ。

そう言えば母の口から兄に関して「今どうしてるの?」みたいな言葉を、私は聞いたことがない。そうなりたくないから頑張ってる側面も大きいです。愛情うんぬんは、自分でもよく分かりません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「またまた状況が変わる!」

2024-12-20 21:11:54 | 日記

先週、母が入院になったとき、ドクターは「もとの施設(私の勤め先)に戻ることは難しいだろう」って、確かに言ったんですよ。それが今日、仕事中に担当のナースから電話がかかって来て「もう退院できます」だって。

一瞬、治療の余地が尽きたのかと思ったけど、どうやら「回復したから」と解釈して良さそうです。

この1週間、私がどれほど葛藤したか! いや、それはいいけど、展開があまりに目まぐるしくてメンタルがついていかない!

正直、安心よりも「どっと疲れた」のが本音です。ともあれ明日、母を病院まで迎えに行き、私の勤め先へと送り届けます。



果たして自分のやってることが正しいのかどうか、よく分からなくなって来ました。だって母は「もう逝かせて欲しい」って私に言ってましたから。

でも、91歳にしてコロナを乗り越え、心不全まで克服した人が、生きる気力を無くしてるとはとても思えない!

いずれにせよ家族としては責任を全うするしかない。ハッキリ言えば「後悔したくない」っていう私のエゴ。介護に関して今までやって来たこと全てが自分の為です。

今の母と私の関係は「共依存」かも?と思ってたけど、違いますね。ある意味、闘いです。母が頑張るなら、私も負けずに頑張るしかありません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スルースキルを身につける。」

2024-12-14 21:44:34 | 日記

『ストレスに負けない人の習慣、ぜんぶ集めました。』の第五章、『ストレスに負けない人の“仕事の習慣”』の1つとして挙げられてるのが「スルースキル」を身につけること。

たとえば誰かに、冗談なのか嫌味なのかよく分からないことを言われたとき、その真意がどっちなのか考え込んでも答えなど出やしない。だったら「まあ、いいか」と受け流す。

たとえば上司から「ほんと下手だねえ、こういう風にすればいいのに」みたいな嫌味を言われた時には、後半の「こういう風にすればいい」だけを記憶に留め、前半は忘れちゃう。

なかなか難しいミッションだけど、確かにそういうスキルがあれば気楽に生きられるし、人付き合いも上手くできそう。



私の場合は他者から言われたこと以上に、自分が他者に対して言ったことを「あ、誤解されたかも?」とか「傷つけたかも?」「嫌われるかも?」って、後になってグズグズ考えちゃう癖がある。

その場で気づいて「あ、今のはこういう意味じゃないよ」って言えたらいいのに、とっさに回らない自分の頭を残念に思っちゃう。

けど、それも「まあ、いいか」とスルーしなきゃしょうがない。時は戻せないんだから。



そこで遠い過去の話、私がまだ小学生だった頃に両親が不仲になったいきさつを書こうとして、「あかん、ネガティブな話は避けようって決めたところやん」と自制しました。

最終的に言いたかったことだけ書くと、両親はお互い真面目すぎたんですよね。もしスルースキルという発想が当時あれば……って、ふと思ったワケです。だけど昭和中期の日本人にそんなこと求めるのは、いかにもムチャな話。

「こんな自分に誰がした?」みたいな思いをかつては抱いてたけど、今は違います。今なら父の苦しみも母の苦しみもある程度は理解できる。

これまでの私は、人生ってヤツを軽く見過ぎてました。今さらながら否応なく、自分と向き合ってます。変わらなきゃ本当にヤバいと気づいたから。

まあ、生きてりゃ誰もが変わっていくだろうし、このブログの内容だって少しずつ変わって来たはず。今後どう変わるかは自分でも分からないけど、今が大きな過渡期なのは間違いなさそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「また状況が変わった。」

2024-12-13 21:21:09 | 日記

今日の検査&診断で、母はほぼ間違いなく「心不全」を患ってることが判り、即入院となりました。胸のシコリは癌ではなく、心臓に水が溜まってたワケです。

私の勤め先に入所してから、わずか11日目にして入院。ポジティブもネガティブも関係なく、ただ事実を書いてます。



私は(そしてたぶん母自身も)延命治療は避けたい派なんだけど、ドクターの「決してお母さんに無理はさせない」という言葉を信じて、入院に同意しました。

ショートステイを断ってきた前の施設は、たぶん気づいてたんでしょうね。けれど介護施設の立場としては「検査を受けさせて下さい」としか家族に言えない。

それは解るけど、胸のシコリとか足のむくみは知らせて欲しかった。「家族なら自分で気づけよ」っていう意地の悪さを感じてしまう。だって勤め先のナースはすぐ教えてくれたし。

とはいえ、確かに、靴を履かせる時やけに窮屈そう=足がむくんでる=心不全かも?っていう発想は、私なら出来た筈なんですよね。なぜなら父も同じく心不全だったから。

けれどもう、自分を責めたりはしません。もうちょっと早く発見したとしても結果は同じで、誰も悪くない。ただ、コロナの感染だけは防げたかも知れないのが悔しいけど。



もし、ストレス軽減法の本を事前に読んでなかったら、今の私はもっと落ち込んでる筈。やっぱり「ハリソン君という名の神」に導かれたとしか思えません。

いま起きてることを「自分に下された罰なのかも?」って、以前の私ならもっとネガティブに捉えた筈。だけどそれって、自分以外の何かに責任転嫁してるだけですよね。

何もかも自分自身による選択の結果であり、同じことが母にも言える。だから後悔なんかしてもまったく無意味だって、今なら思えます。誰に何と言われようと。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「脳をだます。」

2024-12-12 22:12:24 | 日記

明日、勤め先の介護施設(特養)で母が入所してる“ユニット型”が、ようやくコロナの厳戒態勢を解く予定で、ちょうどその日が母の定期回診日。やれやれ、今度こそ予定通りに事が進み、ほぼ1ヶ月ぶりに母と再会できそうだ……

と思いきや! 今度は病院から電話がかかってきて、母の主治医が体調を崩したから(まさかコロナ?)回診日を1週間ズラしてもよろしいですか?だって。もう勘弁してくれ!

回診日がズレようが薬は明日もらわなきゃいけないし、主治医がウチの施設のかかりつけ医に替わるから紹介状も書いてもらう必要がある。何より「胸のシコリ」という新たな問題が出てきてるし、私だってそんなにポンポン仕事を休めないんだよっ!!💢

……って、一瞬カッとなりかけたけど、電話を受けたとき周りに何人か同僚もいたから、あくまで冷静に対応し、丁寧に事情を伝えた上で「ほかの先生に明日、予定通りの時間に診て欲しいです」とお願いしました。結果、その要求は通りました。

まぁしかし、なんだか分かんないけど毎回毎回、スムーズに事が進みません。ああ、またストレスが……



とはいえ、電話を受けたとき冷静に対処できたのは、ちょっとした成長かも知れません。ストレス対策の本がさっそく役に立ってる? 仕事は相変わらずハードなのに、感じるストレスはやや軽減した実感もあります。

特に最近ブログで取り上げた「オーウェル思考」と「7:2:1の法則」は確実に効いてます。それと「いい人をやめる」っていう指針も。

いわゆる「ポジティブ・シンキング」ってヤツには胡散臭さを感じて来たけど、「ポジティブな言葉を発することによってセトロニンやドーパミンなどの神経伝達物質が分泌され、ストレスが軽減される」みたいに理屈で説かれると私は納得しやすい。

そういうのが「ストレスに負けない人の“脳をだます習慣”」で、スピリチュアル業界で言うところの催眠効果でしょうか。

以前の記事で、うつ状態の入口にいた私を救ってくれたのが『探偵!ナイトスクープ』の“キンタマ”ネタ3連発だったと書いたように、笑いがもたらす癒し効果は抜群なんだけど、それは単に口角を上げるだけの「つくり笑い」でも同じ効果が得られることが科学的に証明されてたりする。

人の脳ってヤツはけっこう騙されやすく、たとえば「あいつは最低だ」と悪口を言ったつもりでも、その主語を間違えて「俺は最低だ」と受け取ってしまう場合もあるんだとか。だからネガティブな言葉は発しない方がいいってワケです。



そう言えば職場の同僚に、忙しくてバタバタすればするほど「ああ楽しい、ああ楽しい」ってやたら連呼する人(男性)がいて、私は内心「こりゃよっぽどのマゾヒストだ、ド変態がここにいる!」って笑いそうになるんだけど、彼はもしかすると自分の脳を騙そうとしてわざと言ってるのかも知れません。

そんな彼は活き活きと働いてるように見えるし、顔をしかめて「しんどい、しんどい」と連呼する人より確実に好感度が高い。そうして周りから好かれれば自分も気持ちいい=ストレスも少ないことでしょう。

まあ、実際のところ彼はド変態なだけかも知れないけどw、目隠しされて氷を触ると「熱い!」って錯覚するのが人の脳ですから、騙されやすいのは真実でしょう。

だからこのブログでも今後は出来るだけ、ネガティブな表現は避けようと思ってます。ストレス発散の1つとして愚痴は変わらずこぼすでしょうが、少なくとも自分が言われてイヤなことは言わないよう心がけたいところ。

そういった変化を、老化じゃなく「成熟」への階段と解釈し、皆さんにも楽しんで頂ければ幸いです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする