2016.9.25(日)晴れ
晴れて暑い日だった。
歌の日曜散歩を聴いていたら、あらまぁ、うたわらドン「年老いた悲しみを見た~♪」で山形のKさん。「同窓会でやけぼっくりに火が・・・を期待したが・・・・やけぼっくりが炭化してしまっていた・・・」というような。
あらまぁ、続いて岩元邦彦さん。「山登っていて石が靴に入って、それを取ろうとしたら雨でぬかるんでいたのでうすべて転びそうになる・・・」というような。
他には福島県のSさんの金木犀が香ってきました。というような。
はま のりこさんのねずみ騒動の続き。とうとうねずみが登場したそうで・・・
ぎーくんは五十公野公園にピクニックとのこと。ママがおいしそうなお弁当を作っていた。
午後、親戚のO宅へ。叔父と2時間ほどおしゃべり。叔父がまだ子供だったころの話から今までのことをよ~く記憶していて、話てきかせてくれた。その記憶を娘に書いてもらうことにしていると。叔父の父(私の祖父)が樺太からいつ帰ってきたのか知りたいと・・・
夜、母のユーチューブを見ると、昭和22年5月22日と。今度行った時に伝えよう。
当時三歳くらいだった親戚のF子さん家族が一足早く内地に帰ってきたので、叔父たちに樺太で亡くなった母の最初の子(私の姉)の葬式の話を分かりやすく伝えたそう。←これは初耳だった。母も知らなかったことだろう。もっと叔父に聞きたいことがたくさんある。
叔父の祖父母の時代には、広大な土地を所有していたが、保証人になって土地も手放して、今でいえば1000万円ほどの借金が残って、叔父の父と兄(私の父)が樺太で働いて返したそう←これは聞いていたが、具体的な金額は初耳だった。
土地に生えていた大きな木(杉?松?)を切って、切り口のところに名前を書いて軍事用資材として供出したそう。
叔父から「松根油(しょうこんゆ)」という言葉が出てきてびっくり!この前の短歌会でもその話が出たのだった。松の木にV字に切り込みを入れてその下に容器を置いて溜めて戦争の燃料にすると言われて競うように採取したそう。松の反っている側に切り込みを入れるとたくさん採れるらしい。叔父はたくさん溜めたそうで。
しかし、夜ネットで検索したらその「松根油」は実用化には至らなかったと・・・燃料になると信じて必死で採取していた子供たちや大人たち。
そのほかには、イナゴ採り、よもぎ採りなどをしたそう。短歌会でも同じ話が出ていた。
短歌会の80代のIさんは「松根油」を燃料にするようでは、戦争には勝てないと子供心に思っていたと話していた。戦時中は、授業もしないでそういうことをしていたとの話を聞いた。
昔の話を聞くことは好きだ。特に私の先祖の話は。
実家も寄ってお参り。すぐに帰ってきて、お店やさんをやっている幼馴染のT子ちゃんのお母さんの姿が見えたので寄って立ち話。幼馴染のT子ちゃんは、息子さんが6月に結婚して同居する予定で今家全体をリフォームしているそう。なんでも5ヶ月もかかっているとか・・・
夕景
夕方帰ってきたら、玄関に新米の30キロ袋。お嫁さんのご両親が栃木の親戚から買ってきたものをいただいた。うれしいいただきもの。これがまたおいしいお米!
「明日の朝は新米ですよ」とお嫁さん。