池江璃花子選手の言葉で、
「8年前に罪のない人たちが命を落とした」と。
8年前の3月10日、初めての乳がんの抗がん剤で入院。
その夜に、付き添ってくれた看護師さん。
個室だったのもあり、涙ばかりの私の話を一晩中聞いてくれて。。
あの日の私は、人生のどん底だった。
1泊2日の入院で、翌日11日午後が退院。
携帯を持たない夫が病院に迎えに来てくれて、
帰りに渋谷のデパ地下で、夕食のお寿司を買って家に戻った。
(抗がん剤をやってる時は、ナマモノは良くないって言うけど、
私は、良く食べていた(苦笑)
主治医に何回か抗がん剤をやってる最中に、
そんな話をしたら、身体が大丈夫なら、問題ないって。。)
午後2時46分、家で夫と共に震災にあった。。
特に被害はなかったけど、横浜で働く夫が、あの日一緒に家にいたのはすごい事だ。
携帯を持たない人だけに、
もしあの時、普通の日のように流れたら、
連絡を取る術もない私は一人心細い時間を過ごしただろう。
あの日から、池江璃花子選手の言葉のように、
「健康だった若い人たちが命を落として、今私は生かされてる。
それだけに、生きなければならない」と。
あの看護師さんの優しさに甘えた夜だったけど、
その後から、抗がん剤の副作用で髪が抜けたり、口内炎が酷かったり、
食欲がなかったり。
でも、震災の日を境に、自分は強くなったかな…と。
運もあるけど、病気は自分が治すものって。
だからこそ、池江璃花子選手には、病気に勝ってほしい。
「8年前に罪のない人たちが命を落とした」と。
8年前の3月10日、初めての乳がんの抗がん剤で入院。
その夜に、付き添ってくれた看護師さん。
個室だったのもあり、涙ばかりの私の話を一晩中聞いてくれて。。
あの日の私は、人生のどん底だった。
1泊2日の入院で、翌日11日午後が退院。
携帯を持たない夫が病院に迎えに来てくれて、
帰りに渋谷のデパ地下で、夕食のお寿司を買って家に戻った。
(抗がん剤をやってる時は、ナマモノは良くないって言うけど、
私は、良く食べていた(苦笑)
主治医に何回か抗がん剤をやってる最中に、
そんな話をしたら、身体が大丈夫なら、問題ないって。。)
午後2時46分、家で夫と共に震災にあった。。
特に被害はなかったけど、横浜で働く夫が、あの日一緒に家にいたのはすごい事だ。
携帯を持たない人だけに、
もしあの時、普通の日のように流れたら、
連絡を取る術もない私は一人心細い時間を過ごしただろう。
あの日から、池江璃花子選手の言葉のように、
「健康だった若い人たちが命を落として、今私は生かされてる。
それだけに、生きなければならない」と。
あの看護師さんの優しさに甘えた夜だったけど、
その後から、抗がん剤の副作用で髪が抜けたり、口内炎が酷かったり、
食欲がなかったり。
でも、震災の日を境に、自分は強くなったかな…と。
運もあるけど、病気は自分が治すものって。
だからこそ、池江璃花子選手には、病気に勝ってほしい。