谷間の小さな段々畑

山畑の四季を写真とともに発信します

写真のないブログ 満蒙開拓

2019-04-12 21:08:10 | 日々のこと

昭和17年頃、満州で成功した叔父われて、父は満州に向かった。

叔父は当時満州で、日本から来る入植者用の住居を作っていたようだ、仕事が忙しく、自分の片腕となる人を探していた。

その眼鏡にかなったのが、甥にあたる父だった。

父は満州延吉郊外で、満州人の苦力を使い、建築資材の調達に奔走した。

よい稼ぎになったが仕事は相当きつかったようだ、食べ物が合わなかったのだろう約1年で体調を崩しあえなく帰国した。

もし父が元気で終戦を迎えていたら、過酷な運命に翻弄されていたかもしれない。

寡黙な父から満州の話を聞いたという記憶はほとんどない。

今日 満蒙開拓テレビ特集で、淡々と苦労を語る、私と同世代の証言が切なかった。

 

 

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