昭和17年頃、満州で成功した叔父われて、父は満州に向かった。
叔父は当時満州で、日本から来る入植者用の住居を作っていたようだ、仕事が忙しく、自分の片腕となる人を探していた。
その眼鏡にかなったのが、甥にあたる父だった。
父は満州延吉郊外で、満州人の苦力を使い、建築資材の調達に奔走した。
よい稼ぎになったが仕事は相当きつかったようだ、食べ物が合わなかったのだろう約1年で体調を崩しあえなく帰国した。
もし父が元気で終戦を迎えていたら、過酷な運命に翻弄されていたかもしれない。
寡黙な父から満州の話を聞いたという記憶はほとんどない。
今日 満蒙開拓テレビ特集で、淡々と苦労を語る、私と同世代の証言が切なかった。