紀州・有田で田舎暮らし

思いつくままに野菜や果実や漬物を作ったり、時には青春する心を求めてさ迷ったり、気ままに田舎暮らしを楽しんでいます。

孫6歳の誕生祝い パンケーキを手作り

2013年01月27日 | 我が家の食&漬物作り

我が家恒例の誕生祝。今日は孫6歳の誕生祝。いつものケーキに加え、初めてパンケーキ作りに挑戦し、5皿(大皿2、中皿3)を手作りした。

孫達に、買ってきたケーキの方がおいしいと言われてガックリ。でも、大人達には、見た目も味も大好評。また、作るぞ!

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ちなみに、我流で作ったパンケーキレシピは、

①ホットケーキは説明書きのとおり、卵・牛乳を混ぜ、さらに粉を混ぜてから焼く ②焼いたホットケーキをお皿に載せ、シロップを適当にかけ冷めるのを待つ ③トロピカルフルーツの缶詰の汁を捨て実のみをホットケーキの上に載せる ④イチゴは洗って小さめに切り、さらにその上に載せる ⑤生クリームは説明書きのとおり、粉と牛乳を泡だて器で混ぜ、ほどよいところで口のついた付属のビニール袋に入れ、適当に搾り出しながらホットケーキにかける。⑥シロップを適当にかけて出来上がり。材料費:約1,800円

シェフ & 材料調達 : 自分

助手 : 家内


報恩講 2013

2013年01月22日 | 青春クラブ・自治会・お寺

1/20、報恩講のお勤め & お説教が、無事に終わった。
朝8時から、総代やクモンで、庭の草引き、幕張、国旗・寺旗掲揚、室内の掃除、椅子並べ、お花の準備、お供え台の組み立て、お説教用の演壇や白板準備など、2時間がかりで、午後からの「報恩講」準備をした。


今日のお説教は、全国各地で説教されたり、テレビ出演もなされたりで有名な大畠信隆先生を、是非にとお願いしお越しいただいた。
約90分のお説教が終わってからの檀家さん、「いつもは60分でも退屈することが多いのに、今日は、まだまだ聞きたかった」と言って喜んでくれた。それほど、お説教が楽しかった、興味深かった、有難たかったということ。お世話した我々にとって、そうした檀家さんの声が、何よりの喜び。


夫:「おかあさん、ありがとう。また、明日も会えるといいね」。
妻:「おとうさん、ありがとう。また、明日も会えるといいね」。
年老いても、日々、こういう会話ができる夫婦でありたいもの。
憎まれて生きるか、感謝されて生きるか、それは自分次第。
「何のために生きているのか! 残された余生、日々、自分に問いかけながら生きて行きたい」 大畠先生ありがとうございました。


老人会 消えかかった 組織

2013年01月14日 | 青春クラブ・自治会・お寺

引き受け手がなく、80代後半の方が今も老人会の世話役を続けている。前々から何とかしてほしいと働きかけてきたが、進展しないとのこと。今は、車の運転もままならず解散状態にあるので、何とかしてほしいと昨年来より要請されてきた。

老人会は、自主加入が前提なので自治会として強制する訳にも行かず、総集会でお願いしても名乗りでる人もおらず、一方で我が地区だけ老人会が消滅するのは忍びないという思いもあって、気にかけてきた。

以来、「老人会の灯を消したら区民の恥や」と、秘かに走り回ってきた。今日、ようやく、同じ想いを共有する同志8人が出揃い、4月までに役員引継ぎできる段取りが整った。報告に行った長老格の老人会役員から、ねぎらいと感謝の言葉を頂き、感無量。

今宵、一人晩酌で、静かに祝杯をあげた。

一方、私がメンバーの中で最年少だし、行きがかり上からも、4月から老人会の雑用係ぐらいは引受けざるをえない雰囲気もプンプン。せっかく自治会新ルールを作り区長を再任しないことにできたし、お寺の世話役も任期満了だし、この4月からはマイペースの生活に戻れると思っていたが、田舎暮らしでは、そう簡単にができないかも・・・。 でも、皆が嫌がる役をいろいろ頼まれるのも、これも「ご縁」と思わなければ・・・。

とにかく、今宵は心晴れ晴れ!


青春の詩とは

2013年01月07日 | 青春クラブ・自治会・お寺

 

<青春クラブ誕生にあたって:地区老人会の復活を要請され、新たに作る組織の名称を決めるにあたって発起人に紹介した「青春」の詩>

青春 (原作:サミエル・ウルマン、邦訳:岡田 義夫)

青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相をいうのだ。

優れた創造力、逞(①タクマ)しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(②キョウダ)を却(③シリゾ)ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や、孤疑(④コギ)や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰(⑤アタカ)も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥(⑥アクタ)に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰(⑦イワ)く、「驚異への愛慕心」、「空にきらめく星辰(⑧セイシン)」、「その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰(⑨キンギョウ)」、「事に処する剛毅(⑩ゴウキ)な挑戦」、「小児の如く求めてやまぬ探求心、人生への歓喜と興味」。

人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。

人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。

希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、 そして偉大の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎(⑪ヒタン)の白雪が人の心の奥までも蔽(⑫オオ)いつくし、皮肉の厚氷(あつごおり)がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて、神の憐れみを乞うるほかはなくなる。

(注釈)

①逞しき(タクマしき)⇒がっしりしてつよい

⑦曰く(イワく)言うのには

②怯懦(キヨウダ)⇒おくびょうで気の弱いこと

⑧星辰(セイシン)⇒星のこと、辰は天体のこと

③却ける(シリゾける)⇒後退させる

⑨欽仰(キンギョウ)⇒つつしみあおぐ

④孤疑(コギ)⇒疑ってためらうこと

⑩剛毅(ゴウキ)⇒意志が強固で不屈なこと

⑤恰も(アタカも)⇒まるで ちょうど

⑪悲歎(ヒタン)⇒悲しみ嘆くこと 歎は嘆と同じ

⑥芥に(アクタに)⇒ごみ

⑫蔽い(オオい)⇒遮蔽する

<無名だったサミエル・ウルマン氏(アメリカ)の『青春(Youth)』の詩が見出された経緯>

第二次世界大戦の終戦後、1945年9月27日に昭和天皇が、日比谷の占領軍総司令部にマッカーサー元帥を訪問し、天皇が始めて民間人と並んでツーショット写真を取られた部屋の壁に掛けられていた詩が、この青春の詩(英文)であった。

この詩を、ある日本人(岡田義夫氏説が有力:明24年埼玉県生れ)が見つけ、感動し、漢詩調に翻訳した。これが後に松下幸之助氏の眼に止まり、あるインタービューでこの詩の事を紹介し、雑誌に掲載され一躍有名になり、多くの財界人の間に広まったという。昭和60年には、中曽根康弘氏が発起人となり、旧制静岡高校OBで「青春の会」が作られている。また、この詩を掲げている大手企業の研修所もある。現在でも、さまざまな会議体の名称などに「青春の会」が使用されている。米国では、ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞に、このウルマンの詩の一節を引用したのも有名な話らしい。昭和62年には、財界人200名による「青春」と「作者をたたえる青春の集い」が開催され、ウルマンの遺族である孫二人も招かれたという。このように、「青春」という詩は、多くの人々に感動を与えている。

参考資料:感動の詩賦「青春」(宮澤次郎・竹井出版)、他


八坂神社 清水寺 大谷本廟 パンケーキ なんばパークス巡り

2013年01月06日 | 旅行・街歩き・お店・写真

1/5、家内と京都東山~淀屋橋~難波を巡ってきた。勿論、昨年、家内に買ってもらった「ダウンのコート」を着ていった。

1.交通手段

南海電車・大阪市営地下鉄・京阪電車が1日乗り放題の切符2,300円が今回の主役で、行動範囲も沿線沿い。これに、南海の特急指定席券500円を往復で追加したので電車賃が合計で一人3,300円。さらに、市駅前駐車場700円。高速道路の料金200円が往復。

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2.八坂神社(祇園四条駅から人の波を歩くこと10分)

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3.清水寺(八坂神社から五重塔・高台寺などを散策しながら約1時間で到着)

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4.大谷本廟入り口(祖父・父・兄などが眠る納骨堂のあるところ。母も3回忌が終われば、ここに納骨)

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5.パンケーキ(12月にイルミネーションを撮影しに来たとき、見つけた御堂筋沿いにある淀屋橋のお店。家内の旅の一番の楽しみはここ。夕方の4時半頃、土曜日のためか店は10組程が順番待ち。20分程でテーブルに。以前、ハワイのパンケーキ人気店では人が多くあきらめただけに、たかがパンケーキなのに家内は感慨ひとしお。私からすると、ホットケーキにいろんなものをトッピングしただけに思えるのだが・・・・。ただ、窓越しに見える御堂筋のイルミネーションはすばらしいロケーション)

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6.なんばパークス(せっかくなので、イルミネーションを見に立ち寄った。)

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お正月 田舎の一日 その③ 夕食は高級おせち料理

2013年01月02日 | 田舎暮らし&家族

夕食が賑やかになった。

嫁に行った娘夫婦が、手つかずの〇万円もする「おせち料理」をもって訪れた。昼は、娘婿の実家で食べてきたので、手つかずのまま。娘婿の仕事の関係上、買ったとのこと。

キャビア・あわび・ほたてなど滅多に口に入ることのない料理に舌鼓を打つ一方で、食べたことのない食感や味付けされた料理、食べても素材がわからない料理、あきれる程の種類の多さなど、話題の多い夕食となった。

高価なおせち料理なのに、なぜか、誰かが一口食べて素材や味をコメントするのを聞き、恐る恐るお箸をつけることの多い「不思議なおせち料理」であった。

やはり、田舎者には、昔からの素朴なおせち料理、素性がわかった料理が口にあっていそう。

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お正月 田舎の一日 その② お寺のお勤め

2013年01月02日 | 田舎暮らし&家族

午後からは、夫婦でお寺の「お正月のお勤め」へ。

前日(12/31)の午前中に、総代でお寺の内外の掃除や、注文してあったお餅や果物を祭壇に供えたり、花を生けたり、椅子を並べたりと、正月準備をした。幕張や国旗・寺旗掲揚は、当日、行うことにした。

代務住職(常駐する住職がない寺は、資格のある僧侶を住職の代行にお願いすることが、寺則で決まっている)の寺では、その準備は全て総代が行わなければならない。大変だが、お寺は自分達のものという意識が高いのも事実。財産管理も自分達でしているため、建物や祭壇は風水害・地震・火災に備えた共済に入り、週1回は檀家が当番でお花やオッパンを代えたり、仏教婦人会は毎月1回、自分達だけでお勤めをしたりと、自主的な運営をしている。

その世話役である4年任期の総代が、この3月末でやっと終わる。

準備を終えた「お正月のお勤め」の開始前の写真。

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お正月2013 田舎の一日 その① 朝の始まり

2013年01月01日 | 田舎暮らし&家族

お正月は、例年、お雑煮作りから始まる。

家族8人が揃ってから、まずは仏壇に手をあわせ、先祖に感謝しお餅を供える。

その後、お盆のウラジロの上に載せた「お神酒・お餅・お雑煮・本みかん」を神棚に供え、みんなで2礼2手1礼、家族の無事に感謝する。

続いて、家族で手分けし、台所・床の間・倉庫・車など12箇所に、神棚と同様のお供えをする。

こうした儀式が終わってから、お屠蘇で乾杯し、お雑煮やおせち料理を頂く。

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※前日(12/31)の午後、家族総出で作った5升のお餅つき。とり粉で顔や服や床が真っ白になったり、出来立ての餅で作った「きな粉餅(あべかわ)」の柔らかさと美味しさに、しばし大人まで餅つき作業を中断してほおばったり、5歳と3歳の孫が外に餡が飛び出した「あん餅」を作って大笑いしたりと、和気あいあいの「お餅つき」となった。

絶好のシャッターチャンスがありながら、とり粉やお餅のくっついた手で、カメラに触れるわけにもいかず、写真に収められなかったのは残念。