故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

さなさんー14

2014-12-20 08:47:30 | 短編小説


第十四話 とべ、おらもっと飛べ 

(昭和16年春)
昭和16年の春には、頂上までの道が完成しました。
天に向かって延びる曲がりくねった道は、一筆書きの墨絵を
見るようでした。驚くべき手際よさでした。
伊藤の誰も無理なく使い、健康なものにもそうでないものにも、
均等に報酬を出すやり方に、誰もが納得をして仕事をするのでした。

昭和16年4月、さなは母に付き添われ千田町の寄宿舎に入る
ことになりました。そこから、下中町の第一県女に通うのでした。
憧れのセーラー服に腕を通し、その姿を伊藤に見せたくて
たまりませんでした。山の頂上まで駆け上がったのでした。

週に一回の休みの日に、定期船に乗って桟橋からあがってくる
さなからは、もうあどけなさが消え、あんなに黒かった顔も
少女らしさが匂いたつようになっていました。大きな瞳は、さらに
輝きを増していました。時々悲しそうな表情をするようになりました。

「どうして、英語というもんがあるんじゃろ。」
初めて習う英語に、さなは苦労していました。帰省するごとに、
伊藤に英語の勉強を見てもらっていました。伊藤の英語は、
先生がお手本で読み上げる言葉とは大変違っていました。
さなは、どちらが正しい発音なのかとまどうことがありました。
さなは、大きな声で歌うように伊藤の真似をして、英語の本を
読んでいました。伊藤は、正しくかつ難しく英語を日本語に訳しました。
しかし、1年生の教科書に出てくる英語は、
さなのためにやさしく日本語に訳しました。
さなは、英語の点数は発音以外は、いつも満点に近い点をとりました。

英語の授業は大阪出身で、広島に嫁いで来た吉川先生が担当でした。
ある日、先生はシェイクスピアのハムレットを読んでくれました。
ゆっくりと日本語でも説明してくれるので、さな達は、悲恋を十分に
理解できました。中には泣く子もいたのでした。
12歳の乙女たちは、そんな吉川先生がしてくれる授業以外の話が大好きでした。

''To be or not to be''と吉川先生が発音されました。
乙女達は顔を赤らめてしまいました。さなも例外ではありませんでした。
吉川先生は、「恥ずかしがるとこじゃないですよ。」
といいます。先生がもう一度発音されました。乙女達は、お互いに目を
見交わし、さらに赤くなっていくのでした。

「では誰か、発音して意味を答えてください。」と促しました。
誰も手をあげませんでした。下を向いてどうか私には当てないでと
いう仕草です。さなは、ふらふらと立ち上がりました。

「とべ、おらもっと飛べ。」と高らかに答えました。
一瞬なにがあったのか、教室が静まり返りました。
その後、どっと笑い声が起こりました。
そして、緊張の糸がきれました。もう誰も止まりません。
さなは、後悔しました。生徒達を静めた後、涙を拭いている吉川先生が、
正しい英語読みと日本語訳を続けました。

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。」
と訳しました。ハムレットのお母さんが、恋人と共謀してお父さんを
殺す展開も説明してくれました。12歳の子供達に、ここまで説明し
大阪弁の訳を付け加えてくれました。

 To be or not to be

「やったろか。あかんか。ほなーどないしょ。」

さなは帰省し、伊藤にそのことを話しました。そばで聞いていた
母と姉はやはり赤くなっていました。伊藤は、''To be''のところを
高らかに発音してしまいました。さなは、もう顔が上げられませんでした。
伊藤がいなくなって、三人の女達は笑い転げるのでした。
''To be''という発音はこの地方では、女の陰部のことを指すのでした。

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さなさんー13

2014-12-20 06:38:33 | 短編小説

第十三話 だいだい

さなは、小さい頃より、姉と遊ぶことはありませんでした。
いつも遊ぶのは、近所の悪童達か、少し離れた場所に住んでる
同級生の竹子でした。さなは、悪童達と裏にあった橙の木に登って
よく遊んでいました。悪童達が踏み固めた地面から力強く伸びた幹は
大きく枝を広げていました。さなの家より一段高い畑に植えられていた
橙の木は、さなの家の屋根より高かったのです。

さなは、その日、橙の実を採ろうとして悪童達と幹から枝へと恐る恐る昇っていました。
さなは、同級生の男の子達より、頭ひとつ分大きかったのです。
男の子達は、そんなさなに高い枝にある橙は任せていました。
「さな。そっちの橙はまかせたけえの。」
「うちでも、とどかんわいね。」

 だいだい

さなは、木の股を両足で挟んで高い枝にある橙を取ろうと上がり下がりしていました。
なぜかわからないけど股間に妙な気持ちよさを感じました。
わからないまま、さなは股間を幹にこすり付けていました。
それきり、そのことを忘れてしまいました。

冬には、隠れ家を山の中に、大きな子達と一緒に作りました。
正月前に親戚と一緒に搗いたたくさんの餅は、やがて水餅になるのでした。
保存方法のなかった島では、餅にカビが生える前に水につけました。
たくさんの餅の中から、少しずつ隠れ家に運びました。
家族総出で、蒸して砕いた大豆と麦を筵にしいて、発酵させた米糀と合わせ、
さらに筵の下で幾晩か寝かせて出来た若いみそは、ビニールを敷いた
一斗樽に、一年分を仕込むのでした。保存のため、表面には大量の塩を
まぶしました。
そうして造った自家製みそも一緒に持ってくるのでした。
子供達は、木と草でできた隠れ家の中の土間においた火鉢で火をおこし、
網をかけ水餅をあぶりました。水餅は良く膨らみました。

「いうたろうがい。みそを先に乗せたら、落ちるんじゃけえ。」
「ほうじゃのお。膨らんできたらぬるんじゃった。」

さなの真っ黒な顔の中の大きな瞳が唯一女の子らしさを
顕していました。男の子達が、自由に飛ばすおしっこがいつまでも
うらやましかったのです。
光男がかごの間にはしごを渡し、筵をかけた家で、竹子ちゃんと
ままごとをしばらくはするのですが、すぐに飽きてしまい、
自然に男の子達に混じって遊ぶのでした。
「うちがいつもあかちゃんじゃけえ、つまらんわいね。」
竹子ちゃんもつられて男の子達とばかり遊んでいました。

さなは、すばしっこくて鬼になった男の子達につかまることは
ありませんでした。

「なして、あんなんじゃろうか。」
お母さんはお転婆なさなをずいぶん心配したのでした。
時には、「男の子と遊んじゃいけんよ。」と注意をすることもありました。
光男は男の子がいない分、さなの活発さを好ましく思っていたようでした。
光男は、いつかは、女の子らしくなると信じていました。

冬になると、苗床用に親達が集めたおびただしい量の落ち葉の
クッションの山で遊びました。高志が指名した二人が相撲を取ります。
いつしか取っ組み合いになり、そのうちむしりあいになった頃、
高志が引き離します。

「はあ、やめえや。あんたら二人とも強いことがわかったけえ。」
大人びた口調で、高志は小さい子達をなだめます。

さなはここでも泣かす役でした。
「あんたが、先に手え出したんじゃけえね。あやまりんさい。」
背が高くてすらりとしたさなは、筋肉の塊でした。

(つづく)
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さなさんー12

2014-12-20 03:15:31 | 短編小説

第十二話 海軍大尉

(昭和15年冬)
道を作ると同時に、伊藤は山の中腹の沢の側にコンクリート製のタンクを
3基作らせました。

各タンクは幾層かに仕切られ、その層の中には、石、砂による浄化の
仕組みが村の者達の手で仕上げられました。
大きな木の枝が伸びる場所に設置したタンクの上に蒸発を防ぐ欅製の
屋根がかけられました。海軍から届いた20台のポンプを揚程10mごとに、
小さなタンクと一緒に設置しました。

新しく作ったタンクで浄化された湧き水を頂上までくみ上げました。
伊藤はさらに沢沿いに長いトンネルを何本も山の中腹に開けさせました。
後のことになりますが、翌年の夏は、6月に来た台風のあと、
9月の台風までは日照り続きとなりました。
いつもであれば、島は飲み水にも困るほど干上がるのでした。
長いトンネルから湧き出る水は、ポンプでくみ上げるよりはるかに
多くの水を田畑に流しました。その年から、島民は水争いをすることも
なくなりました。最後の仕上げの仕事に打ち込めました。
仕事が終わり、伊藤がいなくなったあとも、村人は大いに伊藤を尊敬
しました。掘られた年度と海軍大尉伊藤金得の名が刻まれた石碑が、
トンネルの出口に今でもひっそりと建っています。


 命の水

子供達は、とった橙の実は酸っぱくて食べられませんでした。
炭酸の粉をつけるとさなにも食べられました。
さな達は、橙の木で遊ぶときは、炭酸の粉を、
各自家から新聞紙にくるんで持ってきていました。
「もってきたか。」
「みずやの奥にあったけえ、なかなか分からんかったわい。」
新聞紙にくるんだ白い粉を見せ合うのでした。
みずみずしい橙の実に炭酸をこすりつけると泡が立ちました。
すかさず、泡ごと食べるのでした。子供には取れたての橙の実の
刺激の強い酸味が苦手でした。炭酸の泡によって緩和され、
甘みが引き出されるのでした。
だけど、少しばかり自然じゃない味もしました。

(つづく)
コメント (10)
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さなさんー11

2014-12-20 01:20:29 | 短編小説

第十一話 都自慢に田舎自慢 

あまりに楽しそうなので、さなの勉強がないときは、
近所の悪童達が集まるようになりました。
伊藤の話す東京の暮らしや、海軍や外国の話に目を輝かせるのでした。



 都の遊び

「ほうほう、東京じゃベーゴマたらいうもんがはやっとるんじゃと。」
男の子達は、自分達の知らないベーゴマを想像するのでした。
さなは、伊藤を独り占めしたいのに、いつも伊藤のまわりはにぎやかでした。

月に二回の休みの日には、村中の仕事仲間が、酒を持って、魚を持って
集まるものですから、夜中まで大騒ぎとなることもありました。
そんな時、光男はいつもより饒舌になるのでした。
酔っ払いの何人かは、帰り道に川に転落しました。


 
 兄貴

しかし、伊藤はどんなに遅くまで飲んでいても、朝起きて、仕事になると
別人になりました。伊藤から聞いた話やら歌が広まり、村長もくるようになりました。

「双葉山を破った安芸ノ海はのう。宇品にある食料品屋の息子での。
わしは、親父さんをようしっとるんじゃけ。」
村長は、伊藤に自慢するのでした。
光男は、伊藤という男がますます好きになって行くのでした。
あの日以来、忠は年下の伊藤を兄貴と呼ぶようになりました。

(つづく)
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