故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

能美、野登呂山

2015-07-07 05:35:48 | 思い出話
  
江田島術科学校側から見た湾内の景色は驚きでした。

高田の実家は山に張り付くような感じでした。
いつも反対(能美町)側から、津久茂の瀬戸をはさんで、
古鷹山と呉の山並を見ていました。

島には、2000m2以上の平坦な土地がありません。
四町が合併して、江田島市となり三万人近くの人が住んでいます。
産業誘致、工場誘致をしても話がまとまりません。
1970年には4万5千人の人口が、
40年後の2010年には、2万7千人になる過疎の島です。

江田島町宮野原から見る景色は、
江田島湾を挟んで能美町全体が、中町から鹿川に抜けて平坦に見えます。

江田島町側から見る野登呂(宇根)山は、
500mありますが高くないのです。
子どもの頃は、見上げる感じでした。

妻と二人で、真道山に車で登りました。
ここから見下ろす景色は絶景でした。
江田島湾を眼下に、津久茂の瀬戸が近いのです。
能美町と江田島町の間の方が広がりがあります。
こんな所で、暮らしていたんだと感慨深いものがありました。
この絶景を知らなかったのです。

子どもの頃の真道山は、水晶がとれる神秘の山でした。
真道山の登山道は、木や草が伸び放題でした。
住むことができたらボランティアで一本ずつ切って整理したいと思いました。
瀬戸内海の山並は素晴らしいのです。

故郷で暮らした年数の二倍を、故郷以外で過ごしました。
我が故郷は、こんなに良いところであったのか。
知らないで一生を終わるところでした。

広島でやることがいっぱいあります。
まず、宇品ニ丁目にある郷土資料館で能美の歴史を調査したいのです。
次の小説の下調べです。早く始めないといけないのです。
時間が欲しいのです。

故郷や 雨に煙りて 陽がそそぐ

2015年7月7日

今日は七夕。
妻に勧められ、短冊に願い事を書きました。
次から次に出てくる願い事。まだまだ欲張りです。

コメント
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